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人類の夢 2 〜ゆめはうたかたに 2〜 日が西に傾きかけた頃、ジョーの車がギルモア邸のガレージに戻った。車のドアが 開くと、賑やかな若者たちの声が響いてくる。 フランソワーズがいち早く聞きつけて、玄関の扉を開けた。途端、ジョーと見知ら ぬ若者が、言い争いをしている場面に遭遇した。二人とも早口の英語で喋っているの で、フランソワーズには何を言っているのかわからない。彼女が、困惑した表情を今 着いたばかりのピュンマとジェロニモに向けると、二人とも笑ってフランソワーズに 挨拶をしてきた。 「久しぶり、フランソワーズ。ジョーとの婚約、おめでとう」 ピュンマが流暢なフランス語で言い、次いでジェロニモが挨拶する。 「フランソワーズ、おめでとう」 ジェロニモがたどたどしい発音で、しかし、聞こえの好い声でフランス語の挨拶を した。 「ありがとう。ピュンマ、ジェロニモ。私、日本語は大分上達したから、もう日常会 話くらいは大丈夫よ。ジェロニモ、今日の為にフランス語、覚えてくれたのね。本当 にありがとう。二人に会えてうれしいわ」 フランソワーズが日本語で返事をすると、ピュンマもジェロニモもうれしそうに微 笑んだ。 にこやかに挨拶を交わし合う三人の傍らでは、まだ、ジョーと若者が声高らかに喧 嘩をしている。 そんな二人を、不安そうに見るフランソワーズに気がついて、ピュンマが手を振り ながら言った。 「心配いらないよ。あの二人、空港で顔を会わせてからずっとあんな調子なんだ。幼 馴染みで、お互い気が置けない相手だからって。見たところ、ジェットの方が一方的 にジョーをからかっているようだよ。車の中でも、やってるんだから。でも、二人と もさすがレーサーだね。ハンドル捌きは過たず、無事ギルモア邸に到着したよ」 ジェロニモが、無言で深く頷いている。 「僕たち、ジェットと今日初めて会ったんだけど、挨拶も賑やかな奴で、面食らった よ。そういえば、フランソワーズも、ジェットと会うのは初めてなんじゃ?」 フランソワーズは、頷いた。 ジョーから、日本での暮らしが落ち着いたら親友を紹介すると、告げられていた。 彼女が日本で暮らし始めて既に四ヵ月が過ぎ、その間、日本のバレエ団への移籍やら、 日本語の日常会話の習得やらと忙しかったのだが、何よりギルモア博士の友人の赤ん 坊の世話をする事になったのが、ジョーの親友に紹介してもらう機会の遅延を招いて いた。 ピュンマとジェロニモとは、ジョーと知り合った頃を同じくして友だちになってい る。だから、親友を紹介すると言われて、彼女は今日のこの時を、どれほどの緊張と 期待を胸に抱いて迎えたことか。 パリに留学中のピュンマを訪ねて、アメリカからジェロニモがやって来た。フラン ス語が話せないジェロニモのために、レースが終わったばかりでフランスで休暇中 だったジョーが付き添い、ピュンマの下宿先へと行こうとして二人は道に迷った。そ んな彼らに、フランソワーズはたまたまバレエのレッスンが終わって帰ろうとしてい たところで出くわして。 その後、色々いろいろあって、今日を迎えた訳なのだが、肝心のジョーの親友には 目の前にいながら、なかなか紹介してもらえそうにない。 せめて何を言い争っているのかわかれば、と思い、ピュンマの顔を窺う。フランソ ワーズは、英会話が苦手なのだ。ジョーやギルモア博士と話す時は、フランス語や日 本語である。 ピュンマはフランソワーズの視線の意味を察したのか、すぐさま首を振る。 「写真がどうのって言ってたのは聞き取れたんだけど、ああもスラングが多くて早口 じゃ、とてもついていけない。ジョーはすごいね。ジェロニモ、君ならどう?」 問われて、ジェロニモは英語で答える。 「ジョーはともかく、ジェットの方は、通訳、したくない」 それを、ピュンマが日本語で、フランソワーズに伝えた。 ジェロニモらしい答えのようで、フランソワーズの顔に知らず笑みがこぼれた。 その時、廊下の奥から、ギルモア博士の声がした。 「フランソワーズ、どうしたのかね」 イワンを抱いてギルモア博士がやって来ると、ピュンマもジェロニモも姿勢を正し て挨拶をする。心なしか、緊張しているようだ。 フランソワーズは、イワンを博士から抱き取った。生後六ヵ月になるイワンは、 すっかりフランソワーズに慣れて、彼女の胸の中にいればご機嫌だった。 「やれやれ、またやっとるのか、あのやんちゃ坊主どもは」 ギルモア博士が、ジョーとジェットを見て呆れたように言うが、その顔は笑ってい る。 「放っておいても大丈夫じゃ、フランソワーズ。それより、こっちの二人には先に 入ってもらって、休んでもらった方がいい。さあ、ピュンマ、ジェロニモ、入りなさ い。フランソワーズ、お茶を頼むよ」 「はい、博士」 三人は、それぞれ後ろを振り返ってジョーとジェットを見たが、彼らの言い合いは まだまだ終わりそうもない。 博士に続いて、玄関の扉を通り抜けようとすると、後ろから、素っ頓狂な声が上 がった。 「ジョー、お前、いつ子供、作ったんだ?!」 「ちがうーっ!」 ジョーの絶叫が、後に続く。 そして、再び長い喧嘩が始まったことは、誰が見ても明らかだった。ただ一人、英 語を解せないフランソワーズを除いて、皆はリビングルームへと去っていく。 フランソワーズは、イワンをしっかと抱きしめ、真っ赤になって大声をあげている ジョーを見ていた。彼女が知るジョーは、いつも穏やかで、荒らげた声をたてない。 それなのに、今目の前にいる彼は……。 彼女は、呆然として、その光景を眺めていた。 人類の夢 2 〜ゆめはうたかたに 2〜
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