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後日談 〜ゆめはうたかたに 14〜


  この青年に、初めて出会ったのはいつだったか。
 ある日の昼下がり、飛鳥は、ふらりと自分の仕事場へ現れた、この旧知の友に椅子
を勧めながら考えた。
 確か、彼がまだ小学生の頃だった筈。髪の毛は黒いくせに、目の色が左右違ってい
たので、ひどく驚いた覚えがある。

「これ、この間見せてくれた、新しい話だね。書き直すの?」
 青年は,飛鳥の仕事机の上のパソコンを覗きこんで言った。
「そうじゃなくて。何か足りないような気がして。読み直してるだけ」
「ふーん、僕は、面白かったよ」
「あんたは、いつも同じ感想しか言わないんだから、あてになんかしないわ」
「ひどいなー。大事な読者でしょ。まあ、いつもの事だから、気にしないよ」
「はいはい、大事な読者様。お茶はいかが。ちょうどアールグレイをいれたとこなの。
今なら、ストレートでもミルクティでもできるよ」
 青年は、椅子に深く坐り直して答えた。
「じゃ、ミルクティにして。ずっと歩いてきたから甘い方がいい」
「砂糖、入れようか」
「いらない、甘すぎる」
 ふふんと笑って、飛鳥はキッチンに向かった。青年の分と自分の分、カップ二つの
ミルクティを用意して仕事部屋に戻ると、彼の姿が消えていた。
「ちょっと、どこいったの。お茶、持ってきたよ」
「こっち、こっち」
「こっちって?」
 隣の書庫から声がする。覗くと、彼は、コミックの並んだ棚の前に立っていた。
「ねえ、009のコミックが減っているよ。どうしたの。確か全巻揃ってたよね」
「ああ、それね」
 飛鳥が、手招きをして、青年を元の部屋の椅子に坐らせる。
「捨てたの」
 ミルクティを飲みながら、飛鳥は言った。
「なんだが怖くなっちゃって」
「怖い?何が」
 青年は、訝しげに首を傾けた。
「それより、何か話があるんでしょ」
「うん、そうだけど。僕、いつも飛鳥さんと話をしたくて来るんだよ」
「今回はね、めずらしく、あんたのお祖父様から電話があったのよ。あんた、博士号
取ったんだってね」
「電話してきたって?いつ」
「つい先刻。あんたが来る前に」
「ふーん」
 青年は、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「行儀悪い」
 飛鳥が睨むと、青年の顔に笑みがこぼれる。
「はは、相変わらず迫力ないな、飛鳥さんの睨みは」
「そんな事、どうでもいいの。それより、一体何の博士号取ったのか教えなさいよ」
「聞いてないの」
「言うだけ言って、すぐ切れちゃったのよ。挨拶もそこそこでさ」
「らしいなあ」
 青年は、笑った。彼は、なかなか話そうとはしない。飛鳥は、パソコンの画面を眺
めながら、彼の言葉を待った。それにあきると、別のファイルを呼び出して、入力作
業を開始する。
  どれ位時間がたったのか。飛鳥が青年を振り返ると、彼は真面目な顔つきで、飛鳥
の事を見ていた。そして、おもむろに話しだす。
「医学の博士号を取ったんだ。取り敢えず、一番身近だから」
「身近って?あんた、大学は医学部だったっけ?」
「ううん。経済学部」
「それが何故に医学博士?」
「父さんの友だちに医学部の教授がいたから、論文読んでもらったんだ」
「それっていいの?」
「細かいことは気にしないで。ほら、僕達は、そこら辺、適当に辻褄あわせるの得意
だから」
「はいはい」
 飛鳥は、半分呆れて、しかし半分は納得をして頷いた。
「でも、なんで、工学じゃないの。その方が、あんたにとっては簡単でしょ」
「簡単すぎるよ。目の前にゴロゴロ転がっているんだから」
 青年は、大きく息を吐いた
「先生も、お手本も、設備も、かな」
「そうそう。だから、今更研究やる気なんか起きない」
「冗談に聞こえないところが怖いわ」
 飛鳥は、ふうと溜め息をつく。
「それで、飛鳥さんは何が怖いの」
「あん?」
「009のコミックの話」
「ああ、あれね」
 飛鳥は、ゆっくりとカップに口をつける。冷たいミルクティが広がる。
 ややあって、飛鳥は語りだした。
「人類の夢って何だか知ってる?」
「人類の夢?」
  青年は、飛鳥の唐突な質問に目を白黒させた。
「そう。人類の、永遠の夢、とは何か」
  飛鳥は、視線を落として、もう一度言った。
  しばしの沈黙が二人の間に流れる。
  先に口を開いたのは、飛鳥だった。
「それはね……不老不死……」
 カチャン、と飛鳥のティーカップが音をたてる。
「私はね、不老不死だと思う。そして、人類の夢が実現した、その一つの形が009
の話だと思うの」
 青年は、両手を挙げて、天を仰いだ。
「飛鳥さん、飛躍しすぎ」
「ふふ、そうね」
 ごめんね、と飛鳥は小さくつぶやいた。
「人間は、病気で死ぬじゃない?大怪我しても死ぬよね。でも、サイボーグはどうか
しら。例えば、脳以外全ての臓器が機械の、人工臓器で、骨も皮膚も人工物で、生身
の体よりうんと頑丈にできている、そんな体だったら」
「なかなか、死なないだろうな」
「そう、死なない。傷ついても、機械の部分だったら取り替えれば済むだろうし、細
菌やウィルスにも感染する事ないだろうし。だからね、怖くなった。009の話は、
戦って傷ついても生き延びるし、外見は全然年をとらないし。最も、年をとっておじ
いちゃんになる漫画の主人公だったら、ここまで人気出なかったろうな。私も好きに
ならなかったと思う」
「変わらない人間が怖いと言うのか」
「違う、違う」
 飛鳥は、頭を振る。
「そうじゃなくて。何で望んでもいないのに、不老不死の状態で生き続けなきゃなら
ないのか。ああ、もう、そうじゃない。サイボーグを作りたいんだったら、何で自分
の体を改造しなかったのか。私が頭にくるのは、その事なの。何で、自分の夢を他人
に押し付けるの。自分の夢なら、自分の体で実現すればいいじゃない。それなのに、
009の話は、自分の意思とは関係なくサイボーグにされてしまって、そんな理不尽
な組織に怒って、戦いを挑む話でしょ。それが済んだら、今度は、何の為に戦うのか、
自分たちは何者なのかって思い悩む」
「飛鳥さん、漫画の話だよ」
「わかってる。わかってはいるの。普通の人は死にたくないって思うだけで、決して、
永遠に生きようなんて考えない。でもね、目の前で人が死んでいくのを、だた黙って
見ているしかできないとしたら、考えてしまうんじゃないかな、死なないでほしい、
どんな姿でもいいから生きていてほしい、と」
 飛鳥がそこで息をついて青年を見ても、彼は何も言わなかった。彼は、ただ黙って
飛鳥を見つめていた。この時、彼は、飛鳥が婚約者の死を目の当たりにしたと、かつ
て聞いた事があるのを思い出していた。
「永遠を願うのは、本人じゃなくて、側にいる人なのよ。死に向かう者ではなくて、
それを傍から見ている者なの。」
  青年は目をつむり、椅子の背もたれに体を預けた。
  再び、飛鳥が話し出す。
「他人の夢を押しつけられた人間は、どうなるのかしら。自分の意思ではなく、不老
不死になっちゃたら。009の話は、それを現実の事として描いている。無理やり不
老不死にされた人間の物語。それを考えると、怖いのよ」
 飛鳥の言葉は、そこで終わった。
 開け放した窓から、風の音が聞こえる。木の葉のざわめきの他に、この部屋を訪う
ものはない。
「他人の夢を押しつけられたら、どうするか……か……」
 しばらくして、青年が言った。
「飛鳥さんは、心配性だな」
 青年は、声をたてて笑った。
「僕は、知ってる。何度絶望の淵に立たされても、決して諦めなかった人達を。どん
なに困難な事にも挫けずに生きてきた人達を。確かに、自分の意思じゃなく、サイ
ボーグにされたら、戸惑うよ。怒る。悲しむ。でも、それで終わりじゃない。仲間が
いる。決して、自分一人じゃない。信じて待っていてくれる人がいる事を、僕は知っ
ている。だから、恐れる事はない。人間にとって、人類にとって、永遠の夢は、不老
不死なんかじゃない。そうなったらどうしようなんて、考えないほうがいいよ。きっ
と有りの儘を受け入れてくれる人がいる筈だから」
「あんたが、そう言うと」
「そう言うと?」
「本当に知っているみたい」
「本当に知ってるもの」
「冗談にしときなさいよ」
「飛鳥さん以外の人にはね」
「本当に……」
 二人は、顔を見合わせて笑った。
「僕、そろそろ帰るよ。すっかり長居しちゃった。みんな心配してるだろうな」
「悪かったわ、馬鹿話に付き合わせて」
「ううん。それより、ね」
 椅子から立ち上がり、体の向きを変えかけて、青年は、もう一度飛鳥の方に顔をむ
けた。
「あの話の題、どうして付けたの」
「なーに、帰り際に突然」
「うん、ずっと気になってて。本当は、今日、それを尋ねようと思ってきたんだ」
「随分、気の長い質問さんね」
 青年は、人指し指で額をポリポリと掻いた。
「夢を見たのよ」
「夢?」
 飛鳥は、大きく息を吸い込んだ。
「あんたからネタのお許しをもらって、さあ、明日から書くぞーって日の夜に、夢を
見たの」
「どんな夢?」
「そんな事、あんたが気にする事じゃないわ。でも、そうね。一言感想を述べるなら、
もっと若いうちに不老になりたかったな」
「何、それ」
「おばあちゃんになってから、不老になっても嬉しくないって事よ。さあ、もう帰っ
たほうがいいわ。家族が心配してるんでしょ」
「そんな答えじゃ、わかんないよ」
「いいの。女の謎に突っ込みすぎると、後がこわいぞ」
「どんな風にこわいのさ」
「素敵なおじいちゃんになれなくなる」
 そう言って飛鳥は立ち上がり、すぐに返事が出来ないでいる青年を、無理やり玄関
に押しやった。
「あんたは、いいおじいちゃんになりなさい」
「……数十年先だよ」
「それでいいのよ」
  青年は背中を押されながら肩ごしに、あのね、と、飛鳥に話しかけた。
「泡沫って言葉、嫌いじゃない。出来れば、しゃぼん玉みたいな泡沫がいいなって思
う」
「どういう意味かしら」
「自分で作って飛ばしたいんだ」
 扉を開けて、青年は去り際におやすみなさいと言葉を残していった。残照の中で、
その茶色と青色の瞳が光を放つのを、飛鳥は見たような気がした。

 部屋に戻ると、飛鳥はしばしパソコンの画面に見入った。そして、おもむろにキー
ボードを叩き始め、画面に文字を打ち込んだ。

   涙して 目覚めし朝の この夢は 泡沫にせむ 夢なればこそ

 決して、世に出る事のない、物語のために……。

                                   終

                     後日談 〜ゆめはうたかたに 14〜


(C)飛鳥 2002.3.1

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