糾える縄の如し
トップ ページ旅写真食べ歩きマリンライフ雑記帳サイトマップ

タイトル内のページ

 

 

 

物流用語集 
物流ってなに? 
糾える縄の如し 
人形町と日本橋 
酒々井町 
取引総数の理論 
物流コスト 
在庫・発注 
コンサル経験 
WMSとLMS 
ピッキング 
RFID・ラベル 
3PL 共同物流 
在庫引当 
インストアJAN 
旧車ミニカー 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        禍福は 糾える(あざなえる)縄のごとし 

仕事をしていると いろいろな曲面で 苦しい事柄に突き当たります。

そんな時 いつも思い返す好きな言葉です。結婚式や 講演会のスピーチなどでも よく使わせてもらっています。

出典は 「漢書 賈誼伝」といわれます。

良いことと悪いことは  より 合わせた縄のように  表裏一体 であり、一時の幸・不幸に

深く 一喜一憂しても 仕方 がないということだ 解釈されています。

出典の原文では  「店夫禍之與福、何異糾纆」

訓読 では  それ禍と福、何ぞ糾える纆(縄)に異ならん となります。

糾う という言葉は 現代ではあまり使われませんが、縄をより合わせていく作業を意味します。

ロープを一本 目の前に置いてみて下さい。

3本撚りのものが多いをと思いますが、その一本だけを ずっと眼で追ってみてください。

このことわざの意味が 良く理解できると思います。

 

似たような言葉に  失意泰然 が有ります。

出典は「六然訓」。

著者は 明の 崔銑〈さいせん〉 (本名)崔後渠 / さいこうきょ

崔後渠 は劉瑾(りゅうきん)という非道な役人を諌めたのが原因で、投獄されていました。

その時に この名言を言ったといわれています。

自處超然(ちょうぜん)

處人藹然(あいぜん)

有事斬然(ざんぜん)

無事澄然(ちょうぜん)

得意澹然(たんぜん)

失意泰然(たいぜん)

バリエーションとして「得意淡然」、「得意澹然」などと表現される事もあります。

勝 海舟のことばだという説がありましたが、これは誤りのようで 彼がこの言葉を好んで用いたらしいです。

調べてみたところ 興譲文庫 には 下記のような表現があるそうです

自ら処すること超然 (自分自身を律するには いっさい ものに捕らわれないようにする)

人に処すること藹然 (あいぜん)  (人に対してはなごやかに、のびのびと感じさせる)

有事斬然 (ざんぜん)  (事があるときは だらだらせずに活き活きと)

無事澄然 (ちょうぜん)  (事がない時は水のように澄んだ気持ちでいる)

得意澹然 (たんぜん)  (得意なときこそ あっさりとしている

失意泰然 (たいぜん)  (失意のときっこど 泰然自若としている)

こんな面白い対比をされている方もありました。

自處超然(超越)   自處紛然

處人藹然(温和)   處人冷然

有事斬然(斬新)   有事茫然

無事澄然(清々)   無事漫然

得意澹然(淡々)   得意傲然

失意泰然(泰然自若) 失意悄然  

 

また  人間万事 塞翁が馬 つまるところ これも 同意と思います

にんげんではなく 「じんかん ばんじ さいおうがうま」 と読みます。

漢の劉邦の孫の劉安によって編纂された「淮南子 (えなんじ)」 という書物 に記載されています。

元の時代の僧・煕晦機 (きかいき) の詩にも「人間万事塞翁が馬」との表現があるそうです。

「人間万事」は 「にんげん ばんじ」と読まれることが多いのですが、中国語の「人間」という言葉には

「にんげん」の意味はなくて「世の中」「世間」を意味し、日本でも漢文では慣習的に「じんかん」と読まれます。

 

危険の絶えない辺境の砦 の近くに、占いに優れた老人がいたそうです。

ある時その人の馬が、なぜか北方の異民族の地へと逃げ出してしまいました。人々が慰めると、その人は

「これがどうして福とならないと言え ようか」と言いました。

数ヶ月たった頃、その馬が異民族の地から駿馬を引き連れて帰って来ました。

皆がお祝いを言うと、その老人は 今度は 「これがどうして禍をもたらさないと言えようか」と言った。

しばらくすると その人の家には、良馬が増え、翁の子供は乗馬を好むようになったが、馬から落ちて

足の 骨を折ってしまった。人々がお見舞いを述べると、今度は 翁は 「これがどうして福をもたらさないと言えよう」。

と言いました。しばらくすると、砦に異民族が攻め寄せて 来て、成人男子は弓を引いて戦い、砦のそばに住んでいた

者は、十人のうち九人までが戦死してしまいました。

しかし その翁の息子は 落馬が原因で足が不自由だったために戦争 に駆り出されずにすみ、

父とともに生きながらえる事ができた。

このように、福は禍となり、禍は福となるという変化は深淵で、簡単に見極める事はできないものであ る との教えです。

 

漢文で似たような意味の文章には つぎのようなものが有るそうです。 

『老子』

禍いは福 (さいわ) いの倚 (よ) る所、

福いは禍 (わざわ) いの伏する所、

(たれ) かその極を知らん。

 

『冠子』

禍いは福 (さいわ) いの倚 (よ) る所、

福いは禍いの伏する所、

禍いと福 (さいわ) いとは糾 (あざな) える纏の如し。

 

『説苑』

(さいわ) いは禍 (わざわ) いの門なり。是は非の尊なり。治は乱の先なり。

 

 達人

日本には 近年まで すごい人達が たくさん居ました。 

吉田秀雄

 鬼十則

1947年に日本電報通信社(後の電通)の社長に就任。

その後も、民間放送・日本ABC協会の創設や総合連絡制・マーケティングの導入など、

今日の広告業の土台となるシステムを築いた人です。

仕事の進め方について 確固たる信念を持っており 

次のような素晴らしい考え方を 社員に示されておりました。

 

 1、仕事は自ら「創る」べきで、与えられるべきでない。

 2、仕事とは先手先手と「働き掛け」て行くことで 受け身でやるものではない。

 3、「大きな仕事」と取り組め。小さな仕事は己れを小さくする。

 4、「難しい仕事」を狙え。そして之を成し遂げる所に進歩がある。

 5、取り組んだら「放すな」。殺されても放すな、目的完遂までは。

 6、周囲を「引き摺り回せ」。引き摺るのと引き摺られるのとでは 永い間に天地の

   ひらきが出来る。

 7、「計画」を持て。長期の計画を持って居れば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と

   希望が生まれる。

 8、「自信」を持て。自信が無いから君の仕事には、迫力も、そして厚みすらがない。

 9、頭は常に「全廻転」。八方に気を配って一分の隙もあってはならぬ。サービスとは

   そのようなものだ。

10、「摩擦を怖れるな」摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。

                                         

上杉鷹山 (米沢藩藩主)

「なせばなる、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。」の名言の原作者で 

名君とうたわれていますが 仕事のコツについて 次のような教えを説いたと言われています。

 

  働き       一両

  考え       五両

  知恵借り    十両

  コツ借り     五十両

  ひらめき     百両

  人知り       三百両

  歴史に学ぶ   五百両

  見切り       千両

  無欲        万両 

 

 上杉鷹山の人となり

後嗣となってから尾張出身の学者細井平洲を学問の師とし、17歳で元服。

1768年(明和4年)に米沢藩を継いだ。

産業に詳しい 竹俣当綱 や財政に明るい 莅戸善政を重用して、先代からの家老らと対立しながらも、自ら倹約を

行って畑を耕し、帰農を奨励し、作物を育てるなどの民政事業を行った。凶作や浅間山噴火などから天明の大飢饉の

最中で、東北地方を中心に餓死者が多発していたが、非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励など 対策に努めた。

祖父が創設した学問所を、藩校・興譲館(現山形県立 米沢興譲館高等学校)として再興させ、

藩士・農民など、身分を問わず学問を学ばせた。

これらによって破綻寸前の藩財政を建て直し、次々代の斉定時代に債務を完済したとされる。