ブラウズ 上野桜木と周辺   戻る

はじめに/上野桜木について
 上野桜木立体地図 江戸期と現在の比較 京成にかかる橋、今昔
寛永寺散策  寛永寺QTVR 谷中霊園周辺 上野公園、不忍池、上野動物園 上野桜木〜諏方神社
 
桜(サクラ)、上野桜木 桜、そのあと 東京国立 博物館、アナザ・サイド  上 野広小路へ
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<上野桜木>Ueno-sakuragi 
江 戸期と現在の比較 京成にかかる橋、今昔 桜(サクラ)、上野桜木 桜、そのあと
     「門臺東」
      
 上野桜木は静かな住宅街。この上野桜木で日暮里方向からやってきた京成線は地下へともぐり込み、上野駅へと向かう。トンネルの入り口に は「
」 と記してある。1、2、3枚目の写真は2丁目。1枚目は旧 49番地にあたり、かつては川端康成も居をかまえていた。そのころは、京成は上野まできていなかった。上野まで開通したのは昭和8年のこ とである。地名の通り、桜も多く、桜並木がある。桜木、谷中、上野公園の桜は樹齢の多いものが多いせいか一本一本が独特の形をしている。 樹形ウォッチングだけでも結構、楽しめるかもしれない。
 同じ桜並木の写真をを3枚のせておく。このあたりにかつては京成の寛永寺坂駅があった。今は地上部には微かな痕跡しかない。地下には ホームがあり、資材置き場になっていたのだが、今はどうなっているのであろうか?。左から冬、夏祭りのころだ。3枚目は1,2枚目では奥 にある谷中霊園方向からの情景だ。道の先は上野桜木、言問通を横断すると寛永寺だ。撮影者の位置は谷中7丁目になる。(2002.12)
 寛永寺坂は上野桜木と根岸、鶯谷方面をつないでいる。橋のフェンスは安全のためだろうがちょっと・・・。
 「寛永寺坂」の立札が陸橋に上野桜木側(西側)にある。そのため、いくつかのホームページなどでは寛永寺坂として、その立札から西の方 面の写真が載っている。しかし、東側は、今でこそ橋からそのまま立体交差の自動車道となって坂本まで続いているが、昔はちがった。昭和の 後期まで陸橋を東側に向かうとなだらかな坂になっていた。下ると今の自動車道の終わりよりかなり手前で坂は終わり、終端近くで、根岸小前 の通りと交差していた。その交差点の南側の階段を下りると鶯谷駅前へ出られた。坂の両側は低い土地になっており、そのつくりはわりあいと 近代的?なものであった。つまり、この坂もかなり、後代につくられたもののようだ。多分、昭和初期に寛永寺陸橋ができたときにつくられた のであろう。かつて、鉄道ができる前は上野の山の東側は崖ではなく、なだらかな斜面であったようだ。鉄道ができ、これを越えるために陸橋 を一定の高さでつくり、それから、低地である根岸方面へ道をつなげるために前述の坂をつくったのであろう。鉄道ができる前にはここに、な だらかな本来の坂があったのかもしれないが(陸橋ができる前は踏切があったという)、少なくとも江戸時代の地図、大正初期の地図などでは 今の言問通に該当する道筋は描かれていない。そして、鉄道ができ、必要上、人工的な坂ができ、さらに、交通事情の変化により、立体交差の 自動車道ができたと考えられる。ホームページによっては「寛永寺坂」として、立札から陸橋(坂本方面)が写っているものもある。今は橋し か写っていないが、本来の「寛永寺坂」の名は、かつてそこにあった前述の坂道をも含めてのものであると思うが、如何であろうか。日暮里よ りの有名な芋坂もかつては、線路がなかったため、なだらかな、長い坂であった。寛永寺坂も同様であったのであろうとも考えられなくはない が、江戸時代にそれに該当するものはなかったようであるし、あったとしても鉄道ができてからは、なくなっていたこととなる。現在の立体交 差自動車専用道も「寛永寺坂」と呼ぶのかもしれないが、坂の風情は感じられない。
(2003.2)

 
まだまだ、このような古い家屋がいくつか残っている。表札の通り、むかしは下谷区であった。(2003.2)

   
桜並木にある「パティシェ イナムラ ショウゾウ」。有名なフランス菓子店。隣家の古いつくりとのコントラストが面白い。 (2003.1)
一方、次の「おせん」は古くからの店。桜木のシンボル化している。(2003.2)
更地となっているところには大豊旅館という建物があった。和風、和式ではなく高度成長時代を象徴するような和風のコンクリートづくりの建 物があった。さすがに旅館としては長く続かず英会話学校などとして使われていた。売却するために取り壊された。日展関係の建物が新築され るようだ。そのおかげでこのような景色となった。天台宗養寿院とおせんが見える。もうすぐ工事がはじまり、この眺めもなくなるだろう。 (2003.6)
 もう、ほとんど谷中と言ってよい場所にある家屋。わかりにくいが看板があり、そこを入ると何と美容院(パーマ屋さんというべきか、看板 にも「パーマまさえ」とかいてある)。(2003.7)

<寛永寺へ>Kaneiji 
寛永寺散策 寛永寺 QTVR

       
 東叡山寛永寺だ。寛永寺は上野桜木1丁目になる。現在ある根本中堂は川越喜多院の本地堂を移築したものである。かつてここは大慈院とい う院があった。大慈院は徳川慶喜が謹慎していた場所である。江戸時代の寛永寺の根本中堂は、今の公園噴水のあたりに巨大なものがあった。 江戸時代寛永期に創建された寛永寺は現在のものから想像できないほど壮大なものであった。言うまでもなく上野の山、上野桜木、谷中の一部 まですべてが寛永寺であった。しかし、よく知られているように戊辰戦争で壊滅状態となってしまった。一時は跡地に病院をという説が有力 だったそうだが、オランダ医師ボードワンの意見のおかげで公園として活用されることとなった。当時の日本人の頭の中には都市計画、都市の 景観、機能などの発想は希薄であっただろうからこれは大きな救いであった。
 1枚目は根本中堂。根本中堂はよく正面からの写真が各種の本に載っているがこれをやや斜めから撮影した。境内にある石でできた碑、塚、 水盤なども味わい深い。2枚面は鐘楼。3枚目はめずらしい根本中堂の横顔だ。ガイドブックなどは真正面からのものが多い。4枚目は敷地内 にある幼稚園。数十年前から建物がほとんど変わっていない。(2002.12)

 
 ここは、寛永寺霊園。「おたまや」と呼ばれる徳川の将軍たちの永眠の地だ。それぞれが広大な敷地を占め、石垣に囲まれている。巨木に囲 まれ昼でも暗く、独特な雰囲気を醸し出している。谷中霊園内の寛永寺敷地にある徳川慶喜の墓と比べると規模が違う。多くの石灯籠がある。 (2003.2)

<龍たち>Dragons
 
 寛永寺開山堂にある龍。写真ではわかりにくいが独特の色合いをしている。開山堂は別名「両大師」といわれ、慈恵、慈眼の両大師にちなん だものだ。
 もうひとつの龍は寛永寺霊園にある厳有院門の龍。表からは見えない。こちらも独特なくすんだ白色をしている。

<谷中霊園・谷中へ>Yanaka   
谷中霊園周辺
 
    
 谷中は今では観光地とまでいえるようになってしまった。休日には多くの人がガイドブック、地図を片手に散策している。最近の案内掲示や ガイド・プレートなどの整備はすばらしい。この点でも観光地化していると言える。
 1枚目は霊園内にあった、大銀杏の切り株。ずっと、工事の都合で放置してあるのかと思っていたら、一応、保存してあるようだ。説明の表 示があった。2枚目はパン屋さん「みかどパン店」。谷中はよく写真の題材となるが、この店が写っていることは多い。ちょっと、いまどきな い雰囲気だ。3枚目はねこ専門店?「ねこのすべて」という感じの店だ。(2002.12)
 
 徳川慶喜の墓。上野桜木からすぐの谷中の墓地内にある。井戸が印象的。(2003.1)とにかく、最近は谷根千ブームで墓地や周辺も整 備され、きれいだ。観光客目当てといえるような店舗も少しずつではあるができてきているのには驚く。

<上野公園へ>The Ueno Park   
上野公園、不忍池、上野動物園 東京国立 博物館、アナザ・サイド 上 野広小路へ

     
  
     
 1枚目は上野桜木から動物園に向かう途中にあり、廃止された京成の博物館動物園駅。駅に出口はもともとはふたつあったようでこれは動物 園に近いほうだ。2枚目はもうひとつの出口。こちらのほうが立派だ。ただ、この写真では上野桜木方向からの遠景とした。京成に乗っていて 上野に向かうとき、日暮里を過ぎ、トンネルに入ったらよく観察しみると面白い。この駅のホームは結構よく見える。なかなか、懐かしい。2 枚目の通りの右側にある国際子ども図書館の建物。子ども図書館は2002年5月5日にオープンした。この建物は前には国立国会図書館上野 分館であった.建築にくわしくないと「この建物はなんという様式だろう」と思ってもなかなかわからない。たまたま、読んでいた本にこの建 物はフランス・アンピール形式だという記述を見つけた。4枚目は、その子ども図書館にある小泉八雲の噴水像。5枚目は公園内の清水堂。京 都の清水と同様に舞台がある。しかし、こちらはかなり小規模だ。舞台はこの写真では建物の向こう側となる。その舞台の下方には不忍池が広 がるが、舞台からは樹木が生い茂っていて見ることはできない。(2002.12)
 動物園正面入口前にある売店。少なくても30年以上前からここにある。見た目もそんなに変わっていない。よく見ると後方が円形の建物な のがわかるであろうか。これがオリジナル部分。正面の入口から上野桜木方面へ進むと古い動物園入口がある。行楽シーズンには利用されるこ ともあるが普段は閉まったままだ。事項のオオワシはこのあたりにもともとはいたような気がする。(2003.7)

<不忍池へ>Shinobazunoike
     
 不忍池といえばハス。そのハスの葉の間をバンの幼鳥が遊ぶ。成鳥になると黒い体に赤い額が目立つようになる。池の島にはカワウが巣を 作っている。昨年の暮れに登場したオオワシ。73年に千葉県で保護されたものが上野動物園で飼育されていたが、昨年暮れにこの亀島に移さ れた。夏だが取り残されたのだろう翼が痛々しい。カルガモに混じってオナガガモが1羽いた。不忍池をじっくりと見てみると生き物の密度に 驚く。餌を貰えるためかハトやその他の小鳥が群がっている。水面では夏でもカルガモ、カイツブリ、バン、アヒルの類が泳ぎまわり、場所に よってはコイが養魚場のように顔を寄せ合っている。そのすぐそばを小魚の群れが通過し、時々、カメがゆったりと泳いでいる。動物園方面に はウが木に黒い姿で並んでいる。もちろん、カラスも多い。冬にはカモのなかまがさらにこれに加わる。(2003.8)

<日暮里へ>Nippori   
上野桜木〜諏方神社   東京都 美術館から日暮里へ
  西日暮里にある諏訪神社。正確には「諏方神社」だそうで、この字の「すわ神社」は少ないそうだ。上野桜木の夏の祭りもこの諏訪神社の大祭 だ。この写真のすぐ向こう側は崖で下はJR線が通っている。(2003.1)

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