はじめに/上野桜木について

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 上野桜木は台東区にある。近年、「谷根千(やねせん)」と言われ、人気がある谷中、根津、千駄木であるが、その谷中に隣接した地域である。ちょうど、上野の高台が途切れ、鶯谷、根岸、日暮里方面へと下る場所、その高台のはずれを構成する場所にある。山手線に鶯谷駅があるが、西側が斜面となっている。この斜面の上が上野桜木1丁目となり、徳川家の霊廟がある。鶯谷駅から日暮里駅の向かって電車に乗っていると、鶯谷駅を出てすぐに陸橋の下をくぐる。このあたりの斜面の上が上野桜木2丁目となる。斜面にはすぐに墓地の景色と変わる。この墓地が谷中霊園で、そこはもう地名としては谷中となる。
 谷中などに比べ、知名度が低いのはここが住宅街であるからであろう。谷中も上野桜木も江戸の時代には広大な東叡山寛永寺の敷地内であった。古地図などを見てみると谷中の一部、上野桜木のあたりは多くの院が連なる地域であったようだ。それらの院と多く集まっていた古くからの寺が寺町として、その趣を残したのが谷中であろう。その中で谷中の天王寺はかなり大規模な寺で、焼失した五重の塔は有名だ。一方、上野桜木は時代を経て閑静な住宅街となった。上野の山には多くの桜の木があり、これは寛永寺を開いた江戸時代の僧、天海がわざわざ奈良・吉野の桜を移入させたものだとのことである。その桜が上野桜木の地名のもととなっているのであろう。かつては桜木町の地名で呼ばれていた。
 よくよく考えてみると上野桜木の地理的位置はなかなか面白い場所にある。北の方向に進めば、広大な谷中霊園となる。谷中霊園はかつては無縁仏ではと思われる墓石が並び、鬱蒼とした樹木に覆われた暗い霊園であった。しかし、今は整備がいきとどき、都心の霊園として都市に空間的ゆとりと緑を供給している。上野桜木方向からこの谷中霊園に入ってすぐのところに徳川慶喜公の墓所がある。この墓所も谷中観光コースに入っている?ためか、休日には多くの人が訪れる。谷中霊園をうまく通過すると、上野桜木からは谷中の町、日暮里、根岸の里へはあっというまにぬけることができる。
 今度は南に進んでみよう。上野桜木1丁目に寛永寺ある。寛永寺をぬけ、芸大や芸大附属高校を横目に進めば、すぐに上野公園だ。かつては(大昔)は上野桜木では夜になると上野動物園の動物たちの咆哮が聞こえたそうである。上野公園が近いということは単に公園が近いというだけではなく、多くの文化施設が身近にあることを意味する。上野公園をぬければ、広小路まで歩いて行ける。
 今度は西の方に歩を進めると谷中を通り、善光寺坂を下り、根津へ下ることができる。さらに坂を上がると本郷、東大方面だ。左に折れれば、不忍通を通って、池之端、右に折れれば千駄木に出る。言問通を谷中で右に折れれば、三崎坂を下り、やはり千駄木方面へと下ることとなる。三崎坂の左右は寺、寺、寺だ。
 東へ目を向けると言問通が寛永寺坂を通過し、根岸、入谷方向へとつながる。鶯谷駅、三河島方向へ向かう歩行者は寛永寺坂の先を階段で下らなければならない。かつては違ったのだが・・・。高度成長時代の街、道づくりはひとにはやさしくなかった。この寛永寺坂をさかいに環境はよくない。鶯谷駅周辺までは有名なラブホテル街だ。
 上野桜木は今、話題の谷根千、これから話題になりそうな根岸?、文化と緑の上野公園などに囲まれた都内の住宅地である。貴重な町かもしれない。商店もあまりなく、静か過ぎるくらい静かで、本当にここは東京かと思うほどの上野桜木だ。
 このホームページではこの上野桜木、さらには上野桜木を基点に上野公園、谷中、根岸へと少しあしをのばしての散策の記録を留めることとしたい。

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<受賞記録>
第11回マイタウンコンクール実行委員会推奨作品に選定されました。