谷中霊園周辺          戻る

 谷中霊園周辺には多くの「花屋さん」がある。もちろん、寺町、霊園があるということで、お供え用の花を中心に扱う昔からの店がほとんどだ。昔からということで、「花屋さん」の店は昔ながらの佇まいを残している。写真の「花屋さん」は上野桜木の寛永寺そばの店だ。後述の天王寺に向かう道沿いにもやはり、昔ながらの「花屋さん」が見られる。




 谷中の墓地は今は、樹木もかなり整えられ、昔のような鬱蒼とした雰囲気はなくなってきている。それでも、墓地内の道には苔むしたところが多く見られる。今は本当に案内表示や地図板が整備されているのだが、それでも、墓地を知らない人にとって、墓地は「ダンジョン(迷宮)」のようだ。ときには、谷中めぐりの人たちや、それを案内している人にまで道を訊ねられることがある。
 谷中の墓地で必ず見られる動物は2種類。カラスとネコだ。どちらも、墓地内では「ここは、私たちのテリトリーだ」と言わんばかりに堂々と暮らしている。そして、季節を問わず「ぴーぴー」とにぎやかな声を発しているのはヒヨドリたちである。



 天王寺方面から、芸大方面に向かう道には、かつて、文豪たちが訪れたことのある有名な店がいくつかある。この道は、上野桜木と谷中の境界となっている。その中でも有名な店は写真の2店であろう。台湾産の果物が原材料のデザートで有名な「愛玉子」と喫茶店「カヤバ」。どちらも独特な佇まいだ。昔から見ているがいつ見ても変わりがない。この道沿いには最近、観光客相手の店がいくつか見られるようになってきた。この通りでは「カヤバ」、「愛玉子」、それに、「岡埜栄泉」や「さがのや」などの昔ながらの店と新しくできた店が意外とマッチして肩を並べている。「愛玉子」の住所は上野桜木になる。

 谷中の墓地の芋坂、御隠殿坂付近からはJRの線路、京成の線路が見渡せる。平成15年の12月中旬(確か12月13日、土曜日だったと思う。)に何気なく歩いていると、芋坂の陸橋付近に人だかりがありカメラが並んでいた。墓地内にいる人に聞くと「明日の日曜日に尾久の車両基地の公開があり、御料列車や蒸気機関車D51の走行があり、今日はその試運転」とのことであった。もうすぐだというので待っていると、機関車EF65と蒸気機関車が続けて通過した。この線路を蒸気機関車が走るのをみるのは本当に久しぶりだ。昔は寛永寺陸橋をわたるとき、ときとして、蒸気機関車の煙がもくもくとたっていたことを思い出した。


 谷中霊園にある在野の日本植物分類学の父、牧野富太郎氏の墓。天王寺の近く、わかりにくい場所にある。やっと見つけて参ってきた。東大の非常勤講師などを務めたが、一貫して独自の研究を続けた植物学の巨星だ。牧野氏は文久2年(1862)、土佐国(現高知県)で生まれ、昭和32年(1957)に95歳で没した。つい最近まで、この高名な植物学者が谷中霊園に眠られていることを知らなかった。牧野氏といえば「牧野日本植物図鑑」をはじめとする種々の植物図鑑が有名だ。現在でも数多くある植物関係書籍のバイブル的存在だ。






 続いては田中芳男氏の墓だ。田中氏は天保9年(1838)に生まれ、大正4年に亡くなられた方だ。日本の博物学の黎明期に活躍された方で、国立博物館、国立科学博物館、上野公園などの多くの施設の開設に尽力された。牧野氏もその著書の中で田中氏についてふれている。


 なぜか、聳え立っている白樺が霊園にある。故人が好きであったのだろうか。立派な大木となっている。墓地のはいろいろな木があるが、白樺はこれ以外は見たことがない。黒色系の樹木の中で、その鮮やかな白色は遠くからもわかる。


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