若者の文化

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◎ 少年は下校中のバスで、バッグを背負った60代ぐらいの男性に席を譲ろうとしたところ、「ふざけるな」と怒鳴られたという。さらに
「本当は座りたいはずなのにヘコヘコ席をわたしてねえ。嫌々なことぐらい、これくらい年とったら分かるのっ!!」といわれてしまった、という内容だった。
掲載直後からツイッターをはじめネットでは大きな反響を呼んだ。
「優しい子の気持ちを踏みにじってこれで大人?」
「最近の高齢者っておかしいの多いよね、自分たち中心で世界が回ってると勘違いしてる」
と、男性を非難する声が多かった。
朝日新聞には全国から111通の意見が寄せられた。多くは親切な少年を励ます内容だったという。
その中には「『モンスター老人』敬うのは無理」とあきらめる見方もあった。ある30代主婦は、バイト中にチラシを配っていたらいきなり怒鳴られたり、 犬の散歩中に犬を蹴られたりした経験があるそうで、「私にとって高齢者は反面教師でしかありません」と厳しく非難する。


◎東京に住むアルバイトのAさんは渋谷の時給910円のそば店で働く。休みはほぼない。風邪をひいても「いつでもクビにできる」と社員に脅されるため休みの希望さえ切り出せない。奥さんと1歳の長男がいる。奥さんは2人目のの子供を妊娠中でこれからもお金がかかる。正社員になるために転職活動をしたいが面接を受けるために仕事を休むとバイトの収入が減ってしまう。1時間のバイト代も惜しい。「自分の医療費を切り詰めなければいけないようなギリギリの生活。こうなると出口が見つからない。」とうなだれる。いまはだんだん売り手市場になってきたから頑張れ。



◎世界の中で1日の家庭の食費が150円以下という人口が8億人いるという結果が出ている。世界中で相変わらず、戦争に多くの金を使い、またあらゆる国で貧富の差が大きい。
日本も富める人は贅沢な暮らしを享受している一方、貧しい子供も増えているという。人間とは何なんだろう。なんでこんな不公平な世の中なんだろう。また、なんて切ない世の中なんだろう。一部の金だけに執着し成功した人種には興味がない。

◎今や生活の必需品のような存在のスマートフォンだが、礼儀の悪い人も多い。満員電車の中で人の背中にくっつけてスマホをする人。空いた狭い席にスマホをしながら座ってくる人。混雑時にゆっくりと歩きながらスマホをする人。スマホをしていればなんでも許されると錯覚しているのでは?

◎貧困の特徴は「見えない」ことにある。本当は「ある」のに、見えないことから「ない」こととされやすく、実際そうされてきた。国が国内の貧困の存在を公的に認めたのは、 わずか7年前のことだ。まだ、実態の認知と対応の必要性が広く共有されているとは言えない。見えにくい貧困を、見えるようにするためには、人一倍の努力が必要だ。


◎子供6人に1人が貧困状態にある。そう聞いても多くの人はイメージができないのではないでしょうか。 学校給食だけが唯一の食事だという小学生。一家で夜逃げをせざるをえなくなり、2年間、車上生活で勉強が大幅に遅れてしまった中学生。  家庭崩壊から10代でホームレス生活を送った男性……。「貧しい家庭で育っても、努力して勉強すればそこから抜け出せるはずだ」というのはもはや幻想かもしれない。貧しい家庭に育つ子どもには努力する土台すら与えられていないのではないか。 食事も満足に与えられなかったり、母子家庭で自分が幼い弟や妹の世話をしなければならなかったり、親から日々暴力を受けていたりしていれば、そもそも勉強の意欲なんて湧くわけがない。


◎児童養護施設は都道府県に590施設あり、乳児から18歳までの2万7468人の児童が入所する。平田さんは大舎制と呼ばれる50人近くがいる大規模施設に入り、同じような境遇の子供達との共同生活となった。
「中学校は休まずに通学しましたけど、もちろん普通の家庭みたいな自由はないです。親がいなかったり、 虐待された子供が集まるので、非行に走る子がすごく多い。私は非行には走らなかったけど、ひねくれていました。起床時間、消灯時間、あと、この時間は必ず勉強とか規則がたくさんあって、反発して施設を抜けだしたり、万引きしたり、学校や施設で先生とトラブルを起こす子供は本当にたくさんいた」
小学校6年生で家族がいなくなり、頼れる親族は誰もいなくなった。平田さんは生涯孤独な身、ということ を自覚した。施設では「みんなのお父さん、お母さんになる!」と熱く接する職員はたくさんいたが、「他人なのに、家族になんかなれるわけがない。施設の先生たちは自分の自己実現のために、私たちを利用して いるだけ」と、心は常にさめていた。

◎仙台市泉区の市立中2年の男子生徒と他の生徒との間にトラブルがあったとして、全校生徒490人を対象に実施したアンケートの結果を公表。自殺に関係すると思われる出来事として「他の生徒からボールをぶつけられていた」「後輩からため口で話されるのを嫌がっていた」などの記載を挙げた。
複数の生徒が「自転車を壊されたと聞いた」「部活動できもいと言われていた」「無視されているのを見た」と回答し、男子生徒が校内アンケートで記入した悩みと一致した。 アンケートの回答者は341人(回答率69.6%)。うち51人が自殺に関係すると思われる出来事を記入したという。 相変わらず、優しさの欠けた時代が続いている。


(掲示板)

1.ある方のtwitterからです。

昔一緒に遊んでた男の子から、2枚の紙が届きました。その子は私の初恋の人で、今まで彼のことを忘れたことはありません。ポストに入っていたその紙に彼の名前が書かれているのを見た時は、本当にすごく驚きました。 何年も前のことなのに、彼も私のことを覚えてくれていたのです。慌てて紙を開くと、一枚はびっしりと文字で詰まった彼からの手紙でした。 『覚えてるかな。君とよく遊んでたんだけど。手紙をいきなり送ってごめんね。でも、ちゃんと伝えておかなくちゃだから。
昔俺が言ったこと、覚えてる?
絶対また、会いに行くって言ったこと。残念だけど、それはもうできそうにないんだ。あれから俺も頑張ったけど、もう手を動かす ことぐらいしかできない。こんな弱っちい俺じゃ、君と一緒に遊べないや。ごめんね。最後に、これだけ言ってもいいかな。
君のこと、今までもこれからも大好き。君を見守りたい。だから、最後のわがままを言わせてください。少しだけでいい、俺を、 君の心の中にいさせてください。こんな情けない俺と仲良くしてくれて、ありがとう。ずっと愛してる。』

最後の方は、紙もくしゃくしゃで、文字はガタガタに歪んでいたけど、それでもこれは、彼が私と共にいた証でした。
涙が溢れ続けましたが、どうしても私は、2枚目の淡々としたあの残酷な紙だけは今でも見ることができません。


2.東日本大震災6日目。
12歳の大輔くんの遺体は通学先の大川小の手前ののり面で見つかった。ほかの児童と折り重なって横たわっていたという。
<眠るように> 安置所になっている高校に夫と急ぐ。 遺体は塩ビの収納袋に入れられ、体育館の床に寝かされていた。「大輔」口を半開きにしている。 眠っているようだ。この子はいつも口をパカーンと開けて寝る。「寝てるだけなんだよね。起きてよ、ねえ」肩を揺する。 反応がないと分かっているのに。おえつが止まらず、息継ぎが苦しい。ほっぺに手を伸ばす。ひんやりしている。死後硬直はまだ見られず、ぷくぷくしていた。  
一定期間仮安置が認められ、その間に火葬場を探す。ドライアイスを葬儀屋さんから買ってきて、遺体の周りに敷き詰める。ドライアイスは需要過多で品薄で、遠くに足を延ばさないと手に入らなかった。火葬場はどこの市町村もふさがっていた。電話をかけまくって宮城県大崎市の火葬場で空きを見つけた。それでも2週間待ちだった。翌日から朝一に体育館に寄ってドライアイスを交換し、まだ見つかっていない家族を その足で捜しに出るのが夫婦の日課になった。大輔君の遺体は冷やし過ぎでカチンカチンになっている。 閉じた目の目頭に血の混じった赤い涙がにじんでいる。かわいそうで拭き取ってあげる。次の日行くとまた出ていた。

3.3年前の春、九州北部のある公立中学校。入学式に新入生の陽介(仮名、の姿はなかった。2日目も、3日目も。母親は電話で「体調が悪いから」と説明するばかり。ぴんときた担任教諭は学校指定の制服業者に電話した。「ああ、その子、受け取りに来てませんよ」
採寸して注文はしたが、約3万5千円のお金がなくて取りに行けず、登校させられなかった-。母親は、そう打ち明けた。 校長が立て替え、制服を陽介の家に届けた。担任の勧めで母親は就学援助を申請し、校長に少しずつ返済すると約束した。
4日目、陽介は真新しい制服に身を包み、ようやく校門をくぐった。
翌年からこの中学では制服を取りに来ていない生徒がいないか、入学式前に制服業者に確認するようにした。スタートから子どもが つまずくようなことがあってはならない。
「制服だけじゃない。収入のある家庭には何でもないことも、貧しい家庭の子にとっては関門なんです」。福岡市の学校関係者は打ち明ける。
市立中学校に修学旅行をためらっている14歳の佳純がいた。担任が「旅行代は就学援助で賄えますよ」と説明すると、母親は消え入りそうな声で答えた。
「でも、きれいな下着やパジャマをそろえてあげられない。お小遣いも1万円なんて無理。惨めな思いをさせるくらいなら」。佳純は結局、参加しなかった。


4.(名大 内田准教授)
明日、学校に行きたくないと思っているあなたへ、一つだけお願いがあります。「学校に行けない自分はもう死ぬしかない」と、自分で自分を追い詰めないでください。

身も心もボロボロになるまで頑張り続けたあなたに必要なことは「休むこと」です。誰かと比べる必要はありません。あなた自身がつらいと感じたら、無理して学校に行こうとせずに、まずは休んでください。学校から逃げることは恥ずかしいことではありません。

あなたのつらさを、あなたと一緒に考えてくれる大人がいることを、知ってほしいのです。だから、もうこれ以上、あなたが一人でつらい気持ちを抱え込む必要はありません。私たちはあなたに、生きていてほしいと願っています。

学校に行くのがつらければ、まずは休んでください。

5.ある方のブログから
大失敗をしでかして、穴があったら入りたい、もう死んでしまいたい・・・そんな経験、人間だれしも一度位はあるんじゃないでしょうか?
そんな時に、「気にしなくていい」と励まされたり、逆に「そんなことでどうする」と叱責されたりしても、わたしにはまったく効果がありませんでした。やたらと原因を追究して、おせっかいにも解決してくれようとするような人もうっとうしいだけ。親切ごころはありがたいけど、「もう放っておいて」と言いたくなった ものです。自分を責めて、前に進むことができない。

そんな中で、たったひとり、たったひとこと、こう言ってくれた人がいました。 「君のせいじゃないよ」

どこからどう見ても、どう考えても、あきらかにわたしのせいなのに、悪いのは100%わたしであるのに、その人は「君のせいじゃない」と呪文のように言い続けてくれたのです。

そのうち、自分自身も「わたしのせいではない」と気持ちが軽くなってきたのです。本心では自己嫌悪の塊だけど、表面的には「わたしのせいではないから、 知ったこっちゃない」と動けるようになったのです。開き直りですね。 もちろん、他人のせいにすることはよくないことです。責任転嫁は絶対によくない。
だから、個人や団体なんかに責任の矛先を向けるのはいけません。「誰が」と特定するのは駄目。ただ、どん底から立ち直って先に進むためには、とても効果のある言葉でした。

まぁ、ふだんからいい加減で人に責任をなすりつけてばかりいる人からの言葉だとまったく響かなかったのかもしれませんが、まじめで純粋なタイプの人だったから感動したのかもしれません。この魔法の台詞のお陰で、そのあとも大抵のことは乗り切れるようになった。

6.甲子園のベンチでスコアをつけることを夢見ていた17歳の女子マネジャーが、高校野球の福岡大会を前にした昨年5月30日、小児がんとの闘病の末に亡くなった。
彼女の思いを胸に、残された仲間たちが夏に挑む。
舟木あみさんは福岡県古賀竟成館高校の3年では、ただ一人の女子マネジャー。中学時代からの友人でエースの谷口君は、投球後すぐに氷水で肩を冷やして くれる気配りに感心していた。人一倍大きな声で選手を鼓舞するムードメーカーでもあり、最後の夏はベンチで一緒に戦うはずだった。

小さな異変が現れたのは昨夏の大会。スタンドで応援中に背中の痛みを訴えた。元気な声が聞こえなくなり、みんな心配したが、すぐ戻ると思っていた。

一昨年12月、舟木さんは30人近い同級生の部員たちを大講義室に集め、告げた。「腫瘍(しゅよう)が見つかったの。悪性なんで、入院することになるかもしれない」
目からは涙がこぼれた。重苦しい空気が漂った。振り払おうと主将の緒方君が声を上げた。「頑張って、あみを甲子園に連れて行こう」

昨年1月、修学旅行先の東京に、闘病中の舟木さんが家族に付き添われて現れた。野球部の仲間とスカイツリーに上り、浅草寺で写真を撮った。はしゃぐ姿に、谷口君は信じた。「夏までには治る」。仲間と買ったお守りを渡した。しかし、病状は好転しないまま、月日が過ぎた。

5月最後の土曜日、松永武監督が告げた。「みんなで見舞いに行ってこい」

病室に入るなり深刻さが伝わってきた。話ができず、視線も合わせられない。それでも仲間のギャグに手をたたいて応えようとする舟木さんに、1人ずつ励ましの言葉を贈った。

「甲子園に連れて行くから。一緒に頑張ろう」。約束する谷口君にうなずいた。「夏の大会でスコアを書いてほしい。勝ち進んで時間をつくるから絶対治して」と頼む緒方君の手を握りかえした。そう誓い合ったはずなのに、月曜日の朝、舟木さんは旅立った。 最後まであきらめなかった舟木さんに、甲子園に行くことで恩返しをすることを誓った。

谷口君は決意を込める。「どんな苦しい戦いになっても絶対あきらめない。舟木には天国から甲子園のスコアをつけて欲しい」