Life Style

Twitterからの世論

(友達といえども、やりたくないこと)というと、お金やモノの貸し借り、お揃いのものを持つ、おごる・お ごられる、長電話、一緒に買い物、恋愛相談などが挙げられるそうです。

この中で意外なのは長電話、これはメールやLineがあるからかな?それともお金の問題!?
恋愛相談。でもこれは逆な人もいるかも知れない。友達だから聞いて欲しいとか結構いるはずです。


(デートなどで「この相手とは付き合えない」と思った瞬間)割り勘が1円単位、会話中も構わずメールを打つ、携帯で友達と長電話 、割引クーポンが使えない店には入らない、自分の話ばかりしている
              
金と自己中が絡む場合が多い感じ。個人的には携帯で長電話、会話中も構わずメールを打つ人とは無理ですね。


(女性がグラッとくる男性のステータス) 料理ができる、 会社経営者 、 医師、 超有名企業勤務 、 高級マンション所有、ミュージシャン、 一流大学卒、甲子園出場経験有、 弁護士

料理ができるとかミュージシャンとか甲子園とかはいいけどそれ以外は皆打算的ですね。しょうがないか。


逆に男性側から見ると、  
(男性が選ぶ女子力の高い女性同僚)いつ声をかけても笑顔で対応してくれる、姿勢が良い、TPOをわきまえた服装をしている、電話が鳴っているとすぐにとる、飲み会の席でグラスが空くと、さりげなく飲み物を聞いてくれる
女性に比べると何も計算してないところがいいですね。
 

逆に女子力の低い女性は
(男性が選ぶ女子力低い女性同僚)「ありがとう」を言わない、あいさつをしない、自分に非があっても絶対に謝らない、文句が多い 、ランチ中に大声で下ネタ、電話で喋る口調がきつい
なるほどですね。前の3つは特に同感です。



(記憶力の良い星座)1位 みずがめ座 2位 ふたご座 3位 おとめ座 4位 てんびん座 5位 いて座 6位 やぎ座 7位 かに座 8位 おうし座 9位 さそり座 10位 うお座

 これはノーコメントです。


 健康問題に関しては
(太りやすい血液型) 1位O型 2位B型 3位A型 4位AB型    これはなんとなくわかるような・・・・・・


(太りやすい星座)1位 ふたご座 2位 おとめ座 3位 さそり座 4位 かに座 5位 てんびん座 6位 しし座  7位 みずがめ座 8位 やぎ座 9位 おひつじ座 10位 うお座 11位 おうし座 12位 いて座

 0型のふたご座のひと~!!気をつけてください。


(長続きしにくいダイエット) 1位 ジョギング  2位 筋トレ  3位 ウォーキング  4位 水泳    5位 ダンベル体操 
         
 時間がかかるものは難しいかも。剛力彩芽さんがCMやってる筋トレ、買ったけど結構いいです。回し者で はないですから、念のため。


(不足しがちな栄養素)  1位 鉄分  2位 カルシウム  3位 食物繊維  4位 ビタミンC   5位 マグネシウムだそうです。
魚は必要みたいです。


(日本人が行ったことのない県)1位 高知県  2位 秋田県  3位 佐賀県  4位 島根県 5位 愛媛県  6位 徳島県  7位 山形 県  8位 宮崎県  9位 岩手県  10位 鳥取県

だから何?って感じですか。個人的には全ての県や府とか行きましたけど、行けばみんな忘れられない所ば かりです。
時間の許す限り行ってみたほうがいいと思います。火野正平さんみたいに。


(移住)
首都圏住民らに移住情報を提供するNPO法人「ふるさと回帰支援センター」(東京)は、2015年の移住希望地域ランキングを発表した。トップは長野県で、山梨県、島根県と続いた。

九州では大分県(9位)と宮崎県(10位)がベスト10入りした。

調査は一昨年1~12月、移住相談やセミナーなどの参加者を対象に実施し、計4359人が回答した。上位2県は昨年から順位が入れ替わり、長野はこの5年間で4回目のトップ。

九州各県では、長崎が12位、熊本が17位、鹿児島が19位に入り、09年の調査開始以降、ベスト20に最多の5県が入った。5県はいずれも本年度から同センターに移住相談員を配置しており、首都圏での情報発信を強化したことが奏功した格好。14年のランクで九州最上位は熊本の6位。次いで長崎が16位だった。
一方、同センターの15年の移住相談件数は2万1584件に上り、14年から9154件増加。20代と30代が全体の45%を占めた。センターは「東日本大震災以降、子育て世代の移住志向が続いている。地方創生の流れの中で、首都圏の地方出身者の『古里意識』の高まりなど、Uターンの動きも活発化している」と分析している。


(勝手踏切)
踏切のようで踏切でない。遮断機も警報器もなければ、踏み板すらなく、住民らが線路の敷石に足を取られながらも恐る恐る横断する。これは「勝手踏切」と呼ばれる“非正規の踏切”だ。
文字通り住民が勝手につくった踏切もあるが、京都府宇治市にあるJR奈良線の「勝手踏切」は少し“勝手”が違う。「鉄道ができる前からあった生活道路」(地元住民)だからだ。
JR西日本は踏切を閉鎖したい意向だが、住民は「生活道路を閉鎖されては困る」と存続を要望。警報器や遮断機の設置を望んでいるが、「勝手踏切」は放置されたまま。


(京都介護事件)
2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」
一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。
母親の症状が進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。長男は母親との心中を考えるようになる。
そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。
「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、傍ですすり泣く息子にさらに続けて語った。「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。
その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。それから約2時間後の午前8時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。
京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。
裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。
――この事件が一地方ニュースに留まらず、ネットなども通じて「地裁が泣いた悲しい事件」として日本中に知られることになる。親子の境遇や長男に同情する声や温情判決に賛同する声などが広がった。
それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。
事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。
やがて判明した死因は自殺だった。
琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。地獄を味わった彼の言葉やその後の人生が、在宅介護に限界を感じ、絶望している人への何らかの助けになるのではないか。そう考えて必死に動いた記者を待っていた、悲しすぎる結末だった。・・・・・・・・ただどうしようもなく、涙だけです。


(ある方のブログです―慎ましやかな生活)

 今年初めての献血に行って来ました。
 今回お土産はなかったです。
 フリーペーパーみたいのはもらいましたけど、
 読むところが少なくて、イマイチ…。
 こんなの作らなくていいので他の部分を充実して欲しいな~。
 (たとえば採血後に1個だけ食べさせてもらえるアイスを
 レディボーデンからハーゲンダッツに戻してほしい)
 もしくは、むしろこの費用分は被災地などへ寄付したらよいのでは?
 でも献血ルームはずいぶんつつましやかになりました。
 ちょっと思い出したんですけど、
 去年の今頃はたしかブランケットとか配ってたな~って。
 今年はなかった。
 もっと昔はたまにマスコミで紹介されるくらいサービスがよくて、
 特に新宿東口ルームではミスドやハンバーガーやハーゲンダッツ…
 などなどが食べれたんですけどね。 全部なくなっちゃいましたね。

(ある女性)
全身が痛む原因不明の難病「線維筋痛症」を抱えながら歌手を目指す如月(きさらぎ)まぁやさん(23)が、痛みを率直に歌った「pain(ペイン)」をインターネットで公開している。

「あの気持ちよかったそよ風が 今は私を切り裂くよう」。外見からは分からなくても痛みに耐えながら日常を送る人たちがいることを知ってほしい、との思いが込められている。

異変に気づいたのは高校の音楽コース1年生だった2010年3月。専攻のピアノを演奏中、左手が思うように動かなくなり、むくんだ。けんしょう炎と診断されたが改善せず、しびれのような痛みが全身に広がった。11年1月、線維筋痛症と診断された。

線維筋痛症の患者は全国に200万人いるとされる。痛みが慢性的に続き、「ハンマーで殴られたよう」と表現する人もいる。外見からは症状が分かりづらいため「なまけている」などと誤解されやすく、「誰も分かってくれない」と悩む患者は多い。

如月さんは病気の進行で30キロあった握力が2~3キロに落ち、はしや鉛筆すら持てない時があった。食事をしづらくなり、体重は約10キロ落ちた。

睡眠障害やうつ病になって休学したこともあったが、専攻をピアノから声楽に変えて高校を卒業。音楽を諦めることも考えたが「表現することが何よりも楽しい。私の全ての軸は音楽にある」と気付き、作曲を学ぶため都内の専門学校に進学した。症状の悪化で1年間休んだが、今年3月に卒業した。

「pain」は専門学校の卒業制作だ。「一番つらかった時」を思い出しながら作詞し、暗くなりすぎず、明るいイメージも持てるメロディーを友人につけてもらった。

<痛みを感じる そうね、私は生きてるの だってそうに思うしかないじゃない>

逃れられない痛みを抱えて生きる苦しみをありのままに表現した。
 



(これも女性のブログです)
正しく生きなさい、正直であるべきなどと言われて子供のころに育ちましたが、今の私は決して正直者でないと思います。大切な人との時間を大切にしたいから他の人には嘘を付いている。正直になれば傷つく人が増えてしまうから。本当は正直に生きたいけど。もう10年 若かったら違っていたのかな。もっと勇気があればいいのかな。今の時間を大切にしたいから正直に生きることは出来ないけど、ただ単に現実から目をそむけているだけのような気もしている自分がいます。では正直に生きればいいじゃないと言う声が聞こえてきそうだけど、 大切な人と別れたくないから正直になれないずるい自分がいるのでしょう。



(憧れは「普通」の食卓)
電灯のスイッチを押しても、玄関の明かりがつかない。「また電気代払ってないの?」。中学1年のミエと小学2年の妹は母(31)の顔を見る。九州の公営団地。母は懐中電灯をつけて「明日どうにか支払うね」と苦笑する。

家の電気やガス、水道がよく止められることを周囲には言っていない。清潔なセーラー服が似合う娘に、きれいな母。ごくありふれた家族にしか見えないが、実際は母の病気のため昨春から生活保護を受けている。「これでも前よりマシになった」とミエは語る。

母は定時制高校を中退後、18歳で長女のミエを妊娠、4歳上の男性と結婚した。夫は定職に就かず、ドーナツ店のアルバイトだけではミルク代、おむつ代にも事欠いた。2年後に離婚。水商売を始め、薬物を手放せなくなった。23歳で再婚し次女を出産したが、次の夫とも長続きしなかった。

保育園に通っていたころのミエは毎朝目覚まし時計を止めて1人で起きた。泣く妹のおしめを替えて粉ミルクに湯を注ぎ、哺乳瓶をくわえさせた。睡眠薬を飲んで寝る母は、布団から出てこない。小学校は朝食を取らずに通い、夕食はチェーン店の弁当。児童虐待の一つ、ネグレクト(育児放棄)の典型だ。「普通の家族に生まれたかった。うちにはテーブルはあったけれど、だんらんはなかった」

小学4年の時、薬物使用で逮捕された母は執行猶予判決後、薬物も夜の仕事もやめて、介護ヘルパーを始めた。だが週4回で月収は8万円。児童扶養、児童手当を合わせても生活は苦しい。仕事に慣れてきた昨春には病気で働けなくなり、生活保護を受けた。美容師志望の知り合いに子供の髪を無料でカットしてもらうなどして切り詰めても、月末には財布に小銭しか残っていないことがよくある。

2014年の人口動態調査によると、19歳以下の出産は約1万3000人で全体に占める割合は1・3%。過去50年、あまり変化はない。流通科学大の加藤曜子教授(児童家庭福祉)が昨年、全国227市の母子保健担当者に10代の母親の背景を調査したところ、16〜19歳182人のうち、45%の82人がその時点で経済的困窮を訴えた。

ミエの母は10代での出産を「現実は厳しかった。お金もなく、家事も料理も初めてで、分からないことばかりだった」と振り返り、「思い切り遊べなかった反動で、子どもたちの面倒を見られなくなった」と反省する。
ミエは親戚の援助で小学4年から塾に通い始め、勉強の遅れを取り戻した。非行には手を染めず、最近は友達や成績の話を母に聞かせる。

ある日の夕食に、母手作りの肉野菜炒め、じゃがいものみそ汁が食卓に並んだ。「おいしいよ」。ミエは母、妹が囲むテーブルで好物の肉を食べた。将来の夢は出産を助ける看護師。母も体の具合が良くなれば、メークの勉強をしたいという。