第一部 ハワイ諸島クルージング |
第二部 オアフ島散策 |
1. 出発・ホノルル・乗船 | 1.ホノルル・郊外 |
2. ハワイ島ヒロ | 2.ノース・ショアー |
3. マウイ島ラハイナ | 3.ダイヤモンド・ヘッド |
4.マウイ島 イアオ渓谷 | 4.ホノルル・ワイキキ |
5. ハワイ島コナ | 5.旅を終えて |
6.
カウアイ島ナウィリウィリ |
2008年2月2日から2月9日までNorwegian
Cruise Lineの客船"Pride of America"に乗船し、ハワイ諸島を巡りながら、各寄港地で島内観光ツアーに参加し,クルーズ終了後、オアフ島ホノルル・ワイキキに4日間滞在し、オアフ島のあちらこちらを散策した。
旅をした時期の2月はハワイでは雨季にあたり、天候が不安定であったが、日中の気温は摂氏22〜23度と日本での5月の陽気でさわやかで過しやすかった。足の指に出来たシモヤケはいつの間にか治っていた。
ハワイは初めての地で、しかも、本格的なクルージングも初めての体験だった。ただ、ハワイ諸島各地で見られたポリネシアン文化は以前訪れたニュージーランドのポリネシアン文化と対比できてとても興味深く多所で見学ができた。
ハワイ滞在は実質2週間と短期間であったがシーズンオフの静かなハワイを楽しむ事が出来たことは幸いであった。また、クルージングをしながら各地を巡ることの便利さ(移動のたびに荷物をパッキングする煩わしさから開放される)を知った。いつものカミサンと二人のデコボコ個人旅行である。
身を切るような寒い2008年2月2日(土)16時30分。いつものように大きなスーツケースをガラガラ引きながら成田空港行き電車に乗る。
・成田空港
久し振りの成田空港。今回は第一ターミナルから19時25分、ユナイテッド航空88便でハワイ・ホノルル空港に向かう。第一ターミナルはすっかり改装され、しかも広くなりきれいになった。ユナイテッド航空カウンターで搭乗券を受ける。E-チケットを利用しているので、カウンターに設置のコンピューターがパスポートで本人確認を行い、搭乗券が自動的にプリントされる。便利になったものだ。このチケットはいままでの旅行で貯まったスターアライアンズのマイレージの一部を取り崩して得た無料の航空券。
2008年4月から町内会役員の順番が来ること、カミサンの習い事のタイミング、クルージングの料金、希望のバルコニー付き船室の確保、無料航空券での利用可能な時期と便、希望座席の確保、ホテルの宿泊料金など諸条件を全て満足する時期が2008年2月2日となった。
しかし、各便とも無料の航空券利用可能な座席数が少ないので、まず、2007年8月に2008年2月2日出発便を確保した。当初、半年近くも先の予約で心配があったが、その後、原油価格が急激に上昇し、無料航空券といえども特別加算金(サーチャージ)が付加されるが、8月に得た航空券には殆ど無に等しい燃料サーチャージ額であったことは幸いであった。また、クルージング代金も予約した8月は為替レートが123
\/$であったが、代金支払い時の11月には110
¥/$と円高基調になり実質決済の負担が軽減されたことはありがたかった。
空港で両替をする。アメリカ・サブプライムローン問題が解決せずドル安、円高で、110¥/$のレートで両替できた。ホノルルに到着後すぐにチップなどの需要があるので1$札も入れた両替になったので見た目にもずっしりとした札束になった。1$、10$札はズボンのポケットにねじ込み、残りはチョッキの内ポケットに収めた。
搭乗時間まで時間があるのでクレジットカード会社が運営しているラウンジでコーヒーを飲みながらしばし休息。この時間が一番楽しい。これから旅に出るんだ!と心が弾む。毎回、旅に出るときは何かしら大きなニュースがある。今回はアメリカの大統領予備選挙。クリントンとオバマの接戦が新聞、テレビで報じられている。
いよいよ出国。出国ゲートで厳しいセキュリティー検査がある。帽子、ベルト、時計、カメラなどの金属類を身から外し、履いていた靴まで脱がされる。出国審査でパスポートチェック。「OK」で無事通過。
搭乗開始。多くの乗客が機内に乗り込む。座席は40A,J。上空からホノルルが良く見えるように事前に座席を確保した。席に着く。周囲はハネムーンカップルと思しき若い人。それにわれわれを含む老人カップル。中年の人達が少ない。そりゃーそうだ。中年の人達は皆、仕事をしている。しかも、今は2月でシーズンオフ。静かな旅立ちとなった。
・機内
離陸。ホノルルまで6時間半の飛行時間。ヨーロッパ行きに比較して半分の時間だ。飽きた頃にホノルルに着く。助かる。機内で食前にビールを飲み、夕食のビーフにはカルフォルニア・ワインを飲んだ。明日に備えて寝る様に努めるが、殆ど眠れないまま、当日の2月2日午前7時ハワイ、オアフ島、ホノルル空港に着いた。
・ホノルル空港
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ホノルル空港上空は雲に覆われ、視界が悪かったが上空からホノルルの町が眺められた。
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到着ロビーから「ウキウキ」という二両連結のバスの乗り込み本館に。ここで機内で作成した入国カードを携え、入国審査。左右の人指し指の指紋、顔写真を取られ無事入国。荷物を受け取る。成田で荷物を預ける際、スーツケースは施鍵しないように要求されたので輸送中にバッグが開いて中味が出ないか心配であったが、大丈夫であった。スーツケースにベルトを付けておいて良かった。 |
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タレントがハワイに休暇旅行する際に取材を受ける椰子の木がある通路をガラガラとスーツケースを引いてパーキングタワーに行く。ここにあるロッカーに荷物を預け、身軽になって、空港から路線バスでワイキキまで行き、9時から行われる歴史散策ツアーに参加する予定である。
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パーキングタワー内の駐車場にあるロッカールームを探す。見つからない。駐車場の奥に「Locker」の案内表示。「あった!」そこに行くと「Close」と表示のある事務所の中に入る。初老の係員がいた。 |
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ビルに着いた。ここは小さな店が軒を連れねるショッピングアーケードになっていて、確かに色々な食べ物屋がある。しかし、この時間、どの店も閉まっている。人影が無く、静まり返っていた。しばらく広場のベンチで休んでいると幾人かの人が食料品を入れた袋をぶら下げて歩いている。その方向に行ってみると一軒のコンビニが開店していた。日本茶とサンドウィッチを買い、店の前のベンチで食べながら、休息兼時間つぶしをした。サンドウィッチを食べているとたくさんの雀やきじ鳩が集まってきた。 |
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パンの耳を小さくちぎり、投げ与える。皆我先にえさを取り合う。小柄で素早い雀が多くのえさを啄ばみ、大柄のきじ鳩は遅れを取る。雀の生活力には驚かされる。こちらが食べ終わるといつの間にか一羽も居なくなった。賢い!
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11時少し前になったので再度埠頭に戻り、ゲート前の広場に荷物を置き乗船受付時間まで待った。我々と同じように早く埠頭に着いた数組の白人グループが山のようなスーツケースの間に腰掛て乗船開始時間を待っていた。天候は急速に回復し、強い日差しが照り始めた。
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・荷物を預ける |
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第二埠頭入口の標識。背後に我々が乗船する客船が見える。
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岸壁に打ち寄せる波は白く、海はどこまでも青く澄んでいる。色とりどりの熱帯魚がたくさん泳いでいる。この辺りからもプライド
オブ アメリカの巨体が見える。
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この船はアメリカ船籍の客船で8万1千グロストン、全長は921フィート、収容乗客数は2450人、乗組員は921人、11のレストラン、9つのバー、劇場、プール、スポーツジムなどあり、デッキ数は14。他の姉妹船2隻とともにハワイ諸島のクルーズをする。我々はこの船の11階にあるデッキ付き船室に滞在してこれから一週間、ハワイ諸島を巡る。 |
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・アロハタワー付近
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タワー前の広場に「日立の木」のように枝を広げた大きな木や椰子の木がたくさん植えられ南国情緒たっぷり。計画ではホノルルに着いたら「日立の木」を見にゆくことにしていたが町中至る所に「日立の木」があり、わざわざバスで見に行くことはないと思い止めた。
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タワー入り口でハワイフラダンス嬢の像に迎えられ、アロハタワーへ。
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アロハタワーは1926年に建てられたホノルル港のシンボル的タワー。当時はハワイ諸島の中でもっとも高い建物であった。
4面に取り付けられている時計は、ボストンのハワード・クロック・カンパニーで製造されて運ばれたもので、ひとつの重量が7トンあるという。
エレベーターで10階に上がると、4方向に展望デッキがあり、ここから海側、山側の景色のほか、ホノルル港に出入りするいろいろな船舶が見える。このタワーはホノルル港へ出入りする船舶の監視と船舶への指令をする港湾管制塔で1926年に建てられた。第二次大戦以前は貿易港として栄え、タワーの役割は重要であったが、その後、観光客は航空機に移り、通信技術の進歩で監視塔や信号塔の任務は終わった。
かつての倉庫群も今はショッピングセンターに変貌し、タワーも観光名所で活躍し、ホノルル港のランドマークになっている。ここから眺める景色はすばらしい。
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ワイキキの高層ビル街の奥にダイヤモンド・ヘッド、海側はホノルル港が一望に見渡せる。我々が乗船するプライド・オブ・アメリカもここからよく見える。しかし、風が強い。吹き飛ばされそうだ。
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ショッピングセンターの海側はテラス席のあるレストランでここは白人の経営。昼時なので多くの白人観光客が食事をしていた。途中すれ違う東洋人は中国系の観光客で、彼らは中国系のレストランに向かっている。
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岸壁付近で綺麗な色のムームーを着た中年女性を何人か見かけた。胸にバッジをつけ、何かファイルを抱えている。どうやら現地の観光ガイドらしい。
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マーケットプレイスの岸壁でもプライド・オブ・アメリカの巨体がよく見える。
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先に進むと簡易設置の乗船受付カウンターがずらり並んでいる。乗船チケット、クレジットカードを提示し、パスポートのチェック、顔写真の撮影が手際よく行われ、クレジットカードのような「Embarkation
Card」が渡される。
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クルージング中、このカードで船内で全ての決済が出来、船室に入るルームキーにもなる。乗船手続きが無事終了し、これから乗船用のエスカレーターに乗ろうとしたときに、後から日本語で声をかけられた。林さんという日本人向けの船内コーディネーターだった。 「航海中お世話をします林です。よろしく」
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「今回は乗船客、2400名のうち日本の乗客が23名と少ないので寄港する島での観光は全て英語になります」との事。エスカレーターを乗り継ぎ、3階にある本船への乗船ゲートを入ると、「アロ-ハ」と乗組員の歓迎挨拶を受ける。ここは本船の5階(デッキ5)で広いレセプションデスクルーム。床には大きなアメリカの国旗を描いた紋章あり、周囲には州の名前が並ぶ。なかなか豪華な内装だ。 |
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エレベーターでデッキ11まで行く。エレベーター内は賑やか。 |
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分厚い絨毯を敷いた通路を通り先ほど渡されたかカードで船室番号11524のドアーを開け、部屋に入る。大きなダブルベッド、トイレ、シャワールーム、クローゼットなどがコンパクトに纏められ、収納スペースも十分あり、機能的。正面のガラス戸を開けるとそこには広いプライベートデッキ。 デッキに出るとホノルル港が見渡せる。海面ははるか下に。客室はデッキ4からデッキ12まであり、我々は奮発して船首側デッキ11のオープンデッキの部屋を取った。結果よし!最上階のデッキ14に出てみた。眩しいほどの日差しで、風が強く吹き飛ばされそう。ここからの眺めは素晴らしい。14階建てのビルの屋上にいるようで埠頭を歩く人は小さく見え、ホノルル港は眼前にひろがり、たくさんのコンテナー船が往来している。陸のほうは高層ビル街のワイキキの町が広がり、遠方にダイヤモンド・ヘッドがはっきり。やっとハワイに来たと実感する。 |
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中年の品の良いご夫婦が写真をとってくれた。風が強いのでカメラをかまえるご主人の体を奥さんが支え、慎重に撮ってくれた。ありがとう!
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もう、14時近くになりお腹が空いた。デッキ11にあるアロハ・カフェに行く。
ここのレストランはビュッフェスタイルで、たくさんの種類の食べ物や飲み物があり、各自、自由に選んで、好きなだけ食べられる。レストランには既に多くの人達が食事をしていた。ローストビーフ、ソーセージ、ハムなどを大きなパンに挟んでサンドウィッチを作る為に混雑しているコーナを避け、比較的空いているサラダコーナで野菜サラダとフルーツで昼食を取った。
アメリカ人の異様とも言える食欲に圧倒された。大きな皿に肉類をたっぷり載せ、テーブル席に付き、食べる、いや、かぶりつく。大量に摂取した脂肪が皆身体にたまる。
船内では超肥満で歩くことが困難で杖や車いすのお世話になっている人達を多く見かけた。
3時から日本語の乗船説明会があるとのことでデッキ13に行く。ここはプー
・避難訓練
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デッキごとに避難場所が決められていて、デッキ11の乗船客はハリウッド・シアター。4時30分の合図でエレベーターを使わず、避難場所に多くの人達が一斉に殺到すると通路や階段が多くの人達で大混雑するので、早めに避難場所にライフジャケットを持って出かけた。 エレベーターホールを出ると清掃担当のミスターフィリピーノもライフジャケットを着て避難訓練の誘導係。 誘導係のジャケットは彼にとって大きすぎたようだ。 指定された避難場所であるハリウッド・シアターに行く。すでに多くの人達が集まっていた。乗組員が避難訓練参加者の名前をチェックする。訓練をサボると後で別途訓練させられる。
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・出港 ホノルル到着時の悪天候はウソのように回復し、ホノルル港の水平線に沈む夕日は美しい。
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夜8時。本船は静かに岸壁を離れる。出港時に行われる、蛍の光などの音楽や
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浜辺では我々を歓迎しているかのように盛んに花火が上がる。この花火は旧正
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やがて、オアフ島は次第に小さくなり、ハワイ島に向かう。明日の朝、8時にハワイ島、ヒロ港に着岸する。
・夕食はすし!
夕食前にもう一つしておかなければならない事がある。それは明日からハワイ諸島を訪れるが訪れた島での観光ツアーに参加するためには事前に予約が必要。
・島内観光(Shore
Excursions )
クルージングを楽しむ乗船客は二つに大きく分けられる。どの寄港地でも船内
今回のクルージングの乗船客は2400人ほどとのことであるが、日本人客は23名。したがって、日本語の現地ツアーは無く、他のアメリカ人と一緒に英語のみのツアーに参加することになった。申し込み用紙に各寄港地でのツアー名を記入し、デッキ5にあるレセプションデスク脇のShore
Excursionsデスクにゆく。
そこには若いアメリカ人のカップルがデスクの女性にあれこれ聞きながらツア
申込の順番を待っている何人かの人達が諦めて帰ってゆく。小生、年を取り、多少気長になったが、痺れを切らし、ぐずぐずカップルに聞こえるように、「ツアーの申し込みをこの用紙に書いておきました。後で又来ます」とデスク嬢に渡す。
・夕食
毎日、「Freestyle
Daily」と題した英文と日本文で書かれた新聞?が船室入り口に船室番号プレートに差し込まれてくる。その内容は、船内でこれからのイベント、レストランなどの内容、明日の予定などの情報が記載されている。
日本を出発してから20時間あまり、今日は色々な出来事があった。睡眠不足も手伝い、少々疲れた。今夜はあっさりした日本食、寿司を食べようと決めた。予約制なので7時にスシバー・カウンターを予約した。
刺身の盛り合わせ、巻物(海苔の無いカルフォリニア巻き)など手当たり次第に注文した。色々形は変わるが、同じネタを使うのでどれも新鮮味が無い。味噌汁が出た。お椀ではなく、湯呑みに入っている。味は甘い。不味くは無いが風情が無い。
「Kona
Beer!」
「日本ですしの握り方を習ったことがある?」
「機会があれば日本に行ってスシを食べてごらん、勉強になるよ。このスシバーは”Ginza
Style”と書いてあるが銀座のスシはこれとは全く違うよ」
鉄板焼きコ-ナ-は白人客で混んでいたが、スシバーは日本の老カップルが一組だけ。白人客は良く研究をしている。翌日からはカバ-チャ-ジ付きのレストランでの夕食はやめた。本当に美味いものを食べたければ、街のレストランで食べればよいと思った。フランス料理、ステーキハウスのレストランも空いていた。似たり寄ったりであろう。
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部屋に戻る前に、毎日色々なショーを見せるハリウッド・シアターに行く。今夜は「エルトン・ジョンに捧げる歌」と題したピアノ弾き語り。ピアノは上手であったが、聴いたことがない歌ばかりで感銘しない。
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・クルージングの日程
いよいよ明日からハワイ諸島のオアフ島を出港して3島(ハワイ島、カウアイ島、マウイ島)を訪れる7泊8日のクルージングが始まる。
クルージングの旅程は下記のとおり。ハワイ諸島の各島を夕刻出航し、早朝に次の島に入港。日中は港に停泊しているので寄港地では現地観光をする時間が十分ある。