211日 オアフ島 ダイヤモンド・ヘッド  

今日は23番のバス利用し、ダイヤモンド・ヘッドに登り、そして、オアフ島西にあるSea Life Parkを訪れ、帰路は22番バスで美しい西海岸線を眺めながらワイキキに戻る予定だ。何はともあれ、ホテルのバンアン・コートのテラス席で朝食。ビュッフェスタイルなので好きなものを自由に選べる。果物、いろいろな料理は皆美味。カロリーオーバーにならないように気を付けて皿に盛るがどうしても多めになる。  

今日も良い天気だ。食後の休憩を兼ね、バンヤン・コートからワイキキの浜辺に出てみる。朝のすがすがしい空気とやわらかく吹く風が心地よい。

 

 

 

 

欧米人はこのビーチチェアーで日光浴をしながら、一日を過ごすが、われわれには苦痛だ。どこか動き回らないと落ち着かない。せわしい民族だ。

 

 

 

 

 

ホテルから山側に進むとクヒオ通りに出る。ここの交差点角にあるABCストアーでミネラルウオーターを買い求め、バス停でDiamond経由Sea life Park 行きの23番のバスに乗り込む。軽装で海水浴に行くと思われる若者と一緒になりバスはほぼ満員。バスには他の乗客の最後に乗ったので、乗車口近くで運転席の横。満員で後ろのほうに移動できない。前がよく見えてちょうど良い。

ドライバーにダイヤモンド・ヘッドに行くので最寄りのバス停で降ろしてほしい旨伝えた。ドライバーは「大丈夫、大勢そこで降りるから、すぐ分かる」とのこと。バスは幾つか のバス停を止まらず、一路、ダイヤモンド・ヘッドにひた走る。ワイキキの町を抜けると閑静な住宅街に入り、町並みが消え、うっそうとした木立の樹林地帯に入る。

ドライバーがマイクで「次がダイヤモンド・ヘッド入り口!」と怒鳴る。バスが止まる。ここで降りたのは我々の他に2〜3組。ほとんどは海水浴客のようだ。バスを降りて道路を渡るとそこに大きな標識がある。  

 


今日は絶好の行楽日和。日差しが強く、汗ばむ。この標識を左に見て、広い坂 道を登る。20分ほどゆっくり歩いてカーブを曲がるとカハラ・トンネルがる。このトンネルを歩いてダイヤモンド・ヘッドの外輪を抜ける。歩 道がないので、往来する車に注意。

 

 

トンネルを抜けると急に視界が広がり、周囲を山で囲まれた平原に出る。ここがかつての火口であったところ。正面に大きな駐車場がありすべての車は ここに駐車。これ以上先には車で行けない。いろいろな観光バスもここで乗客 を降ろす。静かな火口が急ににぎやかになる。
火口(クレーター)内から見える山並みで一番高い山が ダイヤモンド・ヘッド。標高230メートルの小高い丘のようだ。
 

インフォーメーション・センターで入園料、二人分2ドル支払いゲートを通り 公園内に入る。

 

 

 

 

ダイヤモンド・ヘッドが誕生したのが今から10万年前。火山の神、ペレがタヒチからハワイにやってきた時、ハワイ島キラウエア火山に定住する前に各島に立ち寄り、永遠の炎が保てる住居を求めて穴を掘ったと言い伝えられている。そのひとつがこのダイヤモンド・ヘッド・クレーター。 ハワイ語でLEAHI(レアヒ)、マグロの頭の意。また、一説にはレアヒは炎の渦巻きの意味とも言われている。かつて、カヌーの到着地点を示す信号として、クレーターの縁にかがり火が燃えていたことに由来している。ワイキキのハワイアンが定住したのが10世紀から12世紀ごろ。このダイヤモンド・ヘッド周辺やクレーターにもハワイアンは足を踏み入れ、クレーター内の崖は酋長一族の埋葬所として使われた。

クレーターはまた、罪人の処刑にも使われた。罪人は崖から投げ落とされ、死体はそのまま野ざらしであった。古代ハワイアンは火山のクレーターを神聖視し、その周辺にたくさんのヘイアウ(古代寺院)を建てた。周辺のヘイアウは戦いの神、クーを祀り、人間の生贄が多く捧げられた。カメハメハ大王に負けたマウイの酋長、オアフ島、カウアイ島の酋長がここで残虐な方法で生贄にされている。これら恐ろしい儀式が行われたところが、今ではゴージャスな高級住宅街になっている。住民は知っているのだろうか。
 

こんな血なまぐさい陰惨なかつてのクレーター周辺はまぶしいほどの良い天気。さーこれからダイヤモンド・ヘッドに登る!  
クレーター内は円形の広い草原になり、周囲はクレーター外壁の山々が周囲を囲む。一際高い山の頂を目指して登る。  

 

 

噴火口の底部にある駐車場から山道への入り口(標高61メートル)からコン クリートで舗装された道を緩やかに上る。周囲は沢山の可憐な花や緑豊かな潅木が生い茂り、登山者を楽しませる。  

 

 

やがて、山道の傾斜がきつくなると舗装がなくなり、歩くにくい、ごつごつと した岩むき出しの道になる。この山道は1908年に作られたままで山裾を巻くように少しずつ高度を上げてゆく。道幅が狭く下山者とのすれ違いが やっと出来る。

一汗かき、一休みしたいと思いながら足場の悪い山道を登ると少し開けたところに出る。何人かの人が汗を拭き、水を口に含んで休憩している展望台に出る。われわれもここで休憩。吹き上げる乾いた風が心地よい。眼下に丸いクレーター、中央に、駐車場などが小さく見える。もう、こんなに高いところまでのぼってきたのだ〜。後ろを振り返るとダイヤモンド・ヘッドの頂ははるか上の方でまだ見えない。この展望台は当時の砦。コンクリートの展望台はウインチを据え付けた台座でウインチとケーブルで資材をクレーター底部から山道中間地点まで引き上げていた。  

一休みして、出発! 正面には76段の急勾配のコンクリートの階段がある。幅が狭く、登り、降りする登山客がすれ違うのも大変。手すり(階段脇のパイプ)に掴まりながら一歩一歩登ってゆく。  

 

 

 

ふーふー言いながら階段を登りきると、今度は70メートルほどの狭いトンネルが待っている。足元に照明があったようであるが、トンネル内は真っ暗という表現が正しい。このトンネルを抜けると今度は99段のこれまた狭く、急な階段。すれ違う人と肩を斜めにしながら登る。背後からどんどん登ってくる人がいるので、立ち止まって、休憩が出来ない。
99段の急な階段をやっと登りきると、いよいよ要塞の基部にたどり着く。暗いトンネルに入るとすぐに螺旋階段がある。4階建ての要塞の各階に連結していて、これまた真っ暗。注意して登る。
このあたりは観察機材が設置されていて、攻撃統制所の最下部の階へ通じていた。3階には観察機材を固定していた受台が残っていた。やっとたどり着いた。

狭いスペースの正面の細長い小窓がある。当時、よろい戸でふさがれていた細い小窓。今はよじ登り、小窓の間を潜り抜けて噴火口の外側に出る。

小窓を潜り抜けると視界が一度に開け、360度の視界が広がる。すばらしい眺めだ。苦労して登ってきた甲斐があった。ワイキキの海岸、ビル群がはっきり見える。どこまでも青く澄み切った空と海。

 

 

 

 

ダイヤモンド・ヘッドの地図  
 
狭いこの頂きにはたくさんの人たちが思い思いにシャッターを切る人、すばらしい眺めに釘付けになる人たちでいっぱい。われわれもその中にいる。

ハワイに到着したときには天候が悪く、雲に覆われて見えなかったホノルル、ワイキキの海岸、林立する高層ビル。ワイキキの浜辺も手に取るように近くにはっきり見える。我々が宿泊しているホテルのある場所もはっきり確認できる。  

 

・ダイヤモンド・ヘッドの形成
際立って目立つ海側の山頂、深く侵食された山肌、そして、卵形の噴火口はレアヒの活発な地質学的活動の歴史を示している。オアフ島の形成は250万年から300万年前に起こった二つの火山の噴火による。その後、200万年にわたる火山活動の休止後コウラウ山系の南東の端が噴火した。海岸に近かったのでマグマが水と水蒸気により灰と微粒子になり、微粒子が結合して凝灰岩となって、レアヒ(ダイヤモンド・ヘッド)の火口丘を形成した。 この要塞は1915年ごろ、長距離砲が火口外壁斜面に設置され、沿岸警備が 強化されたが、戦時中は一度もここから砲撃する事はなかった。このダイヤモンド・ヘッド要塞は今では絶好の展望台になって、多くの観光客が訪れている。  

・ダイヤモンド・ヘッドの名の由来  
1700年代後半の西欧の探検家や商人がこの山を訪れ、噴火口壁面の岩石の中に光る方解石の結晶を見つけ、ダイヤモンドと見誤ったことから「ダイヤモンド・ヘッド」と呼ばれるようになったという。

ダイヤモンド・ヘッドからのすばらしい展望を十分楽しみ、登ってきた道を今度は下る。これから登ってくる人たちと体を斜めにしてすれ違いながらひたすら下る。瞬く間にクレーター底部に着いた。  

バス停に行く。これから、23番のバスに乗り、オアフ島の西海岸にあるSea Life Parkに行く。バス停で何人かの白人の若者もバスを待っていた。しかし、バスがなかなか来ない。そのうち、白タクのようなワゴン車が来て、Sea Life Parkまで5ドル!といって若者を誘う。躊躇していたが、彼らはその白タクに乗り込んでいった。バス停にはわれわれ二人のみ。静かなひと時。かなり待った。やっと23番のバスが来た。  

オアフ島の西海岸の切り立つ断崖に道路がありここをバスが走る。足元は白波が打ち付ける断崖絶壁。ワイキキの浜辺から想像も出来ない、荒々しい景観。途中下車してゆっくり眺めたい地域だ。  

23番バスの終点。Sea Life Park に着いた。小さな遊園地の感じだ。入り口で切符を買う列に並ぶ。前の若者が切符売り場の女性となにやら話しながら、迷っていてなかなか結論が出ないようで入場券を買うのに時間がかかる。やっと決めたようで、腕に色のついた腕輪がはめられた。われわれの番が来た。どのコースにします? 若者が迷っていた理由がわかった。

ここは単なる水族館ではなく、イルカや海がめやペンギンなどとプールに入って一緒に遊ぶいろいろなコースがあるとのこと。われわれは、ただ見学のコースを頼んだ。われわれは白い腕輪をつけられた。園内ではこの色分けされた腕輪で客のコースを判断する様だ。お昼をかなり過ぎている。  

お腹が空いた!

園内のレストランを探したがわからない。近くにスナックバーがあったので、そこでハンバーグを買い求め、近くのベンチで昼食。ベンチの周りにハエが飛 び交い、あまり清潔とはいえない。  

 

これから、イルカのショーがあるとのことで丸い大きな水槽のある建物に行く。水槽を囲み、円形状の観客席がある。最前列は水槽とほぼ同じ高さで、後部席ほど高くなっている。すでにかなりの観客が集まっているが、彼らは皆、後部席。われわれも最後部席に座った。子供たちは最前列に座っている。イルカのショーが始まった。

 

どこにでもある内容で特別なイベントはなかった。イルカが水面から飛び上がり、空中でジャンプし、水面を激しくたたきつけるように水中に入る。そこで大きな水しぶきが観客席まで飛び、最前列の席の子供たちはキャーキャー言いながら逃げ惑うがずぶ濡れ。最前列の席が空いている理由がわかった。

アシカのショーや客がプールに入り、イルカに背びれにつかまり、イルカと一緒に泳ぐコーナーがあり、若い人たちが多く参加していた。園内には海がめなど飼育していた。園内を一周して外に出る。このシーライフ・パークはオアフ島の東端、マカブウ岬からすぐ。入園料は29$。高いか安いか?  

 

Sea Life Park 入り口にあるバス停で路線バス、23番に乗り、海岸沿いを走りながら、マカプウ展望台、潮吹き海岸をバスの窓から眺めながらワイキキに戻る。  

ホテルに着いたころはまだ日が高く、夕食まで時間があるので、ホテル内を散 策。旧本館前に広がる芝の庭園に出てみた。ここから見るワイキキの海は静かで美しい。  

 

 

いつまでもここで何も考えずにボケーッとして居眠りをするには最適な場所。このホテルに宿泊し、何度となく、この庭で結婚パーティーをしている日本人?を見かけた。若いカップルはきっと穏やかで、明るい家庭を築くであろう。

 

 

今夜もワイキキの町を散歩して、またまた、ラーメン屋に行った。ホテルではもうバンヤン・コートではコンサートが始まっている。今日もバンヤンの下でローソクが灯るテーブルに付き、おなじみのなったトロピカル・ドリンクの「ブルーハワイ」を飲みながら、ハワイアンコンサート演奏を楽しんだ。  

  

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