2月12日(火)オアフ島 ホノルル
ハワイの旅はいよいよ終わりに近づいてきた。明日は帰国しなければならない。
今までハワイ諸島やオアフ島の各地を訪れ、ハワイのいろいろな顔を見た。ハワイを訪れる前の印象とかなり違っていた。毎年、芸能人が冬に訪れる華やいだワイキキの風景がハワイのすべてのように写るが、このようなところはワイキキ周辺のごく一部で、大部分はポリネシア系住民の生活や中国や日本から移住した人々のたくましい生活がそこにあった。
ハワイ諸島の各地で外資の巨大な資本できれいに開発されたリゾート地は周辺の地元民の生活とかけ離れた存在であった。海外から直接リゾートに入り、ここで滞在し、帰国する。地元民と接触することなく。
ホノルルにはカメハメハ王一族の史跡が多く残されている。そのほとんどがイオラニ宮殿周辺に集中し、そのほとんどを徒歩で訪れることが出来る。ハワイ滞在最後の日はこの辺を中心に史跡めぐりをする。
ホテルのバンヤン・コートでいつもの通り、朝食を取り、路線バス22番に乗る。宮殿前を今まで何度もバスで通過しているので気軽な気持ちでバスの車窓から外の景色を眺めていた。しかし、いつまで経っても、見覚えのある景色がない。留学生らしい日本の若者に聞くと「もう通り過ぎた」という。急いで、バスを降りた。どうも感じが違う。通りを行く住民に尋ねた。教えられた方向がおかしい。
「えい!急がば遠回りだ!」とばかり、一旦、ワイキキに戻り、ワイキキから
・イオラニ宮殿 |
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アメリカには建国以来、王制が存在しなかったのだからアメリカ国内唯一の「王宮」である。イオラニとはハワイ語で「天国の鳥」。カメハメハ3世が首都をオアフ島に移してから代々王家はここで執務・居住をしてきた。宮殿はオアフ島の酋長マタイオ・ケクアナオアにより1844年に建てられたが1882年、カラカウア王により3年の歳月を費やし新しく建て直した。宮殿は石造りの重厚な建物で内装はコア材がふんだんに使われ、天井からシャンデリアが下がり、王の執務室には当時では最新の電話が設置されたという。 |
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・イオラニ兵舎 |
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われわれは、今までになんとなく溜まった小銭を全部集め、額に入れて飾るハワイ諸島のカラフルな地図を買い求めた。売店の人は快く小銭の山を受け入れ、丁寧に数えて |
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この銅像はボストン出身の彫刻家によりイタリアのフィレンツェで原型がつくられ、フランスのパリで鋳造された。完成した像をハワイに船で運ぶ途中、南米の海岸で沈没。再度鋳造されて、無事ハワイに到着したのが現在の像。海中に没した像はその後、引き上げられ、大王の生地、ハワイ島のノース・コハラに据えられた。ブロンズ像のカメハメハ大王はとてもハンサムだ。モデルは大王ではないようだ。 ここでハワイの近代化とカメハメハ王国について触れて見たい。 ハワイ王国はキリスト教の布教とともに急速に近代化が進む。古来の生活規範であった数々のカブ(タブー)が廃止され、古来の信仰の対象であった神殿などが破壊された。宣教師渡来からわずか20年足らずでなぜ、ハワイはキリスト教化したのであろうか。宣教師の努力以外に、王族たちが近代文明を積極的に受け入れ、彼らの生活様式を大きく変えたことが主たる要因のようだ。 |
1778年、クックの
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・ハワイ諸島の統一 |
カメハメハ1世の幸運は1778年にキャプテン・クックがハワイを訪れたことに始まる。金属製の武器を持たないハワイ人にとって西欧の金属製武器は驚きであった。石器時代に近い時代の中で、産業革命時代の近代文明に触れたことになる。彼は当時、20歳代の若者であり、紙が水を吸い込むように西欧文明を吸収していった。 彼はイギリス船から大砲を購入し、白人を参謀役にしてハワイ統一に乗り出した。近代兵器を持つカメハメハ1世軍と古来の武器をもつ他の酋長との戦いは自ずと結果ははっきりしていた。 カウアイ島は強い潮流で、カウアイ島を攻撃できなかったが、後年、カウアイ |
・ホノルルが首都になった。
現在では多くの観
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ここには沼や池があった。タロイモやココナッツの林がある湿地帯であった。
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1895年ごろに撮影されたダイヤモンド・ヘッド頂上からみたワイキキ。タロ芋畑や沼などの湿地が広がっている。海岸沿いに大きな建物が見えない。わずかな時間で世界的なリゾート地に大変貌したワイキキ。
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ホノルル周辺の史跡のほとんどがハワイ統一後の新しい年代のものだ。イアオ宮殿のはす向かいにあるカワイアハオ教会を訪れた。ハワイには古来の信仰(ポリネシア系)があった。カメハメハ大王の死去の翌年、見計らったように、宣教師団が訪れ、キリスト教の布教活動を行った。この布教活動が出来たのは当時摂政として実質的に権力を握っていたカメハメハ大王の寵妃カアフマヌの援助があったといわれる。1821年草葺の小屋が建てられ、ここから布教が始まった。ホノルル最古の教会である。 |
1836年、石造りの大規模な教会に建て直しが始まった。たくさんのさんご |
・神聖な泉(Kawaiahao)の石
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・ルナリロ王廟 |
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・ハワイ州の紋章とダミアン神父
・ダミアン神父の像
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自由の鐘?
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イオラニ宮殿付近にはまだ沢山史跡があるが、お昼もかなり過ぎ、御腹が空い |
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久し振りに来た。懐かしい。海側にいくつかのレストランがあり、こんなレストランで食事をしたいと思っていた海岸沿いのテラスレストランに入る。
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まずはビールを注文
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乾いた喉に快い刺激。うまい!パスタを注文。通常のオーダーでも大盛り。カロリーを心配しながら、「今日はよく歩いたから いいや」とばかり、きれいに平らげた。
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時刻はもう3時過ぎ。今夜はホテル主催のギターコンサートに招待されているので、史跡めぐりはまた、いつかハワイを訪れた時までお預け。アロハタワーからアラモアナショッピングセンターでバスを乗り継ぎ、ワイキキに戻る。
このバスターミナルも何度かお世話になった。ちょうど、観光客用のトロリーバスが来た。このバスは主要な観光地を巡回するのでお任せ観光客には便利であろう。 |
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ホテルに戻り、シャワーを浴び、汗を流し、少し、ドレスアップしてこれからギターコンサートに出かける。コンサートは系列のシェラトン・ホテルで開かれる。コンサートが始まるまで少し時間があるのでホテルの様子をカメラに収めた。
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ホテル正面ロビー。エンタシス調の柱、白い壁、オーク材の重厚な床、分厚い絨毯。とても落ち着いたすばらしいホテルであった。
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ホテルの中庭バンヤン・コートに出る。
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多くの人がこれから始まるワイキキの夕日を見ようと集まっている。苦労して登ったダイヤモンド・ヘッドの頂がはっきり見える。
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ダイヤモンド・ヘッドはハワイのシンボルだ。この山を見てどれほどの人たちが感激したことか。われわれも大いに感激した。
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ワイキキの空が茜色に染まり始めた。われわれのハワイの旅も今日で終わる。もっと滞在したい感傷にとらわれる。
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すばらしい日の入りである。これほど美しい日の入りは今回の旅で最初であり、最後となった。
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シェラトン・ホテルのギターコンサートに出席する人達は皆、ドレスアップしていると想像していたが、皆さんラフな格好で、コンサートは画廊の一室で行われた質素なものであった。
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コンサートが終わり、ホテルに帰るときはまだワイキキの海岸に薄明かりが残っていた。ワイキキの砂浜を歩きながらホテルに帰る。カミサンは裸足になる。ワイキキの砂は細かく、足に優しい。清掃が行き届き、安心して砂浜を歩けそうだ。
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人影もめっきり少なくなったワイキキの海岸
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もうすっかり暗くなった。遅いお昼でまだ御腹が空いていない。
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