29日 オアフ島、ホノルル  

oafu
ホノルル港に入港する。デッキから港を眺める。7時前のホノルル港はまだ薄暗い。
早朝+ホノルル港
本船デッキから港を眺める。いつの間にか明るくなっていた。  
朝のホノルル港

通いなれたアロハカフェで最後の朝食をとる。クルージング中に使った費用の請求書が届き、チェック間違いなし。わずか7泊のクルージングであったがこの船室で快適なクルージングが出来た。

船室1

部屋は狭いがすべてがコンパクトにまとまり、シャワールーム、トイレは毎日 清掃され、清潔で気持ちが良かった。デッキつき部屋の選択は良かった。好きな時間に好きなだけデッキで過ごせる。かつて、北欧のオスロからコペンハーゲンまで客船に乗った。デッキのない窓つきの部屋であった。やはり、デッキがあったほうが快適。  

さよならデッキ11

このデッキ11を幾度往復しただろうか。プールやジャグジー風呂で遊び、デ ッキチェアーで多くの人が日光浴している姿を毎日見た。動き回らず、ゆっくりデッキで甲羅干しを楽しむ彼らをみて、クルージングの楽しみ方のひとつを教えられた。多くの客はもう下船してガラ〜ンとしたデッキはもの悲しい。でも、数時間後には新しい客でこのデッキもにぎやかになる。  

830分から下船が始まる。団体客、朝早い航空便で帰国する人、日本人客、そして、デッキ上部の客から
順次、下層デッキの客の順で下船が始まる。われわれは早い時間で下船が出来たが、混雑を避け、ゆっくり食事をして、10時ごろ下船をした。もうほとんどの客が下船したようでこの時間になるとスムースに下船が出来た。昨夜のうちに廊下に出しておいた荷物は埠頭にある本船専用のターミナルにデッキごとに分けて置いてあった。
 

クルージングに参加する初日、早く着すぎて、乗船まで長く待たされた懐かしい第二埠頭ターミナル前の広場にでた。もう、次のクルージングに参加する客が乗船時間前に待っている。

 

第二部 オアフ島散策  

ホノルル港第二埠頭で待機しているタクシーでワイキキまで行く。今日は暖か く(暑くはない)晴れ。気持ちが良い。初めてのワイキキ。期待に心が弾む。高層ビルが立ち並び、車、人の数が他のところに比べ断然多い。大都会だ。ワイキキの町には海岸に沿って二本の幹線道路が通っている。タクシーは海岸線側のカラカウア通り(Karakaua Ave) に入る。街路樹は椰子の木、歩行者の多くは半ズボンにサンダル履きで、これがハワイだと実感する。  

ワイキキ、カラカウア通りに面したホテルに着いた。われわれが宿泊するホテルは、ウエスティン・グループのシェラトン・モアナ・サーフライダー。このホテルに4泊し、オアフ島のあちこちを散策する。

ホテルの到着は10時過ぎ。正面玄関で待機しているポーターに荷物を預け、レセプションデスクでチェックイン。レセプションデスク嬢が歓迎用のレイを首にかけてくれた。  

ワイキキ3

カミサンにはランの花のレイ、小生には黒い数珠のような大きな黒い珠のレイ。身軽になったのでまずはホテルで一休みして、早速、ワイキキの町に出てみる。  

このホテルは1901年ワイキキ・ビーチで最初の本格的ホテルとして誕生。 ワイキキのファースト・レディーと呼ばれ、ワイキキの歴史とともに歩んできた。円柱が並ぶビクトリア様式の正面玄関、白とグレーで装飾された外壁。20世紀初頭の優美な姿を今にとどめている。
ホテルの中庭には一本の大きな木がある。ここがバンヤン・コート。ハワイを一躍有名にしたラジオ番組「ハワイ・コールズ」が放送されたバンヤン・コートには1904年にバンヤンの木が植えられ、現在では大きなバンヤン・ツリーとなってトロピカルな風情を作っている。
われわれはホテル滞在中、朝食と毎晩開かれるバンヤン・コンサートを聞きながら、トロピカル・ドリンクを楽しんだ。
 

バニアンコート

 バンヤン・コートを抜けるとそこはワイキキの海岸。ここはワイキキ海岸の中央部に位置し、大きく開けたワイキキの浜辺が一望できる。今日はほぼ快晴。

 

 

 

 

 

ホテル1

ダイヤモンド・ヘッドが良く見える。このダイヤモンド・ヘッドが見えないと ワイキキにきた感じはしない。  

 

 

 

 

ワイキキ2

ホテルまえのカラカウア通り(Karakaua Ave)は華やいで見える。多くの人々は解放的な服装だ。  

 

 

 

 

 

ホテルのすぐ横のカラカウア通りに沿いにデューク・カハナモク像にまずお目 にかかる。彼はハワイのヒーロー。3回のオリンピックで優勝、俳優として映画にも出演、晩年はホノルルでシェリフ(警官)を務め、1925年には転覆し た乗組員8人をサーフボートで救ったことで知られ、世界的にサーフボードを広めた第一人者。現在はワイキキの浜辺でサーフボードを背に彼の像が立ち、多くの観光客が写真を撮っている。道路の向かい筋のある交番の名称はDuke Paoa Kahanamoku Buildingという。

ワイキキ1

 ・カイウラニ王女の像  

ワイキキ4

カラカウア通りからホテル前のカイウラニ通りを山側に行くと、木立が茂る一 角にカイウラニ王女の像がある。

 

 

 

 

 

 

ここはかつて、ハウの木やバンヤン、マンゴー、ハイビスカス、ヤシの木が茂 る庭園だった。ここにはスコットランド人、アーチボルド・クレッグホーン知事とカラカウア王の妹、リケリケ王女の邸宅があった。彼らの一人娘がカイウラニ王女である。彼女は「悲劇の王女」と呼ばれ、美貌に恵まれながら未婚のまま23歳の若さでこの世を去った。
1893
年、臨時政府樹立と最愛の伯母・リリウォカラニの幽閉、そして、王国の消滅。
1897年留学中のイギリスから帰国、翌年、アメリカへの合併法案が成立、812日にイオラニ・パレスのハワイの国旗が降ろされ、星条旗が掲げられた。 王朝関係者はワシントン・プレイスに集まり、ひっそりと王朝消滅の日を過ご したという。

この一角に面し ているのがクヒオ通り(Kuhio Ave)でオアフ島各方面に出かけるバス路線が集中している。カイウラニ王女の像の向かいのあるABCストアーで「4 Days Pass」を買い求めた。2枚で40ドル。このパスで4日間、バスを自由に乗り放題で利用できる。

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・ビショップ・ミュージアム(Bishop Museum

まずはハワイの文化と歴史を知る上で便利なビショップ博物館(Bishop Museum)に行く。クヒオ通りで2番のバスに乗る。買ったばかりのパスをドライバーに渡し、使用開始日を記入し、Valid(有効)してもらう。今後は乗車時にパスを見せるだけ。とても便利。
バスに観光客らしき人たちが少ない。ワイキキの町を抜ける、チャイナタウンを過ぎ、やがて、素朴な住宅街に入る。ドライバーにビショップ・ミュージアムに近いバス停で下ろしてもらうように頼んだ。やがて、ドライバーが「ここで降りなさい」と言う。
 

バスを降りた。そこは住宅街で周囲にはそれらしき建物がない。道路わきにビショッピ・ミュージアムへの案内板があった。案内板に従って5分ほど行くと大きな邸宅につく。ここがビショップ・ミュージアム。

木立に囲まれた庭を行き、城のようなかっしりとした石作りの建物に入ると受付がある。ここで入場券を求め中に入る。中央に明るい大きな庭があり、周囲を建物が囲んでいる。

本館前のテントでハワイアン・ダンスのショーが始まる。テント内にステージがあり、ここでハワイアン・ダンスの解説と実演がある。解説によると、フラダンスにはカヒコとアウアナの二つがあるという。

ワイキキ7

 

 

 

 

 

 

 

カヒコは打楽器に合わせて力強く踊るもので華麗な旋律や歌ののせて踊るものではなく、神に対して礼拝を込め詩を唱えながら踊る宗教的で神聖な踊り。女性が踊る優美な「アウアナ」は現代のフラ。最後に見学者全員参加でフラダンスの真似事のような講習があった。  

館内のレストランで軽い昼食をとり、本館に入る。この時間に日本語で館内を案内するツアーがあるとのことで参加することにした。ツアーに集まった人は我々だけで貸し切りのガイドツアー。ガイドの女性はスリムで田園調布のマダムのような感じの人であった。
この博物館の正式名称は「バニーズ・パウアヒ・ビショップ・ミュージアム」である。バニーズ・パウアヒ(Bemice Pauahi) はカメハメハ大王のひ孫にあたり、カメハメハ5世が亡くなった時にも王位継承を託されたこともあったが受 けず、ニューイングランド生まれのチャールズ・リード・ビショップと結婚したが1884年に他界。ビショップはバニーズが伝えてきたハワイ王朝の美術品やポリネシア各地の品々、ハワイの神像などの芸術品を展示、保管するために、1889年この博物館を建てた。ガイドの案内で館内展示品の由来などを拝聴。 たくさんの展示品で短時間にはとてもすべてを見学することはできない。

ワイキキ5ガイドの説明のなかでとても印象に残ったのは1886年ごろのハワイ人 は文字をもたず、文化レベルは石器時代に等しい生活であったらしい。そこに文明の先端を進むキャプテン・クックを始めとする欧米人の侵入でハワイ人は困惑したであろうことは容易に想像できる。
当時、アメリカ人がハワイ王朝に欧米文化を広めながら、政治の主権を握り、やがて、アメリカの一州に編入してしまう。

日本で石器時代から急に明治維新になったらどんな混乱が起きたであろうか。

今回、ハワイ各島を旅して感ずることはブルーカラーの多くはポリネシア系の 人達であった。

オアフ島のワイキキの一角に欧米の巨大資本が参入し、大都会になっているが、 その他の地は100年前にタイムスリップした様な素朴で、現代社会から取り残されたようだ。でも、所々で大規模なリゾート開発が進み、海外から観光客がバカンスを楽しんでいる。しかし、これから得た利益は地元にほとんど還元されず、地元のポリネシア系住民はここでブルーカラー的仕事のみ待っている。 どこにでも見られる資本主義社会の縮図である。  

中庭を隔てて向い側にある建物でハワイの溶岩について説明があるとのことで行ってみる。建物の地下に大きなバーナーがあり、ここで溶岩を溶かし、溶岩流の実演を行い、溶岩の特徴などの説明があった。博物館でかなり時間をとり、夕刻近くなってきたので今日の散策は切り上げホテルに戻る。 先ほど降りたバス停の反対側からバスに乗りワイキキに行く。朝は慌ただしくチェックインして出かけたので、ホテル内をちょっと散策。  

ホテル正面ロビー。白を基調に明るいがしっとりと落ち着いている。 狭くもなく、広くもない、快適な空間のあるロビー  

ホテルロビー2
ホテルロビー3
ホテルロビー1

ロビー脇にあるスペース。八ワイ特有の模様の重厚は絨毯。ちょっと一休みには格好の場所。ホテル前のワイキキの浜辺。朝と夕暮れの雰囲気が違う。潮が満ちてきたのであろうか浜辺が少し狭くなっている。

バニアンコート2
日中は多くの人たちで賑わっていた浜辺はひっそりとして静か。  
バニアンコート3
ホテル廊下

ロビーから延びる廊下。厚いオーク材の床に分厚い絨毯

 

 

 

 

 

 

長い歴史のあるこのホテルの廊下をどのような人々が往き来きしたのだろうか。  
新婚カップル、リタヤーカップル、
……. 部屋で着替えてバンヤン・コートに出てみる。もう、ハワイアン・コンサートが始まっている。夕日が眩しい。  

ホテル2

浜辺近くはワイキキの日没の瞬間をとらえようと多くの人がカメラを構えてい る。今日は一日中よい天気に恵まれ、海面に沈む神秘的で、壮大な夕日を心行くまで眺めた。  

ホテル3

夕食は?ドチラカトモなく、「ラーメン!」ホテル前のカラカウア通りを散歩気分であちこちの店をウインドウショッピングしながらワイキキショッピング・プラザ地下一階にある「きわみのラーメン」屋に入ってみる。長い脚のイスに腰掛け、カウンターで食べる。塩ラーメンを注文。従業員は日本人。味は普通。店内はがらがら。時間帯が早かったのかな。
クルージング中、意識して、野菜、果物を摂っていたが二人とも胃腸が少々疲れた。ラーメンは快く胃袋に収まった。
ホテルに戻り、すでに暗くなったバンヤン・コートに行き、ろうそくが灯るテーブルに付き、トロピカル・ドリンク、ブルーハワイ(ウオッカとブルーキュラソーのブレンド)を飲み、ハワイアン演奏を聞きながら静かなワイキキの夜を楽しんだ。

部屋にもどり、明日は路線バスを乗りついでオアフ島、ノース・ショアーに行く。運が良ければ、何メートルもある大波が見られるはず。カミサンは予備知識を入れるためにお勉強。

ホテル部屋

部屋はシティービューの部屋であったが、窓からワイキキの町が一望でき、部 屋の内装、設備、ベッドの状態は満足すべきものであった。

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