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実は、既に住友化学を退社する時に、石飛現会長(当時は、取締役)から、しばらく住友化学の関係会社で英気を養う様にとの指示があった。のちに大プロジェクトとなるラービグの石油化学プロジェクトを推進しており、サウジとの駆け引きに翻弄されている時で、将来計画などのこともあり、人材が不足していて、どうしても来てほしいとの思惑があった様だ。ただ、まだこのプロジェクトの筋道を構想中でしばらく時間がかかるので、中小企業に行って勉強していろとの計らいでもあった。しかし、その時にはすでに、住友化学とは関係がなくもないが、住友化学の息があまりかかっていないところで、自分の実力がどの程度世の中で通用するのか、それを試す意味もあって、特異な加工技術を持ったある部品メーカーに行こうと決めていた。

 この部品メーカーで製造現場の実務を担当し、モノづくりの姿勢を学んだ。その後、この会社のアメリカにわたり、工場建設等を手掛け、それが一段落という事で、帰国した。そして、トライコンという、アメリカに進出してオートバイのシートを作っている会社に就職し、再び、渡米した。すでに還暦を過ぎての、ハローワークで見つけた仕事だ。ここでも工場建設のFSをしたり、また、製造工程の管理をするなど、中小企業での実務を知ることができた。そんなときに、不思議な縁で、既に数年は経っているのに、また、石飛現会長から連絡が入り、やっぱりラービグの石油化学プロジェクトに来てほしいとのこと。くわしい説明をするのでということで、ヨーロッパから帰る途中、シカゴまでご足労いただき、面接ということになった。お互いに長い間の付き合いでもあり、アメリカでの仕事も一段落した時でもあったので、この要請に応じようということになり、トライコンを退社した。

 帰国してすぐに、サウジに勤務ということかと、住友化学に伺うと、折悪くリーマンショックで住友化学自身の雇用計画が非常に厳しい状況にあり、すぐには、採用できないという。ただ、プロジェクトは住友化学が将来をかけて進めていることには違いないので、しばらく、待機ということにしてほしい、とのことであった。無期限の待機であった。が、プロジェクトは進められているし、会長からも、なおも、いろいろと情報を頂き、連絡を取り合っていた。そして、2012年の一月に呼び出しがあり、すぐに手続きをとる。2月から勤務してほしいということになった。あまりにも突然のことではあるが、これも、そのつもりでもいたので快く承諾し、再び、住友化学に勤務することになった。

 待機をしている間に、ラービグでの計画もかなり進んでいて、当初、担当する仕事は、企業誘致の話しであったが、こちらは、世界中を相手に工業団地の創設準備を進めており、すでに一応のビジョンが出来上がっていた。ただ、この過程でサウジ側から、工業団地の企業誘致、そして、将来の石油化学産業の育成を目指して、プラスチックの加工技術センターを建設、運営してほしいという話が出てきて、これを担当してほしいということになった。このセンターは、サウジの石油依存の体質を石油化学製品の加工企業立地にシフトしたいという、石油化学・鉱山資源省(MINPET)、並びに、これをリードしているファイサル殿下の意向がかなり強く働いていたようだ。住友化学が会社を上げて進めている大プロジェクトではあるが、この加工技術センターとなるとサウジの将来のためのセンターになる。ということで、成果の見えないプロジェクであり、住友化学の現役のメンバーはどうしても敬遠しがち事業。あとで、このような類の仕事が、いかに、現役組から白い目で見られているかは、身に染みて感じた。

 このセンターの構想は、サウジの将来を見越した樹脂加工技術センターの設立で、サウジの技術者を育成しようというもの。但し、サウジ側がここに求めている育成プログラムは、そん所そこらのものでは興味ない。とにかく、世界で最先端と言われる技術、サウジにしかないと、しかも、世界ではここにしかない、そんな内容のセンターにしてほしいというわけである。これには、流石の住友化学も、目先の成果を追い回す現役の連中ではとても手に負えるものではない。そこで、住友化学に長年勤務し、工業団地の構想を練ってきた岡本氏が、知恵を絞り、足を運んで、何度も構想をねりなおし、会長もよし、これで行こうというビジョンが出来上がっていた。

 とにかく、サウジ側の要望は、雲の上のようなもの。この厳しい経済競争のなかでどのような生き残りを考えているのだろうかと理解に苦しむもの。しかし、下手に住友側の意向を通そうとするなら、本業の石油化学プロジェクトの先行きも怪しくなる。何としても、個々は、サウジサイドの意向をくんで、まるでご機嫌取りのような内容のものにしなくてはならない。

こうして、私はサウジアラビアに行くことになった。 多分会長は、これまでの私の生き様をみていて、「彼なら、失敗してもくよくよしないし、また、只では起き上がってこない。」 そんな風に考えておられたのではないかと思う。

 では、サウジアラビアって、いったいどんな国でしょうか。 心配と不安でしたが、住めば都です。サウジでの3年余りの生活とその背景を紹介します。

  

 

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  どんな国   どんな世界  サウド家とは ありがとうサウジ これが現実
確かに、地球儀でヨーロッパとアジアとアフリカを見ればメッカは世界の中心にある。 イスラム教を信ずる人たちの価値観はどこからくるのか? 

その裏側をすこし覗いてみよう。

サウジアラビアとは、サウド家の統治するアラビアという意味だ。そのサウド家の中はどうなっているのか? 短いサウジアラビア生活でしたが、とても楽しい人生のひと時でした。好奇心の固まりの私には、異国、見知らぬ土地は、天国のよう。 我々に当たり前のことが当たり前でなく、彼らに当たり前のことが理解できないこともある。でも、それが現実なのだ。幸せとは?

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