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葉擦れの地

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「無題1」「手紙Ⅰ」「死」~掛川 享嗣

詩ページ:「無題1」 「手紙Ⅰ」 「死」
作者サイト:slight-coma(閉鎖)
 最近になって、人知れず彼の遺作が公表されているのに気づいた。公開している方の名前が記されているが、友人だった方なのであろうか・・・。

 これまで、彼の作品をずっと読んできたが、今回公開されている作品群は、彼自身が公開していたものに比べ、ずっとずっと「生々しい」感を受ける。読むのが辛い、と思った作品も多々あった。

 それらの中から、彼にとっての「詩作」という行為を記したものを見てみた。

 題名のない詩の中で、彼は次のように書いている。

 ”鋼の剃刀が持つ その比類無い美しさ
  すっと引いた その瞬間の切れ味
  そこに染み出してくる血は艶のある黒
  血の温度
  熱い熱 血の熱
  藍黒い インクの血が流れているんだ
  これが 真新しい水銀を含んだ旧来の詩人の血だ”

 志賀直哉の短編を思わせる鋭い表現で、現代においても詩に必要なのは「血」だと語っている。

そしてそれは、「真新しい水銀を含んだ」しかも「旧来の詩人の血」だ、と。

 私はこれに共感している。

 だが、彼にとっての「真新しい水銀」とは何であろうか。

 「手紙」という詩の中には次のように書かれている。

 ”解答はある
  それは
  虚数と実数の間に反響、反射する音と色で示される”

 目に見える現実の世界と、恐らくは深い心の奥底に潜んでいる世界の間に生じる反響、反射光 ――― それらが、彼にとっての真新しい水銀なのかもしれない。

 彼が、それらを表現することに成功したのかどうか・・・それは私にはわからない。しかし、 それ故に彼が生き続けることができなかった、と推測してしまうのは、あまりに「詩人」としての彼を固定的に見過ぎているだろうか。

 「死」という詩の中には、次のような部分がある。

 ”明かりを失って 詩を書く術を失った 今
  ぼくという 詩人の在り方よ これが終焉だ
  ぼくが愛し 憎んだ 死という詩
  
  「さようなら そして はじめまして」”

 彼が、「はじめまして」と帽子を取って挨拶したのは「死」であろう。

 そこでしか書くことのできぬものがあることを、彼は感じつづけていたのかもしれない。

2008/5/24