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葉擦れの地

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「音叉の秋」「束の間の幻影」~森永かず子

詩ページ(2007/2/17現在):「音叉の秋」 「束の間の幻影」
作者サイト:オンディーヌの水の家
 快晴の秋の日に、草原に寝転んだりして、抜けるような青い空をずっと眺めていると、 まるで吸い込まれそうになるような錯覚に陥る事がある。

 この作品では、秋の大気の中に吸い込まれ、そこに浮んでいただけの「泳げぬ魚」である「わたし」は、 いつの間にか、山から下りてきた、静かに包み込む白い手のような雪に、「はじめての水を泳ごうとして」立ち上がる。

 「はじめての水」が何なのかはわからないが、2連目にある

 ”粒子状の鎖につながれて
  錆びていく秋にうなだれていた私の
  あきらめていたもの
  おそれていたものが       ”

の中にあるものと関係があるのであろう。

 ひんやりとした肌触りのある、色彩的で美しい詩である。

 この美しさの背後には、何ものかに寄せる憧憬のようなものが隠れていて、その美しさに反射する「わたし」が居る。

 『束の間の幻影』は、それよりずっと前の作品であるが、『音叉の秋』との関連で興味深い。

 ”部屋には三つの椅子と一つの扉
  呼ばれて出ていく女たち
  たとえば妻 たとえば母 たとえば嫁
  戻るあなたの肩に触れて 椅子に導く”   『束の間の幻影』より

 ”そうして椅子の雪をはらい
  静かにわたしの影をととのえるのだ
  はじめての水を泳ごうとして   ”   『音叉の秋』より

 これらの椅子は、共通したものをもっているのではないかと思える。あるいは、その椅子から立ち上がることが、 はじめての水を泳ぐ、ことへと繋がっているのかもしれない。

 『音叉の秋』という作品の美しさを、ひそかに支えているのは、この椅子なのだろうか・・・。

2007/2/17