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葉擦れの地

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「午後の舟」~塔野夏子

詩ページ(2005/8/7現在):「午後の舟」
作者サイト:Tower117
 「午後の舟」に乗り、無の海を漂う作者(彼女)は、次のように告白している。

 ”さまよい
  はぐれてゆく意識の分
  自らを蝕む言葉が
  おのずから綴られてゆく
  だから最初からそこに
  救いを求めたりはしない”

 時間、そして忘却を無意識に拒絶する自らの意思と、忘却への憧れに横たわる生の意思―――その摩擦熱を乗せて漂う小舟だけが、 確実に忘却を我がものとしている。忘却というものは、時間というものを内包していなければならないのだろう。 舟に乗る彼女は、未だ時間の流れを遡ろうとしている自分の一部を感じながら、ページをめくることをためらい続けている。 そして、同時に、自分の一部が、舟の外の海へと溶け出しているのを感じている。

 そのような軋轢の中で、彼女を取り囲み始める”自らを蝕む言葉”―――。

 ある者にとっては、逆に、そのような言葉を意識的に綴ることに、自らの生の証を求めるということがあるのかもしれない。 それは、己という宇宙の秘密を次々と剥ぎ取ることによって、人間、あるいは、世界というものの普遍的な奥地を訪ねるための、 それを視るための、煉獄のような入り口ともなり得るからだ。だがそれは、無論救いではあり得ない・・・決して。

2005/8/7