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目次

1 はじめに

2. 旅程

3  旅日記

ドイツ南部(1)

ドイツ南部(2)

ドイツ南部(3)

ドイツ北部

4. 旅の情報

第一日目 10月22日(金)成田⇒コペンハーゲン⇒ミュンヘン

09時45分:臼井発
11時45分:成田発(スカンジナビア航空,SK984便)
16時15分:コペンハーゲン着
18時05分:コペンハーゲン発(スカンジナビア航空,SK633便)
19時40分:ミュンヘン空港着
20時40分:インターシティーホテル

空港でユーロとデンマーククローネに両替する。ユーロの交換レートは143¥/ユーロ。高い。E-チケット(便名、座席を事前に予約し、出発カウンターで搭乗券を受け取る方式)で受け取った搭乗券で出発ロビーに行く。機材の遅れとの事で出発は30分遅れた。

シーズンオフの為か大きなツアー客は少なかったが、機内はほぼ満席状態。この便はSAS(スカンジナビア航空)とANA(全日空)の共同運航で、我々の座席は予約した後部の二人掛け窓側である。トイレに近く、立ったり、座ったりが楽な二人がけ座席をいつも事前予約している。

食事が来た。前回に比較してかなり食事の質を落としている。このところ、イラクの問題で石油価格が大幅に上昇しているので燃料代が高くなり、こんなところで節約しているのだろうか。機内ではビール、ワインなどは飲み放題であるが、今回はあまり積極的に勧めず、コーヒーとお茶ばかりを熱心に勧めている感じがする。

コペンハーゲンでミュンヘン行きに乗り換える。ミュンヘン行き出発ゲートは長蛇の列。原因は物々しい手荷物検査装置が出来、パスポート、手荷物を細かくチェックしている。以前は無かった装置だ。これも最近のテロ対策の一環だろう。

ミュンヘン空港からホテルまでは空港バスを利用する。コペンハーゲンに着いた頃はまだ明るかったが、ミュンヘンに着いた頃はもう真っ暗であった。ライトアップされた建造物を眺めながら、バスは市電の通る通りを右に左にと曲がりながら、やがて人通りが多いミュンヘン駅に到着。

我々は、ミュンヘン駅に隣接するドイツバーン(ドイツ鉄道)経営のホテル、インターシティーにチェックイン。このホテルは市内観光にも、列車に乗るにも一番便利で、週末(金曜〜日曜日)割引を使い3連泊した。

ホテル内は駅からの騒音が全く入らず静かだった。部屋は上等ではないが、設備は整っていて、綺麗であった。腹ごしらえは機内で充分にしてあったので、シャワーを浴び、明日からの行動に備え早々にベッドにもぐりこんだ。

第2日 ■10月23日(土):ミュンヘン

ドイツ初日の朝はミュンヘンで迎えた。快晴、申し分ない。

ホテルから駅前通りにでてみた。人通りは幾分少なく静かな朝だ。ホテルで朝食を取るべく、ビュッフェスタイルのレストランに入った。満員。席がない。少し時間をずらすことにして、午前中に済ませる必要がある手配を先に済ませることにした。

ロマンティック街道を行くヨーロッパバスの乗車券を購入する。日本で購入すると手数料がかかり割高で、一部の旅行会社では購入手配を断られた。我々はロマンティック街道をホーエンシュバンガウを起点にディンケルスビュール、ローテンブルグで途中下車し、ヴェルツブルグまで3日間かけて行くことにしている。

ミュンヘン駅に隣接しているバス会社、ツーリング社の事務所に行き、区間ごとに発券を依頼する。シーズンオフであろうか、数組の客が予約と切符の購入の為並んでいた。我々はそれほど待たずに区間ごとの乗車券が購入出来た。

meunich1.jpg (52564 バイト)駅構内に戻り、ドイツ鉄道乗車券購入窓口に行く。ここで、日本で購入したユーレイルパスのヴァリデーションをする。これにより乗車券の有効期間が明記される。このヴァリデーションを行わずに列車に乗車すると検札時に「無賃乗車」と看做され、罰金が科せられるので注意を要する。

ホテルに戻り、レストランでビュッフェスタイルの朝食を取る。ハム、ソーセージ、チーズ、ピクルス、フルーツ、サラダなど種類が豊富でどれも旨い。しっかり腹ごしらえをした。ホテルのフロントで旧市街への道順を聞き、フロントで3日間有効の無料市電乗車券を貰い、ミュンヘン旧市街に向け出発。

フロントの従業員はアフリカ系であろうか手のひら以外は真っ黒で髪はちじれていた。しかし綺麗な英語の丁寧な説明で、聡明な感じの青年であった。

meunich2.jpg (39954 バイト)ホテルのあるミュンヘン中央駅からプリールメイヤー通りを5分程歩くと大きな噴水のある広場に出る。噴水の周りに沢山の人が腰をかけ休憩している。

噴水の奥にあるカールス門をくぐり、歩行者天国になっているノイハウザー通りを行く。広い通りには沢山の大道芸人が出て、多くの人々の足を止めている。

沿道には様々な商店が軒を連ね、とても賑やかであった。ここはミュンヘン旧市街の中心地だ。このような商店街と並んでまるで不似合いの古色蒼然とした重厚な建物がある。

これがミヒャエル教会。アルプス以北で最大の丸天井を持つルネッサンス様式の教会である。ルードビッヒ2世の棺(正面祭壇右下地下)が安置されている。外の騒音とは打って変わり静かで、荘厳であった。ただ他の教会でも云えることだが、第二次大戦で破壊され、その後修復されたが、至る所に白壁が目立ち、避難して助かった当時の彫刻の数々と余りに対照的で痛々しい。

教会を出て少し歩くと左にレンガ作りの大きな玉ねぎ型の双塔を持つブラウエン教会がある。15世紀後半ドイツ特有のゴッシク様式で建造され、皇帝ルードビッヒ記念廟(右側)がある。ここも戦争の傷跡が目立つ。教会の入り口右側から玉ねぎ型の塔にエレベーターで登った。

塔の最上部にはみやげ物売り場があり、戦争で破壊された当時の写真が痛々しく写されていた。塔の上からの眺めはすばらしくミュンヘン市内が一望できた。
muenich3.jpg (47071 バイト)
ブラウエン教会を出て直ぐに大きく開けた広場がある。ここがマリエン広場で広場の正面に19世紀ネオゴッシック様式の新市庁舎が聳え
立つ。戦災に遭わなかったのだろうか見事な装飾に目を奪われる。

市庁舎正面中央の塔に仕掛け時計があり、12時に動き出す仕掛けを見ようと大勢の観光客が集まって来た。広場ではお祭りだろうか広場中央にはステージが設けられ、ロック音楽の演奏が始まった。

仕掛けが動き出した。仕掛けはバイエルン大公とロートリンゲン公女レナーテの結婚式を再現している。微笑ましい仕掛けだった。

広場にはもうひとつマリア柱像がある。ドイツ中が戦場となった30年戦争時代マクシミリアン1世が「ミュンヘンが戦災から逃れることが出来たら記念柱を立てる」と誓い、実現した。

市庁舎の門から中庭に入ると右側に装飾が立派な入口がある。ラーツケラー入り口で往年の風格を充分に表している。市庁舎からディーナ通りに入りミュンヘン名物「ホッフブロイハウス」と言うビアホールに寄った。

ここはかつてヒットラーがこの中で民衆を集めて演説をしている。中に入ってみた。ドアーを開けて中に入った瞬間、酒臭く、生暖かい空気に、むせるようなタバコの煙、人々の話し声が騒音となって襲いかかって来た。「これはたまらん」とばかり早々に退散した。夕食はここでと考えていたが止めた。市庁舎のラーツケラーで夕食をとることにした。

お昼になったので軽く昼食をと適当なレストランを探していると市庁舎の近くの路地を入ったところにイタリアンレストランがあったのでここでと思ったが、朝しっかり食べたので余りお腹が空いていない。でも、「喉が渇いた」とばかりコーヒーではなく、天気が良く、暖かなのでテラス席に陣を取りビールを頼んだ。「旨い!」

muenich4.jpg (55717 バイト)市庁舎から歩いて数分でバイエルン王家、ヴィッテルスバッハ家の本宮殿に行く。この宮殿は14世紀より建築され、ルネッサンス、バロック、ロココ様式とその時代の様式を取り入れている。

現在はレジデンツ博物館になり、祖先画ギャラリー, ルネッサンス様式の丸天井、アンティックヴァリウム, 銀の間などが見学出来た。

ここは戦火から免れたのであろうか、当時の豪華さをそのままに残し、膨大な数のすばらしい展示品に圧倒され、このあと色々な博物館、宮殿を見学したがどれも見劣りするほどであった。

muenich5.jpg (92801 バイト)レジデンツ内を見て周り歩き疲れた。時間は早いが早めの夕食をしホテルに戻る事にした。市庁舎の地下に下りて、ラーツケラーに入る。

内部は中央にどっしりとワインの大樽が置かれ、店内は歴史を感じさせる内装。客がかなりいるが、静かで、空気も綺麗。予約はしていなかったが奥の席に案内され、物静かで、親切なウエイターに何はともあれビールと焼ソーセージを注文した。美味!、サービス良し、雰囲気良し、良心的価格!満足して外に出る。

日も暮れてあたりは真っ暗。ライトアップされた市庁舎などの建物に囲まれ、昼とはまた違った雰囲気だった。昼間の賑やかさは何処に行ったのか。人影もまばらで、ノイハウザー通りは閑散としていた。

第3日 ■10月24日(日):ミュンヘン

今日も暖かく良い天気。ミュンヘン旧市街、新市街を市電であちこち見て回ることにする。

muenich7.jpg (45824 バイト)市電を乗り継いで国立博物館、市立博物館に行く。今日は日曜日とあってバイエルン国立博物館は入館料が無料で、いかにもドイツらしい石作りのがっしりとした建物。ミュンヘンの歴史を扱った展示があり、戦時に完全に破壊されたミュンヘンが見事なまでに復元されている様子がわかった。

日本人であれば、復元せず、全く新しい建物に建て直していたかも知れない。もし、ミュンヘンが近代的な建物に建て替えていたら、世界中から多くの観光客を呼ぶことは出来なかったであろう。

博物館を出て、近くのアザム教会など見学し、旧市街の東側にあるイザール門近くのカフェでコーラを飲み、道行く人を眺めながら小休止して、イザール門から市電に乗りミュンヘン市内を一周してみた。

郊外の家並みは近代的であるが落ち着いた雰囲気だ。街路樹のマロニエは紅葉が始まり、秋のヨーロッパらしい風情であった。市内電車の停留所には行き先、電車の到着までの時間などがわかりやすく表示され、初めて我々でも迷うことが無かった。

muenich6.jpg (64953 バイト)昨晩の夕食で感じが良かったラーツケラーで今夜も夕食をとることにした。

昨日は広場にある入り口から入ったが、今日は市庁舎内の中庭にある入り口から入った。大樽が良く見え壁画の綺麗な奥の席を希望して着席した。

ウエイターは大変親切でビール、肉料理を楽しんだ。雰囲気、味、ウエイターの対応、価格全て満足であった。お陰で、楽しい休日をミュンヘンで過ごすことが出来た。

第4日 ■10月25日(月):インスブルック

09時30分 :ミュンヘン発(EC#85 11番プラットフォーム)
11時20分 :インスブルック着

今日から移動が始まる。

ホテルでチェックアウトした。請求書を細かく見ると宿泊料金が高い。インターネットで宿泊予約をした時に確認した週末割引料金が適用されていない。フロントの黒人青年にチェックを依頼すると間違いないと言う。ホテルと確認したメールのコピーを示すとヤット当方の意見に従い、訂正した。しっかりしている様だがズル賢い。

多くの日本人は請求書の中味をよく見ないで、そのままカードで決済してしまい、後で気が付いても後の祭りのケースが多いのではないだろうか。このようなケースにしばしば遭うので、ごまかされないように必ずホテルと予約時の確認書のコピーを用意している。

ミュンヘン駅11番プラットフォームでヨーロッパ主要都市間特急列車、EC85に乗る。この列車はミュンヘンを出てオーストリア・チロル地方、インスブルクを経由して、イタリア、テルミニまで行く。

昨日、出発ホーム確認の時に見た白い流線型のスマートな列車とは異なり濃い緑色のずんぐり車体でしかもドロにまみれで綺麗ではない。イメージと違いすぎる。ともあれ、一等車に乗り込む。

座席は6人掛けボックスタイプ(セミコンパートメント)でアルミサッシの仕切りとドアーで各コンパートメントが区切られ、予約席であればドアーの上のプレートに表示される。

我々は予約をしていないので予約のないコンパートメント(今回利用したタイプは全て「セミ・コンパートメント」であったので以下の記述は全てコンパートメントとする)に入った。

列車名は「Michelangelo(ミケランジェロ)」と呼ぶ。列車はイタリア鉄道の車両で編成され、車両はあまり新しくない。コンパートメントの入り口にスーツケースを2個置き、窓側の座席に座った。座席はゆったりして問題はない。何の合図も無く、列車はミュンヘン駅を後に動き出した。「さあー出発だ」。

列車は町を抜け、丘陵地帯や田園地帯を走り、いつの間にか国境を越え、オーストリアを走っている。ミュンヘン滞在の2日間は快晴で汗ばむような陽気であったが、今日は曇り。黒い雲が頭上に広がってきた。

検札が来た。日本で購入し、ミュンヘンでヴァリデーションし、乗車前に今日の日付けを記入しておいたユーレイルパスを見せる。検札済みのパンチが入り、返却される。「Danke Shoen」。無事検札が終了。シーズンオフの為か、インスブルックまで我々のコンパートメントには誰も来なかった。

ローゼンハイムを過ぎた辺りから、いつの間にか急峻な岩山が眼前に迫り雲の切れ間から稜線がはっきり見える様になった。列車はやがて山並みの迫った谷あいを大きな川と並行して走る。

この川はイン川でインスブルックはもう直ぐ。民家の屋根はミュンヘン市内にあるカミソリ状の急傾斜の屋根から庇が大きく張り出し屋根の傾斜が緩いチロル風になっていた。

innsubruck6.jpg (84079 バイト)イン川が列車の右や左に見える頃になると、空は青く澄み切り、灰色の荒々しい峰々が更に真近に迫ってきた。

列車はインスブルックに到着し下車。駅は工事中で構内は雑然としていた。駅前からタクシーで旧市街にあるホテルまで行く。

旧市街はトロリーバス、路面電車が往来し、人通りも多くとても賑やかだった。15分ほどでイン川に近く旧市街の真ん中にあるホテル、ゴールデナー・アドラーに着いた。

このホテルは600年の歴史を持ち、ゲーテ、モーツアルトなど歴史上の著名な人物が数多く宿泊した名門ホテルで、黄金の屋根、王宮などには数分で行ける好位置にある。

innsubruck1.jpg (82561 バイト)インスブルックは「イン川に架かる橋」と云う意味で、ヨーロッパで重要な交通路にある。ドイツとオーストリアの国境にあり、アルプスを越えればイタリア、スイス、フランスである。

この街は600年の歴史があり、ハプスブルク家の皇帝マキシミリアン1世とマリア・テレジアに愛され、王宮が建設され発展した。また、ここは冬季オリンピック開催地としても有名。

innsubruck5.jpg (61441 バイト)ホテルに荷物を置いて旧市街にでた。予定した主な観光名所は全て徒歩で行ける。マキシミリアン皇帝が広場で行われる催事を見学する為 に1494年に造った黄金の小屋、地上33メートルの火の見櫓に上り、市内を眺め、マリアテレジア通りを散策した。

期待していた王宮は見るべき展示品が少なく、唯一、エリザベート妃の等身大肖像画が印象的であった。

ただ、どうも本物ではなくコピーのような感じがした。黄金の小屋の前で日本人の新婚さんに会った。お姉さんと弟のように見えた。彼らとはホーエンシュバンガウのホテルで再会した。

観光客はこの黄金の小屋の前で写真を撮っている。日本のツアーグループは一組だけ見かけた。

innsubruck4.jpg (53516 バイト)チターの演奏を聴きながら夕食をホテルでと予定していたが、最近中止したとのこと。

残念であったが、歴史あるダイニングルームでお勧めのチロリアン・ローストビーフ(英国のローストビーフと違いステーキの様)、白ワインを味わい、親切なウエイターのサービスでBGM無しの静かな夕食を楽しんだ。

第5日 ■10月26日(火):オーバーアマガウ

10時35分 :インスブリュック発(RB5408 #22)
12時29分 :ムルナウ着
12時34分 :ムルナウ発
13時10分 :オーバーアマガウ着

今朝は密雲不雨。インスブルックからムルナウまでローカル線(ミッテンバルド線)でのんびり南ドイツ・アルペン街道を行きドイツに戻る。ムルナウで乗り換えオーバアマガウまで各駅停車の列車で旅をする。

ホテルで頼んだタクシー.の運転手さんは女性で美人。重い荷物を積み込むのは男の仕事とばかり、自ら積み込む。我々の列車はローカル線であるのでインスブルック駅の外れに隠れるように停車していた。

この列車は一等車が連結され、座席はコンパートメントだった。駅では曇り空で、周囲の山々が見えなかったが、出発して間もなく雲に切れ間が出来、周囲の山並みが覆い被さる様に迫ってきた。

innsubruck7.jpg (76451 バイト)列車はカラマツ林の中を進み、トンネルをぬけ、橋を渡るうちに、列車はかなり高度を上げ、車窓から見える民家ははるか下の方に小さく見えるようになった。

やがて列車は少しずつ下り始め、ドイツ領内に入りミッテンバルドに着く。風景はのどかな牧草地帯になり、やがてムルナウに到着。

この頃から天候が悪くなり雨になった。ムルナウで2両連結で一両目の半分が一等車になっているオーバーアマガウ行きのローカル列車に乗り換える。新型車であろうかシンプルで綺麗だ。

運転室のドアは開けっ放しで、林間地帯に真っ直ぐ敷かれた線路を列車は40分ほど走り、終点のオーバーアマガウに到着。駅には人影が全くなし。

駅からホテルまでタクシーをと予定していたが、タクシーがいない。タクシー乗り場には電話で呼び出しと表示してあったが、公衆電話がない。近くのコーヒーショップのようなレストランがあったので、ここで電話を借りようと、中に入ってみたが誰も居ない。大きな声でハローと叫んでみたが全く応答なし。のんびりしたものだ。

我々は携帯電話を持っていないのでお手上げ。しばらく駅でボケーッとタクシーを待っていたが来る気配なし。仕方が無く、小雨の中をスーツケースをゴロゴロ引いてホテルまで行く。市内見学をしている他の観光客は我々の姿を見てびっくりしている様だ。

やっとホテルに着いた。ホテルは壁画が描かれた民家が立ち並ぶ街の中心部にあり、あちこち見学して歩くのには便利な場所にある。

ホテルのフロントはアルバイトだろうか2人の若い女性であった。我々が入っていってもお互いにおしゃべりをしている。出された宿泊カードに記入して渡すとカミサンの生年月日から年齢まで記入するように要求する。

今まで小生のみの記帳でOKだった。荷物を引き、歩いてヤット辿りついたのにウエルカム・メッセージ一つ無く、仲間とおしゃべりで態度が大柄だったので、ちょっと意地悪をした。

「カミサンの生年月日、年齢は秘密、記帳したくない」と云ったら、「奥さんの生年月日が判らないのですか?」とやり返してきた。「そうじゃない。秘密」。「では適当な日付けを入れてください」との事。いい加減だ。その程度なら記帳を要求しなければ良いのにと思った。

amargau1.jpg (85789 バイト)
オーバーアマガウには今回の旅で訪れたい町の一つであった。この町は中世時代イタリアの交易都市ヴェネチアとドイツ、アウグスブルグを結ぶルートの中間点として栄えた。

人口わずか5千人のこの小さな町にシーズン中は多くの人々が訪れる。そして、キリストの受難劇が有名で、1633年から10年に一度上演されている。

中世時代に2度にわたるペストが大流行した。治療法がわからず「神の祟り」と思われていた。人々は受難劇を演ずることで神の許しを得ようと考え今日に至っている。町のどの民家の軒下にも十字架が架けられ、家の壁面には様々な宗教的フレスコ画が描かれている。

amargau2.jpg (84612 バイト)家々に描かれたフレスコ画を見ながら、村外れのエッタール通りにある民家を訪ねた。ここには「赤頭巾」、「ヘンデルとグレーテル」「七匹の子山羊」など童話をモチーフにしたフレスコ画が描かれていた。

明日はここからローカルバスでホーエンシュバンガウまで行く。バスの本数が少ないので、乗り過ごさないように、バス乗り場を確認しておく。

ホテルの受付番をしている若い女性に聞いたが怪しげだったのでインフォメーション・センターで確認すべく場所を地図で見たが、方角が判らない。民家から出てきた中年の夫婦に道順を尋ねた。綺麗な英国英語で丁寧に教えてくれた。インフォメーション・センターでバス停の確認をした。間違いが無かった。

amargau3.jpg (71556 バイト)バス停に貼られた時刻表を見ると確かにホーエンシュバンガウに行く。安心した。そこにバスが来た。観光バスのようで立派だ。ぼろぼろの古いローカルバスをイメージしていたが違っていた。

でもバスは我々が考えていた方向と反対側から来た。そうだ!ドイツは右側通行だ!初めて右側通行を実感する。

夕食をとる場所を探したが、シーズンオフで何処のレストランも閉まっている。駅に近いウルフ(狼)という名のホテルのレストランで夕食をとった。値段の割には余り美味しくなかった。でもアフタヌーンティーとして昼に入ったケーキ屋さんのケーキは大きく、甘みを抑えた上品な味で美味しかった。

旅の疲れが出てきた。シャワーを浴び、早々にベッドのもぐりこむ。

第6日■10月27日(水):ホーエンシュバンガウ

10時38分 :オーバーアマルガウ発(Bus 9606)
11時58分 :ホーエンシュバンガウ着

他の宿泊客がまだ寝ているのであろうか誰も居ないホテルの食堂でビュッフェスタイルの朝食を済ませ、昨日確認しておいたバス停に急ぐ。昨夜降った雨は上がり、低く垂れ込めた雲は山々の尾根に沿って上へ上へと上昇し始めた。天候は回復するだろう。

amargau4.jpg (62688 バイト)昨日、これが我々の乗るバスの停留所かと、とても信用できなかった素朴なバス停で待っているとやがてバスが来た。ほぼ定刻。荷物をバスに積み込み料金を払ってバスは出発。

乗客は地元の人たちであろうか我々を興味深げに見ている。旅行客は我々のみの様だ。

このバスはガルミッシューパルテンキルヒェンからオーバーアマガウなどを経由してホーエンシュバンガウからフュッセンまで約2時間強で結ぶローカルバス。この情報はドイツバーンのホームページで検索した。トーマスクックの時刻表には記載されていない。

バスは小さな村々を小刻みに立ち寄り、乗客が入れ替わる。地元の人たちの生活路線バスだ。観光地と全く縁のない村々の民家は手入れが行き届き気持ちが良い。やがてバスはシュタインガーデンにあるヴィーズ教会を通りシュバンガウの村に入る。

この頃になると、左手前方の山の中腹に写真で良く見る城が見え出した。ノイシュバンシュタイン城だ。目的地のホーエンシュバンガウの村は近い。やがて急に大勢の人たちが往来するホーエンシュバンガウに到着し、ここで我々はバスを降りた。

さて、どちらに向かって進めばよいのだろうか、方角が判らない。同じような建物が多く、我々のホテルが何処にあるのか。「多分あそこだろう」とガラガラ荷物を引いて行って見るとそこは学校。

構内にタクシーが止まっていたので、ドライバーにホテルの場所を尋ねた。ドライバーは青年で「休暇でここに来ているので、この辺は不案内」という。でも「料金は要らないから乗りなさい。インフォメーション・センターで場所を聞き、ホテルまで行ってあげる」という。

あまりの親切さに多少警戒したが、親切そうな青年であったので、タクシーに乗せてもらった。

schvangau3.jpg (76549 バイト)彼はインフォメーションセンターで場所を調べ、我々のホテル、リスルまで送ってくれた。親切のお礼として5ユーロを差し出すと最初は遠慮していたが、受け取ってくれた。気持ちの良い青年であった。

ホテル・リスルはイメージと全く反対の方角で、バス停からかなり坂道を登らなければならないことが判った。タクシーに乗せてもらってよかった。

ホテル・リスル付近は土産物店やホテルが立ち並び大勢の観光客が散策していた。ここに2泊と、ホテルの特別企画参加を予約しておいた。

この企画は「ホーエンシュバンガウ、ノイシュバンシュタイン両城を他の団体客とは別にプライベートガイド付きで見学し、夕食はフルコースの特別ディナー付き」である。

ホテルでチェックインし、部屋に案内される。「特別良い部屋を用意しました」とホテルマンが云うとおり、2部屋続きの角部屋で、正面にはホーエンシュバンガウ城、右の窓からノイシュバンシュタイン城が見えるすばらしい部屋だった。

ホテルの受付で、両城の見学は何時にしますかと尋ねられた。こちらの希望時間で見学が出来ると言う。ホーエンシュバンガウ城は今日の2時、ノイシュバンシュタイン城は明日の午前中と希望すると即「OK!」驚いた。多くの観光客は村のチケット売り場で見学の希望時間を申し込んでもなかなか叶わないと聞いていた

schvangau2.jpg (103344 バイト)我々はホテルで見学のチケットを貰い時間に合わせ、ぶらぶらとホーエンシュバンガウ城に行く。時間になったのでゲートをくぐり中に入る。

多くの団体客が一緒になって入城しているのに、われわれの時間には我々二人だけが入城した。

可愛い金髪の美女が城の入り口でニコニコと我々を迎かい入れ、これから見学のガイドをしてくれると言う。これがプライベートガイドか。

我々は英語のガイドと日本語のオーディオガイドのチャンポンでガイド嬢と色々な雑談をしながら、時間を掛けて城内をゆっくりそして、楽しく見学が出来た。

schvangau1.jpg (70356 バイト)夕食まで時間があるので村の中をあちこち見て周り、ウインドウショッピングを楽しんだ。

夕刻になるとたくさんの観光バスが客を乗せ山を下ってゆく。何時しか、駐車場はガラーンとして人影は疎らになり、村は急に静かになった。

あちこちのホテルの窓に明かりが灯り、屋根の煙突から煙が立ち昇る。両城はライトアップされ、夜霧に映えてとても幻想的であった。昼間、馬車を引いて大活躍した馬も背中に布か掛けられ、今日の仕事を終了し、馬小屋に引き上げていった。

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