第一日目 ■10月22日(金)成田⇒コペンハーゲン⇒ミュンヘン | |
空港でユーロとデンマーククローネに両替する。ユーロの交換レートは143¥/ユーロ。高い。E-チケット(便名、座席を事前に予約し、出発カウンターで搭乗券を受け取る方式)で受け取った搭乗券で出発ロビーに行く。機材の遅れとの事で出発は30分遅れた。 シーズンオフの為か大きなツアー客は少なかったが、機内はほぼ満席状態。この便はSAS(スカンジナビア航空)とANA(全日空)の共同運航で、我々の座席は予約した後部の二人掛け窓側である。トイレに近く、立ったり、座ったりが楽な二人がけ座席をいつも事前予約している。 食事が来た。前回に比較してかなり食事の質を落としている。このところ、イラクの問題で石油価格が大幅に上昇しているので燃料代が高くなり、こんなところで節約しているのだろうか。機内ではビール、ワインなどは飲み放題であるが、今回はあまり積極的に勧めず、コーヒーとお茶ばかりを熱心に勧めている感じがする。 コペンハーゲンでミュンヘン行きに乗り換える。ミュンヘン行き出発ゲートは長蛇の列。原因は物々しい手荷物検査装置が出来、パスポート、手荷物を細かくチェックしている。以前は無かった装置だ。これも最近のテロ対策の一環だろう。 ミュンヘン空港からホテルまでは空港バスを利用する。コペンハーゲンに着いた頃はまだ明るかったが、ミュンヘンに着いた頃はもう真っ暗であった。ライトアップされた建造物を眺めながら、バスは市電の通る通りを右に左にと曲がりながら、やがて人通りが多いミュンヘン駅に到着。 我々は、ミュンヘン駅に隣接するドイツバーン(ドイツ鉄道)経営のホテル、インターシティーにチェックイン。このホテルは市内観光にも、列車に乗るにも一番便利で、週末(金曜〜日曜日)割引を使い3連泊した。 ホテル内は駅からの騒音が全く入らず静かだった。部屋は上等ではないが、設備は整っていて、綺麗であった。腹ごしらえは機内で充分にしてあったので、シャワーを浴び、明日からの行動に備え早々にベッドにもぐりこんだ。 |
第4日 ■10月25日(月):インスブルック |
09時30分 :ミュンヘン発(EC#85 11番プラットフォーム) |
今日から移動が始まる。 ホテルでチェックアウトした。請求書を細かく見ると宿泊料金が高い。インターネットで宿泊予約をした時に確認した週末割引料金が適用されていない。フロントの黒人青年にチェックを依頼すると間違いないと言う。ホテルと確認したメールのコピーを示すとヤット当方の意見に従い、訂正した。しっかりしている様だがズル賢い。 多くの日本人は請求書の中味をよく見ないで、そのままカードで決済してしまい、後で気が付いても後の祭りのケースが多いのではないだろうか。このようなケースにしばしば遭うので、ごまかされないように必ずホテルと予約時の確認書のコピーを用意している。 ミュンヘン駅11番プラットフォームでヨーロッパ主要都市間特急列車、EC85に乗る。この列車はミュンヘンを出てオーストリア・チロル地方、インスブルクを経由して、イタリア、テルミニまで行く。 昨日、出発ホーム確認の時に見た白い流線型のスマートな列車とは異なり濃い緑色のずんぐり車体でしかもドロにまみれで綺麗ではない。イメージと違いすぎる。ともあれ、一等車に乗り込む。 座席は6人掛けボックスタイプ(セミコンパートメント)でアルミサッシの仕切りとドアーで各コンパートメントが区切られ、予約席であればドアーの上のプレートに表示される。 我々は予約をしていないので予約のないコンパートメント(今回利用したタイプは全て「セミ・コンパートメント」であったので以下の記述は全てコンパートメントとする)に入った。 列車名は「Michelangelo(ミケランジェロ)」と呼ぶ。列車はイタリア鉄道の車両で編成され、車両はあまり新しくない。コンパートメントの入り口にスーツケースを2個置き、窓側の座席に座った。座席はゆったりして問題はない。何の合図も無く、列車はミュンヘン駅を後に動き出した。「さあー出発だ」。 列車は町を抜け、丘陵地帯や田園地帯を走り、いつの間にか国境を越え、オーストリアを走っている。ミュンヘン滞在の2日間は快晴で汗ばむような陽気であったが、今日は曇り。黒い雲が頭上に広がってきた。 検札が来た。日本で購入し、ミュンヘンでヴァリデーションし、乗車前に今日の日付けを記入しておいたユーレイルパスを見せる。検札済みのパンチが入り、返却される。「Danke Shoen」。無事検札が終了。シーズンオフの為か、インスブルックまで我々のコンパートメントには誰も来なかった。 ローゼンハイムを過ぎた辺りから、いつの間にか急峻な岩山が眼前に迫り雲の切れ間から稜線がはっきり見える様になった。列車はやがて山並みの迫った谷あいを大きな川と並行して走る。 この川はイン川でインスブルックはもう直ぐ。民家の屋根はミュンヘン市内にあるカミソリ状の急傾斜の屋根から庇が大きく張り出し屋根の傾斜が緩いチロル風になっていた。 イン川が列車の右や左に見える頃になると、空は青く澄み切り、灰色の荒々しい峰々が更に真近に迫ってきた。 列車はインスブルックに到着し下車。駅は工事中で構内は雑然としていた。駅前からタクシーで旧市街にあるホテルまで行く。 旧市街はトロリーバス、路面電車が往来し、人通りも多くとても賑やかだった。15分ほどでイン川に近く旧市街の真ん中にあるホテル、ゴールデナー・アドラーに着いた。 このホテルは600年の歴史を持ち、ゲーテ、モーツアルトなど歴史上の著名な人物が数多く宿泊した名門ホテルで、黄金の屋根、王宮などには数分で行ける好位置にある。 インスブルックは「イン川に架かる橋」と云う意味で、ヨーロッパで重要な交通路にある。ドイツとオーストリアの国境にあり、アルプスを越えればイタリア、スイス、フランスである。 この街は600年の歴史があり、ハプスブルク家の皇帝マキシミリアン1世とマリア・テレジアに愛され、王宮が建設され発展した。また、ここは冬季オリンピック開催地としても有名。 ホテルに荷物を置いて旧市街にでた。予定した主な観光名所は全て徒歩で行ける。マキシミリアン皇帝が広場で行われる催事を見学する為 に1494年に造った黄金の小屋、地上33メートルの火の見櫓に上り、市内を眺め、マリアテレジア通りを散策した。 期待していた王宮は見るべき展示品が少なく、唯一、エリザベート妃の等身大肖像画が印象的であった。 ただ、どうも本物ではなくコピーのような感じがした。黄金の小屋の前で日本人の新婚さんに会った。お姉さんと弟のように見えた。彼らとはホーエンシュバンガウのホテルで再会した。 観光客はこの黄金の小屋の前で写真を撮っている。日本のツアーグループは一組だけ見かけた。 チターの演奏を聴きながら夕食をホテルでと予定していたが、最近中止したとのこと。 残念であったが、歴史あるダイニングルームでお勧めのチロリアン・ローストビーフ(英国のローストビーフと違いステーキの様)、白ワインを味わい、親切なウエイターのサービスでBGM無しの静かな夕食を楽しんだ。 |
第5日 ■10月26日(火):オーバーアマガウ |
10時35分 :インスブリュック発(RB5408 #22) |
今朝は密雲不雨。インスブルックからムルナウまでローカル線(ミッテンバルド線)でのんびり南ドイツ・アルペン街道を行きドイツに戻る。ムルナウで乗り換えオーバアマガウまで各駅停車の列車で旅をする。 ホテルで頼んだタクシー.の運転手さんは女性で美人。重い荷物を積み込むのは男の仕事とばかり、自ら積み込む。我々の列車はローカル線であるのでインスブルック駅の外れに隠れるように停車していた。 この列車は一等車が連結され、座席はコンパートメントだった。駅では曇り空で、周囲の山々が見えなかったが、出発して間もなく雲に切れ間が出来、周囲の山並みが覆い被さる様に迫ってきた。 列車はカラマツ林の中を進み、トンネルをぬけ、橋を渡るうちに、列車はかなり高度を上げ、車窓から見える民家ははるか下の方に小さく見えるようになった。 やがて列車は少しずつ下り始め、ドイツ領内に入りミッテンバルドに着く。風景はのどかな牧草地帯になり、やがてムルナウに到着。 この頃から天候が悪くなり雨になった。ムルナウで2両連結で一両目の半分が一等車になっているオーバーアマガウ行きのローカル列車に乗り換える。新型車であろうかシンプルで綺麗だ。 運転室のドアは開けっ放しで、林間地帯に真っ直ぐ敷かれた線路を列車は40分ほど走り、終点のオーバーアマガウに到着。駅には人影が全くなし。 駅からホテルまでタクシーをと予定していたが、タクシーがいない。タクシー乗り場には電話で呼び出しと表示してあったが、公衆電話がない。近くのコーヒーショップのようなレストランがあったので、ここで電話を借りようと、中に入ってみたが誰も居ない。大きな声でハローと叫んでみたが全く応答なし。のんびりしたものだ。 我々は携帯電話を持っていないのでお手上げ。しばらく駅でボケーッとタクシーを待っていたが来る気配なし。仕方が無く、小雨の中をスーツケースをゴロゴロ引いてホテルまで行く。市内見学をしている他の観光客は我々の姿を見てびっくりしている様だ。 やっとホテルに着いた。ホテルは壁画が描かれた民家が立ち並ぶ街の中心部にあり、あちこち見学して歩くのには便利な場所にある。 ホテルのフロントはアルバイトだろうか2人の若い女性であった。我々が入っていってもお互いにおしゃべりをしている。出された宿泊カードに記入して渡すとカミサンの生年月日から年齢まで記入するように要求する。 今まで小生のみの記帳でOKだった。荷物を引き、歩いてヤット辿りついたのにウエルカム・メッセージ一つ無く、仲間とおしゃべりで態度が大柄だったので、ちょっと意地悪をした。 「カミサンの生年月日、年齢は秘密、記帳したくない」と云ったら、「奥さんの生年月日が判らないのですか?」とやり返してきた。「そうじゃない。秘密」。「では適当な日付けを入れてください」との事。いい加減だ。その程度なら記帳を要求しなければ良いのにと思った。 人口わずか5千人のこの小さな町にシーズン中は多くの人々が訪れる。そして、キリストの受難劇が有名で、1633年から10年に一度上演されている。 中世時代に2度にわたるペストが大流行した。治療法がわからず「神の祟り」と思われていた。人々は受難劇を演ずることで神の許しを得ようと考え今日に至っている。町のどの民家の軒下にも十字架が架けられ、家の壁面には様々な宗教的フレスコ画が描かれている。 家々に描かれたフレスコ画を見ながら、村外れのエッタール通りにある民家を訪ねた。ここには「赤頭巾」、「ヘンデルとグレーテル」「七匹の子山羊」など童話をモチーフにしたフレスコ画が描かれていた。 明日はここからローカルバスでホーエンシュバンガウまで行く。バスの本数が少ないので、乗り過ごさないように、バス乗り場を確認しておく。 ホテルの受付番をしている若い女性に聞いたが怪しげだったのでインフォメーション・センターで確認すべく場所を地図で見たが、方角が判らない。民家から出てきた中年の夫婦に道順を尋ねた。綺麗な英国英語で丁寧に教えてくれた。インフォメーション・センターでバス停の確認をした。間違いが無かった。 バス停に貼られた時刻表を見ると確かにホーエンシュバンガウに行く。安心した。そこにバスが来た。観光バスのようで立派だ。ぼろぼろの古いローカルバスをイメージしていたが違っていた。 でもバスは我々が考えていた方向と反対側から来た。そうだ!ドイツは右側通行だ!初めて右側通行を実感する。 夕食をとる場所を探したが、シーズンオフで何処のレストランも閉まっている。駅に近いウルフ(狼)という名のホテルのレストランで夕食をとった。値段の割には余り美味しくなかった。でもアフタヌーンティーとして昼に入ったケーキ屋さんのケーキは大きく、甘みを抑えた上品な味で美味しかった。 旅の疲れが出てきた。シャワーを浴び、早々にベッドのもぐりこむ。 |
第6日■10月27日(水):ホーエンシュバンガウ |
10時38分 :オーバーアマルガウ発(Bus
9606) |
他の宿泊客がまだ寝ているのであろうか誰も居ないホテルの食堂でビュッフェスタイルの朝食を済ませ、昨日確認しておいたバス停に急ぐ。昨夜降った雨は上がり、低く垂れ込めた雲は山々の尾根に沿って上へ上へと上昇し始めた。天候は回復するだろう。 昨日、これが我々の乗るバスの停留所かと、とても信用できなかった素朴なバス停で待っているとやがてバスが来た。ほぼ定刻。荷物をバスに積み込み料金を払ってバスは出発。 乗客は地元の人たちであろうか我々を興味深げに見ている。旅行客は我々のみの様だ。 このバスはガルミッシューパルテンキルヒェンからオーバーアマガウなどを経由してホーエンシュバンガウからフュッセンまで約2時間強で結ぶローカルバス。この情報はドイツバーンのホームページで検索した。トーマスクックの時刻表には記載されていない。 バスは小さな村々を小刻みに立ち寄り、乗客が入れ替わる。地元の人たちの生活路線バスだ。観光地と全く縁のない村々の民家は手入れが行き届き気持ちが良い。やがてバスはシュタインガーデンにあるヴィーズ教会を通りシュバンガウの村に入る。 この頃になると、左手前方の山の中腹に写真で良く見る城が見え出した。ノイシュバンシュタイン城だ。目的地のホーエンシュバンガウの村は近い。やがて急に大勢の人たちが往来するホーエンシュバンガウに到着し、ここで我々はバスを降りた。 さて、どちらに向かって進めばよいのだろうか、方角が判らない。同じような建物が多く、我々のホテルが何処にあるのか。「多分あそこだろう」とガラガラ荷物を引いて行って見るとそこは学校。 構内にタクシーが止まっていたので、ドライバーにホテルの場所を尋ねた。ドライバーは青年で「休暇でここに来ているので、この辺は不案内」という。でも「料金は要らないから乗りなさい。インフォメーション・センターで場所を聞き、ホテルまで行ってあげる」という。 あまりの親切さに多少警戒したが、親切そうな青年であったので、タクシーに乗せてもらった。 彼はインフォメーションセンターで場所を調べ、我々のホテル、リスルまで送ってくれた。親切のお礼として5ユーロを差し出すと最初は遠慮していたが、受け取ってくれた。気持ちの良い青年であった。 ホテル・リスルはイメージと全く反対の方角で、バス停からかなり坂道を登らなければならないことが判った。タクシーに乗せてもらってよかった。 ホテル・リスル付近は土産物店やホテルが立ち並び大勢の観光客が散策していた。ここに2泊と、ホテルの特別企画参加を予約しておいた。 この企画は「ホーエンシュバンガウ、ノイシュバンシュタイン両城を他の団体客とは別にプライベートガイド付きで見学し、夕食はフルコースの特別ディナー付き」である。 ホテルでチェックインし、部屋に案内される。「特別良い部屋を用意しました」とホテルマンが云うとおり、2部屋続きの角部屋で、正面にはホーエンシュバンガウ城、右の窓からノイシュバンシュタイン城が見えるすばらしい部屋だった。 ホテルの受付で、両城の見学は何時にしますかと尋ねられた。こちらの希望時間で見学が出来ると言う。ホーエンシュバンガウ城は今日の2時、ノイシュバンシュタイン城は明日の午前中と希望すると即「OK!」驚いた。多くの観光客は村のチケット売り場で見学の希望時間を申し込んでもなかなか叶わないと聞いていた。 我々はホテルで見学のチケットを貰い時間に合わせ、ぶらぶらとホーエンシュバンガウ城に行く。時間になったのでゲートをくぐり中に入る。 多くの団体客が一緒になって入城しているのに、われわれの時間には我々二人だけが入城した。 可愛い金髪の美女が城の入り口でニコニコと我々を迎かい入れ、これから見学のガイドをしてくれると言う。これがプライベートガイドか。 我々は英語のガイドと日本語のオーディオガイドのチャンポンでガイド嬢と色々な雑談をしながら、時間を掛けて城内をゆっくりそして、楽しく見学が出来た。 夕食まで時間があるので村の中をあちこち見て周り、ウインドウショッピングを楽しんだ。 夕刻になるとたくさんの観光バスが客を乗せ山を下ってゆく。何時しか、駐車場はガラーンとして人影は疎らになり、村は急に静かになった。 あちこちのホテルの窓に明かりが灯り、屋根の煙突から煙が立ち昇る。両城はライトアップされ、夜霧に映えてとても幻想的であった。昼間、馬車を引いて大活躍した馬も背中に布か掛けられ、今日の仕事を終了し、馬小屋に引き上げていった。 |