第9日 ■10月30日(土)ローテンブルグ |
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10時45分 :ディンケルスビュール(ヨーロッパバス) |
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昨日歴史博物館に夕刻行ったら閉館まで30分しかないが良いかと聞かれ、落ち着かないので、見学を止め、今朝一番で再度博物館を訪ねた。展示品は古く、埃をかぶっていたが、受付けの男も陰気で、博物館の展示品みたいだった。 今日は広場近くの建物で催物があり沢山の人が集まっている。ブラスバンド隊の演奏や屋台などとても賑やか。催物の展示会場に入ると色々な川魚がいけすで沢山泳いでいた。 バス停に行きヨーロッパバスを待つ。これから次の目的地、ローテンブルグに行く。バスに乗る。バスには既に何人かが乗っていた。 ディンケルスビュールで乗った太った男がいた。バスのドライバーと親しげに話し、バスが停車する先々の村や町の人と挨拶をしていた。バスが走行中ドライバーとずーっと大声で話し、一番前の通路の床に客に配るパンフレットを敷き、座りこんだ。 「Bitte, setzen Sie sich ?」(ここに座りませんか?)と最前列にいた我々が席を譲ると、「Danke Shoen」(ありがとう)と云って、また通路に座り、ドライバーと話し続けていた。 フランケンの王宮があり、帝国自由都市であったフォイヒトヴァンゲン、ドナウとライン川のヨーロッパの分水嶺にあるシリングスフェルストの町を過ぎると間もなくローテンブルグの駅前に着いた。 駅は旧市街からかなり離れたところにあり、旧市内に行くにはタクシーで行かねばならない。 バスを降りて、さてタクシーはと探したが何処にも居ない。タクシー乗り場もない。バスのドライバー曰く、「数台のタクシーが旧市街との間を往復しているのでここで待っていて、そのタクシーを拾う方法が良い」とのことで待つ。 ローテンブルグ駅構内はガラーンとして寂しく、駅前に喫茶店が一軒、駅正面にはスーパーマーケット、ホテルがあるが道を歩いている人は殆ど無く、皆、車で移動している。寒風にさらされながらしばしタクシーを待つ。先ほど他の客を送っていったタクシーが戻ってきた。 我々は「旧市内まで...」と言いかけるとタクシーのドライバー曰く「先にあの女性を乗せてから、あなた達はその次」と云って女性達を乗せて旧市街に消えていった。 更に持つこと20分ほどだろうか、ようやくタクシーが戻り、我々の荷物を載せた。タクシーはベンツのワゴンタイプ。 駅からしばらく走り、城壁にある門をくぐると急に道路幅が狭くなり、路面は石畳になる。沢山の観光客がいる。 タクシーはマルクト広場横にあるホテルアイゼンフートに到着。ホテルの外観は他の建物とそれほど変りが無く質素。入り口に鉄の甲(アイゼンフート)が無ければ見過ごしそうだ。 しかし、入り口から一旦中に入るとフロントロビー、レストランなどの内装がすばらしい。 ローテンブルグは中世の城壁が見事に残り、千年近い歴史があり、中世ドイツの城塞都市の代表的存在。25の塔や城壁が完全な姿で残り、第二次大戦でも破壊から免れた世界遺産の町。 城壁に囲まれた町並みは中世であり、石畳の路地、切妻屋根の館、どっしりとした木骨組みの民家。城壁に作られた見張り台。牢獄や拷問部屋のある中世犯罪博物館は皆貴重な財産だ。 中世ドイツでは支配者から「都市」として認められなければ城壁を作ることは出来なかった。 城壁で町を囲むのは住民が「自ら治める」と言う自治権を持つことであった。莫大な金を支配者に支払って1172年に自治権を買った。直ちに城壁を築く。 その後町は大きくなり、3度目の拡張許可は神聖ローマ帝国皇帝から買い、皇帝直属の「帝国自由都市」になった。諸侯や教会も手出しが出来ず、自治権は他の都市に比べはるかに強大であった。 この町は市長のマイスタートウールンクの一気飲みで破壊と略奪から救われたと言うエピソードがある。 マルクト広場に面した「宴会の館」の切妻の部分にある仕掛け時計から定刻になると両側の窓から市長ヌッシュと将軍テリーの二人が登場する。 1631年、30年戦争で皇帝軍を率いた将軍の無理難題を受け、市長ヌッシュは3.5リッターのワインを一気に飲み干し皇帝軍の攻撃から町を救ったとされて、市長ヌッシュが飲み干したワインを入れた大きなワイングラスは郷土博物館に展示されている。 我々は今日半日と明日ヨーロッパバスに乗る3時までの時間を使い、ゆっくり散策することにした。さすが世界的に有名な町だけに色々な国の人々が観光に来ている。日本やヨーロッパのツアークループが列を成して歩いていた。 城壁を歩いてみる。全部を歩くことは無理なようだ。2.5キロメートルある。半分ほど歩いた。 城壁の所々に修復の後があり、修復費を寄贈した人や団体名が記されていた。日本人や日本企業名が多く見られた。 聖ゲオルグの泉にある竜を退治する聖ゲオルグ像を見学したり、ゴシック様式の市庁舎にある高さ60メートルの塔に上り市内を一望した。 ただ、ここで注意したい事がある。それは塔の最上階の見晴らし台へは梯子を登らなければ行けない。垂直に近く、文字通り、「よじの登る」の状態で梯子を登る。勇気が無ければとてもスカートでは無理だ。 1400年代に建てられたゴシック様式の聖ヤコブ教会にある 「皆の中で誰かが私を欺くであろう」の言葉に驚く使徒たちを表現したリーメンシュナイダーの聖血の祭壇を鑑賞したり、「マイスタートウールンク」で一気飲みしたワインジョッキを見る為に郷土博物館を訪れた。 ローテンブルグの観光目玉の一つに犯罪博物館がある。何時の世も「悪者の種は尽きまじ」のごとく、当時も種々の戒めの器具がユーモアーたっぷりに作られていて面白いのが多い。勿論、目をそむけたくなるような残酷な拷問の器具も多かった。 夕食はホテルのレストランでとる。少しドレスアップして、予約しておいたテーブルに付く。テーブルにはホテルの紋章が入った絵皿に我々の名前が記入されていた。心憎い演出だ。この皿を15ユーロ支払い記念に持ち帰った。 今日はアヒルと鹿肉の料理が中心のフルコースを注文した。フランケンワインがこの料理に良く合う。二人で1リッターも飲んでしまった。 酔い覚ましに外に出てみた。昼間の賑わいは無く、マルクト広場はひっそりとし、ライトアップされた市庁舎は中世そのものの雰囲気であった。 今日もローテンブルグを散策し、すばらしいホテルライフを持つ事が出来た。 サマータイムは今日で終了。明日から1時間遅らせる。CNNテレビはイラクで日本人青年が拘束され、殺害されたニュースを大きく扱っていた。 |
第10日 ■ 10月31日(日):ヴェルツブルグ |
15時30分:ローテンブルグ発 |
天候は晴れ早朝のマルクト広場は靄の中にあり、日曜の為か一際静かで、道行く人は疎らであった。 ホテルでビュッフェスタイルの朝食を取り、城壁の外に出てドッペル橋に行き、 城外よりローテンブルグを眺めることにする。タウバー川に架かる石橋でここから見る町は美しいとガイドブックに書いてあったので来てみた。しかし、残念ながら濃い霧のため何も見えない。 ドッペル橋で、お父さんを先頭に子供達、最後にお母さんが一列になってサイクリングを楽しんでいる親子連れの一家に出会った。まるでカルガモの一家ようだった。 城内に戻る頃は霧がはれ、今日も暖かい日差しになり絶好の行楽日和だ。ブルグ門辺りを散策した。日曜で天気が良い為か多くの人が思い思いの散策を楽しんでいる。 昨日、今日とローテンブルグの散策を充分楽しんだ。ホテルに戻り、頼んだタクシーでローテンブルグの駅に戻り、15時30分ヨーロッパバスに乗り、これからヴェルツブルグに向かう。 バスはクレクリンゲンのヘルコット教会前に到着した4時40分頃はもう辺りが薄暗く、寒くなってきた。10分程のトイレ休憩もそこそこにバスに戻る。ヴィッカースハイム、タウバービショップハイムの町を過ぎ、すっかり暗くなった6時30分にヴェルツブルグの駅前に着いた。 この駅は大きい。駅前ではタクシーが沢山客待していた。タクシーに乗り今夜の宿、ツール・シュタット・マインツに行く。道路沿いのとある建物の前でタクシーが止まり、ここがツール・シュタット・マインツだと言う。建物の窓は真っ暗でしかも入り口のドアーは閉まっている。 ドアーのベルを鳴らす。すると初老の太った女性が出てきた。今日、明日は万聖節でレストランは休みだが、ホテルは営業していると言う。 ここはレストラン主体のホテルで、女性3人で切り盛りしている。女主人はコックの腕が確かで、日本の大津にドイツ料理の指南に出向き、各地で料理を教えている。 そんなことから彼女の料理を食べようとこのホテルを選んだと告げると申し訳なさそうに次回は是非と言われた。 レストランは休みでも我々の為に明日の朝食は用意するとのこと。ともあれ、エレベーターが無いので、階段をフーフー云いながら荷物を担ぎ上げ、部屋に入った。部屋は広い。夜間の出入りはご自由にと宿の入り口の鍵を渡された。 ホテルで夕食が取れないので街中に出てみた。しかし、何処も閉まっていて、町全体がひっそり静まり返っていた。食事を取る場所がない。中国・タイ料理店が開いていた。何人かの客が入っているので大丈夫だろうと入った。 今日まで毎日、脂っこい肉料理ばかりだったので、そろそろラーメンのような麺類が恋しくなってきた頃で良いタイミングであった。 ウエイトレスは小柄なタイ美人でとてもやさしかった。中華ワンタン麺風スープと海鮮入り焼ソバを取った。思ったより安く、美味しかった。胃袋も懐かしい味で満足しているようだった。 |
第12日■ 11月02日(火):ハイデルベルグ |
ホテルで朝食をし、清算後頼んでおいたタクシーに乗ってハーツの事務所に行く。ここでレンタカーを借りて古城街道を走りハイデルベルグまで行く。 正直、レンタカーで古城街道を走るのは気が重かった。理由は左ハンドル、右側通行、ヴェルツブルグの複雑な道路網、ハイデルベルグでのレンタカーの返却場所の不案内などであった。でも日中に古城街道を走るにはこの方法しかなかった。 ハーツの事務所で1200ccのルノーオートマティック車を借りた。まだ新車に近かった。駐車場からいよいよ出発。道路に出て左折。ウインカーを出したらワイパーが動いた。頭で解っていても、つい手が動いてしまう。そうこうしているうちに、左から車が来た。「危ない!」カミさんが叫ぶ。ハーツの従業員は「大丈夫かな〜」と言いたげな心配顔で見送っていた。 慣れない車で直ぐに休み明けの朝の混雑した3車線道路をのろのろ超安全運転で進み、立体交差で左折するウルトラCの難しい箇所を無事に通過し、古城街道に通じる19号線に入った。 「良かった〜!」思わず口から出た。疲れた。今回の旅行でこれほど神経を使ったことは無かった。日本人にとって、左ハンドル、右側通行の運転は相当な負担になる。 当初の計画では先日、ヨーロッパバスで夕刻に暗くなってから殆ど通過状態で通り抜けたタウバービショップの村に寄り、古城街道のあちこちの村や城に寄ってからハイデルベルグに行くつもりでいた。 しかし、小雨交じりの天候でしかも、ヴェルツブルグを脱出するまでにエネルギーと神経を使い果たしたので計画を短縮し、タウバービショップハイムから27号線に入りモスバッハに直行することにした。27号線はのどかな田園風景の中にある。一本道で走りやすい。このような道路ばかりであれば、車の運転も快適なのだが。 モスバッハを過ぎ、ネッカー川沿いに道路を進む。ここはもう古城街道だ。川と道路を挟むように両側に山が迫る。時折山の中腹に古城が点在している。 ツウインゲンベルグでドライブイン風のレストランがあったのでここでトイレ休憩。店内はこざっぱりとして、ドイツの民家風。地元の人であろうか老いた婦人が数人食事をし、ビジネスマン風で背広にネクタイの若者が新聞を片手に食事をしている。 そして、金髪を長く伸ばし無造作に後ろで束ねた青い目の綺麗な女性が店を切り盛りしていた。薄日が店内に差込み、居眠りが出そうな、なんとものどかな店内の雰囲気であった。我々はコーヒーを飲んで元気になり、出発。 エーベルバッハを過ぎ、ヒルシュホルンに入る。このまま走ったのでは何処の古城にも寄らない古城街道のドライブになる。 古城街道を離れ、ヒルシュホルンの町に入る道を行くと、ヒルシュホルン城に通じる山道がある。山道をしばらく登ると、外壁が一部崩れた文字通り古城のヒルシュホルン城に着いた。 城内の建物の一部はホテルとして営業している様で、ホテルのテラスからネッカー川がはるか下のほうに見える。
車を返却するハーツの事務所は新市街のホテル・クラウン内にある。ホテルは旧市街に入る手前の三叉路を左折し、トンネルをくぐり、新市街に入り駅に近い、繁華街の真ん中にあるはず。 「三叉路」に気を付けて左折。しかし、トンネルがない。戻る。入り直す。また、間違う。そのまま進むと、新市街に出てしまい、大混雑の市内をウロウロ。あちこちで人に尋ねながら、やっと、ホテルの近くまで来た。教えてもらった通りに行くが、ホテルが見付からない。行きすぎた様だ。 Uターンしようと右折し、広い道路に入る。ドイツに駐留する米軍のキャンプに入ってしまった。門兵に訳を話し、ホテル・クラウンへの道順を聞いた。彼は「オレはアメリカ人で地元の人間じゃないからわからない。ちょっと待て、聞いてくる」親切だ。教えられたとおり行くとホテルに着いた。やれやれ。 早く車から開放されようと途中をスキップして来たのにハイデルベルグの市内を無意味にウロウロし、大変なドライブをしてしまった。でも車はなれたがここで返却する。ここからホテルまでタクシーで行く。 ホテルは旧市街にあり、ドイツ鉄道ご推薦で個人経営のミニホテル、アンラーゲ。こじんまりした綺麗なホテルだ。チェックインをすませ、旧市街に出てみる。中心部まで歩いて直ぐの好位置だ。やや薄暗くなってきたが、沢山の人出。しかも若い人が多い。ハイデルベルグ大学のある学園都市の所以である。 ただ残念なことに、道路にはゴミが散乱し、民家の壁面にはスプレーで描いた落書きが目立ち、若い人の服装はヒッピーだか、学生だか判別できないような汚い服装であった。ハイデルベルグで道を迷った事もあり、この町の第一印象はすこぶる悪い。何故こんな汚い、ごみごみした町に大勢の観光客が訪れるのだろうかと不思議に思った。 ホテルにレストランが無いので夕食を町でとるため、市庁舎近くのレストランに入った。若者が利用する様な雰囲気の店で、ロックバンドがBGMで流れたら似合うだろう。木で作られた長いすに腰掛け、鼻にピアスをした女性に料理を注文した。 一品の料理の量が多そうなので2品とビールを頼んだ。「それだけ?」と来た。「文句があるか。だからどうなんだ!」と言いたくなったが、こらえた。この町の印象が更に悪化した。 コンビニのような小さな雑貨店でミネラルウオーターと果物を買った。袋は?有料!日本のように袋は無料ではない。有料。忘れていた。 ホテルの部屋に戻り、ホットした。ドット疲れが出た。 |