その異変に気がついたのは、ジェットでした。 「おい、花が」 ジェットは、ジョーの肩を掴んで、ぐいと引きました。 「え?」 「『太陽の花』が咲いてる」 黄味を帯びた、白い花びらが、静かに開こうとしていました。少しずつ頭をもたげ、 恥ずかしげに花びらを広げて、『太陽の花』は今、その芳しい香りと共に、花開きま した。そして、一瞬目映い光の柱がその花を包み込み、花は、ひとりの可憐な少女へ と姿を変えました。 ジョーは、この光景を、言葉もなく見つめていました。何処か懐かしい感じのする 少女が、彼に歩み寄り、優しげな微笑みを浮かべながら彼にキスをした時も、ただ じっと少女を見つめているだけでした。 少女は、頬を赤らめながら、言いました。 「ジョー、私達、やっと会えたわね」 ジョーは、少女の声を聞いて、体が電撃を受けたように痺れました。そして、懐か しい名前を一つ、思い出したのです。 「君は……フランソワーズ?」 少女は、コクンと頷きました。 「そうよ。『闇の夜』がきて、私が眠りについてから、貴方は何処かへ消えてしまっ た。ずっと待ってたのよ、貴方が来てくれるのを」 そう告げると、少女は、ジョーの胸へ顔を埋めました。ジョーは、少女の暖かさと その重みを受け止めて、軽い目眩を覚えるのでした。それは、微かな胸の痛みを思い 起こさせ、やがて身体中に広がる震えとなって、ジョーの記憶を揺さぶりました。闇 に捕らわれる記憶、身が凍える感覚、そして何より、愛しい想いを忘れてしまう恐怖。 思い出して、身体がくずおれそうになるのを、少女に支えられて気がつきました。 「ジョー、しっかりして」 「おい、大丈夫か」 ジェットに腕を引っ張り上げられて、ジョーは、やっと我に返りました。 ここは、花園。目の前にはフランソワーズとジェットがいる。今日は『光の朝』、 太陽と月が同時に空に上がる日。そして、自分は『闇の夜』の内に捕らわれてしまい、 今まで務めを忘れて。 その時、ジョーは、自分を闇に閉じ込めた、恐ろしい記憶と同じ声を聞きました。 「おのれ、この闇の王に逆らうとは」 振り向くと、丘の上に、黒い影が立っていました。 「スカール!」 ジョーは、その名を口にしました。今度は、はっきりと、記憶と怒りとを以て。 「フン。目を覚ますとは、計算外だが、翼をもがれたお前に、できることはないわ。 しかし、どうやって目覚めたのだ。光の入らぬ密室に閉じ込めておいたものを」 スカールは、ジョーを指さして言いました。 ジョーは、記憶を辿ってみました。目を覚ました時、確かに暗い部屋にいました。 しかし、隣の部屋には小さな蝋燭が灯り、部屋の中を照らしていました。スカールが ジョーをあの部屋に閉じ込めたというのであれば、蝋燭を灯す筈がありません。一体 誰が、あの蝋燭を点けたのでしょうか。 「あ、もしかして」 蜜蜂のピュンマが声を上げました。 「ジョー、あなたは、あの部屋の奥に、とじこめられていたんですね。わたしは、魔 法使いに蝋燭をもらって、花の種をさがしにいったんです。それで、種がみつかった ら、蝋燭はその場においてくるようにっていわれていて、そのとおりにしたんです」 ジョーは、思い出しました。目が覚めた時、確かに、蜜蜂の羽音を聞いています。 「おのれえ、あの老いぼれ魔法使いめ。余計なことを」 スカールはその場で地団駄を踏みました。それから、フランソワーズへと視線を移 しました。 「大地の子も目覚めたか。ならば、風の子ともども完全に消し去ってくれるわ」 その言葉は、フランソワーズの身を震えあがらせました。 スカールが、マントを払い、右手を上げました。この時、空の上から声が降ってき て、スカールは、慌てて空に顔を向けました。 「すかーる、モウ止メナヨ」 「その位にしておいた方がいいぞ。風の子を怒らせるな」 ジョーとジェットも空を見ました。空には、太陽が燦々と輝き、月が青白い光を投 げかけていました。 「お前らは、黙っていろ。どうせ、地上には下りてこれんのだからな」 スカールは、空に向かって、悪態をつきました。 「止メナッテ、イウノニ」 「悪戯がすぎるぞ」 それを見ていたジェットが、驚いて言いました。 「今の声は」 「太陽のイワンと、月のアルベルトだよ。『光の朝』にだけお互いの光を浴びて、話 ができるんだ」 ジョーが説明してやりました。 「ジョー、お前は?」 ジェットは、驚きの表情を隠せないまま、ジョーを見ました。ジョーは、少し悲し げに笑って、首を振りました。そして、スカールの方へ厳しい顔を向けると、スウと その姿を消してしまいました。激しい風音がジェットの耳に響き、次にジェットが ジョーの姿を見たのは、スカールが轟音に吹き飛ばされて丘の向こうに隠れてしまっ た後でした。ジョーは、丘の上に、こちらに背を向けて立っていました。 「ジョー!」 ジェットは、ジョーへ向かって走り出しました。それに気がついたジョーが、振り 向いて叫びました。 「ジェット、来ちゃだめだ」 ジェットは、ジョーの後ろから、黒い大きな影が立ち上がるのを見ました。それが、 振り向くように動いたかと思うと、ジョーの身体は突き飛ばされて、丘の斜面を転が り落ちました。 「ジョー!」 ジェットは、大声で名を呼びました。ジョーの側へ駆けつけた時、ジョーは、顔を 歪めながらも身体を起こして、ジェットを見ました。 「離れて、ジェット。危ない」 「お前を放っておけるかよ」 「人間と一緒に、闇となれ」 スカールの声が、聞こえました。ジェットは、ジョーを抱えて、その場を逃れよう としました。しかし、逆にジョーに腕を掴まれて、気がつくと、宙に高く跳んでいま した。地上には、一所、黒く焦げたような丸い跡がありました。そこを避けて、 ジョーが着地すると、ジェットは尻餅をついて坐り込んでしまいました。ジェットは、 ジョーの顔を見て、もう一度問いかけました。 「ジョー、お前は」 「僕は、風。天と地を繋ぐ者。あいつを空に戻せるのは、僕だけなのに、スカールに 不覚を取ってしまった。そのせいで、君にも迷惑をかけてしまった。許してくれ」 「風って?空に戻すって?」 「スカールは、闇の精。本来は、太陽や月と同じく、空にあるべき者だ」 そう言うと、ジョーは、後ろを振り向きました。丘の向こう側に、今はその姿を巨 大に写したスカールが、立っています。 「我は、闇の王だ。地上にあって、ここに君臨する。誰が、空になぞ帰るものか」 「我が儘言ってないで、戻るんだ、スカール」 ジョーが大きな声で、スカールに語っても、スカールは、背を仰け反らして笑うば かりです。 「今のお前に、なーにができる?身体が闇に凍えておるだろう?自分の身体すら、満 足に風に乗せることもできまい」 「言葉を忘れたならば、また覚えればよい」 「誰だ?!」 スカールの言葉は、一人の人間の姿に邪魔をされました。白髪に鼻の大きなその老 人は、いつの間にか、スカールとジョーの間に立っていて、二人を交互に見ていまし た。 「言葉は、心を描き出し、力を発する。スカールよ、あるべき姿を忘れたお前は、既 に力を失っておる。お前の語る言葉に力はない」 「黙れ、老いぼれ魔法使い、ギルモア。よくも、蜜蜂なんぞに、余計な知恵をつけて くれたな」 「孫娘の泣き顔は、見たくなかったでな」 そして、魔法使いは、ジョーの方へ顔を向けました。 「さあ、呪文を唱えよ。闇をあるべき場所へ送るのだ」 「呪文……なんて?」 ジョーは、狼狽しました。思い出せないのです。頭に浮かぶのは、暗い闇の記憶ば かり。震え出したジョーの肩を、ジェットが両手で掴んで揺すぶりました。 「落ち着け。お前ならできる。大丈夫だ」 「ジェット」 「わはははは、我の勝ちだ。全て、闇となれ」 スカールの声が、辺りを圧倒しました。彼がマントを広げると、空が曇りだし、月 と太陽を覆い隠しました。花園は、急に肌寒くなりました。 魔法使いは、両手を高く掲げて叫びました。 「ジョー、唱えるのだ、呪文を……『加速装置』と」 ジョーとジェットは、顔を見合せました。そして、同時にこう言ったのです。 「……かそく?」 「……そーち?」 急に二人の回りに突風が吹き荒れました。回りは真っ暗となり、ジョーとジェット は、足元を掬われたようにふらつき、お互いの頭をぶつけてしまいました。 童話 太陽の花(四) |