ウインドファーム 5
デンマーク王国 Kingdom of Denmark 立憲君主制。首都コペンハーゲン。 人口約537万人(2002年デンマーク統計年鑑より) 国土面積は、九州とほぼ同じ、約4.3 万平方キロメートル。 (除くフェロー諸島及びグリーンランド) 北ヨーロッパに位置し、ドイツと国境を接している。海を挟んで、 スウェーデンのお向かいさん。 EU加盟国。通貨はクローネ。2000年9月の国民投票の結果、ユー ロ未参加。
『友達を助けてください。風より』 「……こんな手紙のために、わざわざ日本から、コペンハーゲンま で来たのか」 ハインヒリが悪態をつく。 ジョーは、小さな紙切れをハインリヒから取り返した。 「いいじゃないか。もともと旅行の予定があったんだし。ピュンマ も洋上ウインドファームを見てみたいって言ってたし」 ジョーの言葉に、ピュンマが頷く。 「そうなんだ。デンマークは、風力発電の先進国だからね。いろい ろ勉強になると思うんだ」 ピュンマの言葉に、苦笑を隠せないハインリヒ。 「だったら、一人で来い。お子さま二人付きじゃあ、ガイド料金が 安すぎるぞ」 ゴメン、とピュンマが小さく謝ると、フランソワーズが口を尖ら せた。 「あら、宿泊費は全部こっち持ちなのよ。それで安いって文句をい うわけ?」 「言うね。こっちは貴重な休みを潰して付き合うんだ。ドイツから こっちまでの交通費も出してくれ」 「だったら、昨夜、ホテルのバーで飲んでたお酒代、返してちょう だい」 まあまあ、とジョーが笑顔を絶やさずに、二人を宥めようとして いた。 それを見ていたピュンマは、(無理じゃないかなあ)と独りごち る。何故なら、ここは、船の上だから。 船といっても大きな客船ではなく、小型モーターボートである。 ハインリヒの仕事のコネで、今夜一晩借りたのだ。そして、海上を 一直線に進んでいる。 ハインリヒは、はじめから、この作戦には乗り気ではなかったし、 フランソワーズは、深夜に出掛けるということをいやがった。しか し、人目につかないようにするためには、どうしても、月の出てい ない深夜でなければならないのだ。 モーター音に重なるように、何かが回る音が聞こえてきた。 目的地まで来たようだ。 目をこらせば、海の上に巨大な柱が幾本も立っている。その上に は、これまた巨大なプロペラが回っていた。発電用の風車である。 ジョー、ピュンマ、ハインリヒ、フランソワーズの四人がやって 来たのは、コペンハーゲンからそう遠くはない、海の上の風力発電 施設、洋上ウインドファームである。 ピュンマは、ボートを停止させた。波の音が、耳に戻ってきた。 「たくさん、あるわね」 フランソワーズがつぶやけば、 「世界でも、最大級の規模だって」 ジョーが応える。 ハインリヒは、黙ったまま腕を組んで、風車を見つめていた。 ピュンマが、フランソワーズを振り返りながら、口を開いた。 「今晩何かが起こる、ことを期待しているわけじゃないけど、どう だい、何か異常が見えるかい」 「一度に、全部のチェックは無理よ。端からいきましょう」 フランソワーズが、その視線を風車にしっかりと定めた。 「異常なら、もう起こっているだろう」 ハインリヒが言う。 「そうだね」 ジョーも相槌をうつ。 ピュンマは、やれやれと肩を落とした。 「いいじゃないか。ライトが消えていたって、頭上の風速計が壊れ ていたって、そんなもの、取り替えはすぐにできるだろう。問題は、 中身だよ。発電機は無事なのか、プロペラは壊されていないか」 うーん、とジョーが唸る。 こればかりは、フランソワーズの目と耳が頼りである。 少しでも彼女の能力の負担が軽くなるように、また、事が発覚し たとき迅速に対処できるように、深夜の行動を選んだ。 ふいにジョーが、フランソワーズの隣に立った。 フランソワーズが、小さいが、言葉尻のはっきりした声で、報告 する。 「支柱に、爆発物を発見。タイマーが付いてる。爆発物は、数本置 きに仕掛けられているわ」 「他には」 ジョーの声が、低く響く。 「小型艇が遠ざかっていく。あの船かしら」 「回りに、他の船はないね」 「ないわ」 「ピュンマ」 ジョーが、ピュンマを呼んだ。 「出番だよ。行こう」 「わかった」 言うなり、ピュンマは海へ飛び込んだ。 フランソワーズの悲鳴がしたようだが、気にしない。今夜は、 ピュンマも機嫌が悪いのだ。 何しろ、せっかく風力発電の勉強をしにデンマークへ来たという のに、その国では、奇妙な事件が起こっていたのだから。 ピュンマは、ジョーとフランソワーズに誘われて、かねてから計 画していたことを実行に移した。 それは、洋上ウインドファームの見学。 フランソワーズが、フランスへの旅行を希望しており、ジョーも 付き添ってヨーロッパに行くことになったので、ピュンマも同道し たのだった。 ドイツにいるハインリヒとも連絡をとり、コペンハーゲンで再会 する。 コペンハーゲンは、デンマーク王国の首都である。 デンマークは、自転車王国の異名をとるほど、環境問題へ配慮し た政策を行っている国だ。自動車よりも自転車の利用を推奨してお り、電車へも自転車の持ち込みができる。 そして、その政策は、早くから風力発電の推進に携わってきた。 発電用の風車は、デンマーク製のシェアが大きい。付け加えておく が、日本製の風車も、そこそこ評判はよい。 また、個人で風車を所有することも多く、畑に一本風車が立って いる、なんて光景も珍しいものではない。 ハインリヒと再会の折り、ドイツでも風力発電が盛んな事もあっ て、自然と風車の話題になり、事件のことを知ったのである。 それは、事故、と言った方が正しいかもしれない。 被害を受けたのは、個人、企業に関わらず、発電用の風車である。 ある時を境に、急にブレードの動きが悪くなり、調べてみると、 何らかの故障が認められた。修理をすれば、もちろん直る。だが、 一地域の風車に集中して故障が起これば、怪しむ者も出てくる。 「誰かの仕業では」 そんな噂が流れはじめると、途端に風車の故障事故がなくなった。 調べてみると、場所を変え時期をずらして、同じようなことがデ ンマーク中で起こっていた。 そして、見計らったように、風車製造の新規企業の台頭。 ジョーが地図を持ち出して、発生場所と日付をひとつひとつ地図 上に記入してみた。すると、内陸から、コペンハーゲンへと移動し ている。その先は、海しかない。 (冗談ではない)と、ピュンマは思った。 風車を見に来たのだ。壊れていては、意味がない。 一番、渋ったのは、ハインリヒだった。休暇中に、わざわざ事件 を探して首を突っ込むことはない、と主張した。 次に浮かない顔をしたのは、フランソワーズだ。睡眠不足は、体 に悪いと言う。 ジョーはと言うと、勝手にいついつ決行と日取りを決めている。 そんなジョーに役割分担を押しつけられると、ハインリヒは意外な ほど素直に従った。 そうなれば、フランソワーズやピュンマに、否やはない。 深夜、ハインリヒの調達したモーターボートに乗り込み、目的地 の洋上ウインドファームへ移動した。その途中、ジョーがデンマー クへやって来た理由を教えてくれた。 『友達を助けてください。風より』 見せられたのは、一枚の紙切れ。 この紙切れを頼りに、デンマークへ来たというのだ。 「海岸を散歩していたら、飛んできたんだ。面白そうだったから」 すました顔で話す、ジョーの隣で、フランソワーズが説明をして くれた。 「イワンが言ったのよ。デンマークだって。その後、すぐ寝ちゃっ たから、確認しようがなかったけれど。イワンが買った風車、一基 はデンマーク製のものをモデルに作られてるの。だからかしら」 「そんな、あやふやなことで、よくギルモア博士が許してくれた な」 ハインリヒが言えば、 「あら、ハインリヒもいるから大丈夫って言ったら、安心してくれ たわ」 フランソワーズも負けてはいない。 それに、とジョーも続けた。 「ピュンマもいるし」 笑顔で言われれば、悪い気など起こらない。 そして、四人の勘は当たった。 今夜、目の前の風車に、爆発物が仕掛けられた。放っておけるは ずもない。 ジョーとピュンマは、ボートから海へ飛び込むと、一番近い風車 の土台に泳ぎ着く。 果して、そこには、小型の爆弾が仕掛けてあった。 「土台を崩すには、小さすぎないか」 ジョーが言うと、ピュンマが教えてくれた。 「壊す必要はないと思うよ。ちょっとぐらつくだけで、回りの風車 にも被害が拡大する。数本置きに仕掛けたのは、全部壊す必要がな いからだろう」 「そうか、後で取り替えるのが、大変だもんなあ」 「どこの誰がやるにしろ、被害は、必要最小限がいいんだよ」 「でも、これじゃ、故障に見えないよ」 などど言っているうちに、分解してしまった。 また、海の中に飛び込み、次の支柱へ急ぐ。 分解している間に、フランソワーズとハインリヒが乗るモーター ボートが近づいてきた。ゴムボートが下ろされる。 そのゴムボートに、取り外した爆発物を放り込み、次々と作業を 進めていく。 洋上ウインドファームの風車をほぼ巡りおえても、まだ夜は明け ていなかった。 ピュンマが、最後の爆発物を分解しようと手を伸ばしたとき、フ ランソワーズが叫んだ。 「奴らが、戻ってきたわ」 言われて、耳をすますと、波間にエンジンの音が聞こえる。 「ピュンマ、早く」 ジョーに促されて、ピュンマは、爆発物に手をかけた。 それまで、ゆっくりとジョーたちの後をついてきたモーターボー トが、向きを変える。 「ジョー、ピュンマ。奴らは引き受ける。できるだけ風車から離れ ろ」 ハインリヒの声を号令にして、ボートが唸りをあげて進んでいっ た。 その先で、光が閃いている。 『素人の域を越えてるぜ』 ハインリヒからの脳波通信が届く。 ジョーは、爆発物を乗せたゴムボートを支えていた。ピュンマが 最後の作業を終えて、海に飛び込んできた。 「ジョー、このボートは、ボクが運ぶ。君は、あっちを」 「頼む」 ピュンマが言い終わるより先に、ジョーが水しぶきをあげて離れ ていった。 ピュンマは、ゴムボートを引いて泳ぎはじめる。 幾らも進まないうちに、気配を察した。 海が盛り上がる。 ピュンマとゴムボートは、波に突き上げられるように宙に浮かび、 また海の中に落ちた。ゴムボートは引っくり返り、中身が投げ出さ れる。 「しまった」 ピュンマが体勢を直して泳ぎだそうとしたとき、再び波が大きく うねった。 風の音がした。 見る間に海は渦を巻きはじめ、水の柱が空へと登っていく。竜巻 は、水と一緒に、ゴムボートや散らばった爆発物を巻き上げた。そ のまま滑るように波間を渡り、闇の中の小型艇へ向かった。 船の向きを変えようとしたのだろうか。小型艇の船体が大きく揺 れた。そのまま竜巻に飲み込まれて、見えなくなった。 嵐のような水しぶきがおさまったあと、海に浮かんでいたのは、 フランソワーズとハインリヒの乗ったモーターボート、そして、波 間に漂うジョーにピュンマだった。他に、船の破片らしきものが幾 つか、浮き沈みを繰り返していた。 翌日の夕方、岸壁の公園から、洋上ウインドファームの風車が小 さく見えた。 「あんなに急いで帰らなくてもよかったのに」 フランソワーズが拗ねたように言った。 「そうだよ。風車を見てからでも、十分間に合う時間だったよ」 ジョーも、遠く海を見ながら言った。 ピュンマは、相槌を打つべきかどうか、しばし悩む。 「でも、仕事の都合じゃ、仕方ないと思うよ」 当たり障りのない理由を述べて、ピュンマは思う。(ハインリヒ、 何故ボクを一緒に連れていってくれなかったんだ)と。 公園を散策するカップルに、お目付役は不要である。すでに、 ピュンマは風車に関しての欲しい情報を得てしまったのだから、こ こにいる必要はないのだ。 昨夜のことは、事件でも事故でもなんでもない。上空の気流の突 発的変化による自然災害だ。それでいいと言う輩がいるのだから、 わざわざ騒ぎたてることはない。 フランソワーズが、話している。 「いつか日本にも、あんなふうに風車が建つかしらね」 「洋上ウインドファームができるかってこと?」 ジョーは、どうかなと浮かない顔だ。 「日本近海は、すぐ深くなっているんだよ。支柱を建てるのが難し い。東京湾の橋のようにはいかないよ」 「それじゃあ、できないの」 「どうかなあ。海の上はビルのような障害物がないから、安定した 風力を得られるっていうけれど。漁業の事も考えないと」 ピュンマが口を挟んだ。 「支柱の傍は、よい漁場になるという研究も発表されている。一概 に、悪いとは言えない。要は、その必要性を容認できるか否かだ」 「難しいことなのね」 次にフランソワーズがうつむいて言った言葉は、小さくて聞き取 りづらかった。もし、彼女が風上に立っていなかったら、聞き逃し ていただろう。 「……同じね」 ジョーが、何が、と小さく尋ねる。 「自然の中で生きていくために、機械の体を動かし続けなければな らないなんて」 フランソワーズが何を見て言ったのか気づいて、ジョーはそっと 彼女の背に腕を回した。 「行こう」 フランソワーズは、顔を上げた。 「……えぇ」 三人は、歩き出した。 「これからの予定は」 ピュンマが尋ねた。 「パリへ行こうと思ってる。前々から、フランソワーズと約束して いたから」 ジョーが答えた。 海からの風は、少し肌寒かった。 その中を、彼らに向かって歩いてくる若者がいる。すれ違いざま、 小さく「ありがとう」と言ったようだった。 振り向いたときには、もう姿はなく、だたつむじ風が舞っていた。 ウインドファーム5 終
(C) 飛鳥 2003.12.1