ホームページ 隠された歴史 アメリカインディアン

アメリカをドライブしていますと、歴史的な場所として、「massacreの地」という看板をよく目にします。何もない大平原に突然と姿を現すこの看板はいったい何なんだろうというのが、初めの興味でした。しかし、よくよく説明をみると、この地でインディアンと白人との壮絶な戦いがあり、この地でインディアンの大虐殺が行われていたのだということを知りました。大自然の中で、動物と強制し、平和に暮らしていたインディアンの世界に、ヨーロッパの価値観を持った白人たちが入ってきたのです。そして、インディアンたちの文化をむりやく変えようとし、そして、自分たちの都合で彼らの住んでいた土地から追い出し、また、ときにより、殺戮をしてきたのです。アメリカの発展の歴史には、独立戦争や、南北戦争などのきろくは生々しく残っていますが、インディアンたちを征服していった記録はあまり知られていません。なぜでしょうか?そんな疑問がわいてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筆舌に尽くしがたい物語 涙の街道
アメリカ人とヨーロッパ人の移住者達―1900年までに、およそ100万人とも言われる―が、立ち退いた土地に溢れ、そして、大平原に囲いをつくり、表面の土地をひっくり返し、鉄道を敷設し、町をつくり、そして、数えたらきりがないほどの様々な方法で、そこにもともとずっと住んでいた古いインディアン達にも全く想像もつかないような形の大地に、様相を変えてしまった。 涙の道の結果として死亡した者の数については様々な推測がなされた。アメリカ人の医者で宣教師のエリザー・バトラーは、一つの隊と歩んだ者であるが、宿営地で2,000名道中で2,000名と見積もった。この合計4,000名という数字はよく引用される数字となっている。1973年の学者による人口統計調査では合計で2,000名が死んだとされた。1984年の別の調査では合計8,000名となった。