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          各部族ごとの歴史を要約し、PDF形式でまとめました。

  2005年から、約四年半、ネブラスカの地で生活をしてきました。その間に、この地に、現代アメリカの基礎が築かれた19世紀の大発展の裏に隠された歴史のあることを知りました。この地をLewis Clarkが大統領Jefferson の命を受けて、訪れたのは、1805年。その時、Jeffersonは、この地が発展するには、5世代、100年が必要であろうと考えていました。しかし、西洋人の西部開拓の勢いは、これを、僅か、3世代で成し遂げてしまいました。そこには、西洋人のあくなき利潤の追求と、ここを故郷と考えているインディアン達の立ち退きという厳しい現実がありました。この本は、その現実を

19記録したものです。西洋人にとっては、輝かしいフロンティアとして映るものも、インディアンからみれば、これは、まさしく、筆舌に尽くしがたい悲しい出来事としかいいようがないものです。あの広大な原野で、自由・奔放に生活をしていた人たちが、強制居住区に移住をさせられる姿は、まさしく、20世紀の捕虜収容所の姿ではないでしょうか。すでに、人口が700万人程度に減少してしまった、そして、アメリカナイズされた、インディアン達は、この現実を受け入れて、現代をたくましく生き抜いているのでしょうが、しかし、先祖代々の土地、生活習慣、そして、しきたりを維持していくことのできなくなった思いは、決して消えることはないでしょう。

 アメリカが、もともとインディアンの国であったという事実は、消し去ることは出来ないでしょう。また、多民族国家であり、様々な価値観の混在するアメリカにとっては、これは、国の発展の歴史のなかでは、小さな1つのエポックに過ぎないかも知れません。しかし、そこにアメリカの大地があるかぎり、かってここで、沢山のインディアン達が、厳しい自然とともに、平和に暮らしていたことは、何時までも古きよき時代として、人々の心のなかに行き続けていくものと思います。

この日本語訳が、すこしでも、アメリカインディアンのことを知る、そのきっかけになれば幸いとするところです。

                            鈴木 誠二

                             ( 訳者 あとがきより )

DABID J. WISHART   “An Unspeakable Sadness”

  はじめに

  1800年には、少なくとも14,000人のアメリカインディアンが、現在のネブラスカの東部半分の地域に住んでいた。この数字は、最小限に見積もっても、10,000人のポウニー族、2,000人のオマハ族、900人のポンカ族、そして、1,000人のオトエ―ミズーリ族の人たちを含んでいる数字である。こうした国、ないし、部族は、は30百万エーカー以上の土地を統治していたのである。それから百年の後のこれらの、もともとネブラスカに住んでいたインディアン達の数は、わずか、オマハ族が1,203人、ポンカ族は、229人の人たちが彼らの故郷に残り住んでいるに過ぎず、彼らの統合された所有地は、たったの200,000エーカー程度になってしまった。ポンカ族を含め、そのほかのインディアン達は、彼らの保護居留地から追い出されてしまい、インディアン地区(現在のオクラホマ)に移住していった。彼らが自分たちの土地を明け渡し、今のネブラスカとなったが、その代償として受け取ったのは、1エーカーあたり平均10セントであった。アメリカ人とヨーロッパ人の移住者達―1900年までに、およそ100万人とも言われる―が、立ち退いた土地に溢れ、そして、大平原に囲いをつくり、表面の土地をひっくり返し、鉄道を敷設し、町をつくり、そして、数えたらきりがないほどの様々な方法で、そこにもともとずっと住んでいた古いインディアン達にも全く想像もつかないような形の大地に、様相を変えてしまった。

  この本は、土地の没収のこの一世紀の物語を語るものである。その研究は、この土地で伝統的な方法や、急激に彼らを破壊のがけっぷちに追い込んだ外部の植民地的な圧力にから、未だ、比較的無傷な状態で残されている習慣によって生活しているネブラスカインディアンのこととともに、1800年代あたりのことから始まっている。そして、それは、最終的には、ネブラスカと、インディアン領地とネブラスカに―個人的な所有地として、― 割り当て割れたやせた土地で生活したインディアンの19世紀の二世代についての研究で終わっている。しかし、これは、破壊の終結ではなかった。何故なら、こうした割り当てられた土地の殆どがアメリカ人たちの手に取り上げられてしまったのだが、それが、土地、伝統、そして、人口の大規模な喪失が起きた、19世紀の終わりに起きたからだ。こうした国が忍耐を強いられ、そして、文化の変容に成功したということを強調するために、そして、部分的に、公正を、或いは、公正の欠如を、さらには、合衆国のインディアンの取り扱い実際を印象付ける方法として、権利の主張の裁判の結論を使うために、20世紀のあとがきが、付け加えられている。

 謝辞

  私は、沢山の団体、そして、沢山の人たちに、この本の発刊に対する彼らの手助けに対して、お礼を申し上げなければならない。人文学に対する国の基金からのかなりの額の助成金は、私の授業の労力を削減してくれたし、また、研究と執筆を大いにはかどらせてくれた。American Council of Learned Societiesや、the American Philosophical Society, the University of Nebraska Research Councilそしてthe Center For Great Plains Studiesなどからの助成金はわずかではあったが、これらもまた、様々な形で私の仕事を支えてくれた。私は、とりわけ、Jeanne Kay に対し、このプロジェクトを実行する最初の後押しをしてくれたことに非常に感謝している。また、Sharon valenciaには、彼女がとても素晴らしい原稿を上手に作り上げてくれたこと、そして、the Map Press of Lincoln, Nebraskaには、私の乱雑な手書きの地図を、綺麗な電気的なデータに仕上げてくれたことを感謝したい。John Ludwicksonは、初期の頃のインディアンの居住地域についての私の誤りを訂正してくれた;が、いずれにしろ、残された過ちがあるとすればそれは、私自身の責任である。The Nebraska State Historical Society の最前線で働く人たちもまた、私が感謝しなければならない人たちだ。直接的ではないにしろ、とても重要であるのは、私の研究室の歴史地理学を専攻している先輩達によって作られた沢山の事例であり、Dr. Leslie Hewes や Dr. C. Barron McIntoshそして、そのほか、私のこの過去10年間以上にわたるインディアン達の破壊についてのゼミのなかでの学生達の貢献などである。最後に、紛れもなく少なからず、私は、私の家族と、そして、この仕事のなかでのこの物語について、辛抱強く耳を傾けてくれた私の友人達、とりわけ、原稿を編集してくれた妻のSarah Disbrowに感謝の気持ちを捧げたい。

   

第一章 19世紀初頭のネブラスカインディアンの土地と生活習慣
  ルイスとクラーク以前
  伝統的な生活習慣
  先祖伝来の土地
  村の生活
  バイソンの狩猟
  インディアンの世界の周辺
  安定と不安定さ
第二章 調停の圧力                 1800〜1854
  毛皮の取引所との経済的な依存
  宣教師とアメリカ化
  インディアン部族の代理人と連邦政府のインディアン政策
第三章 独立の兆し                 1800〜1854
  復活と逆行    1802-40
  1840-54年までの暗い時代
  日常生活におけるこだわりの変化
第四章 保護居留地域への強制移住                       1854〜1861
  保護居留地区政策と開拓者たち : 理想と現実
  保護居留地への引っ越し   Blue川の安らぎの場所
  Blackbird Hills への里帰り
  Expulsion to the West
第五章 1860年代における保護居留区での生活
  配給に頼る生活
  成功の尺度
  堕落と衰退
  最前線で
第六章 閉じ込められ、そして、追い出された時代   1870〜1885
  追込みられて南へ
  ボンカ族の追いたて
  分裂されたが、征服されたわけではなかった
  再分配知への長い道のり
あとがき  20世紀までの再検証
Note    もっと詳しく勉強したいひとのために   参考文献
Selected Bibliography