某旅行社の地中海の青い海に浮かぶ小さな島、マルタ島ツアーのパンフレットを見て、マルタ島に行きたくなった。気ままな旅をしようと情報収集を試みたがマルタ島に関する情報が意外に少ない。そこで、旅行期間、費用、5つ星ホテルに連泊、自由時間たっぷりと良さそうなので、この8日間のツアーに急遽参加し、大した準備もなく出掛けた。例により、かみさんと二人の膝栗毛。マルタ島散歩である。

マルタ諸島の一つコノミ島(手前)、ゴゾ島(遠望)

☆ マルタ島について

☆ マルタ島の略史

☆ マルタ島散歩 1 

・ ヴァレッタ(Valletta):首都であり世界文化遺産の中世城塞都市

 マルタ島散歩 2

・ カルカーラ(Kalkara):にぎやかな都心部から離れた静かな町
・ ヴィットリオ-ザ(Vittoriosa):兵者どもの夢の跡 
・ セングレア(Senglea):造船と庶民の町

 マルタ島散歩 3

・ イムディーナ(Mdina), ラバト(Rabat):静寂の古都

・ ゴゾ島(Gozo):巨大遺跡と大城塞と青い海

  マルタ島散歩・旅の情報

・ 移動手段

・ 食べ物

・ 気候

・ 入国カード・通貨

☆ 旅を終え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マルタ島について

◇ 「地中海に浮かぶ世界遺産の国」と言われる。イタリア半島の靴形先にあるシチリア島の南に浮か ぶ、淡路島の半分程度の小さな島がマルタ島。対岸は北部アフリカのリビヤ。人口は30万人とも 40万人とも言われ、立派な独立国、マルタ共和国(Republic Of Malta)である。大統領を元首 とし、英連邦に属する。

◇ 公用語はマルタ語、英語で、住民のほとんどがローマカトリック。辺鄙な村、町を訪れても教会が あり標識は英語で示され、交差点は英国式のRoundabout。道を尋ねた住民はすべて英語を理解 し、とても親切。
◇ 島全体が石灰岩で構成され、樹木が自然に生い茂るところがない。オリーブとサボテンが地表を覆 う。わずかばかりの畑は細かく区切られ、耕したときに掘り出した小石が畑の周囲に丁寧に積み上 げられている。

◇ 住居は蜂蜜色の石灰岩を切り出し積み上げ、外観は質素。しかし、分厚い入り口の扉から中に入る と中庭があり、住宅内の部屋は豪華に飾れている。イスラムの町のようだ。

◇ 夏には雨量が少なく、住民が生活用水を確保するのは大変な様で、平らにした住宅の屋根で雨水を
受け、地下室に蓄える。水を大量に消費する大型ホテルなどは海水を淡水化して使用しているとの 事。

◇ 気候は温暖で、夏は乾燥し、照りつける日差しが厳しい。冬は雨期になり、一日の天候は変わり易 い。野辺の草花の緑が鮮やかになる。温暖で、薄手の長袖のシャツで充分。地元の人達は素肌に半 袖姿。

◇ 産業は漁業、農業(ワイン・蜂蜜)、観光が主体で、工業は小さな造船所・ドックのみで、自由諸 国では禁輸になっているリビヤの重油を使用する発電所のみだろうか。住民の足であるバスは年代 もの(30−40年前?)が主流で、錆びて穴だらけの乗用車が多く走っているのを見るとマルタの 経済水準が推測される。道行く人々は太った(超肥満!)女性が多く、皆、底抜けに陽気。おしゃ べりが多く、何事にもアバウト? 細かなことにこだわらない。温暖な地中海の気候の為か?旅行中 危険を感じた事はなく、治安は良さそう。

◇ 小柄ですんだ青い目の白人と褐色でアラブ系の黒髪、濃い黒ひげの人たちが多く、黒人、東洋人は少ない。

 

☆ マルタ島の略史

◆ 紀元前3千年ごろの巨大石遺跡を今に残し、フェニキア人が漁で生活する静かな島だった。その後医療十字軍として活躍した聖ヨハネ騎士団が16世紀にマルタに本拠地を置き、オスマントルコなどの異教徒たちの侵入を防ぐために壮大な城塞都市を築き、今に伝えている。 マルタの要請を受けた英国軍がナポレオンの侵略を防ぎ長い間英国の統治下にあった。

◆ 第一次大戦中、日英同盟によりマルタを基地として連合国の輸送船を護衛した旧日本海軍の第二特務艦隊の戦没将兵の碑がマルタ島カルカーラ郊外にあり、昭和天皇が皇太子時代に花輪を捧げるなど日本との関わりもある。

◆ 1964年英連邦の中で独立し、主権国、マルタ共和国になった。その後、1989年ブッシュとゴルバチョフが会談し、冷戦時代を終結させたのもこのマルタ島であり、現職の教皇として始めてローマ教皇、パウロ二世の来島など古代から現代まで種々の歴史の舞台に上がる小国である。
さまざまな民族と文化が交流し、攻防の歴史を繰り返した。今では狭い島に いろいろな民族が一緒に生活をしている不思議な国だ。

            

ヴァレッタ (Valletta) :首都であり世界文化遺産の中世城塞都市
マルタの旅はこのヴァレッタからはじまる。深い入り江から伸びる半島全体が堅固な城塞構造で城塞内の町は碁盤の目のように縦横に整然とした街路がある。ヴァレッタの城塞都市の入り口にある広場は大きなバスターミナルになり、マルタ島全島に延びるバス路線の基点になっている。城塞内に通ずるいかめしいシティーゲートをくぐると、正面に真っ直ぐ伸びた大通り、リパブリック通りが半島の先端にある聖エルモ砦まで続いている。

クリスマスを間近にして大通りには大きなクリスマスの飾りが出来上がっていた。大通りをクロスする横道の幅は狭く、多くが急な坂や、階段になり海岸へと通じる。これは海風を坂に沿って走らせ涼をとる知恵だそうだ。

道路の両側は分厚い壁に囲まれた建物がびっしりと整然と並ぶ。蜂蜜色の石灰岩をブロックにして積み上げたこれらの建物の外観はシンプル。シティーゲートをくぐってすぐ左に石柱の礎石を残す廃墟がある。オペラ劇場の跡でドイツ軍の攻撃で破壊された。当時は列柱のある荘重な建物であったそうだ。

リパブリック通りを進むと中ほどに聖ヨハネ大聖堂の威容が目に入る。入り口の両側には大砲が据え付けられていて、時の不安定な情勢が推測される。欧州の他の教会のように華美な装飾がなく外観は至って質素。

しかし、一旦内部に入ると内装の豪華さに驚かされる。床はイタリア各地の色彩豊かな大理石を使用した墓標で覆われ、祭壇、柱、梁などは大理石や金、銀で美しい彫刻が施されている。この大聖堂は1577年に建てられ、聖ヨハネ騎士団の守護聖人ヨハネに捧げられた聖堂である。
この豪華な聖堂から当時騎士団の財力の大きさが分かる。


大聖堂内に美術館が併設されていて、マルタに逃れてきたルネッサンスの画家、カラヴァッジオの「聖ヨハネの斬首」、「聖ヒエロニスム」の絵画がある。

大聖堂の隣に騎士団長の宮殿がある。ここは歴代の騎士団長の公邸で、重要な会議などが行われた所で、2階にある審議の間、最高審議の間が一般に公開されているが、生憎、政府関係者が使用しているとのことで1階にある当時、騎士達が使用した甲冑、剣、槍、大砲などが展示してある兵器庫の見学のみになった。誠に残念至極!今回のハイライトであったのに。後日改めて訪れたがやはり「Closed」のむなしい文字。

武器庫の展示品を見学していて、思ったことは剣の刃先が日本刀のように優美で刃先が鋭利ではなく、分厚く、丸いことだ。金属製の甲冑を着けた騎士同士が戦うのであるから日本刀では直ぐに刃こぼれしてしまう。騎士たちが使用した剣槍のほうが優美ではないが実戦的だ。 


アッパー・ヴァラッカ・ガーデンは高い城壁の上にあり、海に面した展望デッキから地中海に開く湾口から湾奥までグランドハーバーの深い入り江が良く見える。対岸には3つの半島が大きく張り出し、各々の半島は堅固な城塞でびっしり固められている。対岸の半島は正面が聖アンジェロ砦のあるヴィットリオーザ、左にカルカーラの町がある。ヴァレッタの中心地に戻る。

夕刻。あれほど大勢の人々で賑わったリパブリック通りの商店は早くも店を閉め始め、いつしか人通りも少なくなり、急に静かになる。

 

 




夕日に輝くヴィットリオーザ、セングレア 

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