☆ マルタ島散歩 2
 ・ カルカーラ 
 ・ ヴィットリオ-ザ
 ・ セングレア

カルカーラ (Kalkara) :にぎやかな都心部から離れた静かな町
今日は抜けるような良い天気。快晴。汗ばむような暖かさだ。ホテルから送迎用のバスに乗り、ヴァレッタのバスターミナルまで行き、ここでガイドブックの案内にしたがって21番のバスに乗る。15セント(約50円)を払う。バスのドライバーに「British Naval Cemeteryに行きますか?」と聞くとちょっと首を傾げ、しばらくして「OK! 行くよ」「初めてなので近くに来たら教えてください」
「OK!」バスは走り出した。地元のいろいろな人たちが乗っては下り、下りては乗るの繰り返しで40分以上もバスが走っている。

ドライバーから何のサインもない。ドライバーは盛んに何か考えている。「未だですか?」「大きな墓地だよね?」「初めてなので分からないがそうだと思う」バスは走り続ける。ヴァレッタのバスターミナルに近づいてきた。

「あそこの教会が見えるところだよ。ここで下りなさい」「有難う」教会を中央に置いた立派な墓地だ。黒塗りの霊柩車が出入りしている。「Cemetery」は教会に属さない共同墓地なのになぜ教会があるのか?と不思議に思いながら墓地内に入る。入り口ゲートに「旧日本海軍慰霊碑」の案内板がない。

高齢の墓参者に聞くと「教会の裏にあるよ」言ってみると中国人の墓地で漢字が墓標に彫られている。「違う」。何人かの人に聞いても同じ場所を示す。彼らにしてみれば日本人も中国人も一緒なのだろう。「どうしたの?」と背の高い老人に声をかけられた。

「旧日本海軍の慰霊碑を探しているが見つからない」「ここには無いよ」「ここから可なり離れたカルカーラの町にあるよ」「どのようにして行くのですか?」「バスで行かねば無理だね。でもこの時間ではバスが何時来るか分からない」こちらが困っていると「いいよ、そこまで送ってあげるよ。車が外においてあるからそれに乗りなさい」「有難う」遠慮もせずお願いした。

20−30年は使っていると思われるガタガタの日本車であったが、彼の親切さで乗り心地は最高。車は墓地のあるヴァレッタからいくつかの街中を走り、カルカーラの町に入り、急坂を上った町外れにある小さな墓地の前で止まった。

「旧日本海軍の慰霊碑はここにあるよ」墓地の入り口には確かに「旧日本海軍戦没者慰霊碑」の案内板がある。彼の親切に心からお礼を述べ、彼の名刺を頂いた。彼の名はMr. Frank  Attard.。 Times, Sunday TimesのPhotographerで1989年にブッシュとゴルバチョフがマルタで会談をしたいわゆる「マルタ会談」を取材した時の許可証を見せてくれた。帰国後早速礼状を出した。

墓地入り口にある事務所で記帳をして慰霊碑にお参りした。「1917年日英同盟により参加した旧日本海軍の艦船将兵、関係者、71名の戦没者慰霊碑」は綺麗に整備されていた。この墓地の名前は Capchini Naval Cemeteryである。

墓地の入り口近くにバス停がある。しばらく待ったが来る気配がない。通りすがりの人に聞くと「昼時のバスはなかなか来ない。カルカーラの町に出るのであれば歩いたほうが早い。」住宅街にある坂道を下ると10分ほどで海岸べりに出た。深く入り込んだ湾の海岸線沿いはきれいな遊歩道があり、眼前にそびえる城壁を眺めながら散歩をするには格好の場所だ。
観光客は誰もいない。地元の人たちの生活の匂いが間近に感じる。

 


ヴィットリオーザ (Vittoriosa) :兵者どもの夢の跡
カルカーラから徒歩で10分足らずでヴィットリオーザの城塞内に入る。この町も城塞で堅固に守られている石の町だ。ヴィットリオーザはかつてビルグと呼んでいたがグレートシージー(オスマントルコとキリスト教国との戦争)の戦いで勝ち、勝利の意味でヴィットリオーザと改名したと言う。
狭い真っ直ぐな道が半島の先端にある聖アンジェロ砦まで伸び、道の両側は石造りの建物はびっしりと並ぶ。

半島の街中を進むと海岸縁に聖ローレンス教会と広場がある。正面は深くいり込んだ湾になり、岸壁のベンチに座りしばしの休憩。すぐ目の前の対岸はセングレアの町。湾口の向うにヴァレッタの町が見える。
このあたりは食事をする場所がない。広場の横にあるスナックバーでケーキと飲み物を求め、ベンチで潮風に吹かれながら昼食とした。すると、ほかのベンチに座っていた若者が来て「ヴァレッタまでゴンドラで行かないか?」と誘ってきた。「いらない」と断り、ヴィットリオーザの埠頭に沿っていかめしい、がっしりとした建物の海事博物館を過ぎ、一路、聖アンジェロ砦に向かう。

この砦は聖ヨハネ騎士団が初期に根拠地造りに励んだところで砦内の通路は複雑に入り組んでいる。砦の上には聖アン教会堂があるが閉鎖され入れない。砦から湾内全体が眺められ、当時侵略者が湾内に入り込で来ても直ぐに発見出来る格好の位置だ。

ただ、残念なことに、この砦は荒れるにまかせ、廃墟に近い。近くに建造中の無機質なホテルより、この砦に手を加え、古城ホテルにでもしたら良いのにと思った。

歩き疲れて、先ほどのベンチに戻り腰を下ろした。先ほどの若者がまだベンチに座っている。「対岸のセングレアに行きたいが、ゴンドラを出してくれる?」「OK!]「いくら?」「1マルタリラ}「じゃーお願いします」2リラまでならばOKしようと考えていたが1リラなので文句はない。

海面をすべるようにゴンドラが進む。潮風が心地よい。10分ほどでセングレアに着いた。チップをはずんで上陸した。バスで来るとしたら2度の乗り換えで、しかも倍以上の時間が掛かる。



セングレア (Senglea) :造船と庶民の町
ゴンドラで海岸べりの遊歩道に上がり正面の急坂を上りきるとセングレアの町を貫くメインストリートに出る。
セングレアの町も他の町と同じで細い半島にあり、町の入り口は堅固な城塞で守られている。中央に一本の真っ直ぐな大通りが聖フィリップ・ネリ教会まで走り、クロスする横道の幅は狭く、海岸に向かって急な坂になっている。教会を回りこむように進むと半島の先端に出る。

ここは小さな公園(Gardjola Garden, Gnien il-Gardjola )があり、対岸の威圧するようなヴァレッタの城塞が間近かに見える。


この公園には城壁から突き出たように監視塔があり、壁面にはフラミンゴやラテン語の碑文がある。
そして、大きな目と耳が監視塔に彫られているのを見ると当時の監視塔の役割がよく解る。当時、兵士が海賊や侵略者が湾内に侵入して来るのをここで監視していたのであろう。

公園を後にして両側にびっしり立ち並ぶ建物の間を縫うように狭い道を半島の中央に向かって歩く。セングレアの町の中央広い広場にバスターミナルがある。

どこから集まったのか幾組かのリタイアー組と思われるは白人の観光客がバスをまっていた。やがて二台のバスがきた。一台は年代もので30−40年は経っているだろうか。もう一台は比較的新しい。

我々は新しいバスに乗り込んだ。15セント(約50円)。ドライバーは若く、運転席にはステレオのアンプをつけ、アメリカンロックミュージックがガンガン響いている。周囲はいろいろなものを飾りたてにぎやか。バスの床はむき出しの鉄板が敷かれ、くたびれたビニールシートの座席。入り口のドアーはビスで固定され閉まらないようにしてある。
したがって走行中もドアーは開けっ放し。

運転中もドライバーはロックミュージックをがんがん鳴らし、道行く人と挨拶しながら狭い道を器用にはしる。行く先の案内はなくただ走るだけ。バス停にはバスの路線番号が表示されているのみで、時刻表、バス停の名前、行き先などの表示は一切ない。地元優先、観光客は二の次。
その点、マルタは観光ズレしていない、素朴な島かも知れない。

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