☆ マルタ島散歩 3
    ブルーグロット 
    ・ イムディーナ・ラバト
   ・ ゴゾ島
    ジィガンティーヤ神殿
    カリプソの洞窟
    チタデル大城塞
    ドウェイラ湾

ブルーグロット(Blue Grotto)
マルタ島やゴゾ島の島全体が石灰岩で構成され、台地状のゆるい起伏があるものの、高い山、川などが見られない。
海岸線は所々に深く切れ込む入り江があり、海岸線は激しい浸食により断崖絶壁状態になり豪壮な景観を見せている。マルタ島南部の海岸にあるブルーグロット(青の洞穴)もその一つ。

今日はすばらしい快晴。小型のエンジンボートで青海原に乗り出す。海水は透き通り、海底の白い石灰岩が良く見える。ボートは切り立った断崖が波で様々な形をして侵食され、たくさんの洞窟が出来ている。洞窟内には光が差し込み海水はますます青く澄み海底が良く見える。とても神秘的。自然のすばらしい造形だ。

イムディーナ・ラバト (Mdina・Rabat) :静寂の古都
イムディーナ・ラバトはマルタ島の南側中央に位置する。
フェニキア人によって築かれた丘の上の砦をローマ人が町として発展させ、その後、アラブ人がイムディーナ(壁に囲まれた町)、ラバトを単に町)と堀をはさんで区別した。その後13世紀以降に整備され優美な町並みになったと言われる。ここの住人は主として高僧、貴族であり、聖ヨハネ騎士団たちはその居住をビルグ(ヴィットリオーザ)にせざるをえなかった。その後、オスマントルコとの戦いに勝った騎士たちが大規模な城塞建設を始めた。

貴族たちはその巨大な富に群がるようにイムディーナからヴァレッタに移り、イムディーナが寂れ、静まりかえってしまった事から「サイレントシティー」と呼ばれるようになった言う。


イムディーナの町に入るとまず「綺麗な町」が第一印象。個々の家には塀で囲まれた庭があり、庭にはどこの家にもオレンジの木が植えられ、大きなオレンジの実が付いていた。スペイン南部でみるイスラムの町並みだ。細く静かな路地を進むと13世紀に建設され、その後、地震で倒壊しその後再建されたイムディーナの大聖堂がある。聖堂の前にはやはり一対の大砲が据え付けられている。
倒壊前の聖堂に使用されていた木製の扉を開け中に入る。堂内は金銀で彩色された彫刻、すばらしいフレスコ画の天井ドーム、床一面に高位聖職者や貴族の墓標など当時の富と権力が強大であったと想像する。


イムディーナを出て、ラバトの町に入る。ラバトは庶民的な町だ。道行く人の数が多くなり、にぎやかでみやげ物、バー、レストランが目に入る。ラバトの中心地にパリッシュ広場があり、正面が聖パウロ教会(St.Paul's Church)がある。ラバトにはカタコンベCatacombs)という地下墓地がある。聖パウロのカタコンベにはいる。かび臭い。
石灰岩をくり抜いた洞窟内には大小さまざまな部屋と棚があり、棚には長方形の溝が彫られている。ここに死者を置いたらしい。小さな溝も可なりある事から子供たちの死も多かったのだろう。ここでも貧富の差が出ており、金持ちは個室。貧しき者は大部屋。死後の世界でも区別されている。

ゴゾ島 :巨大遺跡と大城塞と青い海
マルタ島の北西6Kmのところにある。マルタ島よりさらに小さな島。農業、酪農、手工芸(レース編み)観光を産業にしている。ヴァレッタからバスに揺られて40−50分。白く石灰岩がむき出た台地を進み、時折、岩原の間に丁寧に耕された畑がある。周囲は掘り起こされた石が丁寧に積み上げられている。岩山を下ると海岸にでる。ここにフェリー乗り場があり、ここからゴゾ島にゆく。今日は風が強く、着岸する大型フェリーが大きく揺れている。大丈夫だろうか。船酔いが心配。


フェリーに乗り込む。上甲板の船首側に陣取る。風は強いが暖かく寒くはない。すべるようにフェリーは出港。心配していた船の揺れも少なく、快適な30分程度の船旅。胸にシールを貼った白人の老夫妻の団体が大勢乗船している。先導者が小旗を持ち、あとからゾロゾロ付いて行く。かつての「農協スタイル」といわれた風景だ。ゴゾ島に近ずくにつれ島の丘の上にチタデルの大城塞がランドマークのように見える。雨上がりの日差しの強いゴゾ島に着く。港にはたくさんの送迎バスや観光用のミニバスが待機していて乗船客はそれぞれのバスに足早に乗り込み出発。

ジィガンティーヤ神殿
我々のバスはでこぼこの道を進み、いくつかの山坂を越えた丘の上のシャイラ村に着いた。ここにジィガンティーヤ神殿の遺跡があり、神殿は世界文化遺産に指定されている。神殿は紀元前3600年ごろに造られたと言われる。巨人の女性、ジィガンティーヤがこの巨石神殿を造ったとの言い伝えがある。神殿の形は豊満な女性の体形を表し、豊穣を祈るために生贄を使ったと思われる祭壇などがある。

周囲は石灰岩台地で荒れた畑にわずかばかりの作物、そしてサボテンの林。さぞかし、激しい、切実な祈りが続いたのであろう。


カリプソの洞窟
シャイラから南に行きラムラ湾にでる。ここにホメロスの二大叙事詩のひとつ「オデュッセイア」にある勇将オッデュセウスがすごしたと言われる洞窟がある。昔、ギリシャ軍によるトロイ攻略の帰路、孤島オギュギアのニンフに引き止められ、そこで過ごしたとされるメルヘンの世界がいつしかゴゾ島に移りここラムラ湾を見下ろすここの洞窟になった。洞窟といっても岩山が侵食され人一人が入れる小さな穴でわざわざ行く程の価値はないように思える。折りしも、雨脚の強い俄か雨でずぶぬれとなった。雨は急な坂道を川のように流れ海岸へと走る。
ゴゾ島の中心地ヴィクトリアに戻る。


チタデル大城塞(The Citadel)
ゴゾ島の中心の町、ヴィクトリア、人口6000人。町に入る。ヴィクトリアは以前単にラバト(アラビア語で町の意味)であったが、1897年領主国イギリスのヴィクトリア女王在位25年を記念して改名された。
町に入ると堅固な城塞が眼前に聳える。これがチタデル大城塞。
ゴゾ島の住民が海賊や異民族の侵略にあい、島民が奴隷として売られた被害を防ぐため、ここを立てこもる場所として使用されてきた。チタデルが現存する強固な城塞にしたのは1565年オスマントルコとの戦い以降だ。

チタデルのいかめしいゲートをくぐると正面にのしかかるように大聖堂が建っている。この聖堂は1693年の大地震で倒壊し、その後1700年初期に再建されている。聖堂内は簡素であるが威厳のある美しいデザインになっている。屋根には大きなドームが計画されたが、資金不足で止め、代わりにドームがあるかの様な天井画を描き、これが丸いドームを仰ぎ見ているという錯覚を起こさせる「だまし絵」として有名になり、観光客は必ず、この絵の説明を受ける。


チタデルの上壁からはヴィクトリアの町並みや島全体が見渡せるすばらしい。

 

ドウェイラ湾(Dweira Bay)
見渡す限り、むき出しの石灰岩台地をゆき、大きなくぼみのある石切り場を見ながら坂を下りて行くとゴゾ島の西海岸、ドウェイラ湾にでる。岩棚を下りて海岸に出ると、正面に大きな岩の島が荒波に耐えている。ここにコケ類のファンガス・タウリタニスという薬草が自生しているところからファンガスロックと呼ばれるそうだ。右手には海に大きく突き出た岩頭があり、下部は波の浸食作用で大きな窓が開いている。アズレーウインドーと呼ばれている。自然の力は強大だ。

海岸の左右は屏風のよう立ちはだかる断崖は絶え間なく打ち寄せる荒波を押し返し、そそり立つ様は壮観だ。

波しぶきを受け、荒波を眺めていると、背後から、「マルタを楽しんでいますか?」と見知らぬ日本人に声をかけられた。「どちらから来られたのですか?」「私はマルタで生まれ、今は観光局で仕事をしています」「マルタはすばらしいところですね」「楽しんでください」と彼は去って行った。まさかあの有名なマルタ観光局日本代表、遠藤三千雄氏であることに気がつかず、ご挨拶をさせていただく機会を逸してしまった。

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