§イルカトウ頭骨トウコツ配列ハイレツと動物供犠§
     
1.旧石器キュウセッキ時代ジダイから縄文ジョウモン時代ジダイにかけての狩猟シュリョウはタンパク補給ホキュウ重要ジュウヨウ手段シュダンヒトつでした。小集団ショウシュウダン家族カゾクはキャンプしながら苦心クシンして食料ショクリョウ確保カクホしていたことでしょう。このころの信仰シンコウ自然シゼンシン崇拝スウハイであったといわれております。
  動物ドウブツヒトきているものみなオナじでした。弥生ヤヨイ時代ジダイになると定住テイジュウ生活セイカツをして稲作イナサク家畜カチク飼育シイクがおこなれていくと「自然シゼン」との対峙が起きて、農耕では死=枯れ、が出る=再生という文化を獲得したとも云われている。 
  すべての物に霊魂があり、輪廻転生、生まれ変わっていくものだと考えられていたようです。
供犠クギとは:宗教などで,特定の宗教的目的と共同体の結束のために,いけにえ・犠牲を神に捧げること。 (大辞林ダイジリン
 神霊に供物や犠牲をささげ,それを媒介として人間が神に祈る儀礼。行動的儀礼の代表。供物は食物が多く,特に初物の供進が一般にみられる。
 犠牲は動物,ときには人間が供され,その流血を伴う殺害によって聖化される。(百科事典)
2.縄文ジョウモン時代ジダイまでは獣を苦労してとらえ獲物エモノるとカミ動物ドウブツササげた。まず獲物エモノをおいしくいただいたあと、獲物エモノ一部イチブ明日アス以降イコウのために豊漁ホウリョウリョウネガって感謝カンシャ祈願キガンしている。 
3.弥生ヤヨイ時代ジダイになると、定住テイジュウ生活セイカツとなり農耕ノウコウハジまった。耕作コウサク自然シゼン現象ゲンショウ左右サユウされるので耕作コウサク安定化アンテイカと豊作をネガってカミ祈願キガンをしていく必要ヒツヨウてきた。自然シゼン現象ゲンショウミダれるとアメスクなく干害カンガイきたり、また長雨ナガアメ多雨タウ洪水コウズイになると
  耕作は大打撃にうけ食料ショクリョウ不足フソクオチイいり飢饉キキン餓死者ガシシャたりした。
4.テン神様カミサマ自然シゼン現象ゲンショウ大変化ダイヘンカ大混乱ダイコンランシズめてもらう必要性ヒツヨウセイてきます。集団シュウダン生活セイカツになるとゾクチョウオウがリーダーになって祈祷キトウ・占い・神託シンタクアオいだりします。ヒト御供ゴクウ人柱ヒトバシラクビりなどの生贄イケニエ自然シゼン現象ゲンショウの安定祈願キガンしました。
  生贄は当初トウショ、人身(ひとみ)でしたがトキて野獣(シカ・イノシシ)になったり、代替の動物、飼育された家畜(ブタ・ウシ・ウマ)・家禽(ニワトリ)にわり、ツチツクった人形ニンギョウ土偶ドグウイタツクった絵馬エマ)、カミツクられたりしました。
  陸上リクジョウ動物ドウブツ場合バアイはシカ・イニシシの頭部トウブアゴホネヨウジュウアタマがないイノシシ)などがマツられています。クジラ・イルカの場合バアイカラダオオきいので頭蓋骨ズガイコツセキ椎骨ツイコツアゴホネ一部イチブなどがマツられたのかイルカ頭蓋骨ズガイコツ配列ハイレツアト遺跡イセキナカノコされている。
  この中には人の骨も含まれていた。この時代ジダイヒトニクべることもあり、クスリとしてべ、ホネをあぶって粉末フンマツにし、ワルトコロ部位ブイのものをクスリとしてんだともいう。タトえばサルのノウアタマイタヤクにしたり、イタいとサルのべたという。
  オウ集団シュウダンチョウ集団シュウダンをまとめ、民心ミンシン安定アンテイさせ,時には勢力増大の戦いもしていました。ミズ確保カクホ食料ショクリョウ確保カクホ河川カセン改修カイシュウクニ安寧アンネイなどに混乱コンランツヅくと内紛ナイフンきたりリーダーも殺害サツガイされることがあったことでしょう。、
5.定住テイジュウ生活セイカツでの農耕ノウコウ主体シュタイになると生贄イケニエ動物ドウブツ貴重キチョウなものとなり、捕獲ホカク困難コンナンなもの、イニシエから綿々メンメン生贄イケニエとしてツヅいていたシカ・イノシシがカミササげられたのではないかとオモわれます。また農耕ノウコウが主になるとウシ・ウマは
  農耕ノウコウ必要ヒツヨウとして生贄イケニエからハズされるた。仏教ブッキョウ伝来デンライにより農民ノウミン仏教ブッキョウケガれ(けがれ)意識イシキから段々ダンダンケモノルイべるコト敬遠ケイエンしました。現在ゲンザイ生贄イケニエはシカを捕獲ホカクする猟師リョウシ剥製ハクセイカザられているそうです。
  日本ではブタの家畜化は東南トウナンアジアのようには進まず生贄にはあまりされなかったともいう。ブタのシタあごにアナをあけ耕作コウサクるすシタあご信仰シンコウ東南トウナンアジアからツタわりブタのホネ祭祀用サイシヨウには使ツカわれていた。
  ニワトリの養鶏は日本ではあまり進まず、主に祭祀用とされたという。
6.稲作イナサク文化ブンカとしての動物ドウブツ供犠クギについて東南トウナンアジア、東アジア、中国大陸、朝鮮半島、沖縄オキナワなどのホウ先進センシンであって、これらの地域チイキからの供犠クギ風習フウシュウ日本ニッポン影響エイキョウしている。
  現ベトナムではクジラのことを cá ông (カー・オン)と呼んで古くから「危険から守ってくれる神様」として信仰した。現在でもべトナムではクジラを神聖視シンセイシし、トウホネ椎骨ツイコツなどをまつりオオくのヒトがおマイりにるという。
  ベトナム中部では、浜に漂着するクジラを 「魚の王」としてその頭蓋(ずがい)を祠(ほこら)に祀る信仰(安全アンゼンホウギョ)がありました。クジラが遭難者ソウナンシャスクってリクにあげた伝説デンセツがある。(資料:ベトナムの沿海地帯の信仰文化)
  ベトナムの沿海地帯の各村では鯨や海の神様を祀る神社がたくさん見られます。バリア・ブンタウ省Dat Do地区Phuoc Hai 村にある砂丘サキュウオオくのクジラ遺体イタイめたおハカもあるとネット情報ジョウホウがあります。 
  
  ポリネシア、ハワイ、インドネシア、ニュージランド、オーストラリア(アボリジン)、香港ホンコン韓国カンコク(韓国・盤亀台遺跡:クジラ)など太平洋タイヘイヨウ沿岸エンガンにもクジラ関連カンレン風習フウシュウ伝説デンセツ信仰シンコウがあり。ロシア沿岸エンガン、アラスカ、カナダ(トーテム)さらに南下ナンカ
  しペルー(ナスカ文化:地上絵)などにもメズラしいツタえがノコされております。
7.古墳コフン時代ジダイにはオオくの埴輪ハニワツクられ、古墳コフンナラべられたり、ハカめられたりしている。。ウシ・ウマ・イヌ・ニワトリなど家畜カチク、イノシシ・シカ・ミズトリ・サカナなどの動物ドウブツ埴輪ハニワがあり、ほかに家屋カオク埴輪ハニワ器財キザイ埴輪ハニワ人間ニンゲン埴輪ハニワ区分クブンられる。
8.縄文ジョウモン中期チュウキのシャチのツチ製品セイヒンはあるが、王族オウゾク内陸ナイリクのためか古墳コフン時代ジダイのクジラ・イルカの埴輪ハニワれない。
9.供犠クギ動物ドウブツ部位ブイ
イノシシ トウオサナジュウ 頭部トウブ頭骨トウコツニク 穿ウガアナしたアゴホネ イノシシ埴輪ハニワなどが発見ハッケンされた
ブタ 弥生ヤヨイ渡来トライした。家畜カチクとしては日本ニッポンでは普及フキュウしなかった。卜骨・刻骨に使ツカわれている。 
シカ イノシシとトモい。シカの頭部トウブ シカニク祭祀サイシ使ツカわれた。イノシシ・シカは現在ゲンザイ捕獲ホカク食用ショクヨウにもされている。
サル 現在ゲンザイヒトるのでべるヒトはいない。きサルをウマヤ(うまや)にう、サルの頭部トウブウマヤ(うまや)にける風習フウシュウがありウマヤサルといわれている サルマワしにおハラいをしてモラう サルはウマとウマがうという。   
ウシ小屋ゴヤウマ小屋ゴヤにサルのフタホネホネマツり、牛馬ギュウバ安産アンザン健康ケンコウ・ウマの衛生エイセイ祈願キガンした。ウマのマモガミ+サル神様ガミサマ=庚申コウシン信仰シンコウ山王サンノウ信仰シンコウという。 サルはクスリ信仰シンコウニクでもあった。「大漁タイリョウ」の信仰シンコウ地方チホウられた。
日光東照宮の神厩舎は表門をくぐり左手にある厩舎である。厩舎は馬小屋のこと。神社ジンジャの馬小屋に有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻があるという。
三猿は世界的にも"Three wise monkeys"として知られ、「見ざる、聞かざる、言わざる」という叡智の3つの秘密を示しているとされる。(資料シリョウ: ウィキペディア(Wikipedia))
ウマ ウマとウシは古墳コフン時代ジダイ朝鮮チョウセン半島ハントウから渡来トライした。オオきいので馬頭バトウ馬頭バトウ観音カンノンというカミにされている。ウマは農耕ノウコウ使用シヨウされ米作ベイサク優先ユウセン時代ジダイべられずギャク農民ノウミン大事ダイジにされていた。
前記ゼンキのサルとの相性アイショウがウマはうという。ウマのマモカミといわれている。
ウシ ウマと同様ドウヨウ農耕ノウコウのためにヤクつので大事ダイジにされた。
菅原道真と牛との関係は深く「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」
「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。これにより牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている(資料シリョウ:ウィキペディア)
イヌ イヌも渡来トライしたドウブツである。オオカミは食用ショクヨウにもされたが作物サクモツらすシカ・イノシシ・サルの防御ボウギョのために重宝チョウホウがられた。
ニワトリ 弥生ヤヨイ時代ジダイ渡来トライした。時計トケイがない時代ジダイ動物ドウブツ時計トケイとしてニワトリは利用リヨウされた。 いやすいため祭祀サイシヨウ利用リヨウされた。
イルカ 捕獲ホカク縄文ジョウモンコロからオコナわれたいたことをシメ遺跡イセキオオ存在ソンザイしている。 イルカの頭部トウブホネ祭祀サイシ使ツカったのではないかという配列ハイレツ遺跡イセキスウショ発見ハッケンされている。イルカはシカやイノシシなどと、ともに配列ハイレツされている。。    
クジラ クジラべられられ、アブラニクとしてオオいに古代人コダイジンカテになっている。 感謝カンシャ供養クヨウされて頭部トウブホネアゴホネ肋骨ロッコツ胎児タイジトウクジラハカホウムられている。クジラはエビスとして信仰シンコウされた。東南トウナンアジア地方チホウではイルカ・クジラ信仰シンコウがある。    
  エビス信仰シンコウ大漁タイリョウサカナれてくる・サカナアツめてくれる・んでくれるためクジラルイはエビスとして漁師リョウシ信仰シンコウした。ハラうというギャク場合バアイもあるがホウけとっての信仰シンコウであった。        
                               
  古式コシキ捕鯨ホゲイ時代ジダイ捕鯨ホゲイシャオオくの神様カミサマ納屋ナヤ加工カコウ処理ショリ捕鯨ホゲイ基地キチ)におまつりしていた。火事カジ大漁タイリョウ安全アンゼン商売ショウバイ繁盛ハンジョウ、などなど。またテラ建立コンリュウしたり寺院ジインオオくの寄進キシンがされている。        
  クジラのたたり伝説デンセツクジラ寺院ジイン神社ジンジャマイりの伝説デンセツモン九郎クロウ伝説デンセツ、など各地カクチられる。                  
  鯨組は鯨の断末魔、息が途絶えると「南無阿弥陀仏」を三遍唱え、鯨唄の歌詞「三国一・お背美取りすまいた」を唄った。(西海鯨鯢記・勇魚取絵詞)          
                               
シャチ アイヌはシャチを神様カミサマとしていた。クマも同様ドウヨウである。シャチの伝説デンセツオオい。カナダ・アラスカなどの原住民ゲンジュウミン信仰シンコウ伝説デンセツがある。サケマスリョウではシャチがいるとれなくなる。        
  シャチ土製品<函館桔梗2遺跡>があり、儀礼ギレイ信仰シンコウカカわるノロジュツ対象タイショウとされたのではないかといわれる。                
   
ウミガメ ウミガメもエビスであり捕獲ホカクしてもべずにサケませてカエ風習フウシュウもある。カメ信仰シンコウであるオオカメハカツカホコラ供養クヨウ各地カクチられる。ハワイでもカメ信仰シンコウらカメをモチーフにしたデザインのグッズがオオられていた。    
  「亀趺(きふ)ハカとは墓の台座が亀の像でその上に墓石がのっている形の墓をう。中国チュウゴク朝鮮チョウセンからツタわった墳墓フンボイチ形式ケイシキ貴族キゾクハカ江戸期エドキオモ大名ダイミョウハカ江戸エド以降イコウオオくなった。タンなる海亀ウミガメではなく伝説デンセツジョウのカメでコワカオをしている。    
                               
  「瘞亀碑(えいき)」という碑文ヒブンかれたものがある。瘞(えい)はめるという意味イミがある。銚子チョウシ川口カワグチ神社ジンジャにある「クジラハカ」の正面ショウメンには大漁タイリョウカミとあり、裏面ウラメンには「瘞ゲイアゴ(?あご)メイかれ、漢文カンブン文字モジオオかれているが    
  えた文字モジオオむことができなかった。佐渡島サドガシマ相川町アイカワマチハスチョウにあった瘞亀碑(えいき)の拓本タクホン文政ブンセイ2ネン(1819)のもの(資料シリョウ日本ニッポンカイのクジラ:本間ホンマ義治ヨシハルチョ)によくている。        
  佐渡サドの「瘞亀碑記」と銚子チョウシクジラハカといわれる「瘞鯨顎(?)銘」のミギからヒダリへのカタ文字モジカコんだ四角シカクワクワクシタカン文字列モジレツマッタ類似ルイジしている。漢文カンブン文字モジ銚子チョウシのものはえているブンオオ不明フメイである。      
  古代コダイ中国チュウゴクでは貴人キジンハカマエ参道サンドウに亀趺て功績や功徳などを刻んでいたという。銚子チョウシの「大漁タイリョウカミ」の裏面リメンはこのクジラの「いわれ」「いいところ」「功績コウセキトウ墓石ボセキキザまれているのかもしれない。しかし本体ホンタイハカがありませんので?です    
  銚子チョウシの川口神社には多くの海亀の墓が林立しそのナカに「クジラ」がオオきくスワっていました。                  
                               
  亀趺(きふ)とは台石の一種で、石碑を載せる台石を大亀の形にしたものである。亀趺は、もともと中国の貴族階級の風習だったのが、江戸時代に日本でも取り入れられた。        
  亀趺は功績や功徳などを刻んだ石碑を載せるものが多いが、鳥取藩主池田家の墓碑のように墓石を載せるものもある。亀趺の亀は贔屓(ひいき)といい、龍の九子のうち龍になれなかった一子で、巨大な亀の形に似た想像上の霊獣だとされる。    
  「贔屓(ひいき)」は「贔屓にする」などと用いられる「贔屓」である。贔屓は「一生懸命努力して力を出すさま」を意味するとされるが、それが「特別に便宜を図ったり、力添えをする」意味に使われるようになった。      
  資料シリョウ; http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/kame/kame-5.html)                  
                                0
    アオウミシマカヨイウラクジラハカ胎児タイジめた)    千葉県チバケン銚子市チョウシシ川口カワグチ神社ジンジャの「大漁タイリョウカミ「瘞鯨顎(?あご)銘」? 佐渡サド相川アイカワマチ瘞亀碑(えいき)の拓本   狩野融川寛信の亀趺(きふ)碑形墓(カメの台座ダイザ
資料:長門市教育委員会                                資料シリョウ:くじらランド           資料シリョウ日本ニッポンカイのクジラたち http://www.photo-make.jp/hm_2/kanou_yuukawa_2.html
  
  時代ジダイ   キュウ石器セッキ時代ジダイ 縄文ジョウモン草創ソウソウ早期ソウキ前期ゼンキ 縄文ジョウモン中期チュウキ 縄文ジョウモン後期コウキ晩期バンキ 弥生ヤヨイ 魏志倭人伝ギシワジンデン 古墳コフン テン天皇テンノウ オホーツク文化ブンカなど
  時代ジダイ区分クブン ヒト移住イジュウ〜1マン6千年センネン 1マン6千年前センネンマエ 1マン3千年前センネンマエ〜約1万年前 5千年前センネンマエ〜4千年前センネンマエ 4千年前センネンマエ〜3千年前センネンマエ 紀元前キゲンゼン3世紀セイキ 3世紀セイキマツ:280 3世紀セイキナカコロ 675ネン    
    約1万年前〜6千年センネンマエ   3千年前センネンマエ〜2セン3百年前ヒャクネンマエ 〜紀元後3世紀   〜7世紀末      
          6千年前センネンマエ〜5千年センネンマエ                    
採集サイシュウ     採集   採集   採集   採集              
狩猟シュリョウ 狩猟シュリョウ 狩猟シュリョウ 狩猟シュリョウ 狩猟シュリョウ 狩猟シュリョウ   狩猟シュリョウ ケガれたショク    
          家畜カチク飼育シイク家禽カキン          
漁撈ギョロウ 漁撈ギョロウ 漁撈ギョロウ 漁撈ギョロウ 漁撈ギョロウ 漁撈ギョロウ   漁撈ギョロウ 漁撈ギョロウ    
    イルカ イルカ イルカ・クジラ            
農耕ノウコウ   大陸タイリクから移入イニュウ     稲作イナサク 稲作文化イナサクブンカ     水田スイデン稲作イナサク    
    精進ショウジン潔斎ケッサイ                            
祭祀サイシ 生活セイカツ安定アンテイ 招福ショウフク儀礼ギレイ             大漁タイリョウ祈願キガン豊漁ホウリョウ祈願キガン 動物ドウブツ供犠クギ 卑弥呼ヒミコ   殺生セッショウ禁止キンシ    
  不幸フコウ排除ハイジョ ジョヤク儀礼ギレイ                 シャーマン巫女ミコ   4ガツ〜5ガツ    
信仰シンコウ     自然シゼンシン崇拝スウハイ                     セイなるショク    
                            農耕ノウコウ奨励ショウレイ    
動物ドウブツ       大陸タイリクから移入イニュウ                  
    ヨウジュウ     ヨウジュウトウ ヨウジュウトウ   イノシシ・ブタの ( トラ・ヒツジ        
  イノシシ 頭部トウブ
 
  <加曾利カソリ貝塚カイヅカ> <小山台コヤマダイ貝塚カイズカ> <カワ遺跡イセキ>   穿孔センコウアゴホネ懸架ケンカ  いないと記述キジュツ 埴輪ハニワ イノシシノゾ   ヤマくじら
            イノシシ頭骨トウコツ   ボクホネコクホネ          
  <ブタ> 下顎シタアゴホネ ボクホネコクコツ         ブタ渡来トライ   ブタ飼育シイク普及フキュウせず      
                           
  シカ 頭部トウブ       <カワ遺跡イセキ>       埴輪ハニワ シカノゾ 諏訪スワ大社タイシャカンモン  
    ニク       シカ頭骨トウコツ           鹿シカショクメン  
  カモシカ                        
                      5シュ殺生セッショウ禁止キンシ    
  サル サル     サルのグウ      (猿は馬の病気を治すという信仰、馬の守神といわれてきた) サル 庚申コウシントウ ウマヤサル(ウマ)・神様カミサマ
    アタマ           天竺テンジクからサルんできウマヤのおハラいをするといわれる)       頭部トウブ信仰シンコウ 三猿サンエンざる・
    サルマワ                   サル土偶ドグウ ざる・言わざる
          頭骨トウコツいてクスリとした             さるぼぼ・くくりサル 安産アンザンのおマモ
    各部位カクブイクスリ     サルのアタマチカラクスリとしてショクす) イノシシ・シカ・イルカの頭骨トウコツ         アタマ土偶ドグウ クスリとした。胆嚢タンノウ
  ウシ 埴輪ハニワ       とクジラの背骨セボネ配列ハイレツ   (ウシいないと記述キジュツ
ウシ移入イニュウ
ウシ(農民ノウミンべず)    
       
 
        朝鮮半島チョウセンハントウから移入イニュウ 5世紀セイキ後半コウハン      
  ウマ 馬頭バトウ観音カンノン             ウマいないと記述キジュツ ウマ移入イニュウ ウマ(農民ノウミンべず) アオメン金剛コンゴウ ウマヤサル(ウマ)
    埴輪ハニワ               4世紀末   ウマ晴雨セイウ祈願キガン 馬頭バトウ
  イヌ クビ   イヌ渡来トライ             イヌ   イヌクビのたたり
    狛犬コマイヌ埴輪ハニワ                     山神様ヤマガミサマ
  ニワトリ 埴輪ハニワ           ニワトリ渡来トライ   食用ショクヨウより祭祀サイシヨウ ニワトリ(時計トケイテキ保護ホゴ   埴輪ハニワ
                          タマシイハコトリ
  イルカ 頭骨トウコツ     <ヒガシ釧路クシロ貝塚カイヅカ真脇マワキ遺跡イセキ>     <カワ遺跡イセキ>       <鬼屋窪古墳>   利尻町亦稚貝塚  
          イルカ頭骨トウコツ イルカ頭骨トウコツ     イルカ頭骨トウコツ       イルカ線刻センコク     江戸エド
  クジラ 下顎シタアゴホネ             <カワ遺跡イセキ>   <ハラツジ遺跡イセキ>   <長戸鬼塚古墳>     クジラハカ.クジラツカ
    胎児タイジ            
クジラ背骨セボネ
  捕鯨ホゲイ   鯨の線刻画     クジラ供養クヨウ
    椎骨ツイコツ             獣骨儀式の跡   墓地から出土した甕棺(かめかん)土器     角製品。トナカイの クジラ
  シャチ           シャチツチ製品セイヒン<函館ハコダテ桔梗キキョウ遺跡イセキ> 豊漁祈願や感謝の儀式 捕鯨の模様が線刻されています     角に25頭の鯨 シャチ
  クマ                   捕鯨関係者の墓ではないかといわれ     熊の頭部一つなど クジラ胎児タイジ供養クヨウ
              動物の頭が持っている力に対する     捕鯨のときの安全と豊漁を祈って     が写実的に彫刻 クマ
  アホウドリ エビス              信仰があった     描かれたのか。       狩猟などの豊饒を 海鳥ウミドリオオいとクジラ
                              願って作られた オオ
                                 
      (精進始まる) 巨大キョダイ古墳コフン時代ジダイ    
      「喪に肉を喰わず    
                        記載キサイ        
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/harunotuzi-iseki-tubo-zi.jpg
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/nagato-onituka-kohun-zi.jpg
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/oniyakubo-iseki-zi.jpg
シャチ土製品<函館桔梗2遺跡>
(資料シリョウ
銚子・川口神社の鯨碑 ハラツジ遺跡イセキ 壱岐・原の辻遺跡から出土した甕棺(カメカン)に捕鯨の様子を描いた線刻画
http://www.catv296.ne.jp/~whale/tyousi-kujira-kami.html   が見つかった。弥生時代中期後半(紀元前1世紀ごろ)。流線型の
日本勇魚取りの歴史(古代〜江戸時代以前)   鯨体に数本の銛か槍が突き刺さったような絵が描かれている。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/rekisi-isana-edoizen-xxxxx.html   この遺跡ではアワビオコシ、ヤス、銛、紡錘車、剣、作業台など
  けものサマ・クジラサマ神様カミサマ   さらにシカ、イヌ、近くには人骨も出土しております。この遺跡は
http://www.catv296.ne.jp/~whale/kemono-kujira-kami1.files/sheet001.html   「魏志倭人伝」に登場する「一大国」の王都と特定されています。
先史時代の鯨・捕鯨図など          
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/sensi-hogei.html 長戸鬼塚古墳 有明海最奥の小長井町・長戸鬼塚古墳から鯨の線刻画が見つかって
カミニク 日本ニッポン動物ドウブツ供犠クギ 原田ハラダ信男ノブオチョ 平凡社ヘイボンシャ新書シンショ   います。古墳時代のもの。尻尾がTの字形に描かれており鯨絵といわれる。
カミさまと神社ジンジャ」 井上イノウエ宏生ヒロオチョ ショウデンシャ新書シンショ   有明海にも鯨が侵入をしていたことを物語っております。
ジュウ肉食ニクショクとクジラショク歴史レキシ          
http://www.catv296.ne.jp/~whale/nikusyoku1.files/sheet001.html 鬼屋窪古墳 数隻の船が描かれ、左下の鯨と思われる大きい魚に2本の
日本の鯨文化:鯨と信仰   モリが刺さっています。複数の船、モリの使用、多くの人が
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/kujira-to-sinkou.html   こぐ複数の櫂(カイ)、縦の線は帆柱か?などから捕鯨図と
  思われる。長崎県壱岐島にある鬼屋窪古墳の横穴式石室に
  描かれていた線刻画です。古墳時代のもの。イルカ漁か。