§ジュウ肉食ニクショクとクジラショク歴史レキシ§
1」 4000万年前までは日本海が存在せず、日本列島は大陸の一部であった。約7万年前に、北方からはマンモス、ヘラジカ、トナカイ、ヒグマ、ナキウサギ、キタキツネなど、南方からはナウマンゾウ、オオツノシカ、カモシカ、
ニホンジカ、ツキノワグマ、ニホンザルなどが移り住んでいた。
動物たちと同じく、それらを追って大陸の旧石器時代人も大陸から移り住んできたと推定される。その後、日本列島が大陸より切り離されることにより、それら動物や人類も独自の進化を遂げることになる。(ウィキペディア)
2」 1万2000年前には氷河期が終わり、地球は急速に温暖化が進みました。北極、南極や山岳の氷河の大量の氷が解け出して海面は上昇し、日本は大陸から分離して列島となった。気候の温暖化は、日本に素晴らしい変化
をもたらした。ドングリの森の誕生だ。
ナラ、クリ、トチ、クルミなどは「[落葉広葉樹」という。極寒の環境にのみ適応した大型の獣は絶滅したが、代わってシカやイノシシなどの動物、鳥、昆虫などで満ち溢れる世界が生まれた。そして人間も、この森の恵み
によって繁栄していくことになった。
(日本列島の誕生 http://www.ranhaku.com/web04/c2/1_01.html )
3」 日本列島の旧石器時代の人々は、大型哺乳動物(ヘラジカ、ヤギュウ、オーロックス、ナウマンゾウ、オオツノシカなど。)や中・小型哺乳動物(ニホンジカ、イノシシ、アナグマ、ノウサギなど。)を狩猟対象としていた。
大型の哺乳動物は季節によって広範囲に移動を繰り返すので、それを追って旧石器時代人もキャンプ生活を営みながら、頻繁に移動を繰り返していた。(縄文時代:ウィキペディア)
4」 日本勇魚取りの歴史(古代〜江戸時代以前)(資料シリョウ:くじらランド)
大昔の人たちは鯨をいつ頃から食べていたのだろうか? またいつ頃から鯨を捕り始めたのだろうか? 多くの疑問がわきます。日本では貝塚などの遺跡が発見され、色々と遺物が発掘・研究されて
おります。
縄文時代(約5000年前)の遺跡からは、他の獣類・魚類・貝類などとともに鯨の骨が掘り出され、同時にその時使った石製銛や槍、鯨を解体するときに肉を切ったり皮を剥いだりする石器類が見つかって
います。この頃調理に使われた土器類、鯨の油がついて土器の破片なども発見されております。数ヶ所の遺跡からは鯨の頭骨、脊骨をいくつも整然と並べたもの、他の獣類骨との混合配置などが見つかり、
お祈り、お祭りに使われたといわれています。
舟に乗って鯨類を追いかける木をくり抜いた丸木舟も遺跡から掘り出されており、小型の鯨類のイルカを入江に追い込み、網で逃げないように入江をふさぎ、銛を投げ、槍で突いて捕獲、または浅瀬に
追い込んで捕獲していたものと考えられます。積極的な捕獲だったとも云われています。
鯨を食べることはもちろん、鯨の皮から油を煎ってとり、肉は干したり、塩干しにしたりした鯨製品が交易品として山地にも運ばれたようです。貝塚の大量の貝類出土は貝に塩をして干し『塩干貝』にし、
山地の人々との交流、交換に使われ、塩分補給に役に立ったのではないでしょうか。鯨の骨も色々と利用され臼・台、容器、土器を作る轆轤(ろくろ)、木の実をすりつぶす器具、道具を作る材料に使われて
、九州の山間部でも鯨骨・鯨底圧痕土器が発掘されており、交易品だったと考えられます。現在と同様に、日本では鯨体有効利用が行われて鯨は『エコ鯨』だったわけです。
下って弥生時代(0〜300年)になると壁画や土器、骨に「鯨」や「捕鯨の様子」を書いたり、彫刻したものが発見されております。多くの舟や、人々が数本の櫂を並んで漕ぎ、鯨のような形をしたものに銛を
投げて、鯨には数本の銛のようなものが刺さり、綱で舟とつなっがている。まさに古代の捕鯨絵図と思われるものがいくつか発見されていて驚かされます。
 鯨の骨で作ったアワビオコシは九州西部地域に多く、骨製の銛、骨で出来た剣、ヤスのような刺突具(銛)もあります。 古墳時代(300〜700年)から北海道のオホーツク文化時代(500〜1100年)と
いわれる時期にも彫刻された捕鯨の絵図が発見されており 奈良時代には「クジラ」の漢字の文字、文書が書かれ、鯨情報も賑やかになりました。
 (http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/rekisi-isana-edoizen-xxxxx.html)
No 時代ジダイ 地球チキュウ規模キボ時代ジダイ変化ヘンカ 生活セイカツ形態ケイタイ 道具ドウグ 石器セッキ モリヤリ武器ブキ
1 後期コウキ旧石器キュウセッキ時代ジダイ 海面カイメンイマより100bヒクかった ・移動生活・キャンプ生活セイカツ 大型オオガタジュウタタカ道具ドウグ工夫クフウ ホトンどが石器セッキ使ツカっていた ・槍の先と思われるイシヤリ
  3万数千年前マンスウセンネンマエ 日本ニホンは大陸と陸続きであった ・家族的群集  (骨角器) ・ナイフカタ石器セッキ小刀コガタナジョウ  剥片尖頭器
    1万3千年前 人・動物が日本ニッポン渡ってきた ・ナイフ形石器文化 ・動物を解体、調理、道具の  台形石器(オノサキジョウ)を  (はくへんせんとうき)
  段丘ダンキュウ台地ダイチ生活セイカツした  の衰退スイタイ  加工、切る、皮を剥ぐなどの  りに使ツカった  三稜尖頭器
  海面カイメン現在ゲンザイより50b ・尖頭器(石槍)文化  削器(さくき)や掻器(そうき) ・鋭く尖った石槍の作成サクセイ  (さんりょうせんとうき)
   低いまでに上昇ジョウショウした  への移行イコウ  彫器(ちょうき)があった ・たたき石などの石器 ・ナイフ形石器は旧石器の
        ・石器の材料は九州:黒曜石  最終段階には小型化した。
      ・石器は動きの早いウサギ  東北地方:頁岩(けつがん)  台形石器もその傾向が
       イノシシ、シカなどに合わせて、  瀬戸内地方:サヌカイト  見られている。
       改良をした。  (安山岩の一種)であった ・細石器(さいせっき)と
             組合せた狩猟用具へスス
        土器ドキ  
        土器ドキはない  
           
        ※たたき石  
        手に直接にぎって槌(つち)  
        (ハンマー)として使った  
        石器の総称  
             
2 縄文ジョウモン時代ジダイ 地球チキュウ温暖化オンダンカした。 土器ドキ使ツカって固い実の ・飛び道具の矢じりが狩りの 石器セッキ ・石槍、石斧などの労働用具
    1万3千年前 ウミ拡大カクダイ日本ニッポン列島レットウ出来上デキア  アクをき、固い根は  道具として使われ始め、 ・石皿(いしざら)  皮はぎ、石皿、磨石(すりいし)
       〜2400年前  がった。  煮沸シャフツしてヤワラかくした。  オオきい技術ギジュツ進歩シンポとなった ・磨石(すりいし)  などの生活用具の製作セイサク
    自然シゼン環境カンキョウオオきく変化ヘンカした。 る・す・加工カコウ発酵ハッコウ    など調理に関係した石器  
    ・温暖化と照葉樹林の森の出現  タクワえ・けに土器ドキ ・道具として使われ始めたことは  がツクられた。 ・矢じりが400点以上も出土
     は、土器の発明を促し人々の  使った。  狩猟の対象物の拡大となり、  
     生活や文化を大きく変えた。 定住テイジュウ生活セイカツ  生活の豊かさにつながった ヤジリやじりカタ石器セッキ
    ・豊かな海と海浜の生活となった。 ・洞穴遺跡   土器ドキ  
    ・2500年前農耕始まる。 ・ドングリやマテバシイ ・イルカ追込オイコリョウ真脇マワキ遺跡イセキ 土器ドキ発明ハツメイ  
       などのでんぷん質の    500いた  
       堅果(けんか)類が食材   ・豆粒文(とうりゅうもん)土器  
          ・隆線文土器   
          ・条痕文(じょうこんもん)土器  
          ・押型文(おしがたもん)土器  
       にした。    土器ドキ模様モヨウけられた  
3 弥生ヤヨイ時代ジダイ 各地カクチとの交流コウリュウがあったことが ・農耕の始まり   石器セッキ ・狩猟用の矢じりが武器
     石材から解る ・竪穴(たてあな)式住居   ・農耕をしたと思われる何点か  やや大型オオガタじりである。
    ・弥生時代の半ばすぎになると、 ・集落・倉庫ソウコ住居ジュウキョ密集ミッシュウ    の石庖丁(いしぼうちょう)が  
     各地に小さなクニが生まれた ・弥生時代前期は戦争    出土  
     の始まる時期   ・大陸系の磨製石剣、  
    ・国家の形成    片刃石斧も出土  
    ・飼育始まる    
    ・海人の暮らしもあった。    
         
             
4 魏志倭人伝ギシワジンデン ・約2000年前には百余国となり、 ・「皆黥面文身」カオ刺青イレズミ     ・兵器は矛・盾・木弓を用いる
  世紀セイキ後半コウハン  三世紀、邪馬台(やまたい)国  していた。裸足である      木弓は下が短く、上が長く
     ができた。 ・稲、紵麻(からむし)を植え      なっている。矢は竹であり、
    ・邪馬台国は呪術国家とする見方  ている      矢先には鉄や骨の鏃
     がある        (やじり)が付いている
5 古墳コフン時代ジダイ ・4世紀半ばから5世紀にかけて   ・須恵器は朝鮮半島からもたら 土器ドキ  
  4〜7世紀セイキ  ヤマト政権が誕生した    された陶質(とうしつ)土器 ・須恵器(すえき)  
    ・巨大な古墳が数多く造営された   ・土器の成形のときに、ろくろを ・土師器(はじき)  
       使うこと、焼くとき窯を用いて 須恵器スエキは貯蔵、調理、食器、  
       一時空気を薄める還元焔焼成  祭祀用に使われている  
       (かんげんえんしょうせい) ・土師器は赤焼の土器  
       の流れを汲(く)む土器  日用の壺、煮炊きの甕、  
         物を盛る坏(つき)や高坏、  
         竃(かまど)に使われていた  
             
6 万葉マンヨウ時代ジダイ        
           
             
7 テン天皇テンノウ ・675年肉食禁止令で、狩猟・漁獲        
  675ネン  の方法を制限し、牛・馬・犬・猿        
  道教ドウキョウ基盤キバン  鶏の5シュの肉食を禁止。        
  701ネン ・狩猟の主な対象だった鹿と猪は、        
     狩猟方法に規制をかけただけ。        
     資源シゲン保護ホゴ農耕ノウコウのための都合ツゴウ        
     のいい制限セイゲンレイられていた。        
8 奈良ナラ時代ジダイ ・大宝律令の制定によって、 ・農民が高い税に苦しむ      
  741ネン  律令制国家ができあがった。 農民ノウミンは一汁一菜のメニュー      
  752ネン ・仏教は、国家の保護下に置か 貴族キゾクナンでもべていた      
     れていよいよ発展し、国を守る  金属の器・普段は漆塗りの      
     ための法会や祈祷がさかんに  食器を使ツカっていた。      
     おこなわれた 一方イッポウ農民は食の米と,青菜      
  中世チュウセイ    (あおな)の汁、塩を,土器      
  (平安・鎌倉・    に盛り,木製のはしを使用    
  南北朝・室町時代) ・平城京内に大寺院をたてた。  していた。貴族キゾクダイ格差カクサ    
       あった。      
9 平安中期900年頃 ・794年に桓武天皇が平安京(京都)に ・ゆかめん床面をほり下げない    
     都を移してから鎌倉幕府が成立する  平地式の住居になる。    
    ・武士の台頭VS貴族政治の混乱      
     までの約390年間 ・貴族は、米を主食    
         
    ・かな文字の発明 ・農民は、ひえ・あわなどの    
    ・最初の武家政権である平氏政権  雑穀を主食    
     中央政府である朝廷とは別個に、 ・しだいに1日2ショクから3食に    
  1185ネン  内乱を収拾して東国の支配権を ・仏教が広まり貴族は肉食    
     得た鎌倉幕府が登場した  をやめるようになった。    
    ・新仏教の興隆 ・農民は、けものをつかまえ    
     たり、魚をとったりしていた    
     農耕ノウコウガイするイノシシ・シカ    
     を食料ショクリョウにしていた。    
     894年に遣唐使を廃止        
10 室町ムロマチ時代ジダイ1300年 ・室町幕府(足利将軍家)の統治 ・農業生産力が向上 ・牛馬耕、水車などを利用  
  1489ネン 織田信長に京都から追放されるマデ 二毛作ニモウサク ・貴族、僧侶といった上流階級は  
    ・戦国時代、群雄割拠・弱肉強食  形式的な食事を重視し、仏教  
     の時代 ・集約的・多角的な農業  の影響を受けて肉食を禁止  
    ・武家社会が形成され成長の時代 ・手工業の独立、市場を成立 ・武家の世となると玄米食と獣肉  
    ・自営営業を許す楽市楽座  を自由に食す風潮が広がる。  
    ・室町時代に完成された書院造 ・貴族や僧侶の方が武士に感化  
       されていき、獣肉を食すことは  
  1518ネン      禁忌ではなくなってしまった。    
11 江戸時代 ・砂糖が普及    
    ・ご飯と味噌汁に漬物    
  徳川幕府 ・蕎麦、天麩羅、鮨などの屋台    
  大奥オオオク食事ショクジ      
    ・「山くじら」という猪肉を売る店    
      があった    
    ・「尾張屋」は猪肉とねぎの鍋    
  1603ネン  を客に出す    
  1677ネン      
  1692ネン      
         
  1756ネン      
  1776ネン      
  1829ネン      
  17世紀セイキ後半コウハン          
12 明治メイジ維新イシン1867ネン        
  1871ネン        
             
 
No 時代ジダイ 肉食ニクショク種類シュルイ文化ブンカ クジラ関連カンレン項目コウモク 信仰シンコウ供養クヨウ
1 後期コウキ旧石器キュウセッキ時代ジダイ ・「採取サイシュ」・「狩猟」・「漁撈」による食料ショクリョウ確保カクホにみな努力ドリョクをした。 ナガクジラクジラべていたとカンガえられる  
  3万数千年前マンスウセンネンマエ ・日本では、北方にマンモス象、本州にナウマン象・オオツノジカ、    
    1万3千年前  毛サイ・野牛などの大陸で棲息する「大型動物群」がいた。    
  ・その大型獣は絶滅することになった。    
  ・細石核から剥がされた長さ約3〜4cm石刃を、細石刃を    
   (さいせきじん)木や骨などに装着(そうちゃく)して替え刃    
   のようにして「狩猟用具」とした。    
       
       
       
             
       
       
       
       
       
       
       
         
2 縄文ジョウモン時代ジダイ ・シカ・イノシシ・サル・タヌキ・イヌ・クマ・ゴンドウクジラ・イルカ ・クジラ・イルカを捕獲ホカク食用ショクヨウトウ利用リヨウしていた ・屈葬(くっそう)といって体を折りま
    1万3千年前  ・アシカ・オットセイ・ジュゴンを食べていた フネ利用リヨウ・銛の作成と使用  げてた状態で埋葬(まいそう)
       〜2400年前 ・クリ・クルミ・トチ・どんぐりなどの木の実を採集、保存、調理した ・クジラにカカわる遺跡イセキオオべたアトホネや、 ・大きな石を頭・胸・脚においた例も発見
     ツグメノハナ遺跡  骨製道具見つかる ・縄文遺跡では普遍的な社会的儀礼として
    ・海辺や船を使った沖合いでの漁労(ぎょろう)をした。 ・『積極的捕鯨始まる』  抜歯(ばっし)がなされている。
    ・イノシシやニホンジカ、キジの骨も出土し、矢じりや掻器、石皿、 『石銛・鯨解体用石器』  地方チホウによって抜歯バッシがないトコロもあった。
     石銛(いしもり)の他、釣針(つりばり)やヤスなどの骨角器が ・『鯨食』 ・イルカ頭骨の特殊配列遺構
     多く出土   ・『大量のイルカ骨』(ヒガシ釧路クシロ貝塚カイズカ真脇マワキ遺跡イセキ  信仰シンコウのためのモノか?
    ・イノシシ、シカ、ウサギ、キジなどの骨がたくさん出土 ・『頭骨の特殊配列遺構』・『石槍による捕獲』 ジュウルイ頭骨トウコツカミげることは
    ・マダイ、クロダイ、ボラ、サメなどの魚類やアワビ、サザエ、ウミニナ、 ・土器つくりに利用した背骨セボネの『鯨底』  歴史レキシテキオオられる。
     サルボウ、ハマグリ、オキシジミなどの節足類(せっそくるい)や貝類 ・『鯨の油取り』 ・土の中に直接埋める土壙墓(どこうぼ)で
         埋葬、頭部を小石で覆う礫群(れきぐん)
         もあった。土壙墓(どこうぼ)とは、土を
         掘りくぼめて穴(土坑)をつくり、そこに
             人の遺体を納めて葬送した遺構
3 弥生ヤヨイ時代ジダイ ・シカ・イノシシ・イヌ・ニワトリを食べ・飼育もスタート ・『骨角器』 定住テイジュウ生活セイカツ・階級社会
     (カラカミ遺跡) ・『鯨骨アワビオコシ』 稲作イナサク農耕ノウコウ・リーダー
    ・出土した遺物は、アワビやサザエなどのほかにマツバカイ、   ・埋葬(まいそう)遺跡である。
     クマノコガイ、クボガイなどの貝類、サメ、マダイなどの魚類、    多くは箱式石棺という埋葬様式
      ウミガメなどの爬虫類(はちゅうるい)、アシカ、イノシシ、   ・保存状態の良好な人骨が石棺、土壙墓
      ニホンジカなどの哺乳類(ほにゅうるい)も見られ、農耕を主体に    出土シュツド
     しながら海産物への依存をしていたと思われる。   ・女性の左腕に南海産イモ貝のブレスレット
         二枚貝の貝輪を装着した人骨もあった。
        ・男女合葬(がっそう)もある
            農耕ノウコウ雨乞アマゴ
4 魏志倭人伝 ・ウシ・ウマ・ヒツジは日本にいなかったと記述されている。    
  3世紀後半 ・朝鮮半島から移入されたか(壱岐)    
    ・ウシ・ウマ・ヒツジ・イノシシの家畜化始まる ※シャーマンとはトランス状態に入って超自然 ウシウマ移入イニュウ
         的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信 家畜化カチクカススんだ
         する現象を起こすとされる職能・人物のこと ・喪に肉を喰わず(精進ショウジンハジまる)
         である ・卑弥呼は鬼道を司る巫女(シャーマン)
             とのセツがある。
5 古墳時代 ・牛肉食・サル食・飢饉時食人もあった。   ・「大王の時代」ともいわれる
  4〜7世紀 ・ウマ、ウシ、イヌ、ブタ、ニワトリを食べていた。   ・大型前方後円墳などが造営された。
    ・米に麦やアワをまぜたり,ヒエやアワだけの御飯を食べていた。   ・勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)・
         銀環(ぎんかん)などの装飾品や
           鉄鏃や刀子(とうす)などが副葬
           された
           
           
           
             
6 万葉マンヨウ時代ジダイ ・シカショク・肉・内臓食・なます     ジュウ完全カンゼン利用リヨウ
    動物ドウブツ全体ゼンタイ利用リヨウ道具ドウグにも)した。    内臓ナイゾウショクべる・ホネ利用リヨウ
    ・動物(鹿・蟹)の痛みの言葉がある     動物ドウブツへのアワれみの言葉コトバアラワれる
7 テン天皇テンノウ ・ウシ・ウマ・イヌ・サル・ニワトリの肉食禁止令がされた   ・5シュ肉食ニクショク禁止キンシレイ有名ユウメイ
  675ネン  しかしシカ・イノシシは除外ジョガイ天皇テンノウべたのでハズされた)であった。   狩猟シュリョウ禁止キンシジュウワナギョ仕掛シカけ)
  道教ドウキョウ基盤キバン ・牛馬を放牧、牛乳を搾ることを定めている、   ・資源枯渇・農耕促進のため禁止キンシ
  701ネン ・禁令は後の時代にも繰り返され、日本人はしだいに肉食から   放牧ホウボクハジめる。チチ利用リヨウした。
     遠ざかるようになっていった。(完全カンゼンではなかった) ※憐憫:憐憫の情―かわいそうに思うこと。  殺生を戒める仏教の教えに従ったもの
    ・日本では肉食の禁忌令が何度か発令されたが、主に牛や馬など  あわれむこと。その気持ちを言います 肉食ニクショク完全カンゼンにはくならなかった。ミンナ
     家畜を対象としたものであった        ニクべていたといわれている。
8 奈良ナラ時代ジダイ <鳥>鶏・雉(きじ)・鴨・うずらなど ・クジラは四足獣ではない。 ・仏教の定着テイチャク・国分寺の配置
  741ネン <けもの>猪・鹿・牛・馬・兎・鯨・イルカなどなど ・クジラは海の魚として食べていた。 ・仏教的不殺生がススむ。
  752ネン ・大仏開眼供養に合わせた1年間の殺生禁止・肉食禁止は仏教の ・イノシシは山くじらといった。 大仏ダイブツ開眼カイガン
     「不殺生」を民衆に植え付けた ・ウサギの単位はトリの「羽」であった。  
    ・仏教的不殺生は律令・封建体制の中に組み込まれ、以後明治維新 ※せっ‐しょう 〔‐シヤウ〕 【殺生】とは ・仏教的因果応報の説話
     の肉食解禁迄続いた  1 生き物を殺すこと。仏教では最も重い罪  
  中世チュウセイ ・「穢れ」や「怨霊」、陰陽道、たたり、迷信メイシンヒロまった。  の一つとされる。   ケガれ・差別サベツヒロまる
  (平安・鎌倉・ ・仏教的因果応報の説話により不信心や不道徳、不安感、恐れ、  2 むごいこと。また、そのさま。残酷。  
  南北朝・室町時代)  などで仏に願いゴトオオくなった。  3 「殺生戒」の略。   ・末法思想の流行
             
9 平安中期900年頃 <鳥>ヤマドリ、ハト、カモ、ウズラ、カモメ、キジ、スズメ  ・「諏訪の勘文(かんもん)」の文字モジアオウミジマ 武士ブシ台頭タイトウVS貴族キゾク政治セイジ混乱コンラン
    <けもの>クマ、アシカ、アザラシ、シカ、カモシカ、タヌキ、  のクジラハカかれた文字モジ一字イチジチガいでかれ 新興シンコウ宗教シュウキョウ芽生メバ
     キツネ、イノシシ、ウサギなどが記されており、犬も食用に  ており、肉食ニクショク免罪符メンザイフオモわれる。  
     されていた。また牛や馬、鯨やイルカなども食べられた。(和名類聚抄)    
    ジュウ肉食ニクショクキラわれ、獣肉ジュウニクそのものがケガれとなった    
     獣肉食は忌避〜禁忌(タブー)になってしまった。    
    ジュウコロし・解体カイタイ加工カコウするヒトカワ加工カコウするヒト差別サベツされ人間ニンゲン   神道シンドウ
     見做されなくなった <クジラ・イルカをべたヒト   諏訪スワオンアタマサイ鹿シカアタマ祭壇サイダンカザる)
  1185ネン ・諏訪大社の御頭祭(おんとうさい)では神にシカ頭を挙げ、宮崎県 将軍ショウグン足利アシカガヨシ 将軍ショウグン足利アシカガヨシテル 鎌倉カマクラ幕府バクフ源氏ゲンジ
     銀鏡神社例祭ではイノシシの頭を挙げた。 京極キョウゴクチュウスクスケタカミネ 足利義明 マキり=鹿食免=免罪符 
    ・「諏訪の勘文(かんもん)」は「業尽有情 雖放不生 故宿人身  ホウ太閤タイコウ 織田信長 ・巻狩(まきがり)とは中世に遊興や
     同証仏果」の文字があり巻狩りの許可証キョカショウになりリョウができた。 長宗我部元親  神事祭礼や軍事訓練のために行われ
    ・全国的な(狩猟+食料+農耕+武芸+武士・集団的支配力+誇示)により 徳川家康 三河守  た狩競(かりくら)の一種。
     マキりをし神事として肉食の免罪符を貰いシカをべるコト出来デキた。    
             
10 室町ムロマチ時代ジダイ1300年 べられていた食材ショクザイ   ・四條流包丁書に「鯨は海の魚」とある。  
  1489ネン <魚類>、鯉、鮒、鰈、鰹、鮭、鱒、鯵、烏賊、蛸、トビウオ、イシモチ、    
     鮑、サザエ、蛤、海豚、海月、海胆、鮠    
    <鳥類>山鳥、ツグミ、ウズラ、雉      
    <獣類>兎、猪、鹿、熊、狸        
     牛、馬は農耕の労働力だったので食用にされなかったらしい。    
         
         
  1518ネン 畠山ハタヤマテイオンシゲル/鯨料理        
11 江戸時代 江戸エド食材ショクザイ   クジラ(江戸エドワンのクジラ:見世物ミセモノもある) 江戸エド「寛政のくじら」「享保のゾウ」
    トリ ルイ:ニワトリ(フクむシャモ)・カモ・ガン・タマゴ イルカ 「文政のラクダ」がられた。
  徳川幕府 ギョ ルイ:マダイ・マグロ・カツオ・サバ・イワシ・マダラ・ブダイ    
  大奥オオオク食事ショクジ カイ ルイ:アワビ・サザエ・ハマグリ・アカニシ・アサリ・シジミ    
    哺乳類:シカ・イノシシ・イヌ・ネコ・ブタ 組織的捕鯨の開始  
    大名ダイミョウ:ウシ・ブタ・イノシシ・シカ・クマ・カモシカ・タヌキ・キツネ・イヌ 鯨の身皮肉を神様に挙げた  
         トリ・カワウソ・ウサギ・ニワトリ・ カバチ上げ(頭の皮)を挙げた  
  1603ネン 鷹狩タカガリ 長門:向岸寺「南無阿弥陀仏」、  
  1677ネン   感謝と憐憫の情と仏心の発露   胎児タイジ埋葬マイソウ供養クヨウ
  1692ネン クジラハカ・鯨の冥福・霊を鎮め・感謝をし・お供え 鯨墓建立(諏訪の勘文を墓碑に彫った) クジラハカ供養クヨウ
    豊漁祈願   「業尽有情雖放不生故宿人天同証仏果」 位牌イハイ
  1756ネン 寄り鯨は・いただきます・有効活用・飢饉を救う 大阪オオサカズイコウ・鯨骨橋寄進   供養クヨウ回向エコウ・鯨法会
  1776ネン 鯨見世物・学校・神社建立・たたり・エビス・伝説不具・白痴 長崎ナガサキ諏訪スワ神社ジンジャ・鯨の潮吹き奉納・鯨料理本 ・カバチはクジラアタマカワのこと
  1829ネン クジラニク調チョウ味方ミカタ・勇魚取絵詞   1838年頃、能登の台網捕鯨   ナガ勧請カンジョウ呼子ヨブコ小川島オガワシマ
  17世紀セイキ後半コウハン 日本ニッポン永大エイダイグラ   クジラ神事シンジマツり、クジラウタ    
12 明治メイジ維新イシン1867ネン   日本ニッポンカイコク・鯨の不漁・鯨組の解体 明治メイジ維新イシン
  1871ネン 肉食ニクショク解禁カイキンレイ 1850年以降欧米捕鯨船による乱獲で ・肉食解禁
        日本沿岸捕鯨は大打撃    
江戸エド時代ジダイ食材ショクザイ」(江戸エド動物ドウブツ図鑑ズカン港区立ミナトクリツミナト郷土キョウド資料館シリョウカン開館カイカン二十ニジュウ周年シュウネン記念キネン特別トクベツテン
リクジュウ イノシシorブタ、シカ・ウマ・ウシ、ヤギ、イヌ、ネコ、クマ、カモシカ・キツネ、アナグマ、サル、ヒト、ネズミ イヌハカられる(ペット)
カイジュウ イルカルイ、クジラルイ、アシカルイ
薩摩サツマ藩邸ハンテイ割合ワリアイ イノシシorブタ58%、シカ23%、イヌ10%、ネコ4%、ウマ3%、そのシュキワめてスクない。
仙台藩センダイハン邸割合 イヌとネコ、シカとウマがオオく、イノシシorブタはとてもスクない
<資料シリョウ> 資料シリョウ:ウィキペディア    
資料シリョウ:日本の肉食文化の変遷(History of MEAT-EATING in Japan)  
http://www5e.biglobe.ne.jp/~elnino/Folder_Opinions/Folder_CultureArt/Op_JMeatEating.htm
資料シリョウ:日本における肉食の歴史  
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-59.htm  
資料シリョウ:日本の鯨文化:鯨と信仰  
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/kujira-to-sinkou.html
資料シリョウ§長門ナガトカヨイクジラハカ諏訪スワ明神ミョウジンとの関連カンレンはナニ?§  
http://www.catv296.ne.jp/~whale/suwa-haka.files/sheet001.html  
資料シリョウ:鯨文化:鯨を弔った鯨墓・鯨塚など  
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/kujirahaka.html  
日本人は何を食べてきたのか part4 鎌倉・室町時代 - 自然の摂理から環境を考える
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2009/03/000500.html  
   
§けものサマ・クジラサマ神様カミサマ§