尺八の世界
私は、大学の2年のときから尺八を習った。もともと音痴で、歌うのはあまり得手ではなかった。なら、機械的に音をだし、リズム通りに音を出せば音楽が楽しめると、何か楽器をやろうと思った。せっかく大学に入ったのだし、それまで、受験、受験の明け暮れの人生は、大学に入り、もっと幅の広い人間にならなくてはと、多少、人生観が変わった。 我が家は引き上げ家族で、生活に汲々としていたが、母の実家は、一族が満州に渡る前はかなりの羽振りがよく、少女のころからお琴を習っていたらしい。そんな話を聞いていたものだから、それに、物珍しさと、お琴の演奏をする人と近づきになることができるかもしれないなどという下心も多少働いて、尺八部の部室を覗いた。部員はほとんどが大学に入学して尺八を始めた連中だったが、一年遅れという事もあり、同学年の連中は、かなりの腕前だったが、これは仕方がない。我慢をして一学年下の連中と同じようなペースで尺八を習うことにした。
確かに、尺八は、最初の音を出すまでに苦労する。が音が出るころになると、楽譜の読み方も大分慣れてくる。とにかく、五線譜ではなく、カタカナでロツレチリと書かれている。これで、スースーとかすれた音を出しながら、古曲の練習をする。周りには随分迷惑をかけたかもしれないが、一年も経つと結構、人前でも聞いてもらえるような演奏ができるようになった。とにかく、普段の練習のほかに、合宿での練習が猛烈だ。春には、本郷での五月祭があり、そして、秋には駒場での大学祭、これに向けての夏の合宿、そして、部の一年間の締めくくりの演奏会とあり、そのために猛練習をする。合宿では、朝から、10時間くらい、繰り返し繰り返し吹き続ける。歌口と言われる息を吹き込むところは、かなり繊細なエッヂとなっており、息漏れがしないように尺八をかなり強い力でした顎に押し付ける。これが毎日続くと、しまいには皮膚が避けてくる。これほどまでに練習するのだから、素人とはいえ、大学のクラブで鍛錬した人たちは、卒業するころになると本職まがいの腕になるわけだ。
尺八は、先生が鑑定したものを適当に紹介してくれるが、当時の学生ではなかなか手が出ないほどの金額だ。わたしも、月賦で手に入れた。今にしてみれば、先生の配慮でかなり勉強してもらったのではないかと思う。こんな調子で、大学、そして、大学院まで、尺八部で吹いていたが、理学部での学生生活はいつまでたっても時間が窮屈で、結局は人並みの技量まで行かなかった。それでも、音だけは出るし、また、楽譜もよめるようになったので、卒業後は、お琴と合奏するような、古曲と言われる古来から伝わる曲や、虚無僧が吹くような本曲はあまり得意ではなく、もっぱら、優しい聞きなれた民謡やら、あるいは、新しく書かれた新曲と言われるもの、さらにい、歌謡曲の優しいものを吹いて楽しんでいる。
寺田寅彦と尺八
尺八を共鳴箱と捉えて、この楽器の音響学について詳しく解析したのは、かの有名な物理学者であり、また、文学者でもあった寺田寅彦です。かれは、尺八の音響学的な研究をし、2つの論文にまとめています。
寺田寅彦の音響学に関する論文
寺田寅彦全集 科学編
3. A NOTE ON
RESONANCE-BOX
 ̄Proc. Tokyo Phys.-Math. Soc.,II.
pp.221-216, 1904
8. Acoustical
Notes (共鳴箱の振動について)
Proc.
Tokyo Phys.-Math. Soc.,III. pp.312-315, 1905
9. Acoustical Notes (続き)
Proc.
Tokyo Phys.-Math. Soc.,III. pp.332-334, 1905
18. On Shakuhachi (尺八について)
Proc.
Tokyo Phys.-Math. Soc.,III. pp.83-87, 1906
31.の音響学に関する論文の訳は、非常にながくなりますので、その前文だけ紹介致します。