尺八との出会い
尺八との関わり合いは、大学の2年からである。 田舎から東京の大学に進学し、駒場寮の生活のペースもつかめたこともあり、もっと友達との和を広げようと考えた。なにしろ、全国から優秀な若者が来ているのである。とにかく、大学に来たら、少しでも多く人と友達になることだと思った。それが、将来、きっと自分のためにもなると感じた。人生の内容はどれだけの人と友達になれるかである。そんなことから、どこかのクラブに入って活動することを考えていた。いろいろ自分の趣味など考えたが、運動部は、大学ともなるとかなり体力が必要だ。中途半端はつまらない。かといって文学的センスがあるわけではなし。また、音楽の方も幾分音痴のため、合唱など到底及びもつかない。歌うのがだめなら、楽器はどうかと考えた。が、おたまじゃくしが苦手である。なら、西洋音楽でなく、日本の古来の音楽ならどうかと考えた。そして、選んだのが、尺八である。
尺八なら、琴との演奏も出来るし、また、虚無僧なんてのも格好がいい、な〜んて考えたのである。こうして、尺八部に入部した。
こうして、八十年の歴史をもつ東大の尺八部に入部した。昭和40年のことである。まだ、おの激しい学生運動が始まる前で、女子大の箏曲部と合奏ができるのを楽しみにしながら練習していたのだから、実にのんびりとしたものである。師匠というより、先生は、後に人間国宝になり、国際的にも活躍した山口五郎師である。その頃は、まさか、そんなにすごい人だとは思わなかったが、そのうちニューヨーク大学で尺八の講義をしたり、芸術大学で教えたり、ライン川での船の上でのライブなど、あっと言う間に有名になってしまった。
学生三曲連盟の話し
昭和39年が、東京大学に入学した年である。東京オリンピックを前に世の中が浮かれ、学生運動も、日韓条約反対などでめぼしいところで、やがてやってくる学園闘争の兆候など、まだ微塵も感じられなかった。春は、五月祭のための合宿、夏は駒場際の猛練習、そして、秋は、我々の年代から復活した定期演奏会の準備のためと、春夏秋冬、尺八・尺八の一年であった。そんな中で、五郎先生と奥さんの保寿美先生のお琴の弟子と言うことで、一橋大学や、相模女子大などと連絡をして、学生三曲連盟を復活しようと言う話しが持ち上がった。アイディアと行動力で抜群の才があった長君の提案だった。とは言え、何をしたらよいのか分からないので、とりあえず、各大学の箏曲、尺八のクラブが一つの課題で同じベクトルに気を合わせることがまず第一、ということになり、当時の若手の演奏家を呼んで、景気をつけようと言うことになった。
その時に招待したのが、
尺八では、山口五郎先生、青木静夫(後の二代目、青木鈴慕)、横山勝也
琴では、砂崎知子、菊地悌子、後藤すみ子
評論家の 田辺靖雄先生
の諸先生方ではなかったかと思う。こうしてみると、当時の尺八部など、大して人気のある部ではなかったが、来て頂いた若手演奏家の3人は、今では泣く子も黙る超一流の大演奏家で、よくも、まあこんなにどえらい人ばかり集めたものだと、今思っても、額に汗がにじみ出てくる。これぞ、まさに、学生の怖いもの知らず、心ある人に言わせれば、図々しいにも程があると言うことだろう。
出演するひとが、これから多分この世界で活躍するだろうということが受けたのか、それとも、すでに、この世界では十分それだけの重鎮として認められていたのか、演奏会の日は大盛況であった。当時の学生の企画の常套手段は、劇場の席数の1.5倍くらいを水増しして、チケットを販売するというものである。ところが、この日は、定員いっぱいどころか、販売したチケットの8割方が会場に押し寄せ、大変な混乱を招いてしまった。通路には全て補助椅子をおき、それでも、座れないひとは、立ち見という状況にまでなってしまった。とんだ大失敗である。が、とにもかくにも、この演奏会が大盛況で、それ以来、学生三曲連盟の活動に活が入ったのは間違いない。以来、30年が立ったが、現状の三曲連盟の活動がどうなっているのかいささか気になる所であるが、学生のアイディアと行動力で是非、邦楽ブームの再来を喚起してもらいたいものである。
自作の尺八での虚無僧姿。
自作の尺八づくり
自作の尺八づくりは、まず、竹取から始まる。和竹の竹藪に行き、竹の太さ、長さ、そして、節の間隔などを見て、根堀をする。
竹の根はかなり太いし、また、根分けのところまで掘らなければいけないので、なかなか大変。
こうしてとって来たものは、きれいに洗浄した後、乾燥し、そして、竹に含まれている油をあぶりだす。これをしないと竹の本来の色が出てこない。
油を出すと、青い竹は、白くなるが、これを天日干しする。一年間に渡り竹の寸法が動かないようにするためだ。少なくとも春、夏、秋、冬と一年は寝かす必要がある。そうしないと、穴の位置がずれたら、全体の音の高さが変わってしまう。
そのあと、竹の節を抜く。内側の凹凸が内容にしないと、尺八の音ができないので、丁寧にできるだけ平滑にしなければならない。専門の道具があれば、それもできようが、素人ではなかなかそこまでいかない。仕方ないので、あとは根気よく、凹凸をなくすように磨くだけである。
節を抜いた後、歌口を付ける。これは、息を吹き込むところで、なかなか理屈どおりにはいかず、でたとこ勝負のような気がする。
そして、それぞれの指孔をあけていく。専用のドリルがあればきれいな孔が開けられるのかもしれないが、私の場合には、孔のサイズに合わせた、火箸を作り、これで、焼き鏝のようにして孔をあける。寸法は、尺八の長さに合わせて計算した場所にあけるが、いかに正確に位置決めしても、 孔の恰好、角度、そして、竹の内面の状態により、音程が変わってくるので、何度も手直しをしながらの作業になる。
これで、音階を調整するのだが、その前に、竹の内面を塗装する。
出来れば、漆で平滑になるように塗装することが望まれるが、漆塗はかなりの専門的な技量を必要とする。我々素人では、この作業はとてもできない。そこで、私の場合には、スプレーの塗料を使って、これで内面の塗装をする。
これで、一応、尺八らしきものは出来上がるが、こうして、作った尺八は、竹の内面が平滑でないので、なかなか思うようなものはできない。
それでも、何本か作っているうちに、其れなりの音の出るものができる。
こんな調子で、尺八の製作を楽しんでいる。
尺八作りの世界から、尺八の音響学に興味を持つようになりました。