ホームページ 隠された歴史 アメリカインディアン 原住民部族
北極のイヌイット族から
南西部のズニ族まで、
アメリカ原住民の生活様式の紹介
南東地域:チェロキー族の集落
南西地域:ズニ族のプエブロ
西部地域:チュマシュ族の草葺屋根の家
北東地域:イロコイ族の長屋の家
北西地域:ハイダ族の厚板の家
大平原地域:スー族のティピー
亜北極地域:アタバスカン族の皮のウィグナム
北極地域:イヌイット族のイグルー
INTRODUCTION はじめに
1492年にCristpher
Columbusがアメリカに漂着した時に、彼はヨーロッパ人が誰もそれまで会ったことのない人達に遭遇した。インドに着いたと考えた彼は、この人達をインディアン(インドの人達)と呼んだ。それ以後この名前が彼らの呼び名となった。
コロンブスが漂着した当時の北アメリカの原住民の人々に対する我々の知識は、不十分ではあるけれども、ある程度のことははっきりしている。例えば、我々は、相対的にはほんの僅かのインディアンが今日のカナダや合衆国に住んでいて、その数は、メキシコや中央アメリカ、南アメリカに住んでいる人々と比べると圧倒的に少なかったということだ。合衆国やカナダには多分200万人くらいの人達が住んでいた。その他のアメリカには、大体3,800万人程度は居たであろう。
コロンブスの時代、北アメリカにいた200万人のインディアンのうちの多くは、大陸の内部よりも海岸線にそって住んでいた。同じ海岸線でも、大西洋岸よりも太平洋岸の方が多く、北の地方よりも南の方が多かった。
北アメリカのインディアン達は、その数は少なかったが、非常に様々であった。彼らは決して一つの人々ではないので、アメリカインディアンと、まとめて言うのは的確ではない。言葉や、格好にしても、また、生活様式についても、北アメリカの原住民達はヨーロッパの人々のように夫々がお互いに似ているわけではない。多くのインディアンは木でできた家に住んで居た。また、在る人達は毛皮の家に住んでいた。木、あるいは、毛皮で出来た船に乗っていた人もいれば、犬を使い、ものを運んだり、荷物を引っ張らせたりもしていた。犬を食べていた人もいる。他の人達は飢えたときにだけ犬を食べていたようだ。ある部族は戦闘的だった。一方、戦闘は野蛮な行為だと考えた人達もいた。
こうした違いは、“文化”と認識されている。人類学者、人々について研究している科学者が、“文化”という言葉を使うときには、彼らは、その人々の生活の全てにわたる手段を見ている。お互いに近くに住んで、似たような生活をし、似たような言葉を話す、別々のインディアンの部族は、同じ“文化”を共有しているといわれ、ある一つの文化圏にあるグループとして考えられた。
この本では、8つの文化圏と、そこに住んでいたインディアンの特徴ある生活様式について綿密にみるようにしている。そのようにしてヨーロッパ人と最初に接触した当時のアメリカインディアンの生活の一端をつぶさに伺うことが出来る。この局面は、部族から部族へ、そして、場所から場所へと異なっていた。カリブ海のインディアン達は、1492年にコロンブスと会った。フロリダのインディアン達がヨーロッパ人に会ったのは、其れから20年近く経ってからのことで会った。北極のイヌイットは、最初にヨーロッパ人に会ったのは、1818年のことで、コロンブスが漂着した時から300年以上経つが、それまではヨーロッパ人に遭遇していなかった。多くの部族、とりわけ、大西洋岸に住んでいた部族は、天然痘、栄養失調、そして、インフルエンザ、こうしたものは彼らがヨーロッパ人に遭遇して、彼らがかかったものであるが、これらに彼らが最初に接触した結果、完全に崩壊してしまった。北部の大平原に住んでいたインディアン達のような大陸の内部に居た他の部族は、最初は、金属製の道具、衣服、ビーズ、鉄砲や馬、こうしたものをヨーロッパ人から受け入れた結果、“黄金の時代”を満喫していた。ほんの僅かの人々、南西に居たプエブロインディアンのような人々は、ある程度の、彼らのもともと居た故郷に住み、伝統的な文化を今日でも残している。
この本には、異なった部族の人達が書いた、エッセーも掲載している。その理由は、インディアン達は、彼らが500年も前に持っていたアメリカ人の生活様式を多く伝えているからである。
それらは、教室、法廷、遊びの場や戦場で、そして、統治、芸術の中で、また、現代アメリカ人の文化のあらゆる局面で、はっきりとその違いを認識することができる。それらは、あらゆるアメリカ人の遺産と歴史に富んだものである。
(鈴木 誠二訳)