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1.     始めに

    2010年になり、市場の活力が下がり、日本の経済は「停滞」の一語に尽きるのではないでしょうか。製造業はどんどん海外に進出し、資源を海外に依存する日本は、中国のレアー・アースに見られるような国家戦略による輸出規制で、一辺に市場が風邪を引いている状態ではないでしょうか。こうしたことを分析し、先に中国で開催された2010年世界環境ビジネスフォーラムで、東京経済大学の周教授が、「日本停滞の最大の理由はグローバル化の失敗だ」と述べています。その原因のひとつに、「日本人の異文化交流の苦手さだ。国内の文化的差異が小さいためか、日本人は異文化との積極的な交流を避ける。せっかく、MITやハーバード大学に留学しても同国人で固まっているのでは、何にもならない。」( 日経新聞、2010, 10, 22 ) があると指摘しています。このグローバル化の問題については、決して新しい問題ではなく、すでに、1980年台に、日本の経済が、高度成長が終わりをとげ、その反動で、海外でものを作らざるを得なくなった時代によく言われた言葉です。では、一体、グローバル化とは何を意味しているのでしょうか? グローバル化はどのように進めていけばよいのでしょうか? それには、それが必要とされる時代的な背景、そして、経済的な背景により、様々なことが考えられるでしょうか、いずれにせよ、今日、われわれが考えなければならないのは、世界の市場は一つになり、情報は世界中が同時に、おなじ内容のものを手にすることが出来、そして、何処でものを作っても世界の市場に供給が出来るようになったということではないでしょうか。つまり、世界経済は、ひとつになりつつあるということです。こうしたなかで、われわれ、産業界に生きるものはどのようにこうした変化に対応してゆけばよいのか、その答えがグローバル化に対応するということではないでしょうか。 そこで、ここでは、このグローバル化を、日本人が苦手とする異文化交流ということに焦点をあて、しかも、世界市場の1/3を占めるアメリカでの滞在経験をもとに、これから、この問題に直面したときに何を心がければよいのかなど、参考になればとの思いで、異文化との交流で私が経験した失敗談を中心にまとめてみたい。

 なお、お断りをしておくが、ここで私が経験したことは、アメリカの中西部インディアナ州、ならびに、ネブラスカ州に滞在したときの経験であることである。ご存知のように、アメリカの経済は、東海岸と西海岸に集中しており、日本人の殆どの方のアメリカについての印象は、この地域についてのことかと思われる。これに対して、私の滞在した地域は、今でも、フロンティアと呼ばれる地域で、これが、すべてのアメリカを代表するものでもなく、また、この地域、特殊のものであるかも知れない。しかしながら、こうした、地域によるアメリカの特殊性を感じてもらえば、それがアメリカという国がどれほど多様性に富んだ国であり、また、グローバル化を考えるよいヒントになるものと考える次第である。是非、自分のこれまでアメリカに対してもっていた概念が、一部のものであり、そして、価値観の多様性を認識することの重要性を感じ取っていただきたい。

 そういうわけで、ここでは、中西部に住んでいるアメリカ人の価値観を紹介し、アメリカの多様性を中心に話を進めたいと思う。

 

2. タブー

 異国の地で、文化の異なる人たちとともに生活する上で、知っておかなくてはならないことは、その地に古くから伝統、慣習、しきたりとしてのこるタブーについてである。タブーを無視しては、その地の住民と融和することはできないし、毎日の生活を続けることは出来ない。こうした問題について、海外に赴任するときに、重々の説明をしてくれると誠にありがたいのであるが、これは下手にすると、海外に対する偏見ということで、企業そのものが訴えられる危険があるので、なかなか取り上げてくれない。しかし、この問題ほど、海外で生活する日本人にとって深刻な問題はない。とりわけ、ビジネスをするのであれば、自分の上司なり、部下になる人たちの意識のなかにあるタブーを知ることは不可欠である。よくアメリカでの生活でタブーと言われているものに、「宗教」の問題と、「人種」の問題がある。この問題を生活の中でも、また、職場でも口にすることは、極めて危険なことであるということだ。もし、激しい論争にでもなれば、どちらが正しいということとは別に、たちどころに「差別」で裁判に訴えられることを覚悟する必要がある。

 「宗教」に関するタブーは、これは、宗教によってその人の価値観が全く異なることによる。われわれは殆どが仏教徒であるが、アメリカには実に沢山の宗教が存在する。キリスト教、イスラム教、仏教、それに、様々な新興宗教である。勿論、キリスト教が主流であるが、そのキリスト教にも様々な宗派があり、それにより教義が異なることがある。

もともと、アメリカのことの起こりは、イギリスのピューリタンが迫害にあってアメリカに逃れてきたことは良く知られたことである。そして、彼らは独立した。その後、ヨーロッパからは、大量の移民がアメリカに渡ってきた。その人たちは、一言でいえば、ヨーロッパの社会では、成功できなかった人たちである。というよりも、殆どがアウトローで、新天地での夢を見ながらやって来た人たちである。ドイツから、イギリスから、フランスから、ロシアから、ポーランドからと、それぞれがキリスト教徒でありながら、彼等は、それぞれ自分たち自身の宗教を持っている。これらの国は、国の事情により考え方が違うと思ったほうが良い。そのキリスト教徒たちの殆どはピューリタンとカソリックである。全く信じられないことだが、この人たちは、ダーウィンの進化論を受け入れていません。人間は、進化したのではなく、神の創造による存在なのです。もし、学校で、進化論を教えるのであれば、神が人間を創ったという「創造科学」も学校で教えなければならないと裁判さえ起こしています。かれらは、その神の存在を100パーセント信じているのです。ですから、毎日曜日に、義務感を持って教会に行き、説教を聴き、懺悔をするのです。

日曜日に教会に行かない人は、信心のない人、それは、即、神を信じない哀れな人たち、なかには、野蛮人だとさえ思っているひとがいます。さらに、自分と同じ教会に行かない人たちとは、私的には付き合わないということです。価値観が違いますから、問題が起きたときには解決策がないわけです。同じ教会のひとであれば、考え方は理解できますし、ですから、安心して付き合うこともできるし、また、結婚相手ともなるのです。教会の中で結婚相手を見つければ、お互いの考えがよく理解し合えるというわけです。すこし大きな町になりますと、教会が幾つもありますが、隣の教会にいく人とは友人にならないのです。そればかりでは在りません。アメリカの開拓時代には、1つの街に同じ宗教を信ずる人たちが集団となって入植してきます。ところが、そのあとやってきた人たちは、宗教が違いますと、その町には住むことができなくて、その街から外れた、さらに辺境の地に自分たちの村を作ります。こうして、街ごとに宗教の違う人たちが住むようになるのです。田舎の町をドライブしていると、街の中心には必ずと言っていいほど、立派な教会が目に入ります。しかし、隣通しの街の人たちが違う宗教であるということはすぐに分ります。教会にそびえている塔の形が違うのです。ゴチック調の尖ったもの、四角い塔のもの、マ丸屋根に鐘のついたもの、十字架だけが目立つものなどなど、様々です。つまり、隣の町の人は、自分たちと価値観をことにする人たちなのです。

 こんな話があります。昔は、食料が底をつき生活に窮すると、勿論、人種の違いからだけでなく、こうした異なる宗派同士での襲撃事件が度々起こったそうです。その時に、砦の代わりになるのが、この教会の建物でした。ですから、教会は何処の町にいっても、街の役所とともに、街の真ん中で、一番頑丈な建物です。その地下には、篭城したときの食料と、武器が隠されていました。また、地下通路があり、ここから、包囲網の外にでて、はるか離れた自分たちと同じ宗派の街まで救いを求めて、伝令が走ったのです。隣の町の人を信用していないどころか、敵と見ていたのです。

 ところで、現在でも、その教会で、彼等は、懺悔をします。つまり、自分の犯した罪を神に告白するのです。そして、祈りを捧げると、キリストが自分の罪を背負ってくれると考えています。これが、また、大変な問題を引き起こします。懺悔をすれば、自分には責任はないと考えているのです。

 会社で、仕事のミスをしても、週末に教会に行き、懺悔をしてくれば、自分は責任を問われないと平気で口にします。これは、ある日本の大手商社のニューヨーク支店での話しです。ある黒人が、パソコンに入力間違いをし、経理に何億という食い違いが出たのでそうです。額も之だけ大きくなりますと、すぐに間違いが分り、彼のミスであることが判明したそうです。勿論、日本人の上司が彼を咎めると、彼、確かに自分の間違いであったことは認めたものの、その罪は私にはない。神が私の代わりに罪を背負うと居直ったそうです。そして、次の週に、彼が反省をしないものだから、二度とそのような間違いをしないようにと、注意をしたところ、彼の言い分は、「先週、すでにそのことは、解決している。それなのに、何度も言うのは、それは、私に対する差別だ。」と逆に、裁判を起こすぞとの勢いだったそうです。ニューヨークでは、一定の比率で黒人を雇わなければならないこと、そして、彼等は、懺悔をすれば、自分には罪はないこと、それ以上に注意をされれば、差別で裁判を起こせばよい、との居直り感覚があるのです。その会社の日本人従業員は、こうした差別問題について、毎週、土日に、1000ページ以上のガイドブックを読むように義務付けられているそうです。

 これは、私の実際の経験ですが、あるベテランの購買担当のものが、注文忘れをしたのです。自分のミスでものが入らなくても,その者の言い分は、怒った私に対して、「あなたは神様ですか? 違うでしょう。私も神様ではありません。ですから、間違いは誰にでもあるのです。」と、平気で弁解している。そして、ものの手配をして、納入が二勤になるというのに、本人は、1勤がすめば、自分は解放されたとばかり、さっさと帰宅してしまうありさま。こんなものでも、止めさせようとおもえば、懺悔をしているのに、まだ、責任を追及していると、差別で訴えると言い出す始末。裁判では、宗教感の違いにより、相手の言い分が通るから、たまったものではない。

  アメリカは途轍もなく広い国ですから、宗教感の違う人たちが、自分たちの国(?) を作っていることもあります。ご存知の「モルモン教」の人たちは、かつて、ユタ州のソールトレイクを自分たちの聖地とし、ここに独立国を作っていました。彼等は、もともと、イリノイ州から迫害にあって、アイオア、ネブラスカ、ワイオミングを逃れ、ついに、ソールト・レイクシティーに辿りついた人たちです。独自のキリスト教の教えを持ち、それが、迫害のもととなったのですが、かれらは、いまだにその教義を守り、今でもユタ州の8割のひとがモルモン教徒と言われていますから、凄い勢力です。勿論、他の宗派のひとも、ユタ州を訪れることはできますが、ここに来るときには、ここがモルモン教徒たちの土地であることを十分に知っておく必要があると思います。彼等は、人間が神になれると考えているし、コーヒーやタバコ、酒などの刺激物は口にしないのです。

  また、アーミッシュという宗教集団は、文明の恩恵を被らず、自給自足の生活をしている人たち出す。かれらは、自分たちの村をつくり、俗界とのかかわりを否定しています。独自の学校をもち、子供たちは、この村のなかでだけ生活をしています。自動車にはのらず、電気製品も一切使いません。馬車に乗って、高速道路を横切っている姿をよく目にします。アメリカの中部には、こうした彼等の集落がいたるところにあるのです。それでも、かれらはどこからも干渉されずに生活しているのです。

  宗教が、その人の価値観を築き上げていることが良くあります。宗教を口にすることはタブーですが、これをよく考えないと、日本人は彼等の考え方を理解することが出来ないと思います。

 

 

 「宗教」のこと以上に深刻な問題は「人種」に関する問題です。私も一度ならず、「差別」ということで問題にされた経験があります。もともと、一体、アメリカ人とは誰のことを言うのでしょうか

  次の表は、アメリカの人口構成を人種別に統計とったものである。この表から分ることは、アメリカ人のなかで最も比率の高いのは、全体の15パーセントがドイツ系のアメリカ人ということである。その次がアイルランド系、ついで、アフリカ系・黒人と言うことになります。一番多い、ドイツ系の人たちの人口は、4300万人。この数は、われわれ日本人の半分以下です。つまり、アメリカ人の総人口が日本の3倍近くはありますが、単一の民族として、その出身国別にみると、どの種族も日本の人口より少ないということです。こうした、出身国の違う人たちの価値観が違うということになれば、アメリカ人が1つにまとまることは難しく、単一民俗で比べると日本のほうが、人口が多いということになります。つまり、1つの価値観でまとまるのは、アメリカより日本の国のほうがまとまりやすいのです。イタリア人やポーランド人が多いこともわれわれには理解しにくいところですが、これは、世界の歴史のなかで解釈をする必要があると思います。ポーランドは、ソ連からの圧力で早くから国外に逃れるひとが多く、その人たちがアメリカに渡ってきたというわけです。イタリア人にしても狭い国土で人口密度がたかく、国外にでていく人が多かったのではないでしょうか。

 この図は、アメリカ国内の各種の人種の分布状態です。これからも分るように、夫々の人種の人たちは、ある程度固まって彼等の生活の場を確保しています。ドイツ人はアメリカ全体に分散しており、この図からもいかにドイツ人がアメリカで活躍しているかが分ります。イギリス人は南東部に、黒人は圧倒的に南部に住んでいます。また、南西部はヒスパニックの天国です。不法移民の人たちは、南西部の国境を越えてアメリカに入ってくるのですが、陸続きですから、これを取り締まるということは至難の業のようです。主要な道路で検問は、しきりにされておりますが、ガラガラヘビの住んでいる高原を歩いてくれば、殆ど自由にアメリカに入国できます。いま、アメリカで一番大きな人種問題は、ヒスパニック系住民の急増です。とりわけ、西海岸の南の地域では、メキシコからの不法移民の数が急激に増え、今、アメリカの人口の一割がヒスパニックであるといわれています。こうして、大量に入ってきた不法移民の人たちは安い労働力の提供者ですから、カリフォルニアの物価が低くなるわけです。アメリカが不法移民を合法にすれば、この労働者達のウェージが一度に上がり、アメリカの野菜や果物の物価が一度に2倍くらいになるのではないでしょうか。

 ヒスパニック系の問題とともに、アメリカにとって大きな問題は、先住民族のインディアンの問題です。現在、彼等は、アメリカ全土に500部族以上もの人たちが生活しているといわれています。その多くの人たちは、保護居留区と言われる地域で生活していますが

ここは、アメリカ政府が、もともと中西部に住んでいた彼等を、ヨーロッパから入ってきた西洋人の生活の場を確保するために、狭い土地に強制的に押し込んで、自給生活をするようにしてきた地域です。現在、アメリカには、なんと、300近くの保護居留区があります。かって、合衆国政府は、中西部に散らばっているインディアンの土地を手にするために、彼等をすべて、オクラホマに住まわせようとしました。スモーキーマウンテンという緑溢れナショナルパークがあります。ここにはチェロキー族という部族が住んでいました。しかし、そこには石炭と鉄鉱石があり、産業革命を推し進めるために西洋人たちは、彼等をここから、強制的にオクラホマに移住させることにしました。自然豊かな土地から、見知らぬインディアン地域への移住に彼等は大変な苦労し、出発時に15,000人いた部族の人間は、4,000人が旅の途中で、披露と病気のために亡くなりました。後のこの旅のルートは「涙のトレイル」と呼ばれるようになりました。オクラホマとは、「赤い人々の土地」を意味するインディアンの言葉ですが、赤い人々とは勿論インディアンのことを指しています。涙のトレイルはここが代表的なものですが、インディアンの強制移住については、ほかにも沢山の悲しい出来事が沢山あります。合衆国政府は、米国各地に散在していた、と言うより、全土にわたり住んでいた原住民であるインディアンをすべて、オクラホマに集結させる政策をとりましたが、多くのインディアンは、ここに定住することを拒絶し、今では、全国、300以上もの保護居留区に住んでいます。いまでこそ、保護居留区として、インディアンの自治さえ認められていますが、その居留地には、悲しい出来事が沢山残っています。西洋人による虐殺の例は、各地にあります。インディアンに当初定められた保護居留地は、現在の何十倍もあったようですが、かれらは、なれない農業につくことを強制され、貧困が続き、生き延びるための、その大半を西洋人に売り払ったのです。保護居留区の中には、アメリカで一番小さな州であるロード・アイランド州よりも広いものが沢山あります。また、モニュメントバレーで有名なナバホの居留区地は、ナバホ・ネイションと呼ば在です。アメリカの大陸にある州の名前の半分以上は、インディアンの言葉に由来するものです。イリノイは、「男ども」、コネチカットは、「長い川のほとり」、オハイオは、「大きな川、美しい川」、ミシガンは「大きな湖」、アイオアは「ここだ」、ミズーリは「大きなカヌーの川」、ネブラスカは「広い川、大きな川」、そして、カンザスは「南風の人々」といった具合です。これだけみても、アメリカがもともとはインディアンの国であったことが良く分ります。そして、西洋人は、インディアンを征服した侵略者達に他ならないのです。アメリカ人はながい間、インディアンと対立状態にありました。ここに西洋人が入植して来たときには、この大草原には、家を建てるどころか、薪にする木さえない状態でした。大草原で農場を開くために、女は、牛の代わりに鋤を引っ張りました。住む家は、大地に穴をほり、草で屋根を葺いたそのなかで生活していたのです。手のつめを剥がし、そして、電気もないところで、必死で農場を切り開いてきたのです。先住民のインディアン達の襲撃にもおびえていました。そうした、インディアンの勢力を殺ぐために、アメリカ政府の取った政策は、インディアン達を一箇所に集め、抑圧することでした。人口を減らすために、インディアン達に売っていた毛布に、天然痘の病原菌があるのをしりながら、これを売りさばき、そして、そのためのワクチンの配布を意図的に拒絶しました。このため、インディアンの人口は、大半がなくなったといわれています。特に、農業を進めていたオマハ族は、病気から逃れことができず、ミズーリ川の土手には、何千人もの死体が山積みされていたそうです。騎馬を得意として、狩猟をしていたスー族や、シャイアン族、クロー族は、この病気の蔓延を防ぐことが出来ました。これが、アメリカの歴史の現実です。インディアンに対するこのような仕打ちは、今のアメリカ人は耳にすることをとても嫌がります。はっきり言って、彼らには後ろめたさがありからです。しかも、この話は、19世紀の中ごろの話です。そんな苦労して、今のアメリカ、特に中西部は、西洋人が開拓を進めてきたところです。カンザスにしても、オマハにしても、オクラホマにしても、ここが開発されたのは、今の世代のほんの5世代くらい前の話です。曾おじいちゃんのおじいちゃんくらいが、西洋から入ってきたころのことです。

  こうしてみますと、アメリカの中西部では、まだまだここがインディアン達の国であつたという名残がいっぱいあります。そんなこともあり、アメリカにおける、ステータスは、白人の次にインディアンが位置しています。シンボル色は赤色です。そして、その次がヒスパニック系の人たちです。かれらは、安い賃金で非常に良く働きます。アメリカの物価が安いのは、彼等に支えられているといっても過言ではないでしょう。その次に、黒人が位置しています。私のいた、ネブラスカでのレストランでは、高級なレストランには白人のウェイトレスしかいません。白人は、自分よりステータスの人からサービスを受けるのを嫌っているのをオーナーがよく知っているからです。就職をするにしても、また、様々な福祉の政策にしても、黒人に対する差別は歴然として残っています。黒人は、東南部を出て生活するというのは至難の業のような気がいたします。そして、その下に位置しているのが黄色人種のわれわれです。いつでもそうだとは限りませんが、そのように考えて、ことにあたったほうが無難でしょう。とくに、英語を十分に話すことの出来ない東洋人、とりわけ、日本人などはそうですが、かれらは、教会にもいかず、ただ、時間を惜しんで仕事ばかりしている日本人は、人間的に偏った人たちとみていますから、自分の上司が日本人で、叱られでもしたら、すぐに差別と言い出します。私も、自分の部下に、レポートは書かない、決められた仕事以外は拒絶する、そして、ミスばかりしているので、きつく叱ったことがありますが、とたん、かれらは、「これまでのアメリカ人上司はそんなことでは叱りはしなかった。東洋人の上司になって、そのことで叱られるのは、他ならぬ差別だ。裁判に訴える。」と、平然と言う。こんなことに、道理はないと思われるが、いざ裁判となると、手続き上の問題、アメリカの裁判制度、そして、その費用のことを考え、日本の企業はすぐに示談に持ち込む。この一件は、上司のほうが、差別と取られるような発言をしたのは申し訳なかった、という一札を入れて一件落着であるが、・・・。日本の本社の顔をうかがい、アメリカ人の不手際を大目に見ている日本企業の幹部を見越した、これが、アメリカで実際に起きている、東洋人を馬鹿にした人種差別問題なのである。

 同じように、アメリカ人の部下を持ったときに注意をしなければならないのは、アメリカ人は、という言葉の使い方である。「仕事をしないアメリカ人を指導する」とか、「成績の悪いアメリカ人の評価を見直す」とか、とにかく、「アメリカ人」という表現をすると、それは、「アメリカ人は馬鹿だから仕事をしない」とか、「アメリカ人は、悪い人間だ」とかいう風に解釈をして、すぐに弁護士のところに持っていく。これですぐに裁判になるというわけではないが、もちろん、歪曲された意味で裁判にかけられたら、そのような言葉を使った本人ばかりか、会社が訴えの対象になる。こうなってはたまらないと、ことを穏便に済ませるために、会社はあわてて、そんな表現をした日本人を処分・指導する。私もこれで、3日間の出勤停止をくらった。こちらも、腹の虫が収まらなかったから、出勤停止をいいことに、カナダまで旅行にでかけて、頭を冷やして来た。まことに、ばかげた話である。アメリカで、「○○人は、」という表現をすると、かならず人種差別で訴えられると覚悟しておいたほうが良い。