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アメリカインディアン インディアンの文化

コヨーテが火の使い方を教えてくれた
アメリカインディアンの話
しかし、いつものことですが、秋の夕べのもやは日増しにだんだん冷たくなり、太陽の日差しは少しずつ短くなってゆきました。
そして、人々は冬が間近に来ていることを知り、恐ろしくて、不幸がやってくるように感じたのです。
彼らは、子供たちと、そして、部族の神聖な話を語り伝える自分たちのお爺さん、お婆さんたちのことが心配でなりませんでした。彼らのうちの多くの人達が、老若男女を問わず長い、冬のあの凍りつくような寒さの中で死んでいったのです。
残された人々のように、コヨーテは、火を必要としませんでした。ですから、彼は、人間達の部落を通り過ぎる春の日まで、自分は殆ど火が必要だなどということを感じなかったのです。そして村には、冬の間に死んだ赤ん坊達や、年寄りを悼む、そんな唄を歌っている母親たちがおりました。彼女たちの歌声は、コヨーテの首の上の髪の毛をチクリと刺し、そして、バッファローの頭蓋骨をすり抜けてゆく西風のようなうめきだったのです。
“太陽が、今、どんなかに我々の背中に暖かいものであるのかを感じなさい”とある1人の男が言いました。“どれほど、この大地とそこいらにある石を、手にするのも熱いくらいに暖めているかよく知りなさい。ああ、もし、その太陽のほんの一かけらでも冬の間、我々のテントの中に持ち込むことができたのならなあ。”
コヨーテがこの言葉を聞いていました。そして、男たちや女たちにすまないなと思ったのです。と同時に彼は、なにか彼らのためにできることがあるのではと考えました。彼は、そこからずっと離れた山の頂に、3人の火の精が住んでいることを知っていたのです。これらの精は、人間達が何時か火を手に入れ、彼らがもっと狂暴になるかもしれないと心配しながら、それを用心して守っていたのです。コヨーテは、こうした自分勝手な火の精を犠牲にして、人々のためになにかしてやることができるのではと思いました。
バッファローダンスの起源
Native
American Lore
バッファローたちがこの世に始めてやってきた頃は、彼らは、まだ人間と仲良くやることはできませんでした。狩人たちが、自分たちの部落で使ういろいろなものを調達するために彼らを崖の上に誘い出しましたが、そのときには、彼らは自分たちを人間立ちのために差し出すことにあまり気が進みませんでした。彼らは、自分たちが毛皮として使われたり、あるいは、冬を越すための食糧である乾燥肉になることを好まなかったのです。自分たちのひずめや角がいろいろな道具や家具用品にされるのが嫌であったばかりか、彼らの腱が、いろいろなものを縫い合わせる糸として浸かられるのを喜ばなかったのです。“だめ、だめ、”と彼らは言いました。“もう、私たちは君たちの罠には乗らないよ。もう君たちのごまかしにはだまされないさ。” というわけで、狩人たちが彼らを最後の崖ッ縁まで連れ出してくると、彼らはいつも、最後の最後になってそこで向きを変えてしまったのです。こんな風にして、協力関係が壊れてしまうと村人たちは飢えと寒さに襲われ、厳しい冬を越さなければならなかったのです。
ところで、村の狩人のなかに、自分の父親が素晴らしい弓の使い手であることをとても誇りに思っている娘のいる狩人がおりました。夏の盛りの間には父親の方はいつも彼女の所毛皮のベストを持って来ました。一方、彼女の方は、そのお返しに鹿の皮をとても柔らかく、そして、真っ白になるまでなめして、それを外套にして父親に上げました。彼女の身に纏っている服は、まるで雪のようなガチョウの羽のようでした。そして、彼女が村の子供たちやお年寄りのためにつくったモカシンは、一番喜ばれる贈り物だったのです。
しかし、いまや、風に乗って待ってくる雪の知らせと、折れた柳の木々の間に殆ど見ることのできなくなった鹿たち、こうしたことから、彼女は、バッファローの群れの一部が始めたこの拒絶は、本当にたいへんな問題になるということに気がついていたのです。
そこで、狩人の娘は、そのことについて何かをしようとこころに決めました。
彼女は、その崖の麓のところに行き、上のほうを見上げました。そして、低く、優しい声で歌を歌いはじめました。“さあーっ、バッファローたちよ、私の所に下りてきて頂戴。もし、降りてくるなら、そして、私の結婚式の宴の時に親戚の人たちに沢山のご馳走をだしてくれるなら、私は、あなたたちのなかで一番勇猛な戦士の花嫁となって、あなたたちの家族になるわ。”
そして、歌をやめ、耳を澄ましました。と、彼女は、ずっと離れたところで、かすかに雷の鳴り渡る響きが聞こえたような気がしました。
それから、彼女は、おもむろに、死んだ人を再びのこの生の世界に呼び戻す魔法の力をもった生き返りの歌を唄い始めたのです。彼女は、彼女のお婆さんが教えてくれた歌を静かに唄ったのです。そして、ほんの僅かの小節を唄い終わると、その毛皮のしたにひとつのこぶができたのです。そこで、彼女とカササギが毛布の下を覗いてみると、なんとそこには、1人の男の体があるではありませんか。でも、まだその時には、その男は息をしていませんでした。彼は、只、冷たい石のようにそこに横たわっていただけです。そこで、なおも娘さんは唄を唄い続けました。そぉーっと優しく。と、なんと、さして時間が経たないうちに彼女の父が動き出したのです。彼は、生き生きと、しかも、とても強そうに立ち上がったのです。これを見て、バッファローたちは、驚いてしまいました。そして、彼らは狩人の娘さんに、“どうか、この歌を、どんな狩が終わったときでも、我々のために歌ってはくれないだろうか? そうすれば、私たちは、あなたの部族の人たちにバッファローダンスを教えてあげます。そして、そのダンスを狩に行く前に踊れば、あなたがたは必ず、沢山の獲物を手にすることができますよ。そして、あなたが私たちのためにこの歌を唄ってくれれば、私たちはみんなまた、元のようにいきかえるんだから。”
Wountieの伝説
アメリカインディアンのLore
この話はカナダの西海岸の海岸にあるSquamish州のSalishというところに伝わるものです。
Squamishの町の北をCheakamusという川が流れていて、この川は、ハウ湾に注いでいます。
Wountieの伝説
これは、ずっと、ずっとその昔、まだ、大洪水が起こる前の話しです。
Cheakamus川は、Squamishの町に住む人たちのために沢山の食料をもたらしてくれていました。
毎年、夏の終りには、それはそれは沢山のサケが卵を産むために故郷の川に戻ってくるのでした。そして、人々はヒマラヤ杉の根でつくった網を使って、そのサケを捕まえていました。こうして、冬が来るために十分な魚を取っていたのです。
ある日、1人の男が冬に自分の家族の食物を準備するためにサケを捕りにやってきました。彼が川のなかを覗いてみますと、いつもの年と同じように、多くの魚が今年もこの川に帰ってきていました。
彼は「ありがとう」と言って、家族の食物として自分たちにサケをこうして与えてくれる魚の聖霊に感謝をしました。そして、川の中へ網を投げて、待ちました。
やがて、彼が網をたぐって引き揚げてみますと、網の中には、サケが一杯捕れていました。それらは家族のものが、長い冬の間食べていくのに十分なものでした。
彼はヒマラヤ杉の樹皮でできたかごの中にとれたサケを詰めて、みんなが待っている家に戻る準備をしました。
でも、ふと、彼が川の中をもう一度見てみると、まだまだ、沢山のサケが泳いでいるではありませんか。その魚を見て、俺は、もう一度網を投げてもっと沢山のサケを捕まえようと決心しました。
そして、今度もまた、魚がいっぱい捕れました。とれた魚を入れる籠はもういっぱいでしたので、彼はそれを岸に投げ出しました。
でも、まだ、魚は沢山泳いでいます。そして、今度は3回目。また、彼は水の中へ網を投げて、待ちました。
そして。彼がネットを引きあげた時です。たいへんなことがおこっていました。今度は魚どころか、彼の網は棒や切り株、そして、この小枝で一杯になっていました。網はズタズタに破れ、もう、修理をしてももとのようには魚がとれなくなっていました。
それどころか、がっかりした彼は、岸に広げておいた魚も、そして、ヒマラヤ杉のかごに入れておいたサケも、棒と小枝になっていることに気がつきました。彼には一匹の魚もいなくなってしまいました。網はもう使い物になりません。

彼は山を見上げました。そこは、Cheakamusの守護神である聖霊のWountieがいるところです。Wountie
は彼に言いました。「お前は、自分と家族が必要とするだけのサケよりももっとたくさんのサケをとろうとして、その川との約束を破ったのだ。そして、自然との約束をも破ったのだ。こうなったのは当然の罰なのだ。」と。
こうして、Wountieは、今でも、高い山の上でCheakamusとParadise谷を見下ろしながら、Cheakamus川を守ってくれているのです。
漁師がどうなったかって?
いいですか。彼の家族はその冬の食べ物がなにもなく、空腹になって、やがて、餓死してしまいました。これは、かれの家族の話だけではなく、全ての人々が知っていなくてはならないことです。
渡りガラスの大きな冒険
アメリカインディアンのLore
Innuは、人々や、動物、鳥達、魚、そして、自然を超越したものを代表するような不思議で、そして、美しい形のものを彫って、そして明るい色でそれらに色をつけていました。
一番高い杉の木が、トーテム・ポールに選ばれて、お年寄りから子どもたちに、何世代にもわたって語り継がれる伝説のように、みんなから愛される目印となりました。
そして、そのトーテム・ポールの一つに目を見張るほどの渡りガラスが彫られていましたが、なぜか、彼にはくちばしがありませんでした!
アラスカの渡りガラスは普通の鳥ではありませんでした。
彼は、特別に不思議な能力を持っていて、彼がこれになりたいと思ったものには、何にでも姿を変えることができました。
彼は鳥から人間に変わることができたし、ただ空を飛んだり、大地を歩き回ることができるばかりでなく、どんな魚よりも速く水の中を泳ぎまわることもできたのです。
自分ひとりで生きていける人は誰一人いない。そして、彼は自分が必要といする助けを他の人から得ることができないのだ。だから、彼は、鳥や動物達を通して助けを探しているのだ。彼等は人が学ぶことのできる沢山のものを持っているから。
SIYA’KA
このように、人類は、自然の世界では若い兄弟であった。来たの大平原に住むインディアン達の創造の物語の中では、人類は、最近生まれたばかりの新生児で会った。彼らの前には、動物達がまだ今の形になる前、あるいは、言葉を話すようになる前に、非常に長い古代の創世記があつた。この神秘的な時代には、動物達と、人間の形はまだ流動的で、お互いに入れ替えができるものであった。人間よりも旧い時代に生まれたので、動物達は、原始の知能と教えるべき沢山のものを持っていた。