八幡(やわた)から船橋まで


旧中山村

八幡宿を出ると鬼越、中山へと続きます。国道14号線は交通量が多く、道を横切るのも容易でありせん。南へ下ったJR線の向こう側には、ニッケコルトンプラザや、トイざらスなどの大型ショッピング施設があり車の往来が激しいのです。

京成中山駅へと左折した先に中山法華経寺があります。鎌倉時代の中期に建てた寺で、五重塔をはじめ数々の重要文化財があります。

中山といえば全国的には競馬場の方が知られていることでしょう。

nenbutsudo-dohyo海神の道標

中山を過ぎると海神、もうここは船橋市内です。行徳道とこの佐倉道(千葉街道)と合流する地点にあったという道標を訪ねました。現在街道から100メートルほど入った念仏堂の前に移設してありました。

正面に「右 いち川みち 左 行とくみち」とあり、左右にそれぞれ「是より行とく」「是よりいち川」とあります。元禄7年(1694)の造立で、船橋市内で最も古い道標です。

また念仏堂内には、鎌倉初期の木造阿弥陀如来立像があり、市の指定文化財になっていますが、非公開なので拝顔は出来ませんでした。



船橋宿
hiroseya

当時の船橋宿は、九日市村、五日市村、海神村の三か村からなっていました。

ここからは、佐倉道(成田道)をはじめ、御成街道、木下街道のほか、海浜や内陸を結ぶ重要な位置にあり、また、魚介類をはじめ農作物の江戸との交易も盛んで、成田参詣が増すにつれて急速に発展していきました。

参詣客の多くは、帰りに1泊していったといわれます。江戸の後期には、現在の本町通りの両側は旅篭屋が並び、その数は20数軒にのぼったそうです。右のお店は、和菓子のひろせ、初代は享保5年(1720)没という老舗です。お店の奥には、山岡鉄舟自筆の額が掲げられています。



船橋大神宮など

本町通り脇の小道を200mほど入った所に将軍が鷹狩りでお成りになった際に度々休まれたという船橋御殿跡があります。今は建物はなく、その跡地に意富比神社の宮司が造営したと言う日本一小さい東照宮がひっそり奉られてありました。でもこの場所は、地元の人も知らないのか道を聞いても、最初わからないほどでした。

京成電鉄の踏み切りを渡ると、すぐに船橋大神宮の鳥居前に出ます。右方向は、ショッピングセンター「ららぽーと」へ行く道です。

船橋大神宮として知られる意富比神社(おおいじんじゃ)は、延喜式神名帳にある旧県社ですが、天正19年に徳川家康が江戸に入府して、神領50石を寄せ、伊奈備前守を普請奉行に命じて本殿,拝殿をはじめ諸末社にいたるまで造り替え、修営工事を施して一層由緒ある神社になりました。

btn-backTOPへ戻るbtn-next