大和田から臼井(うすい)まで



大和田宿を出て印旛沼の疎水路・新川に架かる大和橋を渡ると、国道16号線に交差します。ゆるい坂を上りきった所が八千代市勝田台。戦後に発展して出来た町です。京成電鉄勝田台駅に、最近東葉高速鉄道が開通して、東京への利便が良くなりました。
駅前を通り過ぎると、すぐ佐倉市ですが、佐倉の城下町は、まだまだ先です。



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danjuro-ukiyoe市川団十郎の道標

井野新田(佐倉市井野町)に、加賀清水という涌き水があります。

その水を使って林屋という店が茶屋を商い、当時成田山の信者であった歌舞伎の七代目市川団十郎が、参詣の度に立ち寄ったといわれます。そして団十郎は、天保2年
(1831)に、旅人のため成田山への道と加賀清水の案内を兼ねて道標を建てました。

それが左の写真です。正面に「成田山道」とあり、右側面に「天はちち地はかかさまの清水可那」七代目団十郎敬白、と刻んであります。
傍らに別の道標が2基あり、常夜灯は江戸の豪商が建てたものです。


京成志津駅前を通り、新興住宅地として発展しているユーカリ駅前を過ぎてまもなくの所(佐倉市上座)に、成田山道標が1基ひっ
そりと建っていました。良く見ないと見過ごしてしまいます。船橋市の滝台にあった道標と同じ岩田長兵衛が建てた5基のうちの1基です。この道標も、まん中で折損し、セメントでつなげてありました。



臼井台

上座公園を過ぎると街道は大きくくねって坂を下り、手繰橋を渡ります。ここから旧道は、国道296号線から分かれて左の道に入って行きます。成田山道中の内でも最も難所と言われた臼井田です。この集落を越えないと臼井の宿には行けなかったのです。
手繰坂を上り、新坂を下るのですが、当時は昼間でも木が生い茂って暗く、雨が降るとぬかるんで難儀したようです。
「古今佐倉真佐子」の中に「坂の上左の方、籔の内さらかんぜうと云て、ばけ物やぶ也」などと書かれています。usui-oiwake-dohyo



坂を上りきった丁字路に道標がありました。正面に「右 成田ミち」、左側面に「西 さくば道」、右側面に「左 江戸みち」と書かれています。文化3年(1806)に建てられたものです。

今この臼井台一帯は住宅地ですが、周囲には沢山の名所史跡があり、歴史散歩コースとして案内板が整備されていました。
臼井城址、大田図書の墓、雷電為右衛門の碑と墓所、長源寺、円応寺等々見所がいっぱいあります。





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臼井宿


新坂を下りると臼井の宿です。再び成田街道(国道296号線)と合流します。

現在宿のある場所の字名は、単に臼井何番地ですが、当時は片町、上宿、中宿、下宿、新町と並んでいて、180軒余りあったと言われています。

本陣・脇本陣を中心に、太田屋、大津屋、桜屋、菊屋などの旅篭屋が軒を並べていました。成田名所図会には、成田講の宿泊客や、行き交う駕籠かき、馬引き、人足達が描かれていて賑わう宿の様子を、うかがう事ができます。

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