北島
はじめに
New Zealandは日本から約9000Km離れた南半球にある。
2001年9月26日から10月27日までの一ヶ月を使い、New Zealand
の北島から南島をレンタカーであちら、こちら寄りながら気ままな旅をしてきた。
テロ事件の影響か、シーズンオフの為か、日本のツアー客は少なく韓国、中国(香港)のツアー客が多かった。
体重を気にしながら、安くて、美味しいワインや食べ物を沢山とり、美しい野山に遊び、マオリの文化に接し、氷河見物、ヨットクルーズ、ゴルフなどを堪能。そして何はともあれ5,000Kmをスピード違反で捕まる事もなく無事に走破出来た事は幸いだった。
9月、10月の New Zealand は春。我々は赤道に近く、暖かい北島を9月下旬に、次第に暖かく成る南極に近い南島を10月に旅をした。まだ寒いのではと冬物のコート類を用意をしたが全く使用する事もなく、また持ち帰った。
ニュージーランドの魅力は人間が作り上げた美ではなく、自然が創造した美しさである。赤、青、黄色と色とりどりの草花、木々に花が咲き乱れ、あちこちで見掛けた桜が満開であった。日照時間が長く、シーズン前の旅としては最適な時期かも知れない。そんな自然の創造美を満喫した。そして自然の恵みである、美味しい肉、魚(クレイ・フィッシュ伊勢エビ、ムール貝)、果物を沢山食べた。しかも安い!
我々はニュージーランド産ワインのファンになった。結果として、新鮮な美味しい食べ物、フルーティーなワインの味を堪能した食べ歩き旅行になってしまった。
そして、人々の暖かい親切を受けた一ヶ月間のゆったりした、でも少し欲張った楽しい旅だった。
南の洋上に未知の大陸があると言う古代ギリシャ時代からの伝承があった。1642年その幻の大陸をめざして航海中に「アオテアロア」(マオリ語で長く白い雲のたなびく国)を発見した。タスマニア島、タスマン海、タスマン氷河に名を残すアベル・タスマンであった。オランダの東インド会社から派遣された探検家。ニュージーランドの南島北西岸、現在のネルソンに到着するが、先住民のマオリ族により部下が殺され上陸を断念する。
ニュージーランドはタスマンの祖国オランダのゼーランド州にちなみ「Nieuw Zeeland」と命名され、後に英語化され「New Zealand」 となった。1768年キャプテン・クックは北島東岸、現在のギスボンに初上陸し、マオリ人と接触しながら全島を調査・測量をする。
360年前にタスマンが見た風景、230年前にクックが見た景色。
緑豊かで温暖な亜熱帯の大陸。大洋には鯨が泳ぎ、陸にはカウリの原生林が広がり、万年雪を抱いた山から流れる豊かな水は渓谷を下り、勢い良く飛沫を上げている。
島には肉食獣は棲まず、蛇もいない。天敵のいない野生王国では翼の退化したキーウイが自由に森を歩き、原始のシンボルである巨大なシダが生い茂る。緑の草原にのんびりと草をはむ羊はイギリス人が祖国から持ち込んだ。ニュージーランドのシンボル、キウイフルーツでさえ中国中南部地方からもたらされたチャイニーズグズベリー(マタタビ科)だ。
現在ではマオリ人と白人が上手に共存し、マオリ人の伝統的文化は良く保存されている。人口は400万人と少なく、国土をゆったり利用し、物価が安く人々の生活にはゆとりがある。従って治安も良く、どこを訪れても皆、友好的。地名はマオリ人が使用していた呼び名を各地でそのまま多く採用し、その他は英国の地名を使い、新しい地名の綴りも英国式のものが目立った。
Λ TOP
ニュージーランド旅行記
成田- Auckland(9月26日)
18時過ぎに自宅を出て、成田空港に19時前に到着。今回は座席の予約を事前にしていたのでゆっくり搭乗手続きをする。他の客がカウンターにいない。昨年、英国を旅する時は空港内やカウンターが大混雑であったが、今日の空港内はがらーんとして、人影は疎らでツアー客は全く見られなかった。拍子抜けする。
これから利用する便は New Zealand 航空34便で20時55分出発。出発まで時間があるので空港内の寿司田で軽い夕食を済ませ、出発ロビーで搭乗開始を待った。成田空港は今まで出国手続きをする前に空港使用税を支払っていたが、今回から搭乗券購入時に税金を支払うのでその必要がなく、手間が省ける。反面、手荷物検査が以前に比べ一段と厳しくなった。
鍵、小銭、カメラなどの金属類を身体から離して検査ゲートをくぐると「ブー」。もう一度ゲートを通る。またしてもアウト。金属探知器でチェックするが反応無し。今度はベルトを外してゲートを通る。「OK! 通って良し」「よかった
! 」
出国検査でも「出入国カード」の提出が省略され、手続きがこれまた簡単になった。但しニュージーランドの入国・出国の申請は記入箇所が沢山あり面倒。
搭乗開始、機内の入口でクルーが愛想良く我々を迎えてくれたが、ここでも一々搭乗券の半券で座席番号を確認する。今までは口頭で番号を告げるだけで良かったのに。「 59の
H
& J
」「搭乗券を拝見」「何故?」「テロ対策で厳しくチェックするように言われています」大変な時期に旅行するんだ。
機内は3割程度の客。両方の窓側はほぼ埋まっているが、中央の5列の席はほとんど空席。34便は定刻の20時55分に成田空港を離陸した。いつもこの瞬間が一番楽しい。日本を出国してこれから旅に出るんだと。
食事後、窓側の乗客はぞろぞろ中央の5人掛けの椅子に向かって動き出した。椅子の肘掛けを起こし、毛布を掛け横になりだした。前の方のとんでもない遠い席から後ろに来て、横になる。夜行便なので我々は窓側の3人掛けを避け、左右にゆとりがある後部の2掛けで、現地で早朝の朝日を避けるため右側の座席を予約しておいた。結果良しで、夜間のトイレも他の客に気兼ねをする事がなく、早朝のニュージーランドを朝日に遮られずに上空からゆっくり眺める事が出来た。
Auckland (9月27日- 30日)
10時20分に New Zealand の表玄関 Auckland
空港に到着。天気が良く日差が強い。空港から Air Bus で New Zealand 航空手配の無料宿泊ホテル、Novotel
までゆき、チェックイン後に市内に出る。
繁華街は Queen Street
付近に集中してる。まずはともあれ町全体を一望しようと
Auckland のランドマーク的存在の Sky Tower に登る。
タワーの展望台から前面に大きく開けた港、そして港に面した町の中心部、Queen Street
が小さく見え、周囲は緑の多い公園や住宅街が扇の様に広がっていた。
翌日、市の中心部から少し離れた City Tower
Apartment Motel
に移る。大きなモーテルで長期滞在者が多い様だ。部屋は2階でベッドルームとリビング・ダイニングが別になった広い間取りで、ベランダが大きく日当たりが良い。ここに3泊する。
Parnell
Road
Parnell
Road Village は坂上のオークランド大聖堂を過ぎ、ワイテマタ湾が見下ろせる坂上から坂下までの1Kmほど道路の両側にオークランドが植民地時代の木造の建物が建ち並ぶ。
古い町並みが良く保存された
Parnell Road Village
に出る。いろいろな趣のある構えの商店やレストランが沢山あり、多くの観光客が見学や食事に来ている。
Kelly Tarlton's Underwater World
Parnell Road
からタクシーで行く。ここは水族館で大きな水槽の中にある水中トンネルを歩き、水中から泳ぐ魚を目のあたり見る事が出来る。大きなエイが頭上をゆうゆうと泳いでゆく。魚達に人間が見られている様だ。外に出てると、対岸に美しい街、Devonport
が見える。海岸縁のレストランで小休止。
リンク・バスで Ponsonby に行く。日本のガイドブックでこの町は食事やショッピングに良いと案内されているので、町を散策してみた。町の雰囲気があまり良くない。再びバスで元清掃工場だった赤れんが作りの建物の
Victoria Park Market
に立ち寄る。ここにはいろいろな土産物や雑貨を陳列した商店が沢山ある。観て歩くだけでも楽しい。
オークランド博物館
オークランドの中心部を見下ろす小高い丘に広がる広大なドメイン公園内に、ゴシック様式の宮殿の様な建物。ここではマオリ文化を紹介する数々の展示や、観客も参加するマオリのショーがある。他所で見せる商業化されたマオリのショーに比較するとマオリ文化に対する取り組みがまじめで、しかも安く、実質的で評価出来る。
オークランドからフェリーで15分ほどで
Devonport
に着く。この町はリゾート地の様な趣のある町の景観でアンティーク・ショップが多い。対岸のオークランド市内と違い静かで落ち着き、綺麗な町並みであった。
この Devonport から多くのビジネスマンが Auckland
までこのフェリーを重要な通勤手段として利用している。
オークランドは海に面し、港には、沢山のレストランが軒を連ねる。Americas Cup Village
まで海岸線に作られた遊歩道を散歩した。港に停泊している沢山のいろいろなヨットを見ると人々の生活の豊かさを感ずる。
Auckland
は「シティー・オブ・セイルズ」と言われるからには湾内クルーズをと船着き場に行く。しかし、今、船が出たところだと言う。この種のクルーズは他に無い?と聞くと、これから
Princes Wharf
からヨットクルーズが出ると言う。我々は急いでヨットクルーズ乗り場に直行した。ヨットは海洋博物館に隣接して受付オフィスがあり、多くの人が出発を待っている。ヨットは3隻あり、10人ほどが一組で順にヨットに乗り込む。我々は最後の組でアルゼンチンの一家と一緒にヨットに乗り込む。ヨットは本格的な大型船で、毎年レースで有名な
Americas Cup
に参加する各国のクルー専用倉庫を海から見学した後、Waitemata
湾に出て行く。
ヨットは帆にいっぱいの風を受け、滑るように沖合にでた。キャプテンは前日のヨットレースで優勝し、賞品のシャツをすれ違うヨットのクルーに見せていた。船上ではエンジンの音が無く、帆が風にはためき、船が波を切る音のみ。柔らかい日差しと暖かい海風に吹かれ、お茶とケーキを味わいながらのクルーズは何とも言えない優雅な一時であった。
Auckland ⇔ Awanui ・Cape Reinga (走行距離:870Km)
New Zealand の主たる観光道路はドイツの街道の様にそれぞれ名前が付いている。北島の Auckland から最北端の岬、ケープ・レインガに至る国道1号線と12号線の427Kmは歴史街道と呼ばれ、マオリと英国間でワイタンギ条約が結ばれたところなど史跡が多い。
Auckland- Awanui (10月1日、走行距離:399Km)
今日からレンタカーで各地を移動する。朝のラッシュを避け、7時30分に
Budget で1600CCの Ford Sedan
を借り、湾にかかる大きな橋、Harbour
Bridge
を渡る。市内に入る反対車線の大渋滞を横目で見ながら、国道1号線を北上する。
幾つかの分岐点を過ぎるといつの間にか車の数が減り、時折数台が我々の車を猛烈なスピードで追い越して行く。道路は2-3車線でカーブが少なく見通しが良い。制限速度100Km以内で走る。
30-40分もしない内に人家は無くなり、広々とした牧草地帯に出る。牧場では牛がのどかに草をはんでいる(何故か羊がいない)。ガードレールがなく、柵もない高速道路を走れど走れどドライブインやガソリンスタンドが無い。80Km程走った所の
Dome
Valley
に小さなレストランがあり、ここで遅い朝食を取る。青い目の老人の団体がバスで立ち寄る。いっぺんに賑やかになる。
一服後、1号線に戻り、ひたすら北に向かう。途中 Whangarei, Kawakawa を経由して Kaitaia の町に到着したのが14時。町は国道に沿って商店が建ち並び、行き交う人々は白人とマオリ系の有色人種で、裸足で歩いている子供達をよく見掛けた。町の建物は平屋が多く、まるで西部劇に出てくる宿場町の様だ。
今夜の宿がある
Awanui はここから30分ほど走ったところに有る。Awanui
の町は国道沿いにぱらぱらとある商店以外何もない。周囲は一面の牧草地。
夜は一軒だけあるレストラン風ドライブインで夕食。草鞋のように大きな魚のフライ、大盛りの餃子のように大きなパスタを甘いジュースと大音響のロックの
BGM
を聞きながら挑戦したが半分食べたところでギブアップ。
ここはアルコールを販売するライセンスを持っていない。これに懲り、翌日はスーパーでワイン、サンドウイッチ、果物を買い込み、今夜の宿、Norfork
Motel で自炊をした。
この辺鄙な Awanui に宿泊した理由はケープ・レインガに一番近い町なので車で往復するのに至便と判断したから。しかし、ケープ・レインガまでの往復200Kmは途中から未舗装の道路になり道路状態も良くないとのことで、レンタカーでの走行を諦め、ケープ・レインガと100Kmの海浜(90マイル・ビーチ)を走る 「Sand Safaris」 のツアーに参加する事にした。
Cape Reinga / 90 Mile Beach (10月2日)
翌日、9時にツアーバスは我々を宿でピックアップし出発。マオリ人のドライバー兼ガイド氏は声、顔立ち共に北島三郎によく似たパンチパーマ風のごま塩頭のおじさん。元気印で陽気。客は我々二人と先客の新婚カップル(アメリカ人?全然話しをしない)のみかと思ったら、途中で15人ほどの客を乗せ出発。
北島北部はほとんどが開墾され、牧場となっているが以前は巨大なカウリの森が一面に広がっていた等々の説明を聴きながら、途中トイレ休憩をし、一路
Cape Reinga を目指して走る。
狭い山道の砂利道を走り、幾つかの峠を越えた山の上の駐車場に着いた。前方にはもう山並みが見えず青い大きな海原が視界一杯に広がっている。我々はついに北島の最北端に来た。
駐車場から海に向かって少し下ると、そこに白亜の灯台がある。タスマン海と太平洋の潮が岬の先端で合流し大きな一筋の線となっている。すばらしい雄大な眺めだ。
そして、ここは死後マオリ人の魂がここから旅立つとの伝説があるマオリ人達の聖地でもあった。しばらくこの自然の造形美を観賞した後、海岸に降り、昼食をとる。それから本日のメイン・イベントである
90マイル・ビーチをバスで疾走する。実際の距離は100Kmほどであるが、波打ち際を高速で走る気分は爽快であった。レンタカーでは波打ち際を走る事が出来ない。このツアーに参加し、数々の貴重な体験が出来て良かった。
Awanui - Whangarei
(10月3日、走行距離:425Km, 通算824Km)
往路は1号線であったので復路は12号線から
Waipoua
に入り、ニュージーランドで現存する最大のカウイの木「森の父」を見に行く。駐車場に車を置き、徒歩で鬱蒼としたシダの森に入るとそこに巨大としか言えない「森の父」が空に向かってそびえていた。
樹齢は推定で1200年らしい。かつてはこの様なカウイの木が沢山あった。しかし2000年を経て大きくなった多くのカウリの木を人間が一瞬にして切り倒してしまった。何か自然への冒涜とも思えた。
国道12号線に戻りシダの生い茂る森やカウイの木を伐採して開墾した牧場を幾つか過ぎ、
Dargaville で14号線に入り Whangarei の街に入る。
Whangarei
はニュージーランドで唯一石油精製所を持ち、良港に恵まれ、世界各国のヨットの停泊する街としても知られている。
Whangarei- Auckland
(10月4日、走行距離:209Km, 通算949Km)
交通量の多い1号線を Auckland に向って南下。夕食は Auckland
の中心部で取ろうとバスで市内に向った。しかし時間が早いので、時間つぶしにフェリーで
Devonport まで行き町を散歩する。夕方6時頃
Auckland に戻り、夕食後、Auckland 市内から宿まで taxi
に乗る。ドライバーはインド人で行く先を地図で調べている。道順を教えると「I
gat it.」と意地を張る。案の定、行き過ぎ、道が分からなくなった。彼はメーターを倒し、こちらの指示を乞う。若いドライバーで頑固であったが、ガッツがあったのでチップをはずんだ。
Auckland-Coromandel(10月5日、走行距離:187Km,
通算1136Km)
New Zealand
でドライブ・ルートに国道の幹線道路を選んだ場合、道順が単純で、標識も整っている。ナビゲーター役のかみさんは失業状態。専ら風景を眺めることに専念する。
New Zealand
のロードマップは日本の大手書店でも扱っていなかったので、 New
Zealand 政府観光局で得られる無料の資料、「Where To Stay Guide」中の地図を計画段階で使い、コンパクトなロード・マップを700円程度で現地で購入し、活用した。
Auckland
から Coromandel までは1号線を南下し、途中から2号線、25号線と走り
Thames
の綺麗な町を過ぎ、海岸線に沿って今度は北上する。道路は整備され、速度制限100Kmで走り易い。
Coromandel
に近づくにつれ、岩山が海岸線まで迫まり、曲がりくねった細い道を進む。時折、曲がり角から現れる対向車に気をつけながら。
その様な道でも後ろから車が迫り、追い越させると瞬く間に追い越し、見えなくなる。あんなにスピードを出して大丈夫なのだろうか。路肩も狭く、ガードレールがない。案の定、カーブのきついところの路肩に小さな十字架が置いてあった。ここから崖下の海岸にダイビングしたのだろう。
Coromandel の町外れにある観光登山電車、Driving
Creek Railways and Pottery
に乗る。かつては木材の搬出に使用し、現在は陶芸家が粘土の搬出を兼ね観光列車として運行している。出発時間になるとかなりの乗客が集まった。子供達の目が輝いている。小さな3両編成の列車でシダの生い茂る森の中をスイッチ・バックを繰り返しながら山頂まで登る。鉄橋あり、トンネルありで結構大人も楽しんでいる。
Λ TOP
Coromandel-Rotorua
(10月6日、走行距離:300Km, 通算1436Km)
Coromandel を8時過ぎに出発。今日は雨で霧が濃く視界が悪い。
Hauraki
湾から Mercury 湾に通ずる25号線をしばらく進む。急な山道になり、しかも道路は工事中で滑りやすく、でこぼこの砂利道になる。セカンド・ギアーで注意して進む。
Whitianga に9時30分につく。途中、
海岸線に面した Ranguinu
で小休止後、スーパー・マーケットで果物を仕入れる。このところモーテルでの朝食は買ってきた果物とサービスの牛乳、コーヒーとなった。
Rotoruaのモーテルについた頃は土砂降り雨になった。ここは温泉地帯!、浴槽がジャグジー付きで大きい。日本人客が多いのか、海外向け日本番組が見られる様になっていた。
6時30分ハンギ料理とマオリ・ダンスとコンサートのツアーに参加する。出演者は一生懸命やっているが、マオリ語を交えたジョークが多く、しかも、演説の様な説明が長く、観客には受けていない。ハンギ料理も給食スタイルでまずい。お勧め出来ないツアーであった。
Rotorua-Taupo(10月7日、通算距離:123Km,
通算1559Km)
曇り時々晴れのまずまずの天候。昨晩は雨で Rotorua
湖を充分に見ていなかったので、朝一番に行ってみる。湖は丸く、湖面が何となく黒い。氷河湖ではなく、火口湖だろう。
人出は少なく、中国人であろう団体がバスで乗り付け、すぐに立ち去った。家族連れや、老夫婦がのんびり湖畔を散歩している。風が冷たい。我々も早々に引き上げる事にした。湖畔を離れると、Kuirau
Park などの地底から噴煙を上げている地熱地帯に入る。
Agrodome の Sheep Show を見ようと、11時の開演に合わせて10時40分頃に行くと、もう始まっている。当方の時間を確認すると、時計は狂っていない。
理由は今日から
Summer
Time で時間を1時間早めている。次の開演まで3時間ある。
「どうしよう!」
「また来るのは大変だから待とう」
と言うことになり、昼食を園内のレストランで取り、ショッピングコーナーで本場のウール100%のセーターを物色しながら時間をつぶす。
ショーが始まるころにはツアー客も含め、子供連れもある個人客で会場は、ほぼ一杯になる。前面の大きなステージにいろいろな種類の羊が上がり、面白おかしく紹介する。
羊の毛刈り、牛の乳しぼり、牧畜犬のショーなど多彩で説明をヘッド・ホーンを通して各国の言葉で聞くので皆理解していた。白人も他の人種もほとんどの人がヘッドホーンを付けていた。久し振りに笑い楽しんだ。昨夜のマオリのコンサートでは、ジョークを交えた長々とした説明に応える観客は疎らであったから、この様な多国語で説明するサービスがあればもっと皆が楽しめたのにと思った。
Agrodome で予定以上の時間を使ってしまった。5号線を通り、森に包まれた美しい渓谷を過ぎ、地熱発電で有名な
Wairakei の発電所を見て Taupo
に入る。今日はシーズン・オフの日曜日。市内は閑散として薄暗い。
Taupo-Napier(10月8日、走行距離:229Km, 通算1788Km)
Napier
に向かう前に Taupo 湖に行く。大きな湖で
Rotorua 湖と同様火口湖のようで湖は丸い。湖面は黒い。湖畔に立つとカルガモの親子が我々の所に寄って来る。全く人を恐れない。
Taupo 湖から国道1号線を Rotorua に向かい、しばらく行くと Huka
滝がある。青く澄んだワイトカ川は落差9メートルのフカの滝壺に大量の水を落としている。地面に轟くすごい水量。
Crater of the Moon
に寄る。月面のクレーターように地表に大きな穴が幾つもあき、そこから勢い良く硫黄臭い水蒸気が噴煙を上げている。
森の中の峠を幾つか越え途中 Wapunga
Falls
を見る。那智の滝の様に水が大きな柱となって滝壺に落下して行く。日本で良く見る滝のようだ。
5号線はやがて平野部に入り、葡萄園があちこちに見え始める。Napierは近い。葡萄園街道とも言うべき国道沿いに「Cornucopia」がある。今夜の宿だ。周囲は葡萄園ばかりで商店もレストランも何もない。
宿に着く、「到着時、誰もいないので勝手に入ってくれ」と前もって連絡を受けていたので、ロッジの裏口に行くと歓迎の張り紙と鍵が置いてある。なんとも大らか。ロッジは一軒のみで我々が専用で使用できる。室内は広く
3ベッドルーム、バス・トイレにダイニングそして、英国風暖炉付きの趣味のよいリビングルーム。庭は一面の果樹園でみかんがたわわに実っていた。そして色とりどりの草や木の花。
夕食は Napier
市内でとる予定をしていたが、ロッジで今からでも食事が出来るとのことでお願いをする事にした。夕食はロッジ内のダイニング・ルーム。食前酒、3コースのディナーでエビとホタテの前菜を
Merlot の白ワイン、ラムと温野菜には赤ワインの Chardonnay、そしてデザートとして果実酒とシャーベットにコーヒー。ワインと料理が良く合い、しかもオーナーがロッジまで絶妙のタイミングで料理を運んでくれる。素晴らしいディナーであった。
Napier-Wellington
(10月9日、走行距離:432Km, 通算2220Km)
Cornucopia Lodge を9時に出発し Napier 市内には20分足らずで到着。
Napier の町は今まで訪れた町とは趣が異なりアールデコの建物が町全体を構成している。
町の中心部を歩いてみる。早朝の為か、目抜き通りを歩く人は少なく閑散としている。ただ幾組かの白人の小グループが市の観光係の案内で建物を見学していた。この町は1931年に地震で全滅した町をアールデコの建物で統一して再建した。
また、この町は木材の積み出し港でも知られ、また、この町の名が日本のティッシュペーパーの商品名になっている。
Napier から Wellington には国道2号線を行く。2時間ほど走った頃、Konini
と言う小さな町に入り、ここで町のスーパーでオレンジ、バナナなど果物を仕入れる。昼食を摂ろうと探したが適当なレストランが無く、ここから20Km程離れた
Mt. Bruce の新しいショッピングセンターの一角にあるコーヒーショップでケーキとコーヒーの軽い昼食をとる。
Wellington までは幾つかの町を抜け、真っ直ぐに延びた国道2号線を時速100Kmを維持しながら、ひたすら走る。Upper
Hutt にある今夜の宿へ4時30分につく。
明朝に利用するフェリー乗り場の確認を兼ねに
Wellington 市内に行く。折しも夕方のラッシュで道路は大変な混雑。フェリー乗り場を確認して早々に
Upper Hutt に戻る。