Part 1  (クリック)

Part 2  (クリック)

Edinburgh市内

EdinburghからLake District(湖水地方)

Lake District からBlackpoolを経てChester

ChesterからCotswolds

Stratford-upon-Avon,Costwoldsの村々

CotswoldからWindsorを経てBrighton

BrightonからBeachy  Head,Ryeを経てDover

Part 3 (クリック)

 

10月29日(日)晴れ強風、気温低く寒い。
Edinburgh 市内
 英国滞在7日目 

朝食は朝8時。「あれ?誰もいない。照明も予備灯のみで薄暗い。時間を間違ったかな?でも手元の時計は8時。おかしい」すると奥の調理場から奥さんが出てきて「今7時です。サマータイムは昨日で終わり。今日から1時間遅らせた時間になる」とのことで納得。

TVは盛んに英国南部とヨーク地方の河川氾濫と付近の家屋の浸水のニュース。10月25日に行ったヨークが大変。われわれが車を止めた駐車場やヨーク城付近は昨夜の大雨で、市内を流れるウーズ川が氾濫し家々の一階の窓の中程まで水位が上がり、大洪水。50年来の災害らしい。もしも4-5日遅れてヨークを訪れていたらと思うとぞーとした。大勢の観光客や住民が救助隊の用意したボートに二階の窓から乗り移る映像が繰り返し報道されていた。

風が強いが天気が久しぶりに良いので早くEdinburgh市内に行こうと早々に宿を出てバス停に行く。時刻表を見たら始発が10時30分。今、9時前。仕方がいので丁度来たタクシーに乗り市内に。Edinburgh市内は昨夜の雑踏風景と打って変わり人影もまばらで町全体がシーンと静まりかえり、まだ眠りから覚めていない。駅から急な石畳の坂を上りEdinburgh城に行く。城は小高い岩山の上に構え、城の正面入り口前の広場から市内の眺めはすばらしい。

ロイヤルマイルはエディンバラ城とホリールード宮殿とを結ぶ一大観光道路。旧市街の中心部だけあって広い石畳の道路、古い石作りの大きな建物が道路に立ち並ぶ。エディンバラ城も含めこの旧市街はたくさん見て歩く場所が有り一日はゆっくりしたい所。昼過ぎ、ロイヤルマイルの中程でタータンチェックのキルトで正装しバグパイプを吹く口ひげの立派な路上演奏者がいた。バグパイプの曲にしばし聞き入る。この演奏を聴くとScotlandに来て居るんだと実感する。音色はなんとも言えない哀愁があり、胸にジーンと来る物がある。感激!

一休みと昼食を兼ねバーに入る。中は人で一杯。運良く二つ席があり1パイン,(570cc)の Bitter(色の濃い、少し苦みのある代表的なビール)で喉を潤す。英国のビールは殆ど常温で冷たくなく、寒くても抵抗なく飲め旨い!次から次ぎへと客が押し寄せ満員。外にはかなりの人が並んで順番を待っている。

9時過ぎに宿に戻る。TVは相変わらず洪水のニュースをどのチャンネルも大きく扱っている。明日は南下してイングランド湖水地方を訪れる。

10月30日(月)密雲不雨
EdinburghからLake District(湖水地方)(158 Km)
 英国滞在8日目 通算走行距離(1596Km)

いつ雨になってもおかしくない空模様。かなり旅のリズムが掴める様になってきた。Scotlandから再びEnglandに入る為に国道A702、A74、M6と快適に南下し、一路、湖水地方に向う。M6からA66に入るあたりからまた空模様がおかしくなりやがて本格的な雨になった。M6のPenrith分岐点からKeswickまで30分程。

Keswick はこじんまりとまとまった綺麗な町で鉛筆の発祥地としても知られている。町の中を散歩しようと車を降りたが横殴りの大粒の雨が容赦なく吹き付けるのでとても散歩の雰囲気ではなく、早々に駐車場の近くの喫茶店に駆け込む。例によりケーキと紅茶でアフタヌーンテー。

今日の最大の目的はWindermere湖のLakesideからHoverthweightまで20分程で走る蒸気機関車に乗ることだった。Keswickでゆっくりしすぎたので雨の中をGrasmere、Amblesideの町を素通りし一路Windermere湖畔の Bownessまでひた走る。BownessからLakesideまで連絡船が出ている。到着3時。船着場に人影なし。変な予感。やっぱり。今日は2時10分で最終便が出て今シーズンは終わりだそうだ。がっかり。船より車の方が早いと思い陸路を飛ばしてLakesideの駅まで行く。Lakeside駅はひっそり誰もいない。

車庫には機関車が数台こちらを向いて並んで車庫に入り、機関車の前面にはおどけた人間の顔の絵が描いてあり、皆こちらを向いて笑っている。人影なし。機関車達はとても寂しそう。辺りが薄暗くなり、ともと来た道を戻り、Windermere湖畔の宿に入る。
夜はピーターラビットの博物館正面入り口前にあるしゃれたレストランで食事をとる。シーズンオフの為か客は地元の人と思える人達が数人。われわれは一番奥の暖炉が近いテーブルで食事が出来た。

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10月31日(火)
Lake DistrictからBlackpoolを経てChester (254 Km) 英国滞在9日目  通算走行距離(1850Km)

Windermere湖畔の朝は霧に包まれ、空は薄日もさすまづまづの天気。黒々とした深い森に囲まれた湖畔の街はひっそりとして何とも言えない趣のある雰囲気。

朝食の為、宿のダイニングルームに降りていくと3人の若い日本女性グループ。われわれと同様にドライブしながら旅行している。これから、Edinburghに行くそうだ。今回の旅行で日本人に逢ったのはこれが最初。

昨日素通りした Amblesideに行く。町は大通りに面して同じ形の家がびっしり並び、しかも、外壁はすべてグレーの石板を使用し、窓枠は白。見える所に電線、TVアンテナ等一切なし。とてもすっきりした瀟洒な町並み。町の駐車場の出入口の近くに綺麗な小川が流れ、小川をまたぐ様に建てられた石作りのBridge House。17世紀に建てられたそうだ。今でも健在で周りの風景にマッチした観光名所。

再び車に乗り Winderemere湖を右に見ながら南下する。雨上がりの緑は鮮やかで、遠くの山々の頂には冠雪が見える。しばらく森林地帯を走るとやがて平野部にでる。

 

M6に入り2時ごろ Blackpoolに到着。ここは海岸に面したリゾート地区で町にある大きな駐車場からシーズン中の賑わいが想像できる。町の中心に大きなタワーがそそり立ち、遠くからでも良く見える。このタワー近くのWinter GardenビルにあるBall Roomを訪れる。Blackpoolの町は大勢の人々でごった返し、大変な賑わい。静かな湖水地方からきたので余計ほこりっぽさと騒音を感じる。Ball Roomで毎年プロの社交ダンス選手権が行われ、かみさんの先生も毎年ここにきて大会に参加しているそうだ。その様な関係でどうしても競技会場を見たいとここにきた。しかし、閉館時は一般の見学は出来ない。幸いマネジャーらしき人がBallRoomに入っていったので見学を申しいれたら快く受け入れてくれた。

会場はオペラハウスの様な豪華な飾りを施した4階建ての観客席を周囲に、中央は吹き抜けの大広間。床は寄木貼りでかなり使い込んでいる。かみさんは興奮ぎみ。案内してくれた紳士はダンスのポースまでしてかみさんとの写真にも快く応じてくれた。夕刻、Blackpoolを離れ今夜の宿泊地、Chesterにむかう。

Chester
Chesterの町に入る頃は日もとっぷり暮れ、夕方のラッシュで道路は大渋滞。今夜の宿は大きな屋敷で、照明が少なく薄気味悪い。

シャーロックホームズやポアロが活躍する推理小説に出てくる屋敷のようだ。
案内された部屋は3階で古いが二間続き のゆったりで、バス、トイレも綺麗。エレベーターがないので日に日に重くなるスーツケースをフーフー言いながら部屋まで担ぎあげる。食堂は二部屋に分かれどちらもえび茶の羅紗の様な壁布を貼り、あちこちに金色のビクトリア調の飾りを施し、往時の繁栄を思わせる様な豪華なもの。奥のもう一つの部屋には20席ほどの食卓が並び、純白のテーブルクロスに趣味の良いキャンドルが灯り、なかなかロマンチック。ワイン・リストにはフランス、イタリア、ドイツ等各国別にワインの銘柄がずらりと並び、値段をみると殆どが2-3千円前後のもの。思った程高くはない。イタリアのワインを頼んだ。旨い。料理も魚、野菜を中心にした2コースを注文。料理ができるまで暖炉の前のソファーでワインを飲みながらゆったり過ごす。しばらくするとテーブルに案内された。BGMもなく明かりは天井の薄暗いシャンデリアとテーブルのキャンドルのみ。静かに時間が過ぎ、とても豪華で、リラックスする。料理は盛りつけ、味ともに満足。どうやらここはレストランを中心にした宿の様。

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11月1日(水)晴 
Chester
からCotswold (200 Km)英国滞在11日目  通算走行距離 (2050Km)

翌朝の朝食はFull English Breakfastで肉も厚く、品数も多い。食事が済み、例により暖炉の前でお茶を飲みゆっくりしてから、Chester市内に出掛けた。Chester市内に近づくにつれ今まで慣れ親しんだ石作りの家並みと全く異なり、木で骨組みをし、純白の土壁の建物が多くなり、やかて市内にはいる。旧市街はすべて分厚い石の城壁に囲まれ、観光名所はこの中に有り、徒歩で十分見て歩ける。この町は2000年前にローマ人が要塞として築いたもので町のあちこちに遺跡が有る。
町には3つ門(East Gate, Water Gate, Bridge Gate)から出る通りが交差したところが「Cross」と呼ばれ、町の中心街。観光客は必ずここを訪れる。周囲は木骨組の商店街が並び、 独特の雰囲気。
これからシェイクスピアの生家のあるStratford-upon-Avonに寄り、Cots-woldsに行く予定であったが時間に余裕が無くなったのでStratford-upon-Avonは翌日にしCotswoldに直接向かう。予定変更が簡単にできるのが個人旅行の良い所。
なだらかな丘陵地帯に点在する小さな集落は13-14世紀に羊毛の生産、出荷で栄え以後時計の針が止まった様に当時のままで、新たな開発の手が加えられず今日にその姿を留めている。蜂蜜色 の石板で造られた家、屋根、曲がりくねった細い道、チムニーから出る紫色の薪が燃える懐かしい煙の匂い。車も人影も殆どない集落のメインストリート。時折、鶏かとよく見ると、雉の親子があちらこちらの草むらから顔をだし道路を悠然と横断していく。何とものどかで静か。しかし夏になれば大勢の観光客が押し寄せ、騒がしくなるだろう。今夜の宿Old New InnがあるBourton -on -the-Waterに到着したのが日もとっぷり暮れた5時。

11月2日(木)
シェイクスピアの生家のあるStratford-upon-AvonからCotswold
Bouton-on-the-Water (102 Km) 英国滞在11目 通算走行距離(2152Km)

ドアにノックの音。ドアを開けると「朝食前にお茶をどうぞ」と香りの好いティーを部屋まで持ってきてくれた。美味しかった。眠気も一気に抜け元気100倍。TVを付ける。数日来からひっきりなしに来る低気圧の為York, England南部の各地で発生した洪水は依然引くこともなく町の中を大河をなして悠然と流れる様子をTVでキャスターが報道している。さらにYorkでの死者がでる列車脱線事故、ガソリン不足と値上がりでブレア首相が国民に冷静な行動を求めていた。そして、BushとGoreとの大統領選のもたつき、エルサレムでの爆弾テロなどおよそ静かな田舎の村、Cotswoldには似つかわしくないニュースばかりが飛び込んで来る。

さて昨晩から宿泊しているこの宿は2星のB&BでCotswoldで一番美しいBourton-on-the-Water村の中心にある。Old New Innという名の通り館は相当古い。暖炉のある広いバー、ダイニングルーム、ティールームは贅沢な作り。シーズン・オフで部屋が空いていたので二部屋を自由に使えた。シーズン中は高いがオフでの利用は安価でお勧め。これだけ設備が整っているのに何故2つ星?
昨日素通りしたシェイクスピアの生家のあるStratford- upon- Avonを見学後、Cotswoldの村々を訪ねる。 Bourton-on-the-waterからStratford-upon-Avonまでは昨日通った道を北上し1時間ほどで着いた。町の入り口にある駐車場に車を置きシェイクスピアの生家に向かう。Avon運河に係留された観光船はカラフルで鰻の寝床の様に長ーい船体で狭い運河を通行するのに丁度良く設計されている。時間があれば1日ゆっくり船旅としゃれ込むのも悪くはない。

比較的新しい無機質な建物の間にぽつんと木骨組の二階建ての家がある。壁は茶色。ここがシェイクスピアの生家。荒天続きのシーズンオフでおまけに平日の為か観光客はまばら。入り口は右隣の真新しい近代的な記念館からシェイクスピアの生家に入る。生家はなかなか立派で部屋数も多いが世界的に有名な作家の家としては質素。

Stratford-upon-AvonからB4632でチッピング・カムデン、ブロード・ウエイ、スノーヒルなどの Cotswoldの村々を訪ねる。

広い丘陵地帯に点在する Cotswoldの村々を訪れるには車以外に交通手段が無い。電車、バスとも殆ど利用価値がない。丘陵地帯の道路は片道1車線で見晴らしが良く、道路標識が整っているので迷う事はなく快適なドライブが楽しめる。ただ、気を付けないといけないのが急に飛び出してくる雉の一家。道路のあちこちに運悪く交通事故に遭った雉が轢かれたままで道路に横たわっている。可哀そう。

英国の町を訪ね感ずることは「古さを維持する」事の苦労を英国人は厭うことなく楽しんでいるようだ。特に、Cotswoldの村は古くは13世紀頃からのものが残され、当然残す為に、それなりに修復をしなければ残らない。痛んだ箇所を直せばそこだけ目立つ。そこで周囲と同じ状態になるように工夫をしている。修理ではなく、修復である。村の雑貨屋さんに入ってみると古い形に復元した家の部品が所狭しと置いてある。これで壊れた部品を交換してもなんら違和感がないのだろう。

Cotswold地方は14世紀以降産業革命から見放され、現在に至るまで何ら近代産業の手が加えられず当時の姿がそのまま残っている化石の様な村々だ。蜂蜜色の石で造られた家。屋根は石や茅で葺いたおとぎ話の絵本にでる挿し絵のようだ。カメラを何処に向けても絵になる。名所・旧跡めぐりと言うより時間を掛けゆっくり村々を散歩して、疲れたら、小さい入り口のドアーを押してバーに入り、暖炉の傍に席を取り、スコーンとティーで一服するのも良いだろう。

暖炉の脇で本を読みゆっくりティーを楽しむ旅人がいた。お茶を飲んだらさっさと出掛けるわれわれをみて彼らは不思議がるかもしれない。 Cotswoldの村は何処を訪れても裏切られない。何かをわれわれの心に残してくれる。機会が有れば再度、もっとゆっくりここで過ごしたい。
夕刻、宿に戻り夕食を取った。ダイニングルームには一組の若い家族連れとわれわれのみ。彼らはLondonから一泊の休暇を楽しむ為にここに来ているそうだ。われわれが退職後の休暇で英国各地を旅行をしていると言ったらわれわれもいつかはそうして日本を旅行したいと言っていた。テーブルに灯された蝋燭がほの暗く辺りを照らしとても静か。食後は暖炉のある別室でティーを楽しむ。何とも優雅なCotswoldの滞在であった。静かなイングランドの田園地方も今夜が最後になった。

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11月3日(金)晴
Bouton-on-the-Waterから英国王室 Windsorを経て南部海浜リゾートBrighton (256 Km)
英国滞在12日目 通算走行距離 (2408Km)

連日雨で水浸しになったCotswoldの村にもようやく太陽が顔を出し、すがすがしい朝を迎えた。ホテル前の川は普段なら水深10cm程度の浅い川が今日は増水し川から溢れ、道路が一面水浸し。でも、草木の葉は雨に洗われ、鮮やかな緑となり、朝靄に朝日が筋をなして射し込みBourton-on-the-waterの村は一段とその美しさを増していた。

A429号線を一路南下する。CirencesterでA419号線に入り、しばらくしてからM4に入る。M4は片道3車線の高速道路で、どこから集まったのか沢山の車とその騒音に驚く。まるで横丁の静かな路地から急に表通りにでた様だ。いままで、これらの騒音とは全く無縁の世界を旅してきたのでちょっと戸惑う。

M4沿いのドライブインで休憩後、再び、M4を南下し出口6でA332に入りWindsorに向かう。Windsor の町はおよそ城下町に似わず、町は整然と区画整理され赤煉瓦の2-3階建ての長屋風の家がびっしりと建つ。テムズ川の畔にある Windsor城は900年間もイギリス王室の居城となり町も城と共に発展してきた。Windsorには2本の鉄道が入り、Windsor城の正面に有るのがWindsor &Eton Central Stationである。われわれはこの駅前にある大駐車場に車を置き、Windsor城に向かった。

城の真ん中に丸い大きな塔がラウンドタワー。今日は王室旗がひるがえり女王滞在とのことで警備が物々しく、城内の観光範囲も制限された。でもここで、われわれは女王と同じ空気を吸っているのだと思うと変なところで感激し、親近感を覚えた。Windsor城の見所は歴代王候の家具調度品や美術品が展示されている ステート・アパートメントやジョージ5世の為に造られた人形の家であったが観光制限の為入場ができなくて誠に残念。毎年6月に女王によるガーター勲章の授与が行われるセント・ジョーンズチャペルを見学し、Windsor城を後にした。

再びA332号線に入る。A332号線からM25に入り、7番分岐点でM23,そして11番分岐点でA23に入る。この辺りはLondonに近い事もあり交通量が多くナビゲーター無しではとても予定通りに走れない。Brightonに近づくに従い、空の青さが一段と増し、明るくなる。Brightonはイギリス最大の海浜リゾート地で町も大きく、今まで逢った事が無いいろいろな顔をした人種の人達が歩いている。Brightonの町は今までの町の雰囲気とまるで異なる。

今夜の宿は海岸通りから少し入ったB&B街の中にある。BrightonとプリントしたTシャツを着た若い主人に迎えられ部屋に入る。綺麗で有るがただ泊まるだけの簡素で機能的な部屋に荷物を置き、夕食を取るため外に出る。この辺りは駐車場が少なく路上駐車が多い。路上駐車はすべて有料で、午後6時から朝9時までが無料。日中は0.5ポンドを路上駐車する前の家の持ち主に駐車料金を支払うシステム。


11月4日(土) 晴 
Brightonから英国海の南玄関口Dover(175 Km) 英国滞在13日目 通算走行距離 (2583Km)

朝のBrightonは抜けるような真っ青な空で快晴。英国で貴重な大快晴。白い壁に日の光が反射して眩しい。やはり南部イギリスの方が天候に恵まれている。例によりFull English Breakfastで腹ごしらえをしっかりしてBrightonを後に海岸線に沿ってA259号線をドーバーに向かって進む。途中、ガソリン補給でエッソに立ち寄る。 Sorry. No fuel。次のBP に立ち寄る。同じく、Sorry. No fuel。店の主人によると給油ができる場所は大手は全部だめ、この先のクローバーに行けば補給できるかもしれないとのこと。5Km程走ると四つ葉のクローバーのマークのSSがあり沢山の車が列をなして順番を待っている。ここでわれわれも給油ができた。

A259号線をしばらく進むとSeafordの町に入り、ここで左折して細い坂道を登るとそこにAlfristonと言う小さな集落がある。英国らしい落ち着いた綺麗な村。17-18世紀に建てられたのであろう古い家並みがそのまま保存されている。道幅は狭く、駐車場が見つからない。車で村を一周して元のA259号線に戻る。 途中見晴台がありここからは眼下に先日来の大雨で浸水した田畑そして遠くにはドーバー海峡が日の光で照り映え黄金色に輝いていた。

Beachy Head, Seven Sisters  
A259に出て間もなくBeachy Headに至る。ここで案内板に従って進むと一面草原に覆われた丘陵地帯に出る。近くに寄ると、丘陵の向こう側半分がない。半分はほぼ直角に海に向かって崩落している。
恐る恐る覗くと断崖は真っ白で延々と続いている。この白い土はチョークの原料になるとか。これがドーバー海峡の白い崖(Seven Sisters)だ。海側から見たら、さぞかし雄大だろう。
この海岸の対岸はフランス。長い間の英国とフランスの戦いの跡がこの沿線に多く残されている。1066年フランスから来たノルマン王ウイリアムがこの地、Hastingsで英国王ハロルドを倒し、天下を取り現在の王室に繋がっている。また、この先のRyeという町は綺麗な港町で昔密貿易が盛んだった頃に海賊が略奪の祝宴をしたと言う15世紀のMermaid Innがいまも現役で活躍。沢山の見物客や中のレストランで食事とる客で大変な賑わい。

Doverへ
Ryeで一服した後、途中、英国とフランス、ベルギーを結ぶユーロ・スターのトンネルが有る英国側玄関口、Folkstoneの町を抜け、広い道を快適に飛ばしドーバーに。夕刻、ドーバーの港が見えてきた。ドーバー港は沢山の大型フェリーが出入りし、ややよごれた白い崖が夕日に照らされ背後に屏風の様に構えていた。今夜の宿は5つ星のBest Western グループのChurchill Hotel.。部屋からの眺めは最高。ドーバー海峡が眼前に広がり、対岸が遠く霞んで見える。フランスのカレーだろうか? 

今夜はホテルのレストランで夕食をとる。この地に来たからには何をさしおいても「ドーバーの舌ヒラメ」。ワイン・リストから選んだ手頃な値段(銘柄ではない)のイタリアのワインを注文。出てきた舌ヒラメは大きく塩とこしょうで味付けしたもの。英国はドレッシングを使う習慣がないのかフランスの様にドレッシングを上手く使えばもっと美味しく食べられるものをと思った。 ドライブ旅行も明日が最後日となり、ここまで無事に来た事に感謝し、口当たりの良いワインで乾杯。殆ど客の居ない広い静かなダイニング・ルームでドーバーの夜を楽しんだ。
  

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