いつかは実行しようと暖めていた英国ぐるりドライブ紀行計画が遂に2000年10月23日から11月10日まで正味18日間の内13日間を使い実現した。秋も深まり観光客のほとんど居ない貸し切りの静かな英国の地方の風情を堪能した。
Part 1 |
Part 2 (クリック) |
Edinburgh市内 |
EdinburghからLake District(湖水地方) |
Lake DistrictからBlackpoolを経てChester |
ChesterからCotswolds |
Stratford-upon-Avon,Costwoldsの村々 |
CotswoldからWindsorを経てBrighton |
BrightonからBeachy Head,Ryeを経てDover |
CanterburyからHeathrow空港を経てLondon市内 |
London市内 |
Heathrow空港からCopenhagenを経て成田空港 |
英国情報・雑感 |
■10月24日(火)
Heathrow空港からロビンフッドの町Nottingham
(270Km)
10月23日午前11時55分成田を離陸し、Copenhagen,Kastrup空港経由でLondon上空をしばらく旋回しヒースロー空港に一時間以上遅れて無事到着。空港近くのホテル、IBISに宿泊。翌朝6時30分起床。外はまだ暗い。7時にレストランでビュフェスタイルの朝食。ジュース、ミルク、トースト、ハム、フルーツなど大盛りにしてスタミナを付けた。8時にチェクアウトし玄関前でHoppa(空港・ホテル間有料連絡バス)に乗り空港ターミナル3に戻り、ここでHertzの連絡バスに乗りHertzの事務所へ。日本で予約した条件以外にドライバーの追加と各種保険の免責免除の保険「スーパCDW」に加入し、車の鍵を受け取る。車はフォード2000cc セダン。心配していたトランクのスペースは広く、中型スーツケース2個に手荷物3個がすべて納まり、車内に何も置かずにすんだ。
Hertzを出てM25「Motorway25号線」に入る連絡道、A4「A級国道4号線」をしばらく走るとround about。右から来る車を優先させ交差点内に入る。半周して左折。M25に入る。4車線で交通量も多く、皆よく飛ばす。M25の21番分岐点でM1に入る。高速道路の出口の標識にはLondonから地方に向かって番号が大きくなる数字が示され目的の出口の番号までの順番が解りやすい。
26番分岐点で今日の宿があるNottinghamに向かうA610にはいる。かつてNottinghamの外壁であったであろうRing Roadを横断し市内に向かう。緑の多い立派な町並み。ロビンフッドが活躍したSherwoodの森に向かって進むと大きな屋敷街に入る。人影なし。3番目の道を左に曲がった所が今夜のB&B(宿泊と朝食付き民宿)。標識の類全くなし。看板が屋敷の入り口に小さく立っている。ホテルの様にあちこちに案内板を出していない。
英国最初のB&B、Greenwood Lodge City Guest House
に到着。車をLodgeの駐車場に入れる。真っ赤に紅葉した蔦の絡まる煉瓦作りの塀に真っ白な洋館はとてもきれい。玄関からSheila夫人とご主人のMikeのお出迎えをうける。やさしそうなご夫婦なので安心した。
家の中は全く個人の邸宅そのもので宿らしくなく、ビクトリア調の豪華な家具、装飾がすばらしい。案内された部屋はメルヘン調の家具・装飾で若い女性には喜ばれそう。
夕刻まで時間があるのでNottinghamの市内に出掛けた。この町はロビンフッド時代の産業革命時代に織物で栄えCotswoldsの産業をtake overし、当時の繁栄の跡があちこちにみられる。Nottingham城の付近は当時の古い建物がまだ現役で使用されとても良い雰囲気。
悪代官とロビンフッドで有名なNottingham城は13世紀ごろのもので城壁に当時の面影が残っているが城内は博物館でみるべきものは少ない。
城から少し歩いた所にロビンフッド物語アミューズメント・パークと称する民間の見せ物小屋がある。中は極端に薄暗く、よく見ると当時の貧しい庶民の家とぼろをまとった蝋人形の市民が立体的に配置され、吹いてくる風もかび臭い演出。客はゴンドラのような物にのり悪代官の圧制とロビンフッドの活躍を表現した装置のなかを音と光と臭い匂いで見て回る仕組み。芸術的ではないが素人受けし結構面白い。4時過ぎ、外は薄暗くなり、今にも雨が降り出しそう。そして気温もかなり下がり底冷えしてきたので早々に宿に戻った。
■10月25日(水)
Nottinghamから城壁に囲まれた中世の町Yorkを経てDarlington
(279Km) 通算走行距離549Km
今日は快晴。イギリスにもこんなにきれいな青空がある。B&Bで初めてFull English Breafastを体験する。庭に張り出したサンルームで朝食。主人のMikeのお手製の料理。厚手に焼いた豚肉のベーコン、片面目玉焼き「英国式Fried Egg、米国式 Sunny-side up」ソーセージ、トースト「薄手の黒と白のパン」苺を飾ったグレープフルーツ等とてもおいしく豪華。Mikeご自慢の「朝食」。
市内で初めてガソリンを補給。そして初めてセルフの給油をする。かみさんにルートマップと地図を渡し、ナビゲーター役を任命した。再びM1にはいる。さすがに英国の大動脈。4車線の道路は車で一杯。キヤノンボール並みの超大型トレーラーに80マイル「120Km/時」以上のスピードで次から次えと追い越される。
Yorkからイングランド北部Darlington
昼前にYorkにはいる。町の入り口のフォース河沿いに作られた駐車場に駐車し徒歩で市内に入る。3日後大雨でフォース河が氾濫し、この辺りは一面水没。Yorkはローマ人、ヴァイキング、ノルマン民族と受け継がれてきた城塞都市。見どころはすべて城壁内にあり2-3時間ですべて見て回れる広さ。ヴィクトリア朝時代の町並みを再現し展示してあるYork
Castle Museumを見学した後にローマ時代に築かれた城壁の上を散歩。
ここからイギリス最大のゴシック建築で1220年から250年掛けて建造されたYork Minsterに行く。 内装は華美ではないがすべてが大きく豪壮で写真を撮るにも大きすぎて一枚の画像に納まらない。3時ごろ、Yorkを離れM1に戻りDarlingtonに向かう。
Darlingtonは観光ルートからはずれているのかそれらしき旅行者は見かけない。今夜の宿は町からちょっと離れたCroft on TeesにあるのでM1の56出口で降りる。車も人もほとんど見かけない。静寂そのもの。
畑の中の広大な敷地に3棟の建物があり庭は一面の緑の草(芝生?牧草?)と一頭の犬と一匹の猫がすり寄ってきて出迎えてくれた。宿の中に入るとArmstrong夫妻のお出迎え。夫人はダイアナさんに良く似て美人。部屋はそれぞれコテージ風になって独立し、われわれの部屋は庭に面した二間続き。内装は東洋風。中国画のある漆塗りのベッド、壁には浮世絵。
東洋人からみるとこの飾り付けは?だが、西洋人からみるとエキゾチックで良いのだろう。
部屋、バスルームとも広く快適。大満足。
夕食はダイニングルーム。正面の大きな暖炉に火が入りとても暖かい。温野菜とマッシュルームのクリーム煮が美味しく、サーモンのムニエルはボリュームがある。1パイント「570cc」のビターは喉越しも良い。客は2組の宿泊者と外来のカップルだけ。音は暖炉の炎の音のみ。とても静か。BGMもテレビも何も人工的な物は必要なくゆったりした時間が流れる。
△ Top
10月26日(木)快晴
DarlingtonからKirkcaldy
(382 Km) 英国滞在4日目 通算走行距離
(931Km)
イングランド北部Darlingtonの郊外にあるClow Beck村の朝は真っ青な青空とすがすがしい無色透明な空気だ。昨日出迎えてくれた犬と猫に再度出迎えられ朝露で靴を濡らしながら庭を散歩。
当初われわれは内陸のA68号線を通ってScotlandに行く予定だったが、宿の宿泊客に「海岸線沿いにA1経由で行った方が道も平坦で楽だ」と勧められる。計画は不用意に変更すべきではないが, 急遽、山岳ドライブのA68から海岸ルートのA1に変更しScotlandに向かうことにした。
幹線道路A1は相変わらず交通量は多い。でもイングランドからスコットランドに入る辺りから車の数はぐっと減り、快適なドライブとなった。そして風が強まりうっかりするとハンドルを取られそうになる。Bordersの標識辺りから海岸線が近くに迫り、木一本生えていない荒涼として低い起伏の小山が連なり、麓の牧草地帯は羊が風上に向かって一列に並び、草を食べている。 Bordersはイングランドとスコットランドとの国境の意味でここにはブリテン島「イギリス本島」を南北に分断するかのように西海岸から東海岸まで延々120kmに及ぶ長い防壁が残っていると言う。ただ西海岸に近い所は破壊され標識のみ。ローマ軍が北方からの侵略を防いだイギリス版万里の長城、Harinan's Wallだ。
A1を北上しEdinburghの手前の海岸線に沿った小さい町Dunbarで遅い昼食と両替をする。町は大通りに沿って家並みが連なり、町はずれに教会とホテルがある。Scotland銀行でTCを現金に交換した。手数料ゼロ。後日ロンドンなどで他の銀行で両替したときはしっかり手数料として5ポンドをとられた。
A1をさらに北上しながらForth湾に沿って内陸を走り、Edinburghの外郭環状道路からA90に入る。夕方の為だろうかひどい混雑。車は延々と連なりのろのろ運転。結局、Edinburghの外郭を通り抜けるのに1時間以上かかった。やがて東京湾に懸かるレインボーブリッジのような大きなForth Road Bridge「有料」を渡り右折してForth湾沿いに走るA921号線を進んでKirkcaldyにある今宵の宿に着いた。時刻は日もとっぷり暮れた5時。
館はがっしりとした石作りで大変古いが綺麗に手入れされている。オーナーの
Harry、Linda夫妻に迎えられ部屋に案内された。部屋、バスルームとも広くきれい。夕食は外でと考えていたけれど、家で食べたらということで宿で取ることにした。出された料理は白身の魚のムニエルでわらじの様に大きい。飲み物は
Harryさんご推薦のスコットランドの生ビール、「Caffrey's Real
Ale」まろやかな泡に琥珀色の液体。味は癖がなく、軽い。ラガーに近い。
10月27日(金)
KirkcaldyからSt.
Andrews (150 Km) 英国滞在5日目 通算走行距離(1081Km)
昨日の天気予報通り今日は雨、風強し。St. Andrewsに行くには内陸の丘陵地帯を走る A915が早いが、われわれは少し遠回りになるが景色の良い海岸線を走るA917を行く。9時、宿を出発。濃い靄が立ちこめ、大粒の雨がフロントガラスを叩く。A917号線は片側一車線の走りやすい道路で車も非常に少ない。
この時期テレビでは軽油税の課税問題でトラック組合が道路や精油所を封鎖して課税反対のデモを連日繰り返し放送していた。一部都心のSSでガソリン不足が報じられている。雨、風とも本格的に強くなってきた。しばらく走ると道路は海岸線に近くなり、Anstrutherの標識に従い右折して海岸に向かい坂を下ってゆく。道は昔ながらの石畳でゴロゴロと車を進めると視界が急に開け港町にはいる。色とりどりの建物が海に沿って綺麗に並び港には200トン程度に漁船が数隻係船している。シーズン中なら有料であろう誰もいない駐車場に車をとめ海辺近くのバーに入り、トイレ休憩も兼ね一服する。
休憩後、ワイパーが激しく動く音を聞きながらA915をひた走る。途中別荘の様な数軒固まって立ち並ぶ村を幾つか抜け、羊が 一心に草をはむ広い牧草地帯を通り丘を越えて下りに入った。その時、視界が一変して急に広がり、右手に九十九里の様な弓形の海岸線があり、正面遙か向こうにゴルフ場がみえた。
「St.Andrews」だ。どうした事か雨が急に止み、青空まで見え、虹まで出てサービス。緩い坂道を下るとSt.Andrewsの市内に入る。道は海岸線に沿って3本あり、陸側の道は旧道だろうか、でこぼこの広い歴史を物語る石畳の道路で、両側は食べ物屋や商店がびっしり並んでいる。
正午近いのでSt.Andrews大学の学生で何処のレストランも一杯。海岸線に沿った道路から二本目の道路は新市街とでも言うのだろうかメインストリートで舗装された綺麗な道路で東側にSt.Andrewsのゴルフ場と関連の商店、ホテルが整然と建ち並び、西側にはSt.Andrews大聖堂の廃墟がある。街の中心部にSt.Andrews大学があり立派な中庭そして歴史ある校舎は本当に学舎の趣がある。英国王位継承が報告されているウイリアム王子がこのSt.Andrews大学に入学されるニュースがTVで報道された。
町のメインストリートの両側が有料駐車地区になっている。運良く駐車スペースがあったのでここに駐車し、徒歩で街を見学する事にした。メインストリートを西に向かって歩くと巨大な大聖堂跡にでる。現在は双塔を残し礎石や柱などが残るのみだが当時の規模の大きさが偲ばれる。
海岸にそって細い道を辿るとSt. Andrews城址にでる。海に突き出た様に造られた石垣は長い間、潮に洗われて朽ち落ち一層もの悲しい。16世紀イングランド軍の攻撃で落城、その後破壊され廃墟となった。古い石垣、雨に洗われ色鮮やかな緑の芝、何処までも青く澄んだ海と白い波。みんな一緒になり絵はがきの様に美しい。
さらに道を辿る。ここは大学の裏手にあたる。学生の車だろうか色とりどりの車がびっしりと駐車してある。一人の学生がゴルフバッグを担ぎ、手にゴルフシューズを持ち歩いていく。後に付いてゆくとSt.AndrewsのOld Course前にでた。彼はさらに奥の方に進んで行った。昼休みを利用した練習だろうか? ゴルフの街らしい風景だ。
Old Courseに着くと沢山の人。皆、見物客は柵で囲まれたコースの外側をうろうろ。コース内に1本の公道があり見物客はここを横断してコース内に入る。われわれもその中の一組。公道の為、横断可。しかし、「自らのリスクで渡ること。プレイヤー優先」旨の看板がある。Old CourseはPublicだがStarting Holeの後ろに構えている大きな建物はメンバー専用のクラブハウスでメンバーでなければ入場が許可されない。外のベンチもメンバー専用で見物人、ビジターは使用できない。メンバー以外のプレーヤーは海岸縁の小さなハウスで着替えたり食事をし、駐車場も全くメンバーと異なる場所にある。
18th Tom Morris Hole 354 yrd Par 4最終ホールクラブハウス、R&Aコース。行く手に細いクリークがあり小さな石の橋がある。過去多くのプレーヤー達はどんな気持ちでこの橋を渡ったのだろうか?入賞圏内で喜びに満ちて渡ったプレーヤー、バンカーでたたき過ぎ傷心の気持ちで渡った人。この橋はこれらの多くのプレーヤーの姿をみてきた。
この橋が「Swilken Bridge」だ。夕方、再びA915号線で宿に戻った。
10月28日(土)
Kirkcaldy
からPitlochry, Queen's Viewを経てEdinburgh (357Km)
英国滞在6日目 通算走行距離(1438Km)
生憎今朝も霧雨で気温も低い。Scotlandの内陸をドライブして、Edinburghに入る当初の予定を短縮し、スコットランドの景勝地、PitlochryとQueen's Viewを訪ねることにした。宿を9時過ぎに出発。
長引く不順な天候で車は見る影もなく泥まみれ。KirkcaldyからA910、A92を経由してM90に入り一路北上。高速道路での運転もさほど神経質にならなくなった。でも相変わらず超大型トラックが追い越して行く後の走行は水しぶきで視界が利かず苦労する。
Perthの町を過ぎた辺りから道は広く比較的平坦で緩いカーブを右に、左にと行く。高い山、濃い緑の針葉樹林帯が多く見える様になり、やがてQueen's
View。標識に従い左折するとここは夏にャンプ場となる森林公園
Tay Forest Parkの中に入って行く。いままで立木の殆どない平坦な牧草地帯を見慣れた為か別の国に入ったような感じがする。道は対向車がやっとすれ違う事ができる程の狭さになり、山裾を這う様にうねうねと山道をすすむ。この辺りはブナ林だろうか巨木が道を覆い被さる様に立ち、びっしりと生えたシダ類が紅葉している。薄暗くおとぎ話に出てくる神秘的な森の様だ。
やがて小さな小屋の前に出る。Queen'sViewの案内所兼、土産物屋兼、休憩所
と言った処。ここに車を置き(有料)徒歩でQueen'sViewにゆく。
Queen'sView
はかつてヴィクトリア女王が愛でた所でヒースの広野、氷河の浸食で出来た細く長い湖。紅葉した樺や樫の森を見下ろす高台にでた。何とも幻想的。シーズンオフでもあり一組の観光客以外誰もいない。静寂そのもの。
しばらくこの幻想的で、雄大な景色に見とれていると足の先が痛くなってきた。寒い。刺す様な寒さで現実に戻り、早々に案内小屋に駆け込み暖をとる。
昼近くにQueen's Viewから少し離れた夏の避暑地として多くの人に利用され、高級別荘地が沢山あるPitlochryの町に入る。ホテル、商店街はメインストリートに面し整然と並ぶ。とても清楚な町。鉄道の駅が有るが駅のマークのみで駅舎がない。利用する人が少ないのか、車を列車に横付けするためにホーム、駅舎は邪魔なのか?
朝食をしっかり取ったので、街の中心部にあるホテルの食堂での昼食は英国式に甘いケーキとティー。他の客も同じ様な食事内容。一休みして身体も暖まり車に戻る。これから今夜の宿のあるEdinburghに向かう。再びもときたM90にはいり今度は南下する。Forth橋(帰りは無料)を渡り環状線にはいりEdinburgh郊外の宿、St.
Albans Lodgeにつく。この辺りはB&B街。宿に荷物を置きバスでEdinburgh市内まで行き夕食をとる。
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