宵明けの碧空に -5- お宝とは

  








何だろう、この胸騒ぎは。
外は海水、中は空気。こんなの、こんなの普通じゃない。

一回りよりも大きくて、僕らが生きるこれって凄いよね。
そして、水槽に生きる者。

つまり、透明なガラスケースに入っている魚だ。
しかし、よくよく考えてみて欲しい。

僕らの宇宙とは只在るだけだったのではないだろうか。
つまり、この宇宙の果てを想像すると、
真っ暗な箱の中。そんな気がしてならないのである。

では只在るだけだった、宇宙のあらゆるものが出会うとどうなるのだろう。
例えば海の塩と陸地の金属。
きっとビビビが発生して、誰かが「何だ。」と言うに決まっている。

「何だ。」と問いかけた先には相手が居て、
「是だ。」と言う。そうしてこの宇宙は成り立つのだ。
そうして、僕らは生きており、たった一つの答えを探し、
「ありがとう」でまた、会えるように「さようなら」。
願いを託しさよならをし、そういう存在をするのである。

地球の出題、問1から言えば、
「何で君はこの世に生まれて生きるの。」

きっと僕らのうちにあるのではないか、そう思うのだった。



そう、そして僕らは大変な状況にいた。壁の絵を解読しては、
出るわ出るわオーパーツ。

三種の神器ときたら、何だったのだろう。
分かっちまったのだ。

八尺の勾玉とは指のことで、つまり選ぶこと。
ということは僕らの愛を示しているのである。

相手の為が自分のため、自分の為が相手のため、ということ

そして十拳の剣とは十徳のことで、かみ砕いてでも相手に説明する必要のある事
特に刀は選ぶも誠、譲るも誠である。
つまり、選ぶも優しさ、譲るも優しさである。
つまり、選ぶも器、譲るも器である。
つまり、選ぶも希望、譲るも希望である。
つまり、選ぶも正義、譲るも正義である。
つまり、選ぶも信念、譲るも信念である。
つまり、選ぶも勇気、譲るも勇気である。
つまり、選ぶも強さ、譲るも強さである。
つまり、選ぶも友情、譲るも友情である。
つまり、選ぶも丁寧、譲るも丁寧である。

そして希望とは誰かに与えられるものではないのである。
現代では財布に置き換えられると考えてよいかもしれない。

鏡とは、自分自身のことで。
自信とは、手元に存在する、これまで積み立ててきた自分のことを意味すると考えられる。

他にも珠とは、自分において目標とする究極の理想であり、
本は優先順位を意味するお宝、

そして、何より目を引いたのは、
「魚鳥」であった。

魚鳥とは自分において、自分を越えて目標とする究極の理想であり、
魚が鳥を目指すという前代未聞の夢を見ることである。

そうすると、魚捕りとも読むことができ、
魚を食べなかった人類はどうなるであろうか、

そう、鏡で自分を確認する必要が出てきたのである。

これらの素晴らしいお宝が壁から見つかったが、
ラーク先生は見向きもしなかった。

ラーク先生が言ったのはこれだけ、
「そうかい。」

どうなっているのか、スノーさんの態度も考え何となく、
また冷や汗が出たのだった。