宵明けの上空に -15- 問題問題からの再脱出

  





解けないこと、答えに満足いかないケースに関して。
「この問題には答えが未だない。」


この手の問題に対して、良くある推理小説には。
主人公が犯人に「あなたが犯人ですね。」と、まくし立て。犯人が「それがどうして僕に出来るんだ。」と、
切り返すシーンを思い出します。


私なんかはのんびりなので「あなたが犯人ですね。」には、「何の事件の犯人だというのですか。」とか、
「私は犯人になるようなことをしていません。」と返すでしょう。


しかし、「この問題には答えが未だない。」という問題は、
事件であり、なおかつ、犯人からしてみれば、「私が犯人だとは気付くことは不可能なのだ。」という視点が汲み取れます。
これは、問題が解けないことを意味します。
この犯人の気持ちは理解しがたいものがありました。
私が引っかかってしょうがない海底神殿からの脱出、矛盾問題は問題が問題における、「何でそうなるのですか。」という考え方です。
これは計画犯というものなのでしょうか。



答えに満足いかない問題というのは、その捕まらないやり口、装置にあります。
これにも犯人はきっと「私が犯人だとは気付くことは不可能なのだ。」という視点が汲み取れます。
何で不可能が可能なのか、正直分かりません。


ですが、推理小説の犯人は答えています。「それがどうして僕に出来るんだ。」と、
これは事件を始めからその人が犯人だとして考え直す必要があるのかもしれないと思わせますが。言い当てなくてはなりません。
少し推理小説の読みすぎな気もします。


海底神殿からの脱出に必要なことは、身近な人を信じることではなく、
遠くの友人を信じることです。
世の中というものは糞ではありません。私たちのような常識人しかいないのです。
一刻も早く海底神殿からの脱出を試みなければなりません。


もちろん、実際に遠くの友人を頼るわけではないのです。
常識を身に着けるのです。
ぼこされているを伝えるわけでもなく、ぼこされているに気付くのです。


身近な人には後から気付いてもらおう、私はそう思っています。


美味しいご飯がいつまで続くのか心配な日々。
「寝てましょう。」と言いつつも、いつまで寝ていようかの不安が続く。
この推論、未だ当たらず。
もうちょっと、寝ていようかな。