勇魚捕る初期の銃砲類


銛を用いる『突き取り捕鯨』と網で囲みクジラの行き足を止めて銛で突く
『網掛け突き取り捕鯨』から、現代のノルウェー式砲を用いる『ノルウェー

式捕鯨』に至るまでの間に色々な銃砲の工夫がなされました。破裂弾(ボンブランス)
を発射する捕鯨銃『ボンブランス銃』や銛の棒先部分に小銃を付けて致命傷を与える

破裂弾(ボンブランス)を発射するボンブランス手投げ銛『ポスカン銃・ボス
カン銃』、ロープがついた銛を発射する『グリーナー砲』など。これらのもの

は欧米製で使いづらい為器用な日本人は模造品や日本人の体形・体力に合
うものに改良しております。『平戸で改良されたボンブランス銃』、銛と破裂

弾を発射できる『関澤式2連中砲』『捕鯨用2連中砲(宮田製)』、3連・5連の
銛を発射できるゴンドウクジラ用の『前田式連装砲』などです。アメリカ式

捕鯨の衰退、鯨資源の減少、捕獲対象が大型ヒゲクジラに移り、漁場の沖
合いへの移行、ノルウェー式捕鯨の急速な導入により小銃・中砲の歴史はごく

短いもので資料や現物は少ないといえます。網掛け突き取り捕鯨との併用や近年
まで使用されていたものもありました

ボンブランス手投げ銛
『ボンブランス手投げ銛』 
アメリカ式の手投モリ捕鯨から、ノルウェー式捕鯨砲に移るまでの間
人々は色々な工夫をしました。その中のひとつに手投モリの柄の先に
別の飛び出しモリを装置したものを考えました。これは普通のモリが
鯨に命中すると、その衝撃で爆薬が作動し、飛出しモリが鯨の体の中
に深くささって致命傷を与えるよう考えたものです(説明:東京海洋大学) 


モリの棒の先部に小銃(上の部分)が付いて炸裂弾を発射出来る。
ボンブランス手投げ銛のかまえ方(ポスカン銃・ボスカン銃ともいわれる)
資料:(日本捕鯨文化史:矢代嘉春著)


『関澤清明氏が使用したボンブランス銃』拡大図
  
ロ(一般の銃の引き金部分)が鯨体にあたるとボンブランス
(ハ:破裂矢)が飛び出し体内で破裂する仕掛けです。この
銃の場合は「引き金」でなくて逆の「押し金」ということに
なります。『手投げボンブランス』はアメリカ人ロバート・
アレンが1846年に発明しました。資料:(くろしお文化6
捕鯨特集(中):黒汐資料館) 


ボンブランス手投げ銛2挺(手投げ銃はポスカン銃とも云われた)
太地:くじら博物館

東京海洋大学 水産資料館


ボンブランス手投銛(モリ):上から4本目:東京海洋大学


ボンブランス手投げ銛(ポスカン銃部分拡大)。上から4本目
:東京海洋大学


(説明:東京海洋大学)

アメリカ式マッコウクジラ捕鯨の手投げ銛類




ボンブランス手投げモリ


捕鯨銃・ボンブランス銃・ポスカン銃

ボンブランスのことを、日本では
「破裂矢」
「火矢」
「爆裂弾」
「破裂銛」
「破裂槍」
などと云いました。最下部のモリが手投げ銛(洋式銛)に銃を付けた
ポスカン銃砲、銃の下に出ている細い棒が鯨体にあたるとボン
ブランス(破裂矢)が飛び出すようになっています。関澤明清
氏が日本で始めてマッコウクジラの試験操業をしています。

ボンブランスは遠くへ撃つ場合は後部に矢羽根をつけたものを
用い、至近距離の場合は矢羽根がないものを使っていました。


ブランド型捕鯨銃


ジョン万次郎が持ち込んだアメリカ製捕鯨銃。雷管を使用する管打式ライフ
ル。1846年頃にアメリカで発明され、捕鯨ブームに拍車を掛けた名銃である。 
 弾丸には、画像の銛型弾の他にも、鯨に刺さると衝撃で内部の火薬
が爆発し銛を突き出すパイルバンカーさながらの「破裂矢(鯨火
矢とも。原名はボンブランス[bomb-Lance])型弾」と云う物が有る。

 幕末に海外を漂流し、アメリカの捕鯨船長にまでなったジョン万
次郎は、日本でも捕鯨を行う事を計画。この銃を用いて小笠原諸島
近海で捕鯨を行い、幕府に捕鯨の利益がある事を知らしめようとし
たが、思うように利益が上がらず失敗した。その後、明治時代に至
って漸く平戸でこの銃が量産され、明治初期からノルウェー式捕鯨
砲が導入される明治三十年代までの間、日本の捕鯨の黎明期を支え
る事となった。口径:28o(ネット資料:洋式銃)


捕鯨小銃


捕鯨小銃 破裂矢(ボンブランス) 第二回水産博宮田栄助出品 


『捕鯨小銃 破裂矢(ボンブランス)の構造説明図』
(森信義著平戸植松捕鯨組より)従来舶来品の鉄砲を
使用していたが重量過大で使用不便であった。その反
動で銃手が倒れる危険もあった。明治26年にこれを改
良、銃身の台尻を短縮、銃身の厚さを減らし、全体重
量を減らし便利さと安全を図った。又火矢の欠点も改
良し爆発力もまし、捕獲も増えて年2〜11頭の成果となる
明治5年、橘重彦氏が始めて銃捕鯨を実施したといわれる。


ボンブランス銃:太地町立 くじらの博物館


ボンブランス火矢:太地町立 くじらの博物館
 

ボンブランス手入れ具ほか:太地町立 くじらの博物館 

ボンブランスガン
           

『各船ボスカン(ボンブランスガン)を持つ』

「鯨銃殺の景状」たたえらるべき三頭網代(平戸の瀬戸浦捕鯨の
こと、1年にクジラが三頭しか取れない漁場の意味)」
長崎県漁業誌(明治29年発行)
平戸で改良されたボンブランス銃による捕鯨 で景況を呈したと云う意味
(資料:くろしお文化6黒汐資料館)
  

捕鯨中砲

 
関澤明清氏が改良した捕鯨砲
(資料:捕鯨U山下渉登著 法政大学出版局)


関澤明清氏が使用した中砲 2連になって一方は銛(銛のミゾに
ロープが結ばれる)を打ちだし、一方は破裂矢(ボンブラン
ス)を発射する仕掛け(明治27年抹香調査報告)。(資料:
くろしお文化6 黒汐資料館)


捕鯨用2連中砲 第二回水産博宮田栄助出品 
関澤明清氏使用のものとよく似ている。
日本で最初に捕鯨銃砲を商品として売り出した宮田栄助
(東京)が第2回水産博覧会に広告を出して進歩三等賞に
入賞している。連発砲とし一方(口径1寸)でロープがつ
いた銛を打ち出し、ロープで鯨体を引き寄せ、片方(口径
8分)で破裂矢(ボンブランス)を発射するようになって
いている。抹香鯨には適しているといわれる。しかし、現
在この砲は資料も現物も国内に残されていないようだ。
(資料:くろしお文化6 黒汐資料館)

 
捕鯨中砲の破裂矢(ボンブランス)及び銛(銛のミゾにロープが結ばれる)
第二回水産博宮田栄助出品(資料:くろしお文化6 黒汐資料館)





米式帆船捕鯨用具   グリーナー砲をすえつけた捕鯨艇

資料:くろしお文化7捕鯨特集(下)黒汐資料館

「グリーナー砲」は銛発射機といわれる
グリーナー砲は船首に固定してロープ付きモリを撃つための砲です。 
モリの先部に火薬は入れず、爆装モリを用いないためノルウェー式の
原点の砲といわれます。ロープで鯨体を引き寄せ、次にポスカン銃で
破裂矢を発射し致命傷を与える必要がありました。
昭和24年まで使われました。(矢島嘉春氏)

 
グリーナー砲2門(もり打ち砲)HARPOON GUN 
19世紀の捕鯨 デザインの切手


グリーナー砲を装備したボート


グリーナー砲:勇魚文庫所有
持ってみましたがすごく重たい砲でした。


グリーナー砲:太地 くじらの博物館展示


グリーナー砲:伊豆の雲見くじら館展示

グリーナー砲モリ先部分:伊豆雲見くじら館展示

千葉県


グリーナー砲:千葉県立安房博物館展示
主にツチクジラ捕鯨に用いられた

万祝着に描かれているグリーナー砲使用のツチクジラ捕鯨絵図
左の舟からツチクジラに白いロープが斜めに描かれている
:万祝着裾部分・千葉県立安房博物館

万祝着に描かれているグリーナー砲使用のツチクジラ捕鯨絵図
左の舟からツチクジラに白いロープが斜めに描かれている
ツチクジラが吹いている潮は赤く表現されている。致死寸前か!。
:万祝着裾部分・千葉県立安房博物館

万祝着に描かれているグリーナー砲のモリ
これは珍しい!モリを放射状にしたデザイン・・・
:万祝着背部分 ・千葉県立安房博物館



グリーナー砲:千葉県勝浦市 黒汐資料館展示
グリーナー砲はツチクジラ捕獲に用いられ
ていたため房総地方に多く残されている。
明治41年東海漁業がノルウェーから6挺輸入している。


日本における捕鯨銃砲の歴史
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★日本における捕鯨漁法の変遷

★勇魚取る漁具類

★ノルウェー式捕鯨砲

★調査兼取締船・第2勇新丸ノルウェー式捕鯨砲