アメリカ東岸白鯨ツアー・2

7月10日ニューベッドフォードから西へ向かい、高くて長い橋を渡り、
曲がりくねった入り江や綺麗な風景を眺めながらニューポートに向かいました。
ニューポートの街を見学後、さらにニューヨークの方向へ進みミスティックに行きました。

ここはMYSTIC SEAPORT(THE MUSEUM OF AMERICA AND SEA)という
海洋娯楽教育施設。アメリカも夏休みに入り多くの家族連れで賑わっていました。

最後のアメリカ式捕鯨船:モーガン号や色々の帆船、多くのボート
やヨットもあり、漕艇訓練、帆走訓練、展帆、
ロープの結び方、船の絵の描き方などの教育もやっていました。

海洋博物館・海洋関係資料館、古き捕鯨時代の港・町並み・岸壁・
ドック・造船所・鍛冶屋さん・船大工さんなどなどの施設、遊園地、
レストラン、グッズショップなどがあり、当時の衣装姿の女性が闊歩し、
馬車が走り乗れるような参加型のアトラクションも行われていました。

捕鯨に限らず、海洋全般の広範囲な範疇のものが保存展示されています。
未展示資料である捕鯨漁具・多くのスクリムショー、海洋絵画、
フィギュアーヘッド、船舶・海洋・航海資料が広い工場跡の赤レンガ
倉庫に収集・保管されていて希望のものを見せてもらいました。

さらに多くの幹部の方との意見交換も行われ、大歓迎を受け日米親善に一役。
トートバック入りのMYSTIC SEAPORTの数冊の本・資料・CDも頂きました。
浦安に住んで「べか舟」の作り方を研究して帰った方は日本語が
堪能で、名刺には漢字で「船大工」「研究家」「著作家」名前も
、カタカナで書かかれ、日本の話をして楽しい一日を過ごさせて貰いました。


MYSTIC SEAPORT 


バーク型アメリカ捕鯨船 モーガン号:A Visitors Guide
 
『モーガン号を背景に』      『入り江のボートでご案内』
  
『MYSTIC SEAPORTの案内板』『ドック中の捕鯨船チャールズ・W・モーガン号(中央)』

『遊園地をまわる前にハイポーズ』
ボートで海側から説明・案内付きの超特別サービスでした。
沢山のお土産も頂き、日本でPRをして欲しいと言われました。
 
『銛を作る鍛冶屋さんの実演』       『美人で淑やかなサラさんの説明』
印刷屋、薬店、ボートショップ、灯台、消防署、航海用時計屋 、
船具屋、樽屋、病院、銀行、レストラン、雑貨屋、学校、教会
子供博物館、ステージ、ホール、プラネタリューム、博物館、
フィギュアーヘッド展示室、多くの古民家など、古い港の町並み、
多くの色々の船、港の施設が所狭しと再現されておりました。一度お出でください。

アメリカ式捕鯨船:モーガン号

『モーガン号の船体』
  ・BARK型3本マスト木造船   ・大きさは350d ・乗組員は36人〜40人
搭載ボートは6隻(1隻は6人乗り)、左舷3隻・右舷2隻・甲板に予備1隻

昔のアメリカ捕鯨船では船長は家族も連れて乗船しました。
船酔いの奥さん用のトイレ付き小部屋もデッキ(甲板)にあったそうです。
奥さん・子供も乗船したので、船で生まれた子供もいたとのこと。

(左)『船長の部屋』
上のラッパ状の管は「伝声管」と言い、離れている所と話すため
声を伝えるもの、今は船内電話、マイクとスピーカーの時代です。
  (右) 『船首下部分(ホクスル)の下級船員室』
一部屋に、縦横斜めと狭いベットが沢山並んでいる”タコ部屋”
   

(左)『クジラから採った油を入れる樽(バーレル)』
(中) 『操業前の樽の板材(場所をとるので組み立てていない)』
(右)『樽に油を入れる漏斗(じょうご)』
       石油の値動きを示す単位「バーレル:バレル」は鯨油を入れる木樽からきております。
鯨油の匂いが船に染み付いていて懐かしい匂い・香りでした。

(参考:ネット辞書)バーレル:
1 胴がふくらんだ形の樽(たる)。2 ヤード‐ポンド法の液体の体積の単位。
1バーレルは、英国では36英ガロンで約163.7リットル、
米国では31.5米ガロンで 約119.2リットル、
一般に用いられる石油については42米ガロンで約159.0リットル。バレル。)

 
「油をとるための釜戸:かまど:Try works」      「大鍋:Try potを入れる2個の穴部」
Try potの大きさー長さ105.4a 幅99.1a 深さ71.1a 

船の舷側:横腹にクジラを浮べクジラを回転させながら皮だけを剥ぎ取り、
クレーンで船に揚げます。この脂皮を小さく裁断し大なべにいれて炊き、
浮いた鯨油をすくい採り、樽:caskに入れて保存し、3〜4年の
航海で満腹になって帰りました。長い・危険で大変な作業でした。

油を採った後の小さい皮片は日本では「煎り皮:コロ」として
『おでん』の材料になっております。アメリカの捕鯨船の船上では
油を採った後の皮は燃えるために釜の燃料に使われました。

マッコウクジラは自分達の煎り皮を燃やして仲間の油を採ったのでした。

『鯨油を採るために身を焦がすマッコウクジラさん』でした。  

「恋に焦がれて鳴く蝉(せみ)よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」
という「熱い恋の唄」の都都逸(どどいつ)もあります。蛇足!

日本近海は「ジャパングラウンド」と呼ばれクジラの宝庫でした。
欧米の捕鯨船が多く来航、捕獲したためにセミクジラ・マッコウクジラ
の来遊は急減し、沿岸操業の日本のクジラ組は衰退してしまいました。


船体が燃えないようにした釜下部にある水タンク 

『舵輪』:舵を動かし船の方向を変えます。   『屋根下の漁具・銛置き場』
   
『小屋に立てかけてある鯨体を解剖・皮を剥ぐ足場の板部:ステージ』
欧米ではクジラの脂皮だけを剥いで採り、皮と脳油以外は投棄しました。
もったいない!!!
(右)『クジラ解体場面の油絵』ステージにのって,棒の先に付いた刃物spadeで解剖をします。

世界の捕鯨文化財「モーガン号と雲鷹丸」:矢代嘉春
という文章があります。
モーガン号=351d=
世界にただ一隻の純血ヤンキーホエラー「チャールズWモーガン号」は、
ニューヨーク北方のニューベッドフォード港を根拠として1841年
(天保12年)9月4日第1航海に出港、1945年1月1日に帰港 した。
その間3年4ヶ月実に長い航海である。
第2回は同じ年の6月 10日出港、3年6ヶ月目に帰港。
こうして実に85年間鯨を追い続け1925年(大正4年)春帰港し
終漁した。これが米式帆船捕鯨の最後である。

どの航海でも大体3年半位であり、最長は第8航海の4年1ヶ月、
最短 は第5航海の2年7ヶ月であった。
とうとう最後まで補助エンジンも取り付けずノルウェー砲の威力に対し
帆走と銛でたたかってきたのだから正にサムライと言わざるを得ない。

航海終了後にこの記念すべき船の廃滅を惜しみハリーネイランドとい
う人が市へ寄附を申し入れたが市議会が否決したので有志33名が拠金
して購入、付近のミスティック港に移し復元されて今に残されたのである。
ニューベッドフォード市議会の否決の理由は同所には立派な鯨博物館があり
実物の2分の1の捕鯨船もあり、屋外展示は不可能であったのであろう。

同じシーミュージアムでもミスティックの方は昔の漁村や漁船をそのままの
姿で残すことを方針としていたのでモーガン号を積極的に受け入れたので
あろう。同所には昔のまま漁家、納屋、鯨の各種倉庫、銛鍛冶屋、教会等々
今にも活動しそうに整備され、漁船もモーガン号の他何隻か
掘割に浮かべ られ、船内を見学できるようになっている。


雲鷹丸の復元もモーガン号同様その壊滅を惜しむ有識者達が運動をおこし
水大(現:東京海洋大学)同窓会が中核になって多くの団体や個人から寄
金を求め昭和44年工事に着手し45年現位置に復元固定した。
誠に有意義な運動である。

この船が米式帆船捕鯨船であることを知る人はすくない。勿論漁業練習船
であるから一通りは実習出来るようになっているが、原型はヤンキーホエ
ラーの典型的タイプの3本マスト・バーク型帆船であり、鯨油採取用の
鉄 製二重釜と冷却槽を設備し22dの鯨油タンクまで持っていた。

その上搭載捕鯨艇は6隻、漁具はボンブランスを積み、ノルウェー式砲は
全く採用していない。雲鷹丸:444.22d。長さ:40.23b、巾:8.69b、深さ:6.78b
(資料:くろしお文化7・捕鯨特集(下):発行・黒汐資料館)

※注:The Charles W. Morgan (JOHN F. LEAVITT著)に出ている数字は
「80年間に37航海したと有り」、矢代嘉春氏の文章「最後は第8航海」
「平均航海日数大体3年半位」の計算違いがあります。
The Charles W. Morgan はLOGーBOOKの記録の分析、母港ニューベッド
フォードと母港サンフランシスコ(1年毎)の航海をしているので
計算の基準・計算方法がよく分かりませんでした。


元研究練習船の雲鷹丸:ウンヨウマル明治42年〜昭和4年 東京海洋大学
平成11年国の登録有形文化財に指定された。


マッコウクジラの生物学教室
 
■マッコウクジラ■
学名Physter macrocephalus
学名語源Physter(噴水: 潮を吹くもの) macro(大きい)cephalus(頭)
英名Sperm whale
英名語源頭の脳油がSperm(精液)に似ている為
漢字表記抹香鯨
漢字語源腸内の結石の香りが線香(抹香)に似ている為
特徴頭が非常に大きく四角張っている。頭の中は脳油。
鼻は頭の先端左側にある。噴気を斜め左に出す。
下顎は細く歯がある。歯は各側に18〜25本。
背びれはコブ状、隆起は尾まである。
体色は濃い茶灰色。体表面は大きいシワ状。
一夫多妻のハーレムを作る。
メスと子の群れのメス社会がある。オスが繁殖期に加わる。
メスは回遊しない。
オスがメスより非常におおきい。
体長 (出生時)3.5〜5m(離乳時)6.7m
(おとな)オス14.4m、最大20.7m
(おとな)メス12.2m、最大17.0m
体重 (出生時)1t(離乳時)2.7t
(おとな)オス36〜68t、最大70t
(おとな)メス12〜18t
寿命70年
性成熟年齢オス19才
メス9才
繁殖期
妊娠期間14〜16ヶ月
習性 一般に外洋性。社会性が強い。性別の棲み分けをする。
40〜50頭の群をつくる。メスと若者は大きい回遊をしない。
高齢オスは単独行をする。
回遊大きいオスは高緯度まで回遊。
主にイカを食べる。まれに底生性の魚類。

未展示品の収蔵庫
  
マッコウクジラの歯を彫った『スクリムショー』。多くの引き出しに沢山収納されていた。   
広い沢山の資料が入った収蔵庫(ビロード:ベルベット繊維工場の跡を利用)
黒船船員が持っているベルベットは日本人を驚かせ、珍しいので物々交換していたとのこと。

『多種の船体模型』 『帆を張ったモーガン号の写真』(パンフレットよりコピー)
 
『航海日誌:LOG-BOOK』  (捕獲した日にはクジラの印がつけられ、
採油した樽数等を記載。捕獲できなかったクジラは尻尾の印が付いている)
「クジラ印」・「尻尾印」・「捕鯨船印」の押し印はマッコウ・クジラの歯や骨で
自作し航海日誌にマークをつけていました。これもスクリムショウーでした。
(左写真)・下のクジラは赤い血を流しているリアルなものでした。
『航海日誌の操業図』
   
『鉄砲・銃・Shoulder guns』        『船首に固定して打つグリーナー砲』(ノルウェー式捕鯨の以前の砲)
 
  捕鯨漁具類    

 説明してもらった学芸員(左)さん
博物館の展示品
 
銛先後部に小銃をつけた銃:Darting gun(ポスカン銃とも呼ばれた)。
クジラに銛が刺さって、小銃の押し棒(銃口下の曲がった棒)が
鯨体にあたり、破裂銛(ボンブランス:Bomb Lance)が発射され、
体内で爆発し致命傷を与える仕掛けになっています。これにより
捕獲時間が大幅に短縮されました。ノルウェー式捕鯨砲以前の捕鯨銃です。
日本にも輸入され千葉県・長崎県など一時期この銃は使用されました。

 
『ボンブランス・ガン』(ショルダーガン:Shoulder Guns):この銃
も「ボンブランス:破裂矢」を発射して鯨の体内で火薬が爆発するよう
になっています。銃口の前から火薬が入った破裂矢を差込みます。
『銛手が乗るボートの模型(6人乗り)』

漁具の詳細はこちらをご覧下さい
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
★勇魚捕る初期の銃砲類

スクリムショーの数々
  
『歯に絵を描いたスクリムショー』 『 ステッキ:杖』
 
『骨製入れ物』               『色々のスクリムショウ』
種々の海洋グッズを売っているミュージアムショップとミュージアム。
絵・本・ファッション・玩具・置物など
  
「塗りが面白いクジラさん!」  

園内にある捕鯨シーンの看板から顔出し記念撮影! 
   
アトラクション会場 捕鯨の顔写真
  
 『遊園地の鮮やかなマッコウクジラ』     米人に『女優さん』と云われました。
  
クジラの絵が付いた『レストランのメニュー』。クラムチャウダーCLAM CHOWDER が美味しかった。


事務所応接室にあった木のマッコウクジラ
 


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