関東軍の秘密地下陣地

  日本からの戦跡(?)訪問観光団に出会った。満州里を出発する時に日本の観光団と出会ったので、聞いてみたところハイラルに行くのだと言っていた。ハイラルのホテルに宿泊したら、その旅行団が後から偶然にも同じホテルに入ってきた。大部分の人が7、80歳代の人であったが、旧満州国を懐かしむツアーは多いらしい。満州里の旅行社には日本語が出来るガイドもいた。

  前日にチャーターしたタクシーの運転手の感じが良かったので、前日に予約しておいて、今日も一日そのタクシを使うことにした。前日に引き続き、昨日とは別の大草原の観光地と、戦跡を訪ねることにした。しかし戦跡のほうは運転手がどこにあるか判らないと言う。それで戦跡観光団の女性現地ガイドに聞いてもらうことにした。そうすると関東軍の地下基地に行くとのことであった。そのほかにソ連軍の参戦の時に破壊されて、そのままになっている橋、日本人が使っていた小学校にを見に行くと言っていた。

  午前中は大草原の観光地である、金帳汗旅游点に行った。途中オボと呼ばれる塚のようなものも見えた。放牧されている牛の群れも見えた。目的地の金帳汗旅游点の側には大きな湖もあった。しかし大部分は大草原である。見渡す限り草原である。他には何もない所をタクシーを走る。本当に広い広い360度の大草原である。草原の中はイナゴもたくさんいた。

  午後は戦争の遺物である壊された橋を見て、次ぎに関東軍の地下基地に行く事にした。地元の人にもよく知られている所ではないらしく、運転手は何回も道を尋ねながら郊外の高台に辿りついた。そこは河が見下ろせて、対岸の高台もよく見えた。陣地というものはこの様な所に作るのかと納得できる所であった。そこは最近になって観光資源として見なおされて、整備中であった。中国人向け用に、"愛国教育基地"としての説明と看板があったが、昔を懐かしんで訪れる日本人の観光客もたまにはいるらしい。募金箱があったので、おつりの小銭が煩わしいのでそこに入れたら、募金をしてくれた日本人は初めてだと言われた。

  関東軍の地下基地の地上部は地下への入り口があるだけで、他に地上には何も無い。その入り口から階段で深い深い底に降りて行く。深さはかなり深く、2、30mはあるかもしれない。底に下りると長い一本の通路があって、その左右に木の枝状に、治療所、食堂、寝室などが並んでいた。60年以上も前に巨大なコンクリートの地下構築物を作るのは大変な工事であったろう。もしかしたらこの地下基地は、永久凍土の中にあるのかもしれない。夏であるにもかかわらず本当に寒い。凍えそうな寒さであった。永久凍土の中であるとすると夏でもツルハシを跳ね返えす硬さであったかもしれない。入り口の説明には万人抗と言う文字が見えた。これは死人を投げ込んだ穴という意味でるあるように思うが、日本人が中国人を酷使して多くの人を死なせ、死んだら穴に投げ込んだのだろうか。それとも他の地区に万人抗があるから、ハイラルでも真似をして万人抗と書いただけなのか?  ここでは積み重なった白骨の山を見ることは無かったが、気になる文字であった。

  運転手の話しによると、このような関東軍の施設は対岸の高台にも、他の所にも沢山あって、一連の陣地を構成していたらしい。しかし今見ることの出来るのは一つだけで、他は破壊されたかして見ることは出来ないと言っていた。ここの地下の基地は何故か破壊の跡は全く、日本語の文字もそのまま残っていた。運転手のお爺さんはソ連進入の際の、混乱の記憶があると言っていたらしい。とにかくここハイラルは、日本人のツアーといい、日本語を話す朝鮮族のお爺さんといい、日本軍の秘密の地下陣地の存在といい、日本とは関係の深い土地なのである。