大学出のタクシー運転手

  ハイラルには昼過ぎにバスで着いた。そこからホテルに行く為に、タクシーを捜したが、タクシーが無くてオートバイが客待ちをしていた。オートバイの方が安くていいかなと思い、それでホテルに行ってもらうことにした。後の座席に跨って、ホテルの名前を言ったのであるが、どうもホテルの名前が通じていないようである。後の座席に跨ったままなので、ホテルの名前を書いたメモを確かめる訳にもいかない。そのうち街の中央らしきところにある、まあまあのホテルに連れて行かれた。二つ星程度のホテルらしかったので、ここでもいいかと思いそこに泊まることにした。それにしてもいろいろなタクシーに乗ったが、オートバイのタクシーは初めてであった。オート三輪のタクシーにはよく乗った。珍しいものでは以前、平遥というところでサイドカーのタクシーに乗って城門の中のホテルに行ったことはある。

  ホテルに落ち着いて、大草原を見に行く観光をしようと思ったが、このホテルにはツアーを扱う旅行社が無く、ツアーを捜すのは難しいと思いタクシーを使うことにした。ホテルの前の街角にはタクシーが居たが、交渉してみると道が悪くて行けないという。道が悪くては大草原の観光が出来ないのかとがっかりしたが、ハイラルまで来て大草原を見ないで帰るなんて、何とも残念なので他のタクシーに当たってみた。その運転手は若者であったが、その観光地点(ホロンバイル旅游点)への行き方は知らないらしく、近くの人に聞いてくれて、結局は行ってくれることになった。値段は事前に決める必要があったが、100元でいいと言う。


  その若者の運転手は小太りで、丸いメガネを掛けて、丸顔で人の良さそうな青年であった。タクシーの中の話しでハルピンの話しをしていたら、彼はかの有名なハルピン工業大学を出ていると言う。確かにハルピンのことに詳しく、聖ソフィヤスカヤ教会を改修したことなどはよく知っていた。ハルピンの聖ソフィヤスカヤ教会は7年位前に見た時は、全くの廃虚の様であったが、今は綺麗に整備されていて、立派な観光資源となっていた。

  中国のタクシー運転手で、大学出の運転手は殆ど居ないのではないかと思う。元々中国では、大学出身の人は日本などから比べると、ずっと少ないはずである。何故運転手をしているの、と口まで出掛かったが、その質問を控えていると、私の雰囲気を察したのか自ら語ってくれた。それによるとハイラルが故郷であって、故郷には両親が居るからだと話してくれた。子供は自分一人なので両親の面倒をみなければとも言っていたが、やはり故郷で暮らすのがいいとも言っていた。大学の専門は企業会計であったらしい。

  大草原で道が分からなったので、そのノビタ君風運転手は自動車を降りて、草原の中に見えるパオまでに道を聞きに行ってくれた。戻ってくると、思いのほか草原の中の家は遠かったと言いながら、汗を掻きながら戻ってきた。自動車で行けばよかったのだが、草原の中の家までの距離の目測を誤ったらしい。ハイラルの運転手でありながら、郊外の大草原のことはあまり知らないのかもしれない。しかし汗を掻きかき戻ってくる様子は、人の良さを感じさせた。

  最後に空港まで送ってもらって、その運転手と別れたが、満州里の少女のような運転手といい、ハイラルの好青年の運転手といい、今回は良い運転手に恵まれた旅であった。