ハイラルで会った朝鮮族のお爺さん

  さっぱりした料理が食べたくて朝鮮料理の名前が書かれた食堂に入った。中国で食べる朝鮮料理は魅力的なのである。油たっぷりの中国料理と比べると、あっさりしていて、その点は日本料理に似ている。しかし所詮中国の料理であるから量が多くて、一皿というわけにもいかず山盛りの料理を注文してしまった。持て余しながら食事をしてたいたら、店の人に何処から来たのかと聞かれた。質問されたのは私の様子が中国人ではないと思われたのかもしれないが、一人で食事をしていたからかもしれない。中国では一人で料理屋に行くことは極めて少ないので、よそ者と思われたのかもしれない。
日本からと答えると、その店員は近くで酒を飲んでいた老人に、「この人は日本人だって、貴方、日本語で話してみたら」と言っているようであった。この言葉を聞いて、その老人は私に日本語で話し掛けてきた。その日本語は少し古い感じはするが、正確で全く問題の無い日本語であった。何故そんなに日本語が上手いのかと聞いたところ、私は朝鮮族で、以前に日本人の先生から日本語を習ったと言った。更に日本の軍隊にも入ったと話した。軍隊でのつらい体験の話しなどが出てくると困るなと思ったが、そんな様子は無く、昔の日本との関係を話してくれた。何だかとても懐かしい感じのするお爺さんであった。私も日本語をずーっと喋っていないので嬉しかったが、そのお爺さんも久しぶりに日本語がしゃべれるのが嬉しそうだった。

  話している内にモンゴルのハイラルの事をいろいろと教えてくれた。冬はとても寒いとか、地面の下には氷がある(多分永久凍土か?)とか、ようやく5月になって種まきが出来るなどなどである。昔はロシア人が沢山いて今は居なくなったとか、そのロシア人達が一斉に帰国したときの様子も話してくれた。朝鮮族は今このハイラルには、26人しかいないとのことであった。やはり国境に近い街であるから、国際情勢に影響を受けて、いろいろな人が来て、また立ち去って行ったらしい。それもそんなに遠い昔のことではない。お爺さん自身も日本軍の一員であったのであれば、様々なことに出会ったに違いない。

  以前に熊本の日本人がここで事業をしに来た時に、通訳をした事もあるとも言っていた。奥さんはここの食堂で働いているらしい。そう言えば私は中国風の味に飽きて、朝鮮風味とか書いてある店に入ったのである。

  又この店に来て下さいと言われたが、朝鮮風の味は確かに油が少なく美味しいのであるが、量は中国式に多いので、次の食事は快餐といわれる店の方がいいかなと思ってそこに行かなかった。後になって、料理の量こだわって行かなかった事を後悔した。もう少しそのお爺さんの話しを聞きたかったし、私も日本語で話したかった。もうそのようなチャンスは無いと思うが、もしもう一度ハイラルに行くことがあれば、会ってみたいお爺さんである。