大平原と小興安嶺

  ハルピンから五大連行池に行ったのであるが、五大連池のあたりは本当に広々とした大平原であった。まずハルピンから北安という駅まで、汽車に乗って行った。そこに着くのに7時間位かかり、その間大平原がずっと続いていた。そこからバスに乗り換え、五大連池の中心地である、薬泉というところまでバスで更に一時間半位かったが、その間もずっと大平原の中を走った。大平原といっても開拓し尽くされた畑である。長い畝が続いている農地が広がっている。そして殆ど平らな土地である。広大な農地の境には防風林があるが、陽樹という名前の樹なのであろうか、季節は六月であったので、盛んに枝から綿毛を吐き出していた。

  場所によっては防風林の無い所がある。そうするとはるか彼方の地平線まで農地が見渡せた。畝の長さは2Kか3K位はありそうである。畑にはトウモロコシや大豆が植えられているようであった。畑には人影や農家があまり見えなくて、大規模農業に適した土地の様であるが、トラクターなどはあまり見かけなかったが。これは確かに個人的に開墾した農場ではなくて、集団農場方式によって大規模に開拓された農地の様であった。そうかといって全くの変化の無い平らな風景ではなく、彼方には部落が見えるところもあった。開拓団の部落であったかもしれない。とにかく黒龍江省は、このような農地の大平原が果てしなく続く広大な大地であった。ハルピンの近くには水田も有ったが、北上を続けると畑ばかりになった。

  五大連池は、火山の回りにある五つの湖が連なっていることから名前が付いた、観光地であるが、この火山もそう高い山ではなくて,平原に出来た小さなこぶのようなものであった。火口まで登ってみたが、他には大平原の中にニ、三の山がポツンポツンと見えただけである。湖にしても、はるか彼方の向こう岸には、森が見えるだけで山は全く見えない。日本の湖の様に対岸には必ず山が見える光景とは全く違う。平原に出来た大きな水溜りといった感じの湖であった。湖の向こうには、遮るものの無い大きな空が広がっていた。

  五大連池から黒河に行く予定であったので、ホテルの入り口に小さな旅行社があるのを見て、そこへバスの切符を買いに行った。最初は汽車の駅である北安に出ようと考えたのであるが、丁度よいバスの時間が無い。鉄道の駅で2、3時間待つのも仕方がないかとあきらめたが、直接、黒河に行くバスは無いのかと思い付き、また旅行社に引き返して聞に行った。もう閉店してしまっていたが、まだ店の前に数人の女子社員がいて、聞いてみるとどうも直接行くバスがあるらしい。この旅行社では、バスの切符は売っていないのであるが、親切にもバスの発車時間を電話で聞いてくれて、ようやく黒河行きのバスの発車時刻と、乗車場所が分かった。今回の旅行では、北安、五大連池を経由して、黒河に出るルートは、ガイドブックにも詳しくは書いてなくて、交通やホテルの事情も分からずに来たのであるが、親切な人に教えられたりして、無事にしかも効率良く黒河に到着できた。

  黒河行きのバスの何と朝の五時に集合とのことであった。五大連池はかなり緯度が高いところにあるので、6月の頃はかなり早くから明るくなる。それにもかかわらず未だ暗いうちに起きて用意して出掛けた。集合場所になかなか車が現れないので心配になってきた頃、ジープのような車が表われて、客を拾って来て、長距離バスの発車場所に行き、そこで黒河行きのバスに乗り換えることが出来た。

  ここからまた大平原の中を走るのである。ここもまた前に見た光景と同じく、開拓され尽くされた大規模な農場で、ここもまた穀倉地帯であることを示していた。黒河への道の半分も過ぎたころから、穏やかな起伏が増えてきて、森が残っているところが多くなってきた。北へ進むと森は更に多くなり、所々に高い火の見櫓のようなものが見えてきた。どうやら森林火災の監視用の櫓であるらしい。森が突然開けて、開墾された土地が見えた。その脇の看板には何々開拓団とか開拓部隊とか書かれている様であった。六月の頃は穏やかな風が吹いていて、気持ちの良い季節であったが、ロシア国境の冬ともなれば相当厳しい寒さが訪れるところであるには違いない。

  小さな起伏が続く森林地帯を抜けると、平らな土地に出てしばらくすると、ロシア国境の黒河であった。黒河の街の側には黒龍江といわれる大河がとうとうと流れていた。後で調べてみると、私が通過した、起伏のある森林地帯は、小興安嶺と呼ばれるところであったらしい。