中国の珍しい湯治場

  ハルピンから汽車で北安に着いたら、バスの客引きがいた。五大連池に行くのだと言うと、あのバスに乗れと言う。このあたりの様子は、ガイドブックにも書いてないので、少し不安があって、客引きの言うままに乗ってもいいのかと不安がよぎった。しかしバスは一台しかないのでそれに乗り込んだ。乗り込んだもののバスは一向に発車しない。そのうち一人の乗客が"騙人"と呟いた。本当は面と向かって言ったのかどうかは知らないが、車掌の小母さんと大喧嘩になってしまった。どうも嘘吐きと言ったようであった。車掌の小母さんは先ほどから、もう少ししたら発車すると何回か繰りかえし言っていたのである。その乗客は、すぐ出ると言って乗せておいて、何時までも発車しないことに対していらいらしてきたのだと思う。小母さん車掌の側に運転士も加わり、騙したわけではない、いろいろな事情があって出発できないのだと、言い訳しつつも、嘘吐きと言われたことが、酷く頭に来た様子で、そんならお金を返すからバスを降りろとか大変な騒ぎになり、バスはますます遅れてしまった。中国の口喧嘩というのは、まくし立てて、周囲の人の同情とか、同意を得て喧嘩を有利の進めるやりかたの様であった。

  どうも後で考えてみると、客引きが居たくらいだから、バスは二台あって、一台は満員になったのですぐに発車したのかもしれない。バスは個人経営のバスであるから、客が一杯になるまで発車しない。私はそのような事情は知っているので、すぐ発車すると言っても、この状況では未だ発車しないのではと考えていたのである。文句を言った乗客は、私が知っている程度のことは、承知しているはずであるから、そんなに文句を言う必要もないのにと、私は思った。乗客小父さんの仲裁もあり、ようやくのことで喧嘩が収まってバスは出発した。そして降りるときには仲裁役の小父さんが、泊まる所を教えてくれたのでそこに行くことにした。

  五大連池は、火山があってその周囲には五つのが連なっているところであった。火口から吹出した溶岩がごろごろしている所もあった。しかし日本の山岳の火山と違い概して平坦な地形である。他には溶岩の下に出来た洞窟があって、その中には氷で出来た塔が作られていたり、氷の結晶が自然に析出していたりして、そこも名所になっていた。火山は中国には少ないから、中国人とっては珍しい風景なのかもしれない。

  見るべき所はその程度であるが、炭酸を含んだ鉱泉が涌き出ていて、それを利用して治療が出来るらしかった。その為、宿泊施設には療養所とか保養院の名前が多かった。鉱泉はこれを飲んでも良し、皮膚病に浸しても良し、風呂にも良しということで、中国では珍しい湯治場のような所である。地元の人も泊まっている人も、鉱泉が涌き出ている泉まで、魔法瓶を持って鉱泉を汲みに行き、これを飲用にするらしい。私も飲んでも見たが、炭酸が発泡していて奇妙な味がした。炭酸ガスはいいとしても、この味は硫黄系の味がして、これが本当に体に良いものかと思ってしまった。宿泊したところでも、頼むとこの奇妙な味の鉱泉水をただで飲ませてくれた。味は奇妙であったが冷えていた。

  このあたりで中国人の泊まり客がぶらぶらしている雰囲気は、日本の湯治場のような感じであったが、お土産屋や、他の遊興施設は無いらしかった。地方の役所の名前を付けた、保養所のようなものが多くて、私はそういった名前のホテル(?)に泊まった。湯治場といっても、各保養所の中に内湯がある訳ではなくて、鉱泉水の泉の近くに、濁った水溜りのような穴があり、そこに降りて体を漬けるらしかった。

  ここは温まる風呂ではないので却って体が冷えてしまう。そこで今度は横の甲羅を干す場所に行って体を干すらしい。そこは溶岩がごろごろしているところで、男女別々に塀で囲まれていた。この鉱泉水は皮膚病にも効くとのことであったが、鉱泉水を浸したタオルを頭に巻いて、ベンチに横たわっている人が何人かいた。あの人達は頭に皮膚病があるのか、それともその他の病気の治療を、頭を通して治そうとしているのかは分からなかった。

  鉱泉水の風呂による治療は、工人療養院にはあるらしく、ここは大きな宿泊施設であった。気功やマッサージなどもあるらしかった。夜になると工人療養院の前の広場で、"ダーヤング"踊りといわれる、東北地方の農民の盆踊りみたいなものが始まり、夜遅くまで賑やかに続いていた。この工人療養院には外人専用の宿泊施設があるが、外人といっても多分日本人やアメリカ人などは殆ど来ないと思う。ここには大勢のロシア人の家族ずれで訪れていた。ここに来ることはロシア人のバカンスらしかった。しかし男性は何故か少なく、子供ずれの奥さんとかおばさん風の人が多かった。バカンスの場所といっても、ほんとに鄙びた場所で、多分北京の人は知らない所だと思う。

  ここには観光としての場所だけではなく、低い山の上に仏教のお寺があり、私が行ったときは"何とか廟会"というお寺の行事があって沢山の参拝者が集まってきていた。ここは病気を治すというご利益があるのかもしれない。足などの悪い人が沢山いた。このお寺は、この地方の素朴な信仰の場所でもあるらしかった。そしてこの山の麓には、龍の彫り物の口から、清らかな水がとうとうと湧き出しているところがあり、これを飲んでみたがところ美味しかった。この水も鉱泉水も、私が中国で初めて生水を飲んだ記念(?)すべき場所となった。翌日腹が痛くなるようなことはなかった。

  五大連池に来るときのバスの中で知合った、30歳くらいの美人もこのお寺で見かけた。このお寺に泊まるようなことを言っていたが、お寺で祈らなければならない事情でもあるのかしらと、チョット気になった。