三段が重ねのチキンカツ

  中国の中国料理のレストランに入ると、必ず何名ですか? と聞かれる。私が一人なのは見れば分かりそうなのに必ず聞いてくる。御一人ですか? とは聞かない。私が中国語をもっとよく話せれば、「そんなことは見れば分かるだろう」 と言ってやりたいくらいである。そして、冷菜は何にするかとか、肉はこれが旨いとか薦め、スープは要らないか? 主食は何がよいかと、聞いてくる。一人なのにそんなに注文させてどうするつもりかと、言いたくなる。

  西洋料理のコースであれば、スープもメインディシュも一人分の料理が注文できる。中国料理は一人分の料理が無いだけでなく、その量の多くて困るのである。一人だから半分にしてくれと言ったこともあるが、どうもそれすら出来ないようである。一人なのだからどの料理がいいかと聞いても、一人分の料理が元々無いのだから、答えに困るようであった。中華レストランに一人で入り、一つだけの料理を注文して、その料理が旨くて、ほとんど残さずに食べることが出来たら、してやったりといった気持ちになる。店員の進めるほとんどの料理を敢然としてはね退けて、一つだけにするのだから、かなり抵抗しなければならない。量が多ければ残せばいいではないかと言う意見もあるかもしれないが、洗面器状の容器にスープがいっぱいになって出てきたら、やはり気にならないだろうか。やはり食べ残すのは非常に気になるのである。三流のレストランでは、洗面器状の容器というのは本当にあった。

  大量の料理を注文して残す習慣を、中国人が気にしていないかと言うと、そうでもない。特に知識階級に属する人は、これを悪習だと言う人もいる。夜行列車の中で出会った人に、中国料理は多すぎると話したら、この習慣は悪い習慣だと言っていた。しかし習慣だから仕方がないとも言っていた。雲南省のある所で、昆明の病院勤めの女性たちと一緒になったので、私がごちそうすることになった。その時も例によって料理が余ってしまったのであるが、こんなに残して怒らないかと聞かれた。やはり外国と比べると、この様な習慣は、中国の良くない習慣と判っているようであった。

  西洋料理や日本料理は一人分の料理のシステムがあるので、その点はいい点でる。しかし西洋料理も中国化してしまうと安心出来ない。ハルピンに着いて、ロシア料理を食べに行ったのだが、チキンカツレツを注文したところ、何とチキンカツが三枚も、三段重ねになって出てきた。三段重ねのチキンカツなど、一人で食べられるはずはない。このレストランはロシア料理といっても、ハルピンの中国人向けのレストランであって、相当中国化していた。