中国人は黙って新聞を読む

  これまでに何回も飛行機を利用して移動した。汽車も普通席やグリーン車にも何回も乗った。その場合そんなにも読めないのだけれど、中国語の新聞を買って持ち込む場合がある。飛行機では希望者に新聞を配布してくれる。その新聞を読み終わって、座席の前の網状の物入れや、テーブルに置いておくのだが、この新聞を隣の人がひょいと持っていき、黙って読み出す場合がある。夜行などの場合は、何処から来て何処へ行くのかなど話しながら、自己紹介をしたりして知合いになるが、飛行機の場合などではあまり隣の人と話しはしなかった。知合いになった間ならば、新聞を持っていかれても気にならないが、知らない人が自分の目の前にある新聞を黙って持っていくのはかなり気になった。

  知合いになった人が、私に対して断ったかどうかは、ハッキリとは覚えていない。断って新聞を借りた人もいたが、断らなかった人もいたかもしれない。でもその場合は親しくなった間柄なので気にもしなかった。しかし知合いになってもいない人でも、ヒョイと新聞を黙って持っていって読み出すのである。
新聞を持っていくといっても、一時的に借りるといった感じである。飛行機で配布する新聞は、これは個人の物ではなく、共有の物といった感覚かもしれない。しかし私が買って持ち込んだ新聞でもそのようなことがあったのである。読んだ後に返ってきたので、新聞を取ったというのでなくて、チョット借りていったという感じであった。

  いつもそのようなことになったわけではないが、一度や二度ではなかった。勿論中国人の多くがそうするわけではなく、一部の人のことだと思う。しかし日本ならば新聞を借りる場合、一応挨拶してから新聞を借りて読むと思う。後のことであるが、飛行機の中で新聞を黙って持っていかれて、怒っていた日本人の話しを聞いたことがある。だからこのことは私の体験だけではない。

  ワイルドスワンという小説の中には、以前の中国にはプライバシーという言葉さえ無かったと書かれていた。現在では隠私権という言葉が作られているが、これは最近の造語である。やはり中国では自分の物と他人の物との区別が、少し日本と違うのは確かなようである。

  それと私の経験では、中国では定型的な挨拶を言うことが、日本から比べるとはるかに少ない。さようなら、今日はと言う挨拶用語をめったに使わないのである。さようならと言うのは、長い旅に出るような場合であって、毎日顔を合わせる人に対して使う言葉ではない。その場合はさようならも言わないのである。