旅行(りょこう)、旅(たび)とは、住む土地を離れて、ひととき他の土地(場所)へゆくことである。
旅は見聞を広める。夫々の地域に生活があり、培われた文化、歴史がある。
旅は疲れを癒す事も出来る、未知への挑戦のチャンスにもなる、しかし、何もない旅も有る。
旅の先々で見た風景の写真を掲載しています。


 
「京都国立博物館」

明治22年(1889)文化財を保護するため、東京・京都・奈良に国立の博物館を設立することが定められ、明治30年(1897)に「帝国京都博物館」として開館した。
収蔵品の鑑賞施設だった「平常展示館」(写真)を建て替え、左側に新たに建設されたのが「平成知新館」です。 2009年着工、2013年の竣工の後、2014年9月13日にオープンした。展示物は陶器、絵画、仏像、巻物等多くの国宝を含め展示されています、入口は、三十三間堂(蓮華王院)側の門と豊国神社近くの門です。
「黄檗山宝蔵院」一切経

黄檗山宝蔵院は1669年一切経の開版を志した鉄眼禅師が、隠元から黄檗山に寺地を授かり、蔵版・印刷所として建立したものです、一切経とは「経、律、論」で三蔵法師が訳し、鉄眼禅師が広めた。
全巻6956巻、現在仏教各宗派で使われているお経は、いずれもこの一切経に含まれています、6万枚の版木は縦26㎝、横82㎝、厚さ1.8㎝で3㎝の縁がついています。版木材料は吉野桜、版木の書体は明朝体です。
(宝蔵院パンフレットから)
[JR中野駅前」

JR中野駅北口、駅を出てアーケードを通って、左をまがり、中野サンプラザを過ぎて
歩いて行くと目の前に大きな建物が数棟聳えています。
左から「明治大学」「帝京平成大学」道路を挟んで右に見えるのは「早稲田大学」です。
道路左手大学の前には「中野四季の森公園」が、また見えませんが右手に東京警察病院があります。
「桜田門」

皇居前の建物からの見た「桜田門」皇居の内堀に造られた門の一つで,昭和36年に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された、遠景は高層ビル、堀近くは多くの緑豊かな樹々です
教科書に出てくる「桜田門外の変」は、安政7年3月3日(1860年3月24日)に江戸城桜田門外で水戸藩からの脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、大老・井伊直弼を暗殺した事件です。
154年後の「平成の世」の風景には、遠く遠くの出来事でその様な事件があった事すら思いだす事が難しいビルからの近代的な都会の風景です
「皇居二の丸庭園」

江戸時代、二の丸には、小堀遠州が造り、三代将軍の徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園がありましたが、長い年月の間にたびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃していました。
現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開の開始に当り、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。
ここでは当時の歴史と、そして四季の花と緑溢れる自然の景色を堪能することが出来、各県の木なども植えられ、しばし、都会の喧噪を離れ静かな時間が楽しめます。
北口からの「東京駅」

赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。丸の内側の「赤レンガ本駅舎」は1945年5月の米軍による空襲によりその多くが破壊、焼失した。終戦後の1947年、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。
鹿島・清水・鉄建 建設共同企業体が、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事を進め2012年10月1日に全面再開業した。写真は東京駅北口から撮影した写真です。
旧新橋停車場跡(鉄道歴史展示室)

新橋停車場跡は、高層ビルの谷間にあります、文明開化の象徴として親しまれた新橋駅旧駅舎は関東大震災に際して火災のため焼失し1934年から始まった改良工事のため、残存していたプラットホームや 諸施設も解体されました。
跡地は、1965年に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の史跡に指定 され、風化を防ぐために埋め戻され、その後、汐留再開発工事が1995年から始まり旧新橋停車場 跡などが発掘された。
2003年に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられ、同年4月開館した。内部は鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」になっています。

「六本木ヒルズ」

「六本木ヒルズ森タワー」を中心に「六本木ヒルズレジデンス」「グランドハイアット東京」テレビ朝日社屋「TOHOシネマズ」等の文化施設、その他の商業施設等で構成されており、2003年4月に開業した。
江戸時代に、麻布日ヶ窪(現在の六本木六丁目)に長府毛利家(長州藩支藩の長門府中藩)の屋敷がおかれた。乃木希典もこの地で生まれている。
港区六本木6丁目の再開発として事業計画されたが、この地にはかつて約500世帯が暮らしていた。計画の立案後にはバブル崩壊や反対派住民による抵抗などの紆余曲折があり、その完成までには約17年の歳月を要した。