吉見 「住吉神社」

境内掲示による吉見住吉神社の由緒 (平成十三年十二月吉日)
吉見区住吉神社は、表筒男命、中筒男命、底筒男命の筒男三神を祀る。
鎌倉時代中期建治元年(一二七三)社殿建築、寶暦九年(一七五九)社殿焼失に依り再建の記あるが、
鎮座年暦は不詳。以来、代々に亘り当地産土神社として崇め奉られ、
氏子崇敬者の生活の安全と繁栄を見守って来られました。
市道1-32号線改良事業用地として収用され、移転この地への御遷宮が決定されました。
  「松林寺の供養塔」

松林寺は佐倉城(鹿島城)最初の藩主土井利勝の創建による浄土宗の寺院。現在の本堂は春日局より
譲り受けた「聖観音像」を安置する為に建てた観音堂です。創建当時は、現裁判所あたりまで境内の
大規模な寺院だったようです境内には土井利勝が養父養母正室の供養の為建立した3基の
供養塔があります。土井利勝は江戸幕府の老中大老として、絶大な権勢を誇りました。佐倉転封時は
3万2千石でしたが、その後加増され16万石を領するに至っています。
  「長嶋茂雄記念岩名球場」

佐倉市の北部地域にある、岩名運動公園の中にある「長嶋茂雄記念岩名球場」です。
運動公園には野球場の他、陸上競技場、テニスコート、屋外プール等のスポーツ施設や、
スポーツ資料館、青少年センターがあります、長嶋茂雄氏の市民栄誉賞授与を記念し、
平成25年7月12日に「長嶋茂雄記念岩名球場」と名称が変更変更されました。
近くに「岩名仁王尊」があり、仁王堂門内にある阿形と吽形像の2体の木造金剛力士像は、
製作年代は室町時代の初期とされています。 
   妙経寺「飯沼金太郎

妙経寺は佐倉にある釈迦牟尼佛をご本尊とする日蓮宗のお寺で銅茅葺・朱塗りの山門、
朱塗りの柱を持つ本堂が特徴的です。飯沼金太郎のお墓があります。
飯沼金太郎は1897年千葉県印旛郡佐倉町に生まれる。
日本の航空黎明期のパイロットで1920年、東京・大阪間無着陸周回飛行に参加し、丹沢に墜落し、
パイロットを断念、その後「亜細亜航空学校」を創立し民間航空界の人材育成に多大な貢献をした。


   岩富城址(弥富)

中世に千葉氏の一族である原氏がここを拠点に活躍、その後原氏が滅び北条氏勝が城主となったその
子氏重が下野に転封され岩富城は廃城となった。
岩富城址は鹿島川と弥富川の合流点近くの高台にあります、現在は「浅間神社」があり、城址らしい
空堀が残っているだけです。
城主、原氏の菩提寺である教蔵寺(日蓮宗)と城主が尊崇した「八幡神社」が近くにある。

  「臼井城址」

臼井城は永久2年(1114年)、平常兼の子の常康が臼井に居を築き臼井六郎を称したと伝えられる。
1479年(文明11年)に、太田道灌率いる上杉方に攻められ、落城した。その後、千葉氏の家臣、原胤貞が
城主を務めていた1566年(永禄9年)に上杉謙信(当時は輝虎)に攻められ、合戦の舞台となっている。
1604年(慶長9年)、酒井家次の高崎移封に伴い廃城となった。
京成臼井駅北口から徒歩20分ほどのところにあり、城郭の位置からは印旛沼が一望できます。
印旛沼をゆっくりと眺めながら、佐倉の自然と歴史にふれあう憩いの場として利用されている 
  「大篠塚 梵天塚」

出羽三山(山形)への登拝は、同年代でまとまって一生に一度だけ行くという地域と、毎年あるいは2年に
一度など頻繁に、講全体で繰り返し行く地域があります。同年代でまとまって一度行くという地域では、
帰って来ると記念の石碑を建てます。頻繁にでかける地域では、梵天供養という行事を行う際
に記念の石碑を建てます。(梵天は 棒の先に幣束を何本もさしたもの、魔除けとして軒に刺します)
   佐倉ハーブ園(木野子)

【佐倉ハーブ園】は、薬用植物や生活に役立つ植物・樹木など約300種が植えられ、広く一般に無料で
公開されています。東関道佐倉ICから車で10分です。
敷地面積約10,000m2で、漢方植物や生活に役立つハーブ園、バラ園、茶の木、ブルーベリーや
ジューンベリーなどのベリー類、コニファー類など約300種類もの草木が生育しています。
ハーブは、一般的に料理の香り付けや保存料、薬、香料、防虫などに利用されたり、香りに鎮静・興奮
などの作用がある有用植物で、緑の葉を持つ草、茎のやわらかい植物などを指すことが多い。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)